アルテミドロスと「夢判断の書」


 夢占いは世界中に見られる文化である。
 占いに強い敵意を持つユダヤ教でさえ、この夢占いに関してだけは積極的だったこともある。「タルムード」における夢判断や東洋の夢占いに関しては、別項で詳述したい。
 ここにおいては、ヨーロッパ圏で、最大級の影響力を持った「夢判断の書」であろうアルテミドロスについて述べてみたい。
 彼の著書「夢判断の書」は、早くもあのヒポクラテスと並ぶ大医学者ガレノスによって言及されている。
 またイスラム文化圏でも多くの学者によって知られ、引用されてきた。また、インドの学者達も、この著書を参考にした。
 これがヨーロッパで広く知られるようになったのは、1518年にベネチアでギリシャ語の完全編集本が出たことによる。引き続きラテン語訳がバーゼルで、フランス語訳がリヨンで発行された。後には英訳も出され、これは版を重ねた。
 これは多くの学者達の注目を集め、それはルネサンスの人文主義者達から20世紀のジークムント・フロイトにまで至る。ただ、不幸なことに、書誌学者達が指摘している通り、この書は剽窃の対象となり、何人もの自称「夢判断の専門家」達が、この本の丸写しを自分の著書として発行し、混乱を招いた。

 アルテミドロスが何者であったのかは、殆ど分かっていない。紀元後2世紀末頃の人物で、エーゲ海東岸のエペソスの出身であったらしい。ストア哲学の影響を受けた教養ある人物ではあるが、下層階級の職業占い師であったらしい。他に手相や鳥占いに関する著書があったらしいが、これは散逸して現存しない。

 彼の「夢判断の書」は全5巻から成る。最初の1巻の前半部分では夢の一般理論について述べられる。そして、4巻までは個々の夢のシンボルとその象徴が書かれている。そして、最後の5巻においては、前半部分で1巻の概論について解説と補足を加えた後、これまでの知識を踏まえたうえでの「夢解釈の実例」集となっている。
 もともと、彼はこの本を2巻で完結させる予定であったらしい。だが、執筆を続けているうちに、いくつもの漏れに気づき、補充を続けているうちに5巻にまで膨れ上がってしまったらしい。
 ちなみに、この本の3巻までは友人に捧げられ、後半の2巻は息子に捧げられている。

 彼は夢判断を行うにあたって、「夢」と「睡眠中の幻覚」を区別しなければならない、と説く。
 「睡眠中の幻覚」とは、例えば空腹の状態で寝てる物が食事をする夢を見たり、恋をしている者が好きな相手が夢に出てくるのを見たり、何かに恐怖を感じてる者がその恐れている物が夢に出てきたりする、そのようなものであると言う。すなわちこれは、現実における欲望や恐怖や感情が、睡眠中の知覚に作用した結果にすぎない。こうした物は、未来予知には全く役に立たないという。
 既に彼は、夢を昼間の覚醒時に受けた印象の名残りを含むことに気づいていたわけである。
 しかし、同時に彼は夢が未来を予言する一種の啓示であるという思想も持ち、先のような現象の存在を認めたうえで、両者を区別することを主張しているのである。

 次に彼は夢を「直接的な夢」と「比喩的な夢」に分類する。
 「直接的な夢」とは、そのものズバリ未来の出来事をそのまま予告されたものである。これは難しく考える必要は無い。
 しかし、「比喩的な夢」の場合は、予告が遠まわしなシンボリックな形で現れるので、解釈が必要である。この書はその解釈のために書かれたというわけだ。
 
 彼は夢を構成する要素を6つのグループに分類している。自然、法律、慣習、技術、仕事、名称、時である。こうした夢に現れた活動が、その人の普段の振る舞いと同じか、もしくは自然の法則や人間の道徳と合致していれば吉夢である。しかし、そうでない場合は凶夢となる。
 また、夢を見た時刻も重要だ。例えば目覚め直前に見た夢には深い意味がある。これはおそらく夢のイメージが地下世界から夜明けにやってきて人の心に入る、という神話から来るのであろう。
 また、同じ内容の夢でも、それを見る人の社会的地位にも関係する。また、権力者の見る夢は国家の命運に関わることもあるという。
 例えば、赤ん坊が生まれる夢であるが、貧しい人にとっては吉夢。赤ん坊のように自分を庇護してくれる人が現れるであろう。しかし、権力者は凶夢である。自分が赤ん坊のように誰かの庇護下に置かれ、支配されるからである……。
 
 彼の夢解釈のシンボリズムは、言葉遊び、洒落、象徴、類似性などによって構成される。
 例えば河や小川は血の流れを示す。汚染された場所は大腸だ。
 身体の部位については、口は家を、歯は財産と家族を象徴する。例えば歯が抜け落ちる夢は、しばしば議論されることであるが、アルテミドロスによると、債務者にとっては借金の完済を意味する。金持ちがこの夢を見るのは凶で、家族が家から離散することを意味する。しかし、奴隷にとっては吉である。これは主人が財産を手放す、すなわち解放してもらえる前兆である……。

 こうして彼は夢を読み解くわけであるが、ここで重要な注意事項を挙げている。
 それは、夢判断者は、単純に夢の内容ばかりに気を取られるだけでは駄目だということである。
 正しい解釈を下すためには、その夢を見た人自身の特徴はもちろん、その人を取り巻く環境などの詳細な情報を集めなければならない。なぜなら、同じ夢でも、それを見た人やその人の地位などによって異なる意味、あるいはまるっきり正反対の意味となることも有り得るからだという。


「夢判断の書」 アルテミドロス 国文社
「夢占い辞典」 M・ポングラチェ I・ザントナー 河出文庫
「世界占術大全」 アルバート・S・ライオンズ 原書房