アブー・マーシャル


 ローマ帝国が国教をキリスト教に定め、教会が他宗教や哲学を排斥するようになると、自然プトレマイオスを始めとした占星術は衰退した。
 再びヨーロッパが占星術を受け入れるようになるまで、これはイスラム圏で発展を遂げた。
 イスラム圏での占星術の全盛は8~9世紀頃であり、アストロラープと呼ばれる観測機器を用いて、占星術師達は星の運行について、詳細なデータを集めていた。
 イスラム圏の占星術師として最も重要な人物の一人が、アルブマサルことアブー・マーシャルである。

 アブー・マーシャルは、ペルシャ人であり、787年に中央アジアのバルフに生まれた。
 バルフの街は思想的にも寛容で、イスラムの他にもゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、マニ教、果てはヒンズー教や仏教のコミュニティすら存在した。こうした環境で育ったせいか、彼の思想にはギリシャ、ヘブライ、インド、ペルシャの思想が混じりあったものだとも言われる。
 やがて彼はバグダットに出ると、彼は当時のイスラム世界の最高の占星術師と呼ばれたアル・キンディの弟子となり、占星術を学んだ。834年頃のことらしい。
 アル・キンディは、8世紀末に高級官僚の家に生まれ、カリフの家庭教師や侍医を勤めた。そして、866年に死去した。彼はプラトンやアリストテレスにも通じた学者であり、魔術の擁護者でもあった。彼はストア派哲学でもって、「よい魔術」を肯定しようとしたらしい。
 そのキンディの教えを受けたマーシャルは、アリストテレスにも通じていたらしい。彼はアリストテレスの「自然学」や「天体論」にあるギリシャ哲学の理論を、占星術の理論と融合させた最初の人物ではないか、と考える学者もいる。
 マーシャルは非常に多くの著書を残した。これらは小著が多いが、いくつもの本が現存する。
 まずは占星術における短い文から成る心得と警句を集めた「占星術華集」、プトレマイオスの「テトラビブロス」の注釈である「大序説」、また「誕生年回帰」や「小序説」、天文表を扱ったものなどがある。これらは、11~12世紀にヨーロッパへ入り、ラテン語に訳されることによって、西洋占星術の大きな基礎となってゆくのである。特に「大序説」は、約2世紀もの長きに渡って占星術の哲学的な擁護の根拠を示すための種本となった。
 しかし、今の占星術師が、彼の著書を見ると違和感を感じるかもしれない。
 というのは、イスラム占星術には、ある際立った特徴がある。それは宮の度数と関係のある恒星をホロスコープの読み取りの時に重視したのである。彼は宮の恒星のリストを作り、それらと惑星との関係に注目した。

 彼の占星術の腕前に関しては、有名なエピソードが残っている。
 ある貴婦人が、占星術師たちを集めて占いの腕比べをさせたことがあった。彼女は自分が隠し持っている、「あるもの」を当てるように言った。今で言うところの射覆であろうか。
 アブー・マーシャルは、それは「動物」だと言った。
 しかし、他の占星術師たちは、それは「果物」だと言った。
 彼女が取り出したのは、果たしてリンゴであった。
 マーシャルの負けか? と誰もが思ったが、彼は少しも慌てず、そのリンゴを切るように言った。
 そのリンゴを2つに切って見ると、はたして中身は「動物」たる虫でいっぱいだったという。

 彼は、当時としては驚異的な長寿をまっとうした。886年にほぼ100歳で死去したのである。
 そして、彼の残した占星術の理論は、さらに長らく生き続けることとなるのである。


「占星術百科」 ジェームズ・R・ルイス 原書房
「西洋占星術の歴史」 山本啓二 恒星社厚生閣
「図説 占星術事典」 種村季弘 同学社
「占星術の本」 学研