薔薇十字団とイエズス会
イグナチオ・デ・ロヨラによって創立された修道会、イエズス会は、ときおり謀略結社、陰謀を企む秘密結社のように言われることがあった。
もちろんその多くは、フリーメーソン、イルミナティ、ユダヤ陰謀説同様、まともな根拠の無いヨタ話の類ではあるが、実は全く根拠がないというわけでもない。
イエズス会は、いわゆる対抗宗教改革の重要な担い手であった。彼らはルターらの宗教改革による大分裂の最中、プロテスタントと戦うことも重要な活動としていたからだ。プロテスタントになった信者たちを、カソリックに復帰させたり、プロテスタントの勢力の拡大を阻止しようとした。
さらにアフリカ、アジア、新大陸からも新たなカソリック信徒を補給するために宣教師を文字通り世界中に派遣した。
こうした活動には、どうしても政治権力との駆け引きが必要になってくる。
そして、それに諜報活動は欠かせない。イエズス会は、こうした諜報活動を行い、プロテスタントに成りすましたスパイを各国に送り込んでいた。
こうした意味での暗躍、陰謀は確かに行っていたのである。
イエズス会は、こうした陰謀・謀略活動の一環として薔薇十字団の黒幕なのではないかという臆測が流れたことがある。
基本的にこれはありえない。薔薇十字運動の思想は、ルターらの宗教改革の思想を強く受けていることは明白であり、そもそもこの薔薇十字章自体がルターの強い影響下にあると言われている。ルターの紋章は白薔薇と十字架を組み合わせたものである。ルターはこの紋章の象意について「シュペンクラーへの手紙」で解説しており、それを読む限りは薔薇十字思想と直接結びつけるのは無理がある。
ルターの紋章では「信仰による喜びと慰めと平和」を象徴する「白薔薇」(世俗の喜びを象徴する赤薔薇とは異なる)の内に、心・魂を象徴する「心臓」を置き、その上に十字架を描くことによって、キリストへの信仰を象徴する。この十字架は「黒」であり、これは死を象徴し、真の信仰は痛みを伴うものだということを象徴するのだという。
このように薔薇十字の思想とは直接関係ないが、これが少なくとも薔薇十字章のモデルないしヒントとなった可能性は大きい。形が非常に似ているからである。
実際、初期の薔薇十字運動はプロテスタントの国で勢力が大きく、フランス等のカソリック圏内では迫害すら受けた。
また、かのアタナシウス・キルヒャーが薔薇十字主義者にならなかったのも、ひとえに彼がカソリックであったからだとも言われる。しかし、彼がイエズス会修道士であったということは、何か奇妙な附合のようなものを感じる。
ともあれ、薔薇十字運動はプロテスタントの影響下にあった。にもかかわらず、薔薇十字運動はカソリックのイエズス会とと結び付けられたのである。
先にも書いた通り、イエズス会は政治的な諜報活動をも行っていた。そこから、フリーメーソン等の秘密結社が、プロテスタントを混乱させるための陽動作戦なのではないか、という噂が流れた。
ここで重要になってくるのがジャコバイト運動である。
これはイギリスの名誉革命において、追放されフランスへ亡命したスチャート王朝の国王ジェームズ2世の子孫をイギリス国王に復帰させようという運動である。
ジャコバイト派はフリーメーソンの会員が多く、フリーメーソンの組織を利用して資金集めすら行っていた。
必然的に、これは秘教的な解釈をほどこされるようになる。メーソンにおけるヒラム・アビブ伝説やテンプル騎士団のジャック・ド・モレーの復讐が、スチャート王朝の復活の象徴であるとさえ考えられた。
さらに、スチャート家がスコットランドやアイルランドとも縁故があることから、ケルト復興運動とも結びついたのである。
GDのマグレガー・メイザースが、この政治運動に夢中になったのも、こうした背景があったのである。
ともあれ、このジャコバイト運動には、カソリック信者が多かった。
そこから、イエズス会がイギリスを再びカソリックの国に戻すために、ジャコバイト運動を盛り立てているという臆測が生まれた。
ここから、カソリックのイエズス会、ジャコバイト運動、フリーメーソンの三者が結び付けられてしまったのである。
さらにややこしいことにイエズス会とフリーメーソンとの間には交流があった可能性は否定できず、フリーメーソンの上位位階やイニシエーションにイエズス会からの影響が見られるとの指摘もあるのである。
もともと、フリーメーソンと薔薇十字運動は結びついていたし、ジャコバイト運動にオカルティックな部分もあったことから、「イエズス会→ジャコバイト運動→フリーメーソン」が、「イエズス会→ジャコバイト運動→薔薇十字団」へと摩り替わってしまった。
(ややこしい話しはまだある。イエズス会は諜報活動の一環として、薔薇十字の象徴を借用し、両者が同一であるかのように見せかけるようなこともあったらしい。)
一方、イエズス会はイエズス会で、確かにオカルティズムの影響をも受けていた。実際、F・イエイツ等の研究者もカソリックの中で最も薔薇十字団に近いのは、このイエズス会だとさえ言う。
というのも、イエズス会の神学の形成に関わった硬学の修道士たちが、ルネサンス期のヘルメス哲学の影響を受けていたからである。その極端な例が、カバラや錬金術に夢中になったのが、先にも挙げたアタナシウス・キルヒャーであろう。
さらに、イエズス会は学問に対する考え方も極めて進歩的で、革新的であった。
彼らは科学、技術の研究を合間をぬって行っていたし、ガリレオが木星の衛星を発見した時に、即座に望遠鏡を使ってそれを確認し、地動説に同調的な見解を示した修道士もいたくらいである。
こうした科学、技術への進歩的な思想は薔薇十字運動のそれとも合致する。
さらに、イエズス会は学問の啓蒙、教育活動にも強い関心を持ち、これも薔薇十字運動と合致する。
とはいうものの、薔薇十字の「名声」は、多くの学者によって宗教改革支持、反カソリック、特に反イエズス会的であると指摘されてきたし、私もその通りだと思う。
薔薇十字主義者たちは、イエズス会とハプスブルグ家の同盟関係をさして、「これこそ黙示録の予言したアンチ・キリストに他ならない」と攻撃した。
両者は近親憎悪の敵同士の関係にあったと見るのが妥当である。
しかし、この事実は後世の臆測の前にはたいした防波堤にはならなかった。
また、薔薇十字系の団を組織した人々は、イエズス会を嫌いながらも、組織作りにイエズス会のそれを参考にすることも少なくなかった。
こうしたややこしい状況がいくつも絡み、本当は犬猿の仲であり、不倶戴天の敵どうしの関係にあったはずの薔薇十字運動とイエズス会は、いつしか結び付けられてしまったのである。
19世紀末にサール・ペラダンがカソリック薔薇十字聖杯神殿教団を創設した頃には、それに違和感を感じない人間も多くなっていたのである。
「イエズス会の歴史」 ウィリアム・バンガート著 上智大学中世思想研究所監修 原書房
「薔薇十字の覚醒」 フランシス・イエイツ著 山下和夫訳 工作舎
「秘密結社の事典」 有澤玲著 柏書房
「マルチン・ルター 原典による信仰と思想」 徳善義和編・訳 LITHON