グリモワールの世界


 いわゆる黒魔術と聞くと、どんなものをイメージするだろうか? 黒衣の魔術師が魔法円の上に立って、怪しげな呪文を唱え、悪魔を呼び出し、契約する。
 こういったイメージは、いわゆる「グリモワール」と呼ばれる古い魔術書から来ている。
 「黄金の夜明け」が設立されるだいぶ前、西洋魔術が近代化される前の、文字通り、古い魔術である。
 そして、ヘルメス哲学や薔薇十字運動のような思弁的、哲学的、理想的な部分は少なく、悪魔の力を借りて財宝を手にすると言った内容の物が多い。、人間の欲望に正直な、悪く言えば俗的な魔術の書である。

 「グリモワール」と聞くと、中世ヨーロッパというのをイメージする。
 ところが、よく調べて見ると、これらの「グリモワール」の大部分は、歴史が思いのほか浅いのである。
 確かに、記録だけなら古くからある。例えば「ソロモン」の名を冠した魔術書の記録は、紀元1世紀にあのユダヤ人歴史家ヨセフの著書に見られる。しかし、これは既に失われてしまっている。
 現存する最も古いグリモワールにしてみても、最古の者は15世紀頃だ。大部分は、18世紀に入ってから成立したもののようである。
 こうしたグリモワールのオリジナル本は、もともときちんとした修行をしたカバリスト達によって書かれたのだろう。しかし、それが無学な者達によって書き写されて行くうちに、内容がどんどん変化していったのではあるまいか? 民間の「まじない」が書き加えられ、現世利益にしか興味の無い者によってカバラの奥義などが省かれ、単純なミスも積み重なって行く……。
 あの「ソロモンの鍵」等を英訳したM・メイザースも、ヘブライ語やラテン語の名前や呪文のつづりが間違いだらけで、それを修正するのに、かなりの苦労を強いられたらしい。
 さらに、古いグリモワールの「完本」は、殆ど残っていない。いずれも「断章」ばかりである。これらの怪しげな本の所有者達は、世間を慮って(最悪、魔女裁判が待っている)、これらの本をわざとバラバラにして隠したりしていた。その結果が、これである。

 さて、グリモワールには、どのような物があるのであろうか?
 歴史が古く、内容もカバラに関する知識を含んでおり、現代の魔術師達からも、それなりの評価を受けてるものとしては、「ソロモンの大いなる鍵(The key of Solomon the king)」、「アルマデル奥義書(The Grimoire of Almadel)」、「ゲーティア(Goetia)」の3冊であろう。いずれもM・メイザースが大英図書館にあったテキストを英訳したものである。そして、これらはいずれも日本語で読むことができる。

 「ソロモンの鍵」は、グリモワールの典型にして、最も理想的な本であろう。メイザースが大英図書館にあった7種類の断章を基に再構成した書である。各種の魔術用具の作り方、儀式を行うに当たっての約束事、精霊の召還に至るまでが詳述されている。しかし、この本の中で一番有名なのは、豊富な図版と、「付録」にある大量のペンタクル(魔術の護符として使用される)であろう。
 バリエーションも多い。それらの中には、メイザース英訳以外にも、日本語に訳されているものもある。

 「アルマデル奥義書」は、3部構成で、第1部は天使、第2部は悪魔について記され、もっとも重要な第3部には、儀式の準備、心構え、唱えるべき祈りの言葉、召還した精霊の出現の仕方などについて書かれている。
 これも「ソロモンの鍵」のバリエーションの1つと見て良いだろう。

 そして、「ゲーティア」。最も有名なグリモワールではあるまいか? 72人の悪魔の名とシジル、そして彼らの役割や性格や特徴について、一人一人詳しく詳述されている。さだめし「悪魔名鑑」とでも言うべき代物だ。
 この本は、これらの72人の悪魔を召還し、命令する方法が記されている。
 これは、多くの作家達にインスピレーションを与える基となったし、この「悪魔を呼び出し命令する」といった魅力的なテーマなためか、近代以降の魔術師達の中にも、実践してしまう者もいる。早くもクロウリーが実践しているし、最近でもOTOのとある魔術師が、この「ゲーティア」の実践記録を出版している。この記録は日本語にも訳されている。
 これほど有名であるにも関わらず、この本は正規の出版が長らくなされず、海賊版が大量に出回っていることでも悪名が高かったが、最近アメリカのWEISER社からやっと合法本が出た。しかもクロウリーの注釈と悪魔達のスケッチ画入りで。
 この本は別名を、「ソロモンの小さな鍵」とも言う。

 現代の魔術師達から比較的評価を受けてるのは、この3冊である。あと、別格の書として「アブラメリンの書」という本があるが、これは別に詳述する。
 現代の魔術師達は、これらのグリモワールを、そのまま字義通り受け取ることはあまりない。ただ、これらの本には、カバラの奥義や魔術の秘儀が隠されているので、書かれていることを選択的に吸収できる者にとっては、意味のある本と考えることが多いようだ。

 もちろん、グリモワールと言うのは、これだけではない。
 他にどのようなものがあるのか、ちょっと解説してみよう。これらは、いずれも18世紀以降に成立した比較的新しいものばかりである。

