黄金の夜明け、創立す
ことの発端は1887年のロンドン。A・F・A・ウッドフォードという牧師が、ウィリアム・ウィン・ウェスコットという検死官のもとへ60枚にも及ぶ暗号文書を持ち込んだことから始まる。
二人は「英国薔薇十字協会」のメンバーであった。この会は1866年に設立された団体で、擬似メーソンリー式ではあったが、魔術結社とは言えない。高位フリーメーソン会員の中から、オカルティズムに強い関心を持っている者達が集まって作った社交クラブないし勉強会の意味合いが強かった。
ともあれ、ウェスコットは、この暗号文書がトリテミウス式の暗号が用いられていることに気づき、解読に成功した。
その内容は、イニシエーションの骨格部分について述べたメモ書き、エジプト文書の引用、タロットと「生命の樹」との照応等について記され、さらに「黄金の夜明け」なる魔術結社の名もあった。
さらに、一通の手紙も、同封されていた。その手紙の内容とは、この魔術結社の幹部で、アンナ・シュプレンゲルと名乗るドイツ人女性が書いたもので、「この暗号解読に成功し、内容に興味のある者は連絡せよ」とあり、住所も共に記されていた。
ウェスコットは、ただちに彼女に書簡を送り、数度にわたる文通の末、イギリスに魔術結社を設立する許可を貰った。
そして、彼は「英国薔薇十字協会」の会長のウィリアム・ロバート・ウッドマンと、同じくメンバーである、あの天才魔術師マグレガー・メイザースを誘い、「黄金の夜明け」団を設立したのである。1888年のことである。
ドイツ上層部の首領達は「秘密の首領」と称された。彼らは物質的肉体を有してはいるが、その活動は主にアストラル界で行われ、その実力は超人レベルに達していると言う。
そして、1890年にアンナ・シュプレンゲルの死を伝える手紙が送られ、今後の団の運営は「貴方達は免許皆伝した。後は自分たちだけでやりなさい」なるドイツ上層部からの意向も伝えられた……。
これが大雑把な「黄金の夜明け」設立のエピソードである。
が、ここに大きな謎がつきまとう。
この一件で起こる大きな論争は、「シュプレンゲル女史は実在の人物か?」であろう。
考えてみれば、彼女と交渉があったのはウェスコットただ一人である。さらに、このウェスコットからして、彼女とは文通をしただけで、一度も会ったことは無いという。どうも不自然だ。
魔術史家のエリック・ハウはその著「The magicians of the Golden Dawn」で衝撃的な説を発表する。
要するに、このシュプレンゲル女史なる人物は、ウェスコットが作り上げた架空の人物で、彼女からの手紙も全て捏造されたものだ、ということだ。
ハウは、このシュプレンゲル女史の手紙の現物を入手し、これをドイツ人の筆跡鑑定の専門家に分析させたのである。
その結果、これは「ドイツ人によって書かれたものでは無い」との結論を得た。例えば、男性形と女性形を理解していないなど、ドイツ人なら絶対にやるはずのない文法上のミスが目立つうえ、イギリス風の表現が頻出しているという。
以上から、このシュプレンゲル女史の手紙はイギリス人による捏造と見て良いという。
もっとも、この手紙の筆跡は、ウェスコットのそれとは違っていると言う。
しかし、ウェスコットは分裂症的な傾向を持ち、異なる筆跡をいくつも残している。となると、異なる筆跡で手紙を書くことも充分可能だったはずだ。
さらに、ハウはシュプレンゲル女史の住所(そこはホテルだった)に直接問い合わせてもいるが、やはり彼女の滞在記録は無かった。
さらに、シュプレンゲル女史の探索は、大勢の人間がやっているが、未だに痕跡一つみつからない。
さらにさらに、ドイツに「黄金の夜明け」なる結社が存在したという痕跡も全く無いのである。
そして、とどめにメイザースは途中から、シュプレンゲル女史の手紙の捏造に気づいたらしい。このことについて触れた彼の手紙が残っている。
以上から、シュプレンゲル女史はウェスコットの捏造によるもの、というのが定説だ。
「黄金の夜明け」に限らず、秘教結社において、いわゆる「権威ずけ」のために、こうした歴史をでっちあげることは、よくあることである。
無論、実践派魔術研究者の中には、このハウの説に異論を唱えている人も居る。
例えばジェラルド・サスター氏の論文(邦訳あり)が有名であろう。
だが、氏の論文は、いささか感情的なのに加え、論理のすり替えが目立ち、ハウの説の曖昧化がやっとと言った感じで、申し訳ないが、あまり説得力を感じない。
私も「捏造したとは断言できない」には同意する。しかし、「捏造した可能性の方が大きい」と思わざるを得ない。
しかし、暗号文書のほうは捏造ではない。
同封されていたシュプレンゲル女史の手紙とは筆跡、紙その他が明らかに異なり、これはハウも認めている。
では、一体誰が、この暗号文書を書いたのか?
これは、全くの謎である。
この暗号文書をウェスコットに送ったウッドフォードは、これを古書店で偶然購入したとも、あのフランシス・バレットの弟子で1885年に他界したオカルティスト、フレッド・ホックリーの蔵書の中から見つけたとも言われているが、さだかではない。
暗号文書の著者が何者かについては、もうお手上げである。そもそも、この暗号文書がドイツ起源のものである、と言うのもかなり怪しい。
ただ、タロットと生命の樹の照応の記述があることはエリファス・レヴィ以前ではありえないし、エジプト文書からの引用があるということはシャンポリオン以前でもあり得ない。おそらく1860~1880年の間に書かれたものであるらしい。
結局、暗号文書の著者については、全くの謎なのだ。
実践派オカルティストにとっては、 結局のところ、アンナ・シュプレンゲルが実在しようとしまいと、姉妹SDAと同一人物であろうと無かろうと、ドイツ上層部が実在しようとしまいと、暗号文書の著者が誰であろうと、「黄金の夜明け」の技術が持つ、大きな技術的価値とは何の関係も無い。
先にも言った通り、秘教結社が「権威ずけのためのはったり」をかますことは良くあることだ。さして気にするほどのことでもない。
肝腎なのは、その結社が実践してる技術がどのようなものであるか? なのだ。
この点、「黄金の夜明け」の技術は、画期的であり、魔術を近代化させ、西洋と東洋の実践オカルティズムを見事な形で融合させたものであり、その価値は計り知れないものであることには、変わりない。
「英国魔術結社の興亡」 フランシス・キング 国書刊行会
「黄金の夜明け」 江口之隆 亀井勝行 国書刊行会