モンテスパン夫人事件


 ヨーロッパでは既に中世の頃から、民間ではしきりに呪術が行われていたし、怪しげな霊薬や護符を販売して小金をかせぐ今で言う霊感商法を行う者達がいた。

 そいて、カソリックで行われるミサに、魔術的な効果があると古くから信じられていた。 実際、何か願いごとがある人間は、教会に寄付金を出し、司祭に商売繁盛や事業の成功などをミサで祈ってもらうということは日常的に行われた。
 しかし、こうしたミサの呪術信仰は、次第におかしな方向へとエスカレートする。教会の敵を、神に罰するように懇願するミサというのは、まだ良いほうである。例えば、まだ生きている人間に、死者を供養するための「鎮魂のミサ」を施すことによって、呪い殺すと言うようなことも行われた。
 さらに、一般の貧民達もミサを呪術的に扱った。儀式の時に配られるキリストの肉たる聖体パンや、キリストの血たるワインには、当然のごとく強い霊力が篭っていると考えられた。そこで、彼らは、こうした聖体パンなどをこっそり持ち帰り、呪術に使用した。
 当時流布した根拠の怪しいグリモワール等にも、こうした呪術が散見される。悪魔に祈るような真似はしないものの、教会から見れば、聖体パンのこのような使用方法は冒涜も良いところだったろう。
 それで教会は、これを防止するために、司祭は聖体パンを配る時には信徒の手には渡さず、直接信徒の舌の上に乗せて信徒が食べるのを確認しなければならない、という規則を作らなければならなかった。
 しかし、こうしたミサの呪術的な使用法の暴走はさらに進み、いわゆる「黒ミサ」を生み出すに至る。
 美女の身体を祭壇にして、聖書や祈祷書を逆さまに読み、生け贄を捧げて悪魔に祈る、あれである。こうした儀式は、正式なカトリックの司祭によって行われなければ効果は無いとされた。
 それで、一部の司祭が金のために、こうした悪趣味な儀式を行っていたことは、間違いないと思われる。それが、もっとも派手な形で露見したのが、ルイ14世の時代に起こったモンテスパン夫人事件である。

 ルイ14世は、太陽王の異名で知られ、「朕は国家なり」のセリフで知られるフランスの専制君主である。彼はブルボン朝の全盛期を作った王であり、卓越した国家経営によって、フランスの国を繁栄させた。
 しかし、彼は質実剛健よりも優雅さを好む専制君主であり、ベルサイユ宮殿の建設を始めとした贅沢三昧な生活を送り、せっかく潤っていた国庫を疲弊させた。さらには、後年には外交政策の失敗から戦争を引き起こし、国力を浪費させた。
 彼の優雅な生活はブルボン朝の芸術や学問といった文化を発展させた反面、王室や貴族達に、お洒落と恋愛しか頭に無いというライフスタイルを定着させ、汚職官僚を大量発生させる。このツケは、やがてフランス大革命という恐ろしい大爆発を誘発するのだが、これは、彼の孫の代になってからの話しである。
 このモンテスパン夫人事件も、こうした宮廷の状況が生み出した事件とも言える。
 優雅なルイ14世は、性の方も放埓で、愛人を何人もとっかえひっかえであった。モンテスパン夫人もこうした王の愛人の一人であったのだ。

 既に伏線となる事件は1671年に起こる。ル・サージュという占い師とマリエットという司祭が逮捕された。当時二人は、呪術を商売にしていた。呪術は、当時は犯罪である。二人は主に、惚れ薬を作ったり、その薬に霊力を持たせるためのミサを行って販売していた。
 しかし、二人の顧客名簿から、宮廷の有力者達の名前がゾロゾロ出てきたのである。この名簿の中には、すでにモンテスパン夫人の名前もあったという。ことの重大さに慌てた警察は、もみ消しに走った。マリエットは9年の流刑、ル・サージュには終身のガレー船漕ぎの刑が言い渡されたが、彼は4年後に釈放されてしまう。彼らの顧客が手を回したらしい。釈放されたル・サージュは、そのまま愛人のラ・ヴォアザン夫人なる女の所に転がり込んだ。

 1677年、警察は、ラ・ヴォナンとピエール・カルデラン、そしてド・カステューユなる偽銀造りの一味のアジトに踏み込んだ。ラ・ヴォナンとピエール・カルデランは逮捕され、カスティーユは逃亡したが、後に何者かによって殺害され、死体となって発見された。
 この事件を調べてゆくうちに、一味は偽銀造りだけではなく、毒薬の販売、そして呪術にも手を染めていたことが判明した。
 警察は、他にも共犯者が居ると睨んでおり、1年かけて彼らを尋問した。しかし、彼らの口は固く、共犯者の名前は出さなかった。
 しかし、1678年に事件は急展開する。今度はマリー・ボスなる占い師が、毒薬の販売と呪術の罪で逮捕されたのである。彼女は、とあるパーティで泥酔して、自分らの裏の商売について、口を滑らしたのである。
 彼女の家からは、大量の毒薬や呪術の道具が押収された。彼女は拷問されると、あっさりと共犯者達の名前を口にした。彼女こそが、先のラ・ヴォナンとピエール・カルデラン、そしてド・カステューユらの共犯者であったのだ。
 彼女の自白により、共犯者はまだ居ることが判明した。
 先のル・サージュとヴォアザン夫人である。
 ヴォアザン夫人は、主に毒薬と堕胎薬の販売で荒稼ぎをしていた。彼女の庭は、堕胎された赤子の死体が大量に埋められており、記録によると数にして2000を越えたらしい。
 ヴォアザン夫人は夫持ちであったにも関わらず何人もの情夫を抱えていた。そして、自分の夫を毒殺しようと、何度も企てたが、この夫は恐ろしく運の良い男で、ほんの偶然から毒を飲まずに済んでいる。さらに、ややこしいことに妻の情夫と同性愛の関係にあり、その情夫によっても毒殺の危機を警告されていたという。
 それはともかく、ヴォアザン夫人と共に逮捕されたル・サージュは、あっさりと全てを白状してしまう。
 この頃、夫人はル・サージュとは別の情夫に熱をあげており、捨てられかけていた彼は、嫉妬から来る復讐から、こうした告発をしたらしい。
 ル・サージュがばらした共犯者とは、ダヴォー神父やギブール神父といった聖職者達だった。そして、その中には、あのル・サージュの仲間だったマリエット神父も居た。
 彼らは、ヴォアザンの紹介で、顧客のために黒ミサを実践していたというのだ。
 特に黒ミサの主犯格だったのが、ギブール神父である。彼は67歳の老人で、貴族の私生児を自称していた。
 ギブール神父が逮捕されると、またもや警察は驚愕した。ヴォアザンとギブール神父の顧客に、モンテスパン夫人の名前があったからである。

 モンテスパン夫人は、ルイ14世の寵愛を一心に受ける愛人であった。王との間に三人の子供をも、もうけている。
 しかし、王は愛人をとっかえひっかえであり、飽きてしまうと、女は修道院に入れられるか田舎貴族の妻に押し付けられるかである。王に捨てられることを極度に恐れていた彼女は、こうした黒ミサの呪術にすがろうとしていたのである。
 ギブール神父が実践していた黒ミサについては、記録が残っており、かなりの部分が判明している。
 最初、神父が夫人のために行ったミサは、そんなに異常なものではなかった。単に普通にミサをあげ、祈りの時に「王妃に子が生まれませんように、王は前の愛人ヴァリエール夫人を捨てますように、そしてモンテスパン夫人を愛し、王妃と離婚しモンテスパン夫人と結婚しますように」と唱えるものだった。
 しかし、このミサは次第にエスカレートする。
 王に捨てられる恐怖に苛まれているモンテスパン夫人は、何か不安にかられるたびにヴォアザンとギブールのもとを訪れ、もっと強力な呪術と惚れ薬を要求したのだ。
 ついには、鳥を生け贄にする儀式を行った。
 こうしたミサは1673年まで行われていたらしい。
 だが、エスカレートは、まだ続く。
 より強力な呪術を願う夫人は、ついに黒ミサを行うのである。
 モンテスパン夫人は裸体となり、自らが祭壇となった。そして、人間の赤子が生け贄にされた。ヴォアザンは堕胎をも生業にしていたので、赤子は簡単に手に入った。そして、悪魔アスタロトとアスモデウスに祈りが捧げられたらしい。そこで聖体パンに彼らの体液が混ぜられ、これを「惚れ薬」として、王に飲ませる計画が立てられた。
 1678年に、非常に凝った黒ミサが実践される。やはり、モンテスパン夫人が祭壇となり、黒い蝋燭がともされ、黒ミサ専用の法衣やマットレスが用意され、赤子が生け贄にされた。キリストとルシファーの結合なる、ギブールの神学に基づいた儀式であった。
 しかし、この黒ミサの効果は無かった。
 王はやがてモンテスパン夫人に飽きてしまい、宮廷には夫人の居場所は少しづつ無くなっていった。
 嫉妬と自暴自棄に駆られた夫人は、今度は王の呪殺を依頼した。そのための黒ミサも行われたが、効果は出なかった。そこで、彼らは強力な毒薬を調合し、王を毒殺する計画を立て始めた。
 しかし、この暗殺計画は頓挫する。
 この頃、ヴォアザンとギブールは逮捕されてしまったのである。

 警察は、芋づる式に関係者を逮捕して行ったが、その数は実に360人以上にもおよんだ。しかし、顧客に宮廷の有力者が何人も居ることも相成って、警察は本格的な捜査はできなくなっていた。結局告訴されたのは半分にも満たない110人ほどであった。それらは流刑、終身刑、死刑などであった。ヴァナンは終身刑、ギブールもまた終身刑であった。ヴォアザン夫人は主犯とされ、火炙りとなった。
 ルイ14世は、こんな話しは聞きたくないと言って、公判を中止させた。
 モンテスパン夫人には、何のお咎めもなかった。
 その後10年に渡って王との親交は続いた。
 やがて彼女は田舎に引きこもり、敬虔なカトリック信仰に戻り、16年後にひっそりと息を引き取った。

 正直、私はこのホラー小説のような事件が本当にあったのか、疑問に思ったこともある。しかし、フランスの歴史学者達は、遺憾ながら実話であると認めている。赤子が生け贄にされたのも事実らしい。さらに、ルイ14世は原因不明の胃腸の不調に悩まされたが、これが彼らの調合した不気味な惚れ薬のせいであると考える歴史学者も居る。また、一部にモンテスパン夫人の関与を否定する説もあるが、むしろこちらのほうが異端説である。
 
 
「黒魔術の手帳」 澁澤龍彦 河出文庫
「性魔術の世界」 フランシス・キング 国書刊行会