賢者の石
錬金術の最終的な目標とは何か?
卑金属を貴金属に変えること? 精神を変容させること?
これらは間違ってはいないが、実は完全な答えでは無い。錬金術の目的とは、要するに「賢者の石」を発見することにあるのである。
では、「賢者の石」とは何なのであろうか?
「賢者の石」は、様々な別名がある。「万能薬(エリクサー)」、「錬金薬液(エリクシル)」、「染色液(テインクトゥス)」と呼ばれることもある。
また、これらは別物と考えられることもあり、その解釈は様々である。
一般に「賢者の石」は、「哲学者の水銀」と「哲学者の硫黄」の結合、化学の結婚によって得られるとも考えられた。
ここでいう水銀と硫黄は、普通の鉱物が用いられることもあったが、それでは不可とされることもまた多かった。と言うのも、それは純化されたものでなければならない。では、その純化された水銀と硫黄とは何か? これにも諸説がある。だが、ここで一例を挙げよう。一般的には水銀と硫黄は万物の構成要素である。そこで完全なる金属である「金」から硫黄を抽出し、「銀」から水銀が抽出され、これを用いる。金と銀は溶かされ、「塩」が得られる。そして再び結晶化され、さらに過熱して分解される。その残留物を酸で溶かす。こうして最終的に得られたものこそが、それである。
この水銀と硫黄の結婚は、「哲学者の卵」と呼ばれる密閉した容器の中で行われる。この結合の作業は、世界創世の雛形とも考えられた。
「哲学者の卵」は加熱され、そこで「大作業」が行われる。そこで結晶化や蒸気の発生、凝固等の様々な変化が観察されるが、その様子は錬金術書によって、まちまちである。しかし、色の変化については普遍の大原則がある。それは、黒→白→赤だ。もっとも、本によっては、灰色、緑、黄、虹色等の中間色が入ることも多い。
ともあれ、この結婚が終了すると「腐敗」と呼ばれる現象が起こる。これは一種の「死」であり、「黒」い色で顕される。次に「復活」、「再生」が起こる。ここで「白」い色が現れる。この時に生じるのが、「白い石」であり、これは卑金属を銀に変える力があると考えられた。この「白い石」を得るまでの作業は「小作業」とも呼ばれた。ここまで来れば、一つの大きな関門を突破したことになる。
しかし、「大作業」を完成させるには続きがある。作業をさらにぎりぎりに進めることによって、次の段階に至るのである。
その次の段階で「赤化」と呼ばれる現象が起こる。そして、「赤い石」が生じる。
「哲学者の卵」から取り出した「赤い石」は、「宇宙の精気」の凝集物であり、「アゾート」とも呼ばれた。だが、まだ完成では無い。次に「発酵」と呼ばれる作業があり、溶けた金と混ぜられ、一定の処理を受けて「賢者の石」が完成するのである。
以上の現象は、水銀、硫黄、(あるはさらにこれに塩)が、その不完全な状態から脱して、新しい調和の基に再結合したものとも言える。これは、物質的にも精神的にも並行して行われる作業である。すなわち、錬金術師は、実験室の坩堝において、水銀と硫黄(および塩)の調和の作業を行うが、それは同時に、「肉体」と「魂」と「精神」の調和・再結合も行われなければならない。これが欠如してしまっては、いくら坩堝で水銀や硫黄をかき混ぜようと、「賢者の石」は得られないとされた。
錬金術は非常に根気のいる作業であり、同じ作業を数千回繰り返すようなことも要求された。また忍耐強い観察も必要とされ、ほんの些細な変化を見落としただけで、全てがオジャンになることもあると警告されている。すなわち、錬金術師は、こうした根気と忍耐のいる作業を行うことにより、己を鍛えているのである。さらに、錬金術師は、哲学を深め、神への献身と信仰心を持つことも必要であるとされることも多かった。
要するに、錬金術は科学的実験と精神修行がペアになった作業でもあるのだ。
あるいは、「賢者の石」は、「金」そのものと考えられることもあった。巷に溢れる金は、実は不純物が入った金、不完全な金である。そして、もっとも純粋な金、完全な金こそが「賢者の石」でもあると。
どちらにせよ、「賢者の石」は、「金」の性質を多少なりとも持っている。それは「活性」と呼ばれる性質である。錬金術において、「金」は「活性」の性質を持つとされた。
この「活性」とは何か?
錬金術の理論では、あらゆる金属は「水銀」と「硫黄」によって構成される。そして、最初に生まれた不完全な卑金属が、地中において長い時間をかけて変化し、「金」に変わると考えられた。錬金術は、この変化を「活性」化させる技術でもあったからである。
少なくとも、ゲーベルは金属変性の方法は2種類あると考えており、一つは薬品を使う法、もう一つは「金」を一種の酵母と考え、金属を発酵させるという方法である。ぶっちゃけ、金を他の金属と混ぜて合金とすると、それに含まれる金は合金全体を発酵させ、全体を金に変えてしまうという考え方だ。
古い時代の錬金術書では、あきらかに「賢者の石」と「金を酵母として、卑金属を発酵させる」技術を区別している。だが、後世になって、これらは同じものとされることもあった。
哲学者の石は、水銀と硫黄の霊妙なバランスに基づいて結合した物質とも考えられた。また、四大のどれにも属さない物質とされることもあった。
また、この「石」は、日常のつまらぬ物に含まれているとされることもあった。それは、我々の目に付く、身近な所に存在するのであるが、奥義に達していない人間は、それに気づかないのだという。
さらに、賢者の石は、つまらぬ物に含まれているということから、人間の排泄物に含まれるとされることもあった。それで、錬金術師たちは、尿なども熱心に研究した。その結果、化学史において、尿素やアンモニアの研究が進むことにもつながった。
「賢者の石」は、赤い色をした石であると考えられた。それは粉末であり、また蝋のように溶けて液体にもなった。
ともあれ、賢者の石の定義や製法は、時代や国、流派、錬金術師によって千差万別であり、多くの説がある。その用い方についても然りである。
しかし、「卑金属を貴金属に変える」力を持った、一種の触媒であるという点では共通している。
「賢者の石」は、同時に医薬でもある。
なぜなら、「金」は最も完成された金属であり、最も健康な金属であるからだ。
これは逆に言うなら、「金」以外の金属は不完全な金属であり、不健康な金属でもある。「賢者の石」は、こうした不健康な金属を健全にし、もっとも完成された金属に変える薬品だからである。
したがって、「賢者の石」は、究極の医薬でもあり、これは人間の病気をも癒す「万能薬」でもあったわけである。
ゆえに、「賢者の石」を発見した錬金術師は、不老不死にすら成るとも考えられた。
以上、「賢者の石」について概略を述べたが、これはあくまで代表的な例である。
物質的な金属変性を否定する、精神あるいは魂の変容を目指すヘルメス哲学者にとっては、当然「賢者の石」の意味合いは、だいぶ変わってくる。
また、物質的な金属変性を目指す錬金術師にして見ても、その「製法」とやらには謎が多い。具体的にはどのような方法で行われるのかは、全くといって良いほど分らない。「金」から「硫黄」を抽出するというが、具体的にどんなことをするのか? 錬金術書には、抽象的な手順が記されているだけで、それ以上のことは分からない。
「賢者の石」の探求は、あらゆる意味で、途方も無いラビリンズなのである。
「錬金術」 セルジュ・ユタン 白水社
「錬金術の歴史」 E・J・ホームヤード 朝倉書店
「錬金術大全」 ガレス・ロバーツ 東洋書林
「錬金術事典」 大槻真一郎 同学社
「錬金術の起源」 M・ベルトゥロ 内田老鶴圃