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【芸能・社会】

湯原昌幸、あっという間の55年 記念のディナーショー 誕生日に開催

2019年3月3日 紙面から

「水の流れに逆らわずにやってきた。将来は、人のために曲を作りたいね」と話す湯原昌幸=東京・内幸町で(潟沼義樹撮影)

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 芸能生活55周年を迎えた歌手の湯原昌幸(71)が、3月5日の誕生日に東京都目黒区の「代官山鳳鳴館」で記念のディナーショーを開く。バースデーイベントは、デビュー後初めて。大ヒット曲「雨のバラード」をはじめ、等身大の新曲「星になるまで」など約15曲で55年を振り返る。

 カリスマ・バンド、スウィング・ウエストのボーカルとして活躍、伝説のライブハウス・銀座ACB(アシベ)で騒がれていたのが10代後半。1970年に念願のソロデビュー。銀座や六本木で弾き語りをして、月に100万円ほど稼いでいた。そして、バンド時代に歌っていた2作目の「雨のバラード」が大ヒット(累計120万枚)。一躍有名人の仲間入りを果たした。

 「発売して半年くらいして、有