大奥義書と悪魔の喚起


 グリモワールも歴史が古くなるほどカバラ色が強い。
 その内容も、天使との交渉や神や天使の助力のもと悪魔を支配するといった物が多い。これらには「ソロモンの鍵」等の魔術書が含まれる。そして近代魔術にも役立つ素材を含んでいることも多い。
 しかし、時代が下がると、グリモワールの質は、あきらかに低下する。黒魔術的な悪魔の喚起に主眼を置いた、いわゆる「黒い書」である。
 古いグリモワールにおいては、「名前」は魔術師を媒介として一種の自立的な効力を持つものとして扱われるのに対し、後世のそれはひどく形骸化、形式化する。言って見れば、本来のカバラ魔術は、魔術師は己を清め、「神」に近づき、その結果「神」や「天使」の恩恵でもって悪魔を支配すると考える。これに対し、こうした「黒い書」は、形式的な儀式を行うルーチン・ワークによって悪魔を支配できると考えているようなのだ。
 そこにおいて「名前」の扱いは形骸化し、せいぜいのところ黄門様の印籠のような代物にされてしまっている。それどころかあきらかに「名前」の持つ意味や教義が忘れ去られている。ミススペルや複数の言語をゴチャ混ぜにしたりする(これは無学な者によって写本された「ソロモンの鍵」等にも言えることではあるが)。そして、テトラグラマトンをそのまま「名前」として扱う等、出鱈目が多い。
 そして、カソリックのパロディではないか? といいたくなるような記述も頻出する。
 こうした「黒い書」の成立は、おそらく17~19世紀頃であろう。中にはナポレオンの名前が登場するのもあり、歴史が新しいことを雄弁に物語っている。

 これら「黒い書」の登場は、おそらく「アグリッパ第四の書」(アグリッパの名を冠した偽書)や「ヘプタメロン」等のキリスト教カバラの魔術書よりさらに後世、ファウストの名を冠した「地獄の恫喝」や「ホノリウスの書」の登場以後のこととなる。「黒い雌鳥」、「赤い竜」、「黒い竜」、「聖なる王」、「ピラミッドの賢人」、「大いなるグリモワール」等が登場してくる。

 例えば、「大奥義書(グラン・グリモワ)」や「聖なる王」はどうか。
 「大奥義書」や「聖なる王」の内容はまさに通俗的なカソリックの民間伝承そのものである。そこにおいて悪魔は、天使の命令で仕事をする精霊ではなく、地獄からやってきて人間の魂を欲しがる魔物である。「ゲーティア」においては、悪魔と契約を交わすなどということはあり得ないが、この「大奥義書」となると、話しは変わってくる。

 この「大奥義書」には、悪魔を喚起して財宝をせしめる方法が書かれている。
 この書の第一部において、魔術師はハシバミの木の枝を使って魔法の杖を作る。山羊を生け贄にしてこの杖を聖別する。そして、棺桶の釘だの死人の脂肪から作った蝋燭だのといった鳴り物入りのグロテスクな道具を揃えながら魔法円を作る方法が説かれる。
(あまりに奇天烈な道具が要求されるので、実践は事実上不可能だろう)
 第二部において、悪魔の喚起の方法が説かれる。だが、その前に魔術師は断食をし、長いカソリック風の懺悔みたいな祈祷を唱え、神やキリストに加護を求める。
 そして、いよいよ悪魔の喚起に取り掛かる。
 その方法は「ソロモンの鍵」の真似と言っても良い。悪魔に向かって、喚起に応じなければ呪文でもって苦しめてやる、と強迫し、無理矢理呼び出す。その時の呪文は、文法もスペルもあったものではない出鱈目な変形した名前や単語の羅列である。
 ともかくも、呪文を唱えると地獄の宰相ルキフグ・ロフォカルが出現する。
「さあ、出てきてやったぞ。わしを呼ぶのは誰だ? なぜわしの安眠を妨げる。さっさと用事を言え!」
「私は閣下と契約を結びたいのです。私に財宝をください。さもないと、私はこの呪文で閣下を苦しめます。」
「だったら、20年後にお前の魂をよこせ。そうすれば、お前を金持ちにしてやる」
 だが、魔術師は間違っても魂を渡してはいけない。ただ、こう書いた契約書を見せる。
「甲は乙に対して、財宝を与える。その代償として乙は甲に20年間に渡って謝礼をする。」
 ルキフグは、この契約書を困ったような顔で読むと、こう言って消える。
「こんな契約に応じられるわけがなかろう!」
 だが、これはわざとである。悪魔はもうこの一方的な契約に応じざるを得ないことは分かっている。
 そこで、魔術師は先の悪魔を苦しめる呪文で、再びルキフグを呼び出し、しつこく要求をする。
 すると、ルキフグはしぶしぶ契約書にサインする。
「仕方ない。お前に財宝をやろう。ただし、お前は20年間、毎月第一月曜日にわしに生贄を捧げなければならない。そして、毎週一度、夜の10時から2時の間だけ、わしを喚起することが許される。この取り決めを破れば、お前の魂は20年後にわしがもらうことになる。」
 そして、悪魔は魔術師を財宝の埋もれている所に案内する。
 魔術師は財宝を発見すると、先の杖でそれに触れ、財宝を持てるだけ持つ。
 そして、再び魔法円に戻り、悪魔を退去させる。
 かくして、魔術師は金持ちになるという。

 以上の記述を見ると、「ゲーティア」などとはだいぶ異なった内容になっていることが分かるであろう。
 
 西洋魔術においてはevil spiritとかdemonとかdaemonとか言う言葉を使うが、そもそもこれはどのような存在なのか? 「ゲーティア」の72の精霊、「アブラメリン」の四王子とその配下の霊たち、クリフォトと照応する物騒な名前、エノキアン魔術で喚起される深遠の主、天空に居るダイモン達、それぞれが意味合いが変わってくる。
 だが、現代の魔術師の多くは、こうした存在は魔術師の深層意識に潜むある部分の擬人化と考える。言って見れば、悪魔の喚起は、自分の深層意識にあるパワーを引き出し、これを制御下に置くための技術とも考える。
 しかし、こうした悪魔は、常に魔術師と主従関係を逆転させようと虎視眈々と狙っている危険な存在とも捉えられる。
 それゆえに、現代でも魔術師は悪魔の喚起は大変危険な作業であると考える。
 それには強靭な意志が必用である。例えば「アブラメリンの書」では、まず禁欲的生活と炎のような敬虔な信仰心と祈りでもって己を高め、守護天使と知遇を得る。守護天使という自分の意志のなかにある「神性」と接触した後、やっと悪魔を支配できるわけである。だが、守護天使の助力無しでは逆に悪魔に支配されかねない。
 文字通り、自分の魂を危うくしかねない。生兵法は大怪我のもと、未熟な魔術師は手をだすべからずというわけである。

 
「魔術の歴史」 エリファス・レヴィ著 鈴木啓司訳 人文書院
「Twilight Zone」誌 No.121 「西洋魔術の奥義書大公開」朝松健著
「偽ジョン・ディーの『金星の小冊子』」 森正樹著 リーベル出版
「魔法 その歴史と正体」 k・セリグマン著 平田寛訳 人文書院
「The Grand Grimoire」 Darcy Kuntz Holmes Pub Grou Llc