アラディア
このペイガンないし魔女の聖典「アラディアもしくは魔女の福音書」は、1899年にチャールズ・ゴッドフリー・リーランドという民族史家によって発表された。
リーランドは、1886年イタリアで一人の魔女とであった。彼女についてはリーランドは「マッダレーナ」という仮名で呼んでいる。
彼女の経歴その他については、未だにはっきりしていない(架空の人物説もある)。ともあれ、リーランドによると、マッダレーナはトスカナに生まれた。彼女の家系は、代々女性が呪術を執り行う、「村の魔女」の家系だったという。祖母、母、叔母も全て魔女で、古代エトルリア時代から連綿と受け継がれてきた信仰、神話、呪術を伝授され、守ってきていたという。
リーランドは民俗史家として、こうしたイタリアの民間伝承を調査しているうちに彼女と出会い、彼女の話す魔女の話しに耳を傾けた。魔女とは、悪魔を崇拝するようなものではなく、先のキリスト教以前に遡る古い宗教の司祭であるという話しに。
1897年、リーランドは、このマッダレーナから、この魔女術 の秘伝書とで言うべき古い写本を譲り受けた。この本こそが「アラディア」であるという。
この写本はマッダレーナの手書きであった。彼女はリーランドの求めに応じて、口承で伝えられてきた秘伝を書写したとも、家に伝わる秘書を書き写したとも、トスカナ地方を探し回って見つけたとも言われているが定かではない。何しろリーランド自身、彼女の手稿以外の物を目にしてはいないのだから。
この書は15章からなる。
これは、キリスト教以前の女神を主神にした古い宗教の書である。
書名にもなっているアラディアとは、女神の名前である。
この本に書かれている神話によると、主神はディアナと呼ばれるグレートマザー、大いなる女神である。ディアナは「あらゆる創造の以前に最初に創造され」、「彼女の内に全てがあった」という。やがて彼女は自分の内から光と闇を分化させた。光がルシファーで、彼女の兄弟であり息子である。そして、彼女自身は内部に闇の部分を保有した。
注意すべきは、この「闇」は悪ではない。むしろ、陰と陽のそれに近い、相互補完的な観念と唱えるべきだ。
そして、光と闇は分化したままではなかった。「光を掲げる者」のルシファーは地上に落ちたが、ディアナは彼と再び一緒になろうとする。ルシファーは地上の生命の中でも最も美しい「猫」を愛していたので、ディアナは猫に化身し、彼と交わった。こうして生まれたのが、アラディアである。
ディアナとルシファーは万物を生み出すものとなった。
やがて地上に人間が増えると貧富の差が生じ、富める者は貧しい者を虐げ残酷に扱った。富める者とはキリスト教徒であり、貧しい者とはペイガン(異教徒)である。貧しい者(ペイガン)達は都会を追われ、田舎へと居住する。
この状況に心を痛めたディアナは、娘のアラディアを地上へと送り込む。
こうしてアラディアは、「最初の魔女」となった。
彼女は抑圧される貧しい者(ペイガン)達に魔女術を教えた。彼女は貧しい者(ペイガン)には保護者となり、富める者(キリスト教徒)には恐るべき復讐者として働いた。
やがて、アラディアは天に帰らなければならなくなる。この時、アラディアはペイガン達に伝える。もし困ったことがあったら、満月の光の下に生まれたままの姿で集い、大いなる母に救いを求めよ、と。彼女はこれを「ベネベントの遊戯」と呼んだ。ペイガン達は、この儀式のあと、三日月の形をしたケーキとワインで食事を取る。これはディアナの肉と血、魂を象徴するいわゆる聖餐式である。これこそがサバトであるという。
ここにおいて、「アラディア」では、こうしたサバトは断じて悪魔崇拝の儀式ではなく、被抑圧者の祈りであるとされていることだ。
この「アラディア」は本物なのだろうか?
これはエリロット・ローズら現代の民俗学者の研究により、事実ではないと証明されている。
リーランドは、当時ミシュレの「魔女」に夢中になっていた。ミシュレは、魔女を王権から抑圧される犠牲者としている。
これの強い影響下にあったリーランドは、被抑圧者の宗教の残滓を探していたのである。それで言うのなら、権力たるキリスト教に抑圧される古い宗教こそ、彼のお眼鏡にとまったものと言える。
民俗学のフィールドワークにおいて、注意すべきことが一つある。それは、フォークロアの話し手が、聞き手の民俗学者を喜ばせようとして、その民俗学者が聞きたがっている話しを創作して話してしまうことだ。
マッダレーナとリーランドとの間に、まさにこれが起こってしまったのではあるまいか?
彼女は、リーランドを喜ばせようとして、彼が聞きたがっているペイガンの物語を創作した。マッダレーナは、無意識のうちにリーランドとの会話から、彼の仮説を知り、それを裏つけるような話しを作り出したのではあるまいか。
これが真相であろう。
だが、この「アラディア」は、後年、魔女術 に大きな影響を与える。
彼の唱えたこの説は、後年にかのマーガレット・マレーによって再発見され、彼女の説に組み込まれる。
そして、現代の魔女術 にも、「アラディア」は大きな影響を与えている。
キリスト教以前の古い宗教の信徒が魔女である、女神が中心の宗教という基盤。先のサバトの聖餐式なども、現代魔女術の「ワインとケーキ」の儀式と無関係ではあるまい。
チャールズ・ゴッドフリー・リーランドは1824年アメリカのペンシルバニア州で生まれる。ブリストン大学を卒業後、ヨーロッパに遊学。帰国後は雑誌編集、詩人として生計をたてた。その傍ら、旅行、言語研究、民俗学に熱中した。
その著書は60冊を越える。
彼の仕事で、特に高い評価を受けているのがジプシーの研究である。言語研究を行い、ロマニー語に堪能だった彼は、直接彼らに取材してフォークロアを集めた。最近のロマニー達は近代化の波によって、古い伝承を捨て去っており、彼の著書は現代でもロマニー文化の研究者達にとっては、貴重な資料となっている。日本でも、彼があつめたロマニー呪術の本、「ジプシーの魔術と占い」が邦訳されている。
「魔女術 」 鏡リュウジ 柏書房
「魔術の歴史」 J・B・ラッセル 筑摩書房
「ジプシーの魔術と占い」 チャールズ・G・リーランド 国文社