ヴィルヌーヴのアルノー


 ライモンド・ルルスの同時代人にして、絶対に無視できない錬金術師の一人が、ヴィルヌーヴのアルノーである。
 彼は科学史においては、一酸化炭素の毒性を最初に発見した人物としても知られている。しかし、彼の名声は錬金術師としてのほうが大きい。
 彼はカタロニア人であり、おそらく1235年頃にヴァレンシア近くで生まれた。貧しい家庭の出であったと思われる。彼は、当時の貧しい者が学問の道に進む唯一の手段、修道士を志す。ドミニコ会に入り、ナポリとモンペリエの大学に進み医学と語学を学んだ。
 彼は医学において天才的な才能を発揮し、やがて名医として知られるようになる。そして、多くの権力者や名士達から引っ張り凧となり、スペインやイタリアの各地を忙しく旅行した。そして、二人の国王と三人の教皇が彼の患者となった。
 特に1285年には、アラゴン王ピーター3世の臨終をみとり、その褒章としてタラゴーナに城と、モンペリエ大学の教授職を贈られている。
 彼は医学の他にも、占星術、錬金術、そして政治や社会問題にも興味を持っていた。
 そして、外交官の仕事もこなした。
 政治や神学論争の論客としても名を挙げたが、これが災いとなる。彼は教会に敵を作ってしまったのである。1299年、彼はアラゴン王から外交官としてフランスに派遣されたが、そこで異端審問所に逮捕される。
 フィオーレのヨアキムの影響を受けて書いた反キリストの登場を予言した本が、異端とみなされたからである。多額の保釈金によって釈放はされたが、パリから出ることは禁止され軟禁状態に置かれる。
 彼の敵たちがフランス王と教皇ボニファテス8世に働きかけての陰謀だった。
 アラゴン王はフランス王と教皇に強く抗議するも、効果はない。そこでアルノーは異端とされた例の反キリストを扱った本の修正版を書き、それを教皇に送り、赦しを乞いだ。彼の軟禁の解除されたのは、1301年であった。
 そのまま、彼はジェノヴァへ向かう。
 一方で彼の敵達は、修正される前の反キリストの本を教皇に送り、彼を再び逮捕するように働きかけた。そのため、彼は再び教皇の命令によって逮捕されてしまうのである。
 しかし、ここで運命の大逆転が起こる。教皇が尿結石の重病に倒れる。名医として名の知られた彼は、教皇を治療し、見事に回復させた。これによって、教皇は彼を釈放したばかりか、謝礼としてアナーニの城を贈るまでしたのである。
 その後、彼はしばらく教皇に仕え、教皇が不慮の死を遂げると、マルセイユに行き、次にバルセロナに居住した。1303年頃のことである。
 1305年、彼は蔵書を整理し、遺言状を作成した。彼は自分の死が近いと予測した。
 しかし、その予測ははずれ、しばらく生き続けた。その間、彼は方々の権力者達から呼ばれ、彼等の様々な依頼を引き受け、執筆活動も続けた。夢占いにも興味を持ち、各国の君主達から夢判断をも依頼された。
 ナポリにおいては、かのライモンド・ルルスとも会見した。
 1311年、彼はナポリからジェノヴァに移る。そして教皇クレメンス5世より病気の治療を依頼され、アヴィニョンへ向かう旅行の途中の船上で病死した。

 彼の名を冠した書物は多く存在し、錬金術書だけでも47にも登るという。だが、その多くは彼の死後に捏造されたものらしい。さらに彼は本の副題を他の著書の表題に使う等もしたため、混乱を引き起こした。
 しかし、彼の著書の混乱は、20世紀に入ってソーンダイクによって整理され、収まった。
 ちなみに、ソーンダイクによると、彼の真作と断言できる著書は5~6であり、それ以外は疑惑が残るという。
 科学史家によっては、彼は医学にしか興味がなく、錬金術の著書は全く書いていないと考える者もいる。だが、これは極論だ。アヴィケンナの影響もあり、当時の医学は錬金術とも結びついていたのである。彼が錬金術を知らないなど、考えられない。

 彼の真作と考えられる錬金術書の一つが「宝典中の宝典、哲学者達の薔薇園、秘密中の最大秘密」である。これは通称「薔薇園」とも呼ばれる。これは多くの錬金術師達に影響を与えた。後世に「薔薇」の名を冠した錬金術書が夥しく書かれ、シンボルにも薔薇が多く使われるようになったのも、この本の影響であると言われる(これが災いし、後世に書かれた「薔薇園」の題の付いた著書が、アルノーの著書と誤解された)。
 これは2部構成になっており、理論篇と実践篇に分かれている。
 彼は、硫黄・水銀説を支持したが、水銀のほうを重視した。彼によると、普通の硫黄は金属の健康((最も健康な状態にある金属とは無論、金である)に有害であり、本質的な「硫黄」は、既に水銀の中に隠されているという。ゆえに、錬金術師は、水銀のみから貴金属を作ることが可能であるという。
 それにはある種の触媒が必用である。彼はそれを「生命の水」と呼んだ。これが何なのかは謎であるが、この「水銀状の液体」を非金属1に対して4加えると貴金属になり、貴金属1に対して12加えると万能薬が出来るという。この万能薬を卑金属1000に対して1加えると、それを全て貴金属に変えることが出来るという。
 また、彼は水銀を、ある種の触媒を使って、四大に分離させ、それを決められた割合で再結合させることによって金を生成する方法についても述べている。
 こうした記述を、化学実験と見なすべきか、象徴とみなすべきか、意見の分かれるところではある。
 少なくとも彼は、シンボリズムを用いていたのは確実だ。
 彼は聖職者らしく、錬金術の作業を、キリストの受胎告知、出産、十字架での磔刑、復活に例えて解説もしているのである。

 他に彼は医者らしく、人間の血液を蒸留器にいれて分離し、四体液説を実験的に証明しようともした。

 また、彼は悪霊の力を借りて行う黒魔術には反対したが、天体の力や宝石の力を用いた、自然魔術の原型のような技術を積極的に取り入れた。
 彼は宝石が天体と共感関係にあると考え、宝石にある種のシンボルを彫り込むことによって、天体の力を借りることが出来ると考えた。
 それは、かの教皇の尿結石の治療時にも用いられた。彼は宝石にライオンを掘りこみ、護符として用いたのである。
 彼によると正しく作られた護符は、病気の治療のみならず、金運を呼び込み、悪魔や敵をしりぞけ、天災からも身を守ることが可能であるという。


「錬金術の歴史」 E・J・ホームヤード 朝倉書店
「錬金術大全」 ガレス・ロバーツ 東洋書林