メイザース派とA∴O∴


 GDは3つに分裂した。
 しかし、ウエイトの「聖黄金の夜明け」は1914年に閉鎖。
 「曙の星」本部は1923年頃、事実上の崩壊。ただし、いくつかの支部は生き残り、存続した(これらの支部は後に重要な役割を果たすことになる)。
 その一方で、追放されたメイザースはどうしたのであろうか?

 ロンドン本部が1900年にメイザースを追放した。
 エジンバラ支部のアメン・ラー・テンプルも反乱軍側に付いた。
 その一方で、ウェストン・スパーメア支部のオシリス・テンプルとブラッドフォードのホルス・テンプルはメイザース側に付いたが、極めて少数派である。アメリカのトート・ヘルメス・テンプルもメイザース側だが、遠すぎる。
 メーザース派幹部のエドワード・ベリッジも、ロンドン本部から追放された。
 ベリッジはメイザースと連絡を取り合い、メイザースはベリッジをロンドンの「黄金の夜明け団代表」に任命した。
 ベリッジのテンプルは既に1903年に活動を開始した。彼はウエイトを味方に引き入れようとしたらしいが、これは失敗に終わったようだ。
 
 メイザースは、くじけずに魔術研究を続けている。
 愛妻のモイナも、健気に夫を助けていた。メイザース追放のおり、モイナは別格に扱われた。ロンドン本部は彼女までは追放するつもりはなかったらしい。しかし、モイナはあくまで夫について行く強い覚悟があった。
 ロンドン本部にて社交クラブ化を望む声が高まっているのとは裏腹に、メイザースはより秘教的な魔術結社の運営を試みていた。
 団員を少数精鋭主義とし、団の秘密主義も強めていた。
 教義文書にしてみても、かつての旧「黄金の夜明け」団のように、筆写や回覧を行わず、伝授者に直接読ませる、という方法も取ったらしい。
 イシス運動も継続したし、一説には「エジプトの神秘団」なる結社ないしグループの運営も行ったらしい。
 さらにメイザースは図書館に通っては、隠秘学の古文書の調査、研究も熱心に進めていた。

 「曙の星」団において、エジンバラ支部のブロディ・イネスは、フェルキンの暴走(?)に付いてゆけなくなったらしく、決別を考えていた。
 もともと彼は、どちらかといえばメイザース派であった。そして、ロンドン幹部のクーデター自体が、実は不当なものだったと考えるようになっていたらしい。
 1908年にメイザースがロンドンに来た時、イネスは彼と会見し、両者の間に和解が成立している。
 1912年にイネスは、フェルキンに「私は非常に高度な魔術文書と教義を所有している。私はイギリスにおける指導者の権威を与えられ、これらを授けられた。この権威を私に授けてくれたメイザースを正統なGD全派の首領たることを認めよ」といった感じの手紙を送った。
 もちろんフェルキンは、これを拒否した。
 すると、1913年にイネスは、ベリッジ率いるロンドンのテンプルに入り、三首領の一人に就任した。
 これを持って、メイザース派の団は、外陣の名称を「黄金の夜明け」から「A∴O∴(アルファ・オメガ)」に改称した。
 イネス率いるエジンバラのアメン・ラー・テンプルも「A∴O∴」派と合併した。
 彼は、そのままイギリスのメイザース派の指導者となった。
 フェルキンは1914年に「曙の星」の幹部達に、「もはやブロディ・イネスは我々の同志ではないし、メイザースに関わるべきではない」といった内容の文書を回覧している。
 これをもって、フェルキンとイネスは完全に決別した。
 しかし、イネスの直弟子だったW・E・カーネギー・ディクソンが、「曙の星」に踏みとどまった。彼はイネスやメイザース側の文書を所有しており、これを「曙の星」に持ち込んだらしい。さらに彼は、「曙の星」の支部「ヘルメス・ロッジ」に入っている。これは、後にイスラエル・リガルディが参入することになる支部である。ともあれ、彼のおかげで、多くのGD文書が失われずに済んだことだけは確かである。
 
 また、メイザースはアメリカ支部の拡張にも努めていた。
 1907年から1914年にかけて、多くのアメリカ人達が、パリでイニシエーションを受けている。
 ただ、どうもメイザースは、金に困り、位階を販売していたらしい。
 ともあれ、これによりメイザースはメーソン系の米国薔薇十字協会に影響を持つようにもなったらしい。

 さらに、クロムレク・テンプルと呼ばれる1890~1910年頃に成立した秘教結社とも関係していたらしい。これはメイソン系の結社で、キリスト教聖職者が多かったことから、キリスト教神秘主義色が強い。キリスト教化させたカバラ十字など、興味深いものも多い。
 この結社では希望者には、A∴O∴からの実践指導を受けさせていたようである。したがって団員も一部だぶっていたらしい。
 また「曙の星」とも交流もあったらしい。

 ともあれ、「曙の星」と「聖黄金の夜明け」が内紛と、幻視体験の無批判な盲信で混乱しているのを尻目に、メイザースの「A∴O∴」派は硬派な実践魔術を追及し、ある意味では繁栄すらしていたとも言えるのかもしれない。

 1918年。マグレガー・メイザースは死去した。
 悪性のインフルエンザによる。
 A∴O∴派の運営は、未亡人となったモイナによって引き継がれた。
 モイナはアメリカの指導者に郵送による通信教育を許可した。郵送の文通での「参入」も許されることになり、これは議論を引き起こすことにもなった。
 1927年のモイナの死後はE・J・ラングフォード・ガースティンとトランンチェル・ヘイズによって引き継がれ、しばらく存続をした。リガルディの暴露後も活動は続いたが、1940年前後に自然消滅したらしい。
 ともあれ、モイナの流れから、近代魔術史に名を残す新たな天才が生まれている。
 ダイアン・フォーチュン、ポール・フォスター・ケイスらである。


「ヴェールを脱いだカバラ」 M・メイザース 国書刊行会
「黄金の夜明け」 江口之降 亀井勝行 国書刊行会
「英国魔術結社の興亡」 F・キング 国書刊行会