ダルヴェドールとアルケオメートル


 オカルティズムと音楽は切っても切れない関係にある。洋の東西を問わず、古くから実践的な神秘主義者やオカルティストは、音楽が瞑想や神性との交感に非常に有効であることに気づいていた。
 それはヨーガにおいても然り、カソリックのグレゴリオ聖歌や日本の近代霊術家たちが注目した八雲琴に至るまで、膨大な研究が存在する。
 だが、ここで取り上げるのは西洋の近代オカルティズムに関わる音楽オカルティズムである。

 西洋の音楽オカルティズムは、ピタゴラス学派の数学魔術に根を持っている。これをもとにして発展した体系と考えても良いであろう。
 近代の音楽オカルティズムにおいて高度な体系を作り上げ、後世に大きな影響を及ぼした人物として無視できないのが、ファーブル・ドリヴェ、シャルル・フーリエ、ジョセフ・M・O・ヴロンスキー、エルネスト・ブリット、エドモン・バイイ等が居る。
 早くもファーブル・ドリヴェは、音階とヘブライ文字を照応させ、さらに音楽シンボリズムをフリーメーソンの象徴体系と結びつけた。ヴロンスキー主義者のエルネスト・ブリットは音階と占星術との照応について高度な研究を行った。

 サン・ティーヴ・ダルヴェドール侯爵は、独自の音楽オカルティズム体系「アルケオメートル」を打ち立てた。
 彼は「作曲家」の肩書きが示す通り、音楽オカルティストの中では、ヴロンスキー主義者のエルネスト・ブリットと並んで、作曲や演奏の才能を持った音楽家としても非常に優れた人物であったという。
 彼は1842年フランスの貴族の家系の息子として生を受けた。既に幼い頃から音楽の才能を発揮して、オルガンを演奏しては神童と呼ばれたらしい。
 1866年から3年ほど政治的な理由から亡命を余儀なくされ、音楽とフランス語の家庭教師として生計を立てるなど苦労した時期もあった。

 彼は既に1885年には神秘主義に関心を持っていたらしい。彼は神智学にも染まっていた。
 この頃に彼は、ハジ・シャリフというグルからサンスクリット語を学び始めた。ハジ・シャリフは、彼に「ヴァタン語」なる未知のアルファベットを教えた。
 ダルヴェドールが言うには、この「ヴァダン語」は、22文字からなり、もともとはアトランティス文明で用いられた文字であり、ヘブライ語や占星術記号の起源であるという。
 また、同年にリシ・バグワンダス・ラジ・シュリンなるグルから、「バラモンの秘伝」を授かったという。これはヨーガの「オウム」の宇宙生成論をもとにした思想である。「音」には、「神の息吹による創造」と「秘儀参入者によって発音されるマントラ」があり、これをヘルメス哲学と結びつけた思想だ。すなわち、前者がマクロコスモスであり、後者がミクロコスモスということである。

 また彼はカバラをも自分の理論に取り込んだ。
 彼は「創造の書」を研究し、22のヘブライ文字を先の「ヴァタン語」の体系と照応させた。
 従来から、22文字を惑星や12宮と結びつけた照応は存在したが、彼は伝統的な照応では満足できず、ポール・クリスチャンの「魔術の歴史」を参考に、独自のヘブライ文字と占星術との照応表を作り上げた。これは「ヴァタン語」と「ヘブライ語」を照応させるためであった。
 以下が彼によるヘブライ文字と占星術の対応である。
 A(基本文字)、B(月)、G(金星)、D(木星)、H(白羊宮)、V(金牛宮)、Z(双子宮)、Ch(巨蟹宮)、 T(獅子宮)、Y(処女宮)、  K(火星)、 L(天秤宮)、M(天蠍宮)、N(太陽)、S(対応なし)、O(人馬宮)、P(磨褐宮)、Ts(水星)、Q(宝瓶宮)、R(双魚宮)、Sh(土星)、T(対応なし)

 こうした彼の仕事は1885~6年にパリに住んでいた時期に集中しているが、それから10年ほどオカルティズムへの関心が薄れてしまう。
 彼にはマリーという14歳も年上の妻がいた。彼らは、見事なまでのおしどり夫婦だったが、1895年にマリーは死去する。
 彼はこの精神的な痛手を癒すべく、パリを離れベルサイユのアパルトメンに居を移した。
 そこで、カソリックの小さな礼拝堂を造り、妻の冥福を祈った。
 妻の死から1年後の1896年に、彼は宗教的恍惚を経験する。ここで「天使」となった妻の霊との交信が始まるのである。
 これがきっかけとなって、彼はヘルメス哲学の研究を再開する。
 マリーの霊は「生の定義を示し、それを神聖文字(ヘブライ文字)の集合の中から探るよう示唆した」という。

 彼は自分の作り上げたヘブライ文字と占星術との伝統とは異なる新しい照応が正統なものであるという主張を、ゲマトリアの方法で証明する作業を始める。
 例えば、彼の照応では12宮に照応する文字の数値の和は565になるが、この5、6、5の文字はH(ヘー)、V(ヴァウ)、H(ヘー)であり、これがイヴを意味する。そして、7つの惑星に照応する文字の数値の和は469であるが、これをさらに4+6+9と合計すると19、さらに1+9とすると10というセフィロトの数として完成するという。
 さらに、12宮の565を合計すると、5+6+5=16であり、これを先の惑星の数値の合計数10と合わせると26となり、聖四文字名が出現するという。
 こうした複雑な数学的な考察を行いながら、彼は音楽の音階と占星術とカバラの照応の研究を続ける。
 そして、間もなく彼は自分の体系に大きな改変を加えた。
 それは、これまで彼の体系は7つの惑星に合わせた7項の図式からなるものであったのを、6項のそれに変えてしまった。
 彼が言うには、カルデア占星術の7惑星よりも、「創世記」にある6日かけての宇宙の創造を基としたほうが良いとのこと。
 彼は実に辛抱強く、自分のシンボリズム体系に改良に継ぐ改良を重ねた。
 こうして生まれた体系こそが「アルケオメートル」である。これは1898~1900年頃には、未完成ながらだいたいの原型が形作られていたらしい。
 彼はこうした考え方の基に、自分の体系を図式化した。それは円形の表であり、中心に「太陽」を置き、黄道12宮、それぞれの宮に対応する惑星、ヘブライ文字、数値、四大、それに対応する色調と「音階」を配したものであった。
 引き続き、彼はこの「アルケオメートル」の表をもとに、音階のもつシンボリズムや照応を、ゲマトリア的な方法でもって証明する作業に没頭した。
 ただし、彼は音階については、他の音楽オカルティストたちがピタゴラス音階を採用していたのに対し、プトレマイオス音階を採用した。

 「音楽」とは「生きた神の言葉」と等価である。その「音楽」は、「数」と「形」からなる言語である。人間は「音楽」を創造するのではなく、「発見」するのだ。その「発見」は、神から人間に与えられる愛の啓示の一部に他ならない。
 ゆえに「音楽」を通じて世界の構造を理解し、世界そのものの操作も可能なはずだ。こうした世界の構造を把握するための「鍵」であり、実験器具こそが「アルケオメートル」であるという。

 こうした彼の恐ろしく緻密で綿密な、音階とカバラ、占星術、ヘルメス哲学の独自の照応によるシンボリズム体系、ないし音階とつながる計算器たる「アルケオメートル」は、1907年に集大成されて、出版された。
 それが、「音楽のアルケオメートル」である。
 ただし、これは楽譜であり、実に201篇のピアノ曲からなっている。
 これらの曲は、彼のシンボリズム体系に基づいた宇宙論を音楽の形で表現した途方も無い代物である。
 それでもこれは、「巨大な建築の第一段階」にすぎないという。

 彼は1909年に世を去った。
 多くの友人や弟子達が、この音楽による宇宙論の表現を継続しようとしたが、いかんせん難解すぎた。それでもシャルル・グジという建築家が、アルケオメートルの理論を建築の美学に応用するという仕事を行っている。

 ダルヴェドールの仕事は、かのパピュスにも大きな感銘を与えた。
 パピュスは、ダルヴェドールの理解者、友人となり、彼の思想の喧伝に協力した。早くも1900年には、まだ未完成だったアルケオメートル理論を、オカルティスト達に紹介した。
 さらに、ダルヴェドールの死後も、彼が完成させるに至らなかった音楽による宇宙論の表現を継続させようと、理解ある音楽家たちの間を走り回り、様々な計画を立てた。
 しかし、無念にもそれは第一次世界大戦の勃発により、消えてしまった。


「音楽のエゾテリズム」 高尾謙史訳 ジョスリン・ゴドウィン著 工作舎
「星界の音楽」 斉藤栄一訳 ジョスリン・ゴドウィン著 工作舎
「天球の音楽」 山田耕士他訳 S・K・ベニンガーJr.著 平凡社