マニリウスと「アストロノミコン」


 マルクス・マニリウスがどのような人物で、どのような生涯を送ったのかについては、ほとんど分かってはいない。ただ、プリニウスによると、マニリウスはシリア人で、奴隷としてローマに連れて来られた後、解放されて占星術詩人として名を上げた人物だというが、確証はない。
 その著書の内容(皇帝への賛辞など)から、彼はアウグストゥス帝とティベリウス帝の治下に生きた人物であり、ヴェルギリウスと同時代の人間であり、すなわち紀元の前後の人間らしいと推察されている。
 彼の名は、「アストロノミコン(アストロノミカ)」の著者として知られている。この書は韻文、詩の形で書かれた占星術書であり、思想的にはストア派の占星哲学者ポセイドニオスの思想を詩の形で顕したものであり、ピタゴラス学派の影響も見られる。
 ローマにおいて占星術が盛んになり本格的な研究や発展が始まるのは、マニリウスの登場によるとも言われる。事実、彼の著書「アストロノミコン」は、クラウディウス・プトレマイオスの「テトラビブロス」とユリウス・フィルミクス・マテルヌスの「マテシス」と並んでローマ時代の占星術を今に伝える貴重なテキストとなっている。
 もっとも、占星術それ自体は、マニリウスに先駆けること前3~2世紀にローマに入り込んでいたらしい。そして、前139年にはローマから占星術師を追放する布告が出されるという事件も起こっているが、占星術は着実にローマの人々の心を捉え、やがてマニリウス以降には大きく栄えることになるのである。

 「アストロノミコン」が書かれたのがいつ頃なのかも、よく分かってはいない。おそらく紀元9~15年頃であろう、と言われている。だが、ローマが衰退すると、この本は長らく忘れ去られ、現在知られている最も古い写本は、彼の死後、実に1000年が経過した後に写されたジャブンブルール写本である。他にもいくつものテキストが残されているが、その多くは15世紀に出版されたものである。内容的にも異本も多く、これをそのままマニリウス直筆の書と考えるのは、無理があるかもしれない。
 ともあれ、この著書は「占星術または天の聖なる学」(白水社)という題で、その完訳を読むことが出来る。

 この書は、先にも書いた通り、詩の形で著述されており、全5巻からなる。
 これを読めば、彼によって、今日も用いられている占星術の基礎が既に作られていたことが分かる。既にアスペクトに関する記述も見られるのだ。
 否、今日の占星術は、彼の著書を基盤にして、発展し、進化し、今に至っている。……と言ったほうが正確であろう。

 第1巻では、基本的な彼の宇宙論の解説が行われている。すなわち、占星術を理解するうえで必要な「天球」の記述がある。また、恒星の記述も多く、もちろん十二宮についても詳しく解説されている。
 また、この宇宙論には、彼の思想も見て取れる。彼はストア派宇宙観を展開し、デモクリトスやエピクロス、ルクレチウスなどの唯物的な思想を批判する。すなわち、宇宙は偶然の産物なのではなく、秩序だった存在であり、神によって統べられ、また宇宙は神そのものであると主張する。
 その上で、宇宙の一部である人間の人生は、天体の影響下にあることを強調する。
 第2巻以降からは、いよいよ占星術の技術について解説が行われる。
 彼は宮について、それらの性質やそれに対応する人間の技能、職業、趣味について論ずる。獣帯の4分割、ハウスに関する解説、アスペクトといった占星術にお馴染みの記述がある。
 さらには、寿命を知る法、地上の国や地方を宮に割り当てるという、今で言うマンデン占星術の元祖のような記述にまで至る。
 だが、彼の著書は、やや首尾一貫性に欠けており、巻によって矛盾が生じることもあり、いくつもの混乱を引き起こしている(これは後世の改変によるものなのかもしれないが)。
 もう一つ、宮や恒星に関する記述は大量にあるのに、惑星に関する記述が貧弱なのも、今日の占星術から見れば違和感を感じるかもしれない。
 これは、占星術の発展において、恒星や四分円からの影響を考察するだけの未熟な段階から、より明確に宮を利用し、さらにその宮をさらにデカン等に分割してゆく段階の時代に、彼が生きていたからであろう。しかしだからといって、マニリウスが惑星の影響力を軽視していたと見るのは早計であろう。彼は天球に属する様々な要素について、それと同じような論を展開している。彼より、ほんのちょっと時代が下がると、すぐに惑星を重視した占星術の断片的資料が確認できる。このことからも、彼が惑星を無視していたとは、ちょっと考えにくいのだ。

 とまれ、私はこの本を、単純に「天文学の前身に当たる、迷信と事実の入り混じった古い学問」と見るようなことを好まない。
 これは、一種のヘルメス哲学の一部を成す、思想書とみるべきではあるまいか? 
 「アストロノミコン」は宇宙創世論、天地の全体的構造と諸部分の配置、その様々な運動、宮や恒星のの名前や位置関係の解説を行っている。
 そして、その背景には、重要な思想がある。
 人間はマクロコスモスに含まれるミクロコスモスであり、マクロコスモスが不動の絶対的法則に従うのなら、ミクロコスモスたる人間もそれの影響を免れ得ない。では、人間は天体に支配されるだけの自由の無い生き物か? そう考えるのは、もともと占星術がヘルメス哲学の一分野であることを忘れた考え方であるまいか。マクロコスモスとミクロコスモスは、一方通行の関係ではなく、相互対応するアナロジーの関係にある。ミクロコスモスもまた、その内部にマクロコスモスを含んでいるのである。人体は確かに十二宮に支配されるが、同時に人体は内部に十二宮を含んでいるのである。こうした思想は、いわゆる占星医学の思想とも通じており、ずばりヘルメス文書にも、こうした主題を扱った記述がある。

 この本は、後世に入って、学問の書として珍重されたり、あるいはキリスト教の教えに反する危険文書として焚書にされたりもした。
 だが、この本は生き残り、現代に至る占星術の種子の一つとして重要な役割を演じ続けているのである。


「占星術または天の聖なる学」 マルクス・マニリウス 白水社
「西洋占星術の歴史」 山本啓二 恒星社厚生閣
「世界大秘術講和」 大沼忠弘 山内雅夫 有田忠郎 自由国民社