アブラフィアと瞑想


 アブラハム・ベン・サミュエル・アブラフィアは、いわゆる第3期(前期完成期)に活躍した偉大なカバリストである。彼は1240年にスペインのサラゴサで生まれた。
 彼はその後、ナバーレ王国(フランスとスペインにまたがって存在した王国)のテュデラで過ごした。そこで、父よりヘブライ語、タルムート、ユダヤ神学について学んだ。父の死後、失われた十支族を探すために中近東に向かうが、そこは十字軍とイスラム軍との戦場となっており、結局その旅は断念せざるを得なくなる。
 彼はヨーロッパに引き返し、マイモニデスの著書に触れたことがきっかけとなって、カバラに関心を持つようになる。
 1270年頃にはスペインに戻り、「創造の書」の注釈書を書き上げる。
 1271年には、既に幻視体験をしていたらしい。彼は聖四文字名の正確な発音を発見したと主張した。
 1274年にはスペインを離れ、放浪生活に入る。後に大きな業績をあげることになる弟子のジョセフ・ギガディラを見出したのもこの頃である。  
 そして、1280年にはローマ教皇をユダヤ教徒に改宗させる(!)という無茶な計画をたて、教皇との宗教議論を企てる。当然、当時の教皇ニコラス3世は激怒し、彼を火炙りにする命令を出し、彼を逮捕して修道院に軟禁した。しかし、実に運の良いことに、この教皇は急死してしまう。それにより、彼は死刑を免れた。
 釈放された彼は、1291年までの間、イタリア各地を放浪し、シチリア島にも足を伸ばす。
 その後の彼の足取りについては記録が残っておらず、よく分からない。91年に死亡したという説もある。

 彼の業績は、大まかに言うなら、セフィロト教義および、いわゆる文字によるカバラを普及させたことにある。また、神の様々な名前の持つ象意をカバラの立場から論じたことである。
 彼は自分の作り出した技術を「文字の組み合わせの学問(ホクマス・ハ・ツェルーフ)」と呼んだ。
 アブラフィアの著書は、実践的カバラに大きく寄与している。ことに彼の瞑想の技術に関する研究は極めて実践的で優れており、インドのヨーガとの類似も良く指摘される。
 それゆえに、最初の頃は思弁的カバラの信望者たちから攻撃を受けることもあった。そのため、長らく彼の著書は、ユダヤ人以外の者によって出版された。

 彼は非常に多産な著述家で、26冊のカバラ理論書と22冊の預言的著書を書いたといわれるが、残念なことに彼の著書の多くは散逸してしまった。
 また、彼こそが「ゾハール」の著者ではないか? という説もある。定説とは言いがたいが、彼が「ゾハール」の著者の候補者の一人と考える専門家もいる。
 ともあれ、彼の著書としてよく知られているのは、「永遠の生の書」、「知性の光」、「美の言葉」、「組み合わせの書」等である。

 彼の著書「カバラへの鍵」は重要である。これは「創造の書」の研究書であるが、ゲマトリア、ノタリコン、テムラーなどの文字によるカバラで、これを読み解こうとしている。
 
 彼のカバラの目的は「霊魂を解放し、それと肉体とを結びつけた絆から解き放つ」ということである。
 宇宙的な生命の潮流と肉体との間には、大きな「壁」が存在するが、カバラによる知的認識の能力でもってすれば、この「壁」は理解され、消滅させることができる。この時、肉体と霊魂という二元性は消滅するという。
 さて、この「壁」はどうして、存在するのか? 我々は日常生活の雑事に忙殺され、聖なる存在について忘れてしまっている。また、我々の霊魂・意識は、同じく日常的な煩悩ゆえに、知覚と感情が制限され、狭いところに閉じ込められている。それゆえに聖なる存在を理解する知覚は失われてしまっている。
 日常生活を送る人間の霊魂には、煩悩や雑事が充満しており、それゆえに我々は宇宙の生命の潮流を知覚することが出来ないのだ。これこそが「壁」の正体である。
 そこで、彼はこれを打破するために、「神秘的論理」が必要であるという。これを得るためには、ある種の瞑想が必要になってくる。
 彼は、そのために「文字による組み合わせの叡智」すなわち文字によるカバラを瞑想に導入した。
 彼は著書の中で、瞑想の具体的なやり方について詳しく書き残している。衣服や清め、部屋の設定などについても書いている。
 また、彼が言うには、瞑想は昏迷状態でも意識喪失状態であってもいけない。強く意識を保ったままの宗教的恍惚状態こそが理想である。
 彼は瞑想の最中に、文字によるカバラの熟考も有益であると考える。瞑想者は、机を置き、紙とペンを用意し、ヘブライ文字でもって、ゲマトリアやノタリコン、テムラー等を用いて、深く考える。そして、文字から想像される多くの事柄を理解するように勤める。そして、瞑想を深化させてゆくのである。
 彼の瞑想では、「飛躍」と「省略」が用いられる。すなわち、1つの概念から別の概念に飛躍させたり、あるいは一部を省略して新たな連想を生み出すという技法だ。
 このような技術を用いることによって、人間の意識は、ゆっくりと変革してゆく。そして、聖なる光を遮断していた問題の「壁」は除去される。そして、人間の心の中に隠されていた宇宙の聖なる生命の潮流は流出を始める。
 この流出が起こったとき、カバラを真面目に学んでいない者は、それに押し流され、精神は混乱してしまう。
 だが、カバラを学び、よく準備している者は、神秘的階段を登り始め、聖なる光の中で神秘的な意識の頂点に達することができる。この時こそ、完全な「自我の消滅」が起こる。
 深い瞑想の中で、カバリストはメタトロンを見て、セフィロトの道をたどって、メルカバに向かうのである。


「ユダヤ教神秘主義」 G・ショーレム 法政大学出版局
「カバラ」 箱崎総一 青土社
「カバラ Q&A」 エーリッヒ・ビショップ 三交社