 まずは、「ホノリウスの書」である。ローマ教皇ホノリウス3世が魔術に通暁していたという伝説から生まれた本である。
 これには、多くのバリエーションがあり、私の知ってる英訳本だけでも3種類はある。私の手元にあるのは「The Grimoire of Pope HonoriusⅢ」なる物だ。
 内容は、まじない集的なものだ。一例を挙げるとこんな感じ。
 まず、貴方の寝室を綺麗に掃き清めよ、大きなテーブルに3つの椅子を置き、三人ぶんのパンと水を用意せよ。暖炉には火をくべ、ベッドの横にアームチェアを一つ置くべし。そして、ベッドに横になって、呪文を唱えよ。すると、暖炉の中から三人の精霊が現れる。彼らは、用意したパンと水で食事をし、貴方に一宿一飯の恩義に応えるため、籤をひいて一人だけ残る。一人残った精霊は、アームチェアに座り、ベッドの上の貴方に、財宝の埋もれている場所を教えてくれる……。
 他にも、様々な記述があるのだが、「女が処女かどうかをしらべる法(アラバスターの粉末を飲食物に入れて飲ませれば分かるそうな)」のような、正直どうでもいいような「まじない」が大部分を占めている。

 また、「モーセの書」も有名だ。11世紀頃に「モーセ」の名を冠した魔術書があったという記録があるが、現存しているのは18世紀にドイツで成立したものらしい。これらは民間にだいぶ流布していたらしい。これにも様々なバリエーションがあるようだが、「モーセ第6および7の書(The Sixth and seventh Book of Moses)」が有名だ。これの続編として「モーセ8,9,10の書」というのもある。旧約聖書には、モーセ五書というのがあるが、実はモーセの書は、かの十戒に基づいて10冊書かれたのだ、という触れ込みの代物だ。これらの本には、モーセが起こした奇跡の「やり方」が解説されている。
 「6,7の書」に関しては、日本語訳が限定版で出ている。しかし、WEISER社の原本と比較してみたところ、完訳ではないようである。
 内容は、天使や精霊を従える法、財宝を手にする法といったお決まりのものから、疫病を流行らせる法といった物騒な法まで、いろいろと記されてる。
 ちなみに、この本は20世紀に入ってから、フランスにて裁判事件を引き起こしている。「迷信撲滅」の義務感に燃える人によって、出版社が告訴された。判決では、言論の自由を優先したもので、出版社側の勝訴だったらしい。

 「アルベルトゥスの書」も有名だ。これには、「大アルベルトゥス」、「小アルベルトゥス」などがある。「大アルベルトゥス」は、河出書房新社より日本語訳もある。内容は、主に自然魔術だ。薬草や石の効用、奇奇怪怪な博物学的記述にあふれていて、読み物としては、なかなか楽しませてくれる。「小アルベルトゥス」の方は、呪術的で、かの「栄光の手」の記述もこれにある。

 他に「大いなるグリモワール(Grand Grimoie)」。ちょっと紹介してみると、悪魔ルキフグス・ロフォカルスを呼び出し、財宝をせしめる方が書かれている。
 魔術師は、魔法円の中で、悪魔を苦しめる呪文を唱え、強引に悪魔を呼び出す。呼び出された悪魔は、不平たらたらながらも、財宝と引き換えに魂を要求してくる。しかし、魔術師は間違っても魂は渡さない。代りに動物のいけにえを捧げることを提案する。ここで嫌がる悪魔を、悪魔を苦しめる呪文で脅しながら、魔術師にとって有利な契約を強引に結ばせ、財宝をせしめる方が書かれている。
 この悪魔との「かけひき」の仕方が、まるで脚本のように記されてて、なかなか面白い。
 ターシー・クーンツによる英訳本が入手可能である。

 「ピラミッドの賢者(The Sage of Pyramid)」。魔術師は、布に指示通りの配色で不思議な図形や文字を刺繍して作った護符を胸に付け、支持通りに作った魔法の指輪をはめる。そして、呪文を唱えると、姿を消して透明になったり、空を飛んだり……。あるいは、精霊が「お呼びでしょうか、ご主人様。貴方様の下僕は喜んで貴方様のご命令に従いましょう」と、まるでアラジンの魔法のランプのように現われたるする……そうな。

 「トルエルの秘密奥義書(The Secret Grimoire of Turel)」。占星術の7つの惑星に属する精霊の王達を召還する。
 「(Grimorum Verum)」(すいません、訳せません)。悪魔の三大君主とそれに従う悪魔達のシジルが解説され、それを呼び出す方が書かれている。

 この他にも、「赤い竜」、「黒い竜」、「聖なる王」、「黒い雌鳥」、「アグリッパの第4の書」などなど、グリモワールには、おびただしい数が存在する。
 
 さらには、アメリカのMagical Child社からは、ホラー小説家のH・P・ラヴクラフトの架空の魔道書「ネクロノミコン」の名を冠したグリモワールまでもが出版された。まあ、思うに、こうした「胡散臭さ」もグリモワールの持つ不思議な魅力の一つなわけで、我々も敢えて調子を合わせて読んでみるのもまた、一興ではるまいか?