ファミリー事件


 日本のオカルティストにとって「オウム事件」は、一つの大きな衝撃であった。
 私は、この事件に便乗して起こった一部のオカルト・バッシングを見て、かの幼女連続殺人事件直後に起こったオタク・バッシングを思い出してもいた。
 ともあれ、日本のオカルティストにとって「オウム以後」というのは、一つの大きな課題だと私は思っている。

 これと似たような事件は、アメリカでは既に1960年代に起こっている。
 かのチャールズ・マンソンによるファミリー事件である。
 マンソンは、しばしばアレイスター・クロウリーの影響を受けた、と指摘されることがある。
 しかしながら、彼の思想はクロウリーともテレマとも、全くと言って良いほど別物である。
 確かに、彼がクロウリーの名や情報を知っていたことは間違いないとは思われる。
 しかし、彼がクロウリーの情報を得たのは、ロバート・A・ハインラインのSF小説「異星の客」や友人にして弟子、かつ共犯者のボビー・ボーソレイユから聞いた話しなどの二次的なものだったらしい。
 少なくとも彼はクロウリーやテレマの思想に同調は全くしていなかったし、またその思想を正しくも理解はしていなかった。
 
 彼は1934年に生まれ、非常に不幸な少年時代を送った。早くもグレはじめ、不良少年となり、様々な犯罪を犯し、少年院に入れられた。青春時代はその殆どを刑務所の中で過ごした。もっとも、彼は刑務所の中に居心地の良さを感じ、もっと長くいることを望んだという。
 出所後、彼は社会への復帰を真面目に考える。
 当時、ベトナム戦争で疲弊したアメリカには、いわゆるフラワー・パワー、ヒッピーの流行があった。
 マンソンは、こうした流行に惹かれ、仲間を集め、いわゆる「ファミリー」を作る。ここで彼はLSDなどのドラッグ、フリーセックスに嵌る。やがて、「ビートルズよりも偉大なミュージシャン」を目指すべく、中古車を買って仲間達と共に、放浪の旅にも出た。
 彼は、一部の映画や音楽の才能ある関係者と接触を持った。だが、音楽活動は成功しない。やがて、彼のグループは窃盗やクレジットカード詐欺で、日々の糧を得るようになる。
 さらに、彼のグループは次第に宗教がかってくる。マンソンはキリストを模した髪型をとり、宗教儀式めいたパーティも盛んに開く。
 いわば、彼は教祖的な存在になる。
 やがて彼は、一種の終末論に取りつかれる。黒人と白人との間に最終戦争が起こり、黒人が勝利する。しかし、黒人には統治する能力が無いので、いずれ彼らはマンソンに統治を依頼しに来るであろう、というものだ。
 ビートルズの曲「ヘルタースケルター」は、これを予告するメッツセージであると、彼らは考えたらしい。それで、こうした終末に備えての計画を、彼らは「ヘルタースケルター」という暗号名で呼んだ。
 当たり前の話しだが、この曲には、そんな妙な意味など全く含まれて居ない。この「ヘルタースケルター」という名称は、遊園地の乗り物から取ったものなのだ。
 ただ、ポール・マッカートニーと言えば「イエスタディ」や「レット・イット・ビー」を連想する一般の人にとっては、この曲には違和感を感じるかもしれない。なにしろ、「これが本当にポールの曲か?」と驚いてしまうようなハードな音なので、この手の勘違いを誘発するイメージは、あったかもしれない。

 ともあれ、ヒッピーの思想は、一般的には権力者や金持ちを敵対勢力と見ることが多い。だが、マンソンの場合、これは極端で盲目的だった。彼は、権力者や金持ちを「豚」と呼び、殺されるべき存在と考えた。しかし、その選定基準は全く出鱈目と言ってもよいもので、マンソンの気分によって決められた。
 
 彼と彼のグループが、何人の人間を殺したのかは、正確なところは分かっていない。
 だが、彼らのかつての仲間の殺害が、始まりだったらしい。
 彼らは殺人への罪悪感が麻痺してしまっていた。
 かの有名なハリウッドの大女優のシャロン・テートの殺害は、偶然によるものだった。彼らは、仲間(クロウリーをマンソンに教えたボビー・ボーソレイユ)の逮捕がきっかけで、焦燥感のようなものに駆られ、ヘルター・スケルターの日がついに来た、と考えた。それで、手近の「豚」を殺すべく、豪邸に侵入したら、そこがたまたまロマン・ポランスキー監督の屋敷だったということだった。
 この時の襲撃は、マンソンの命令で弟子達が行い、彼本人は参加していなかった。
 そこで起こった胸の悪くなるような話を、ここで書く気は無い。
 ただ、彼らは、丸腰の無抵抗な人々を銃で脅し、何も知らない偶然そこに来た少年を殺害し、命乞いするお腹に赤ちゃんの居る女性をゲーム感覚で殺した。これだけ書けば充分であろう。
 彼らは新聞を見るまで、自分達が殺した妊婦が、シャロン・テートのような有名人だったとは知らなかったという。
 これに満足したマンソンは、今度は自分も「豚」の殺害に加わると言い出した。そして、ファミリーの面々とは全く面識の無い夫婦の家を襲った。その不幸な夫婦は何が起こったのか、わけも分からないまま殺された。
 だが、すぐに彼らは窃盗容疑で逮捕される。この時、弟子の一部が、警察にこれらの犯罪をぶちまけたため、事件の全貌が明るみに出た。
 実際、彼らの殺人の動機を理解するには、すこしばかり労力が居るだろう。それには、視野狭窄に陥った彼らだけにしか通じないカルト教団の教義、それにLSD等のドラッグ濫用から来る幻覚や妄想も混じっていた。

 マンソンは最初は死刑を宣告されたが、死刑制度廃止なども重なって終身刑に減刑された。
 彼は刑務所内では、模範囚で通し、仮釈放の申請も数度行ったが、却下されている。

 マンソンの思想は平均的なヒッピーの思想とは、だいぶ異なる。しかし、彼をヒッピーと無関係とするのも問題だ。言ってみれば、道を踏み外したヒッピーだろう。
 ちょうど実践オカルティストにも、道を踏み外してしまった者がいるように。

 なお、彼の影響はアングラを中心に、大きな影響力を未だに保ち続けている。
 何人ものミュージシャンが、彼を取り上げた。ビジュアル系の大スターのマリリン・マンソンが有名であろう。
 また、あのガンズ・アンド・ローゼスが93年に自分らのCDに、マンソンの曲を入れたことがあった。この時、彼らは猛烈な社会的批判に晒された。というのも、世界的な人気バンドゆえに、CDの売り上げは半端ではなく、マンソンに莫大な印税が入ることは間違いなかったからだ。この騒動は、その印税をマンソンの犠牲者の遺族に払われることで一件落着したそうである。

 しかし、アングラでは、今でもマンソンに関わりのある様々な物が流通している。
 彼が刑務所内で行ったライブのCDも出回っている。
 私は、この曲を聴いてみたのだが、お世辞にも誉められたものではなかった。あまり上手とは言えないギターに生気の無いボーカル。
 彼は「悪魔の告白」なる自伝も出しており、これには邦訳もある。それによると、彼は自分に浴びせられた「悪魔的なカリスマ」というのは、とんでもない誤解で、あの事件は仲間たちに祭り上げられ、舞い上がって、自分を見失った結果だった。とも取れるようなことを言っている。なんか、世界的に有名なシリアル・キラーにしては、拍子抜けな話しである。
 思わず、「何を言ってるんだ!」と突っ込みたくもなるが、彼の生気の無い曲を聞いたところ、なんか彼の言ってることのほうが真実なような気もしてきた。
 げにおそるべきは、百万遍ついやした弁舌なんぞより、たった1つの上手ではない歌の説得力と言ったところか。


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