名医アヴィケンナ


 西欧の錬金術は、イスラムを経由してもたらされた。
 そして、パラケルススの例を見ても分かる通り、錬金術と医学は重なるものである。
 このアヴィケンナも、医者であると同時に錬金術師でもあった。
 
 イラン系イスラム教徒である彼の名は、イブン・シーナー。
 980年に生を受ける。彼の父親はイスマイリ派に属する熱心な信徒で、非常に教育熱心な男だった。アヴィケンナは幼いうちから一種の英才教育を受ける。彼は10歳にしてコーランを暗記し、理解した。さらに、ワインを飲むという悪癖を伴いながらも、数学、イスラム法学、アリストテレス、ガレノス、錬金術を学び、医者の道を志す。
 そしてスルタンの病を治し、国の図書館の出入りを許された。18歳のときのことである。
 やがて父が死ぬと、彼は法律家となり、あちこちの都市を巡回する。
 それと同時に「医師」と「詩人」の顔を持ち、やがて医師としての比重が増えて行く。
 そして、凄まじいまでの著述活動を始める。彼の著書は、主に医学だが、錬金術、イスラム神学、政治学、軍事学、教育学、詩集におよび、その数は242に及ぶという。
 だが、彼の著書は、1030年にガズニー朝のスルタンによって略奪される。これはそのまま散逸し、失われてしまった。
 1037年、彼は従軍医師として軍と共に遠征中、病に倒れた。そして、自分を診察し、「治療不可能」として全ての治療を中止させ、死去した。

 彼の書いた医学書、錬金術書は、十字軍によってヨーロッパに持ち込まれ、ラテン語に翻訳された。
 特に「医学規範」や「医学の歌」は、ガレノスやヒポクラテスの著書と並んで長らく医者の教科書とされた。

 彼の医学は、現代の基準から見れば、たしかに過去の学問でしかない。しかし、かなり先見の明があったのも事実である。例えば、彼は早くもストレスから来る病の存在を知り、カウンセリングを行っていたし、プラシーボ効果のことも知っていたようである。

 また、香りによる治療、アロマセラピーを実施した。
 錬金術師でもあった彼は、純度の高い植物油をレトルトを用いて抽出し、また香草の香りをこれらのオイルに溶かし、良い香りによる治療を行った。
 魔術で用いられる香油の大本であろう。

 アヴィケンナは、その著「医学規範」の中で、アリストテレスやガレノスの説を整理統合した。
 すなわち、この世界は全て「四大」の作用によって起こる。四大の結合、分離、バランスによって説明される。そして、人間の体の生理現象もこれで説明できる、とした。
 人間の体内には、「四大」の火土水風に対応する、黄胆汁、黒胆汁、粘液、血液の4つの体液があり、これがバランスをとることによって、健康が保たれる。病とは、これらの均衡が着ずれた時に生じる、という「体液原理説」である。
 だから、病気を治療するには、この崩れたバランスを元に戻してやれば良いのである。

 アヴィケンナは、薬草や食物には、それぞれ「四大」の原因となる「四特性」の性質を持ったものがあると考えた。
 だから、「火」が欠乏した状態にある病気には「火」の属性を強めてやれば良い。「四特性」すなわち、冷熱湿乾の中で、「火」を作り出す特性は「熱」と「乾」である。だから、「熱」の性質を持った薬草ニガヨモギやカミツレ、「乾」の性質を持ったローズマリーやビャクシンを与えれば良い。
 また、「風」が過剰な時は、「風」に属する体液である「血液」を抜いてやれば良い、というわけだ。
 ……この「血抜き療法」は、実に19世紀にいたるまで実行され、いたずらに患者の体力を消耗させ、かえって患者を死に追いやった恐ろしい療法として悪名の方が高い。
 実際、哲学者でもあったアヴィケンナは、医学において思弁的な理論から療法を組み立てた。そのため、経験を重視するパラケルススから、厳しい批判も受けることになるのだが。

 しかし、アヴィケンナは、こうした部分もあると同時に、実験を重視した錬金術師でもあった。
 だからこそ、先の植物油の抽出方法なども完成させ得たともいえる。
 彼は、錬金術の実験を何度も繰り返した。これによって、彼の出した結論は、「黄金の模造品を造ることは可能だが、卑金属を貴金属に変性させることは不可能」であった。
 しかし、彼は錬金術の持つそれ以外の価値、新プラトン主義的な精神の変容、医学的な価値までは否定しない。

 現在、「錬金術小論」などの、彼の名を冠した錬金術の本が6つほど現存するが、これらは後世の偽作だというのが、定説のようである。


「医学の歌」 アヴィセンナ 草風館