「サルメスキニアカ」
かの「ヘルメス文書」には占星術関係の文書も含まれている。とくに「サルメスキニアカ(Salmeschiniaka)」とネプケソ、ペトリシスの著書が重要である。これらは断章の形でしか現存していないが、後世の占星術師達にとっては、たいへん重要な古文書であり、盛んに引用されることになる。
「サルメスキニアカ」は、ギリシャ語で書かれている。しかし、書誌学者達によると、その文章は稚拙で、おそらく元々あった立派なオリジナル文書を、あまり教養の高くない者によって筆写されたもの、と考えられている。
そして、バビロニア神話のネブ神の名が登場することから、起源はおそらくバビロニア占星術のものだと思われる。また、エジプト占星術で重要なデカン(天球360度を獣帯の12サインで区分すると30度になる。これをさらに3つに区分すると、各10度の区分ができ、これをそう呼ぶ)の代わりにバビロニア語の「サルミ」が使われていることからも、そう推測できる。
しかし、その一方で、エジプト占星術の混入も見られる。例えば各々のサルミ(デカン)のシンボルとなる絵の名前は、エジプト語が使われているのである。
これは、この著が書かれた紀元前2世紀頃のアレキサンドリアにおいて、両者が融合した結果からであろう。
しかし、「ヘルメス文書」の中で、後世の占星術師達によって、もっとも人気が高かったのは、これより後のネプケソとペトシリスの著とされる文書である。
この二人はアレキサンドリアの高位神官だったと思われる。成立はおそらく紀元前80~60年頃と思われる。
この書は韻文と散文の寄せ集めで、もともとはかなり長文の文書だったらしい。
この文書の全容は良く分かってはいないが、上昇宮や誕生日の太陽や月の位置を重視する考え方は、この二人の著書によって成立を見たものらしい。
ともあれ、この二人の著書でもって、占星術は、バビロニア占星術とエジプト占星術が融合し、ヘレニズムのギリシャ人の占星術へと昇華していったことは間違いない。そして、今も使われている獣帯の体系に吸収されてゆくのである。
もう一つ「ヘルメス文書」で重要な占星術書として「イアトロマティマティカ(Iatromathematica)」がある。
これは「医学占星術」とでも呼ぶべきであろうか。占星術を医学に利用しようとしう考え方である。
この書では、人間の人体器官と天体を結びつける思想の原点が見られ、さらに薬となる薬草や薬石をも天体と結びつけ、その影響を受けるものとした。
古代エジプトでは、医療も占星術もトート神の管轄であり、両者が結びつくのは、当然の結果だったと言えよう。
ともあれ、こうした占星術でもって医療を行おうと言う考え方は、そのままイスラムの学者達によって継承され、さらにこれはヨーロッパにももたらされる。ルネサンスの時代に入ってからも、当時の医者たちはホロスコープで、患者の診察を行っていたのである。
また、この書には、金属と天体を照応させる思想もあり、これはあきらかに錬金術の考え方だ。
もともとも「ヘルメス文書」には、占星術、錬金術、魔術の書も含まれており、これら三者は互いに補完しあい、そのはっきりした境界線も存在しなかったである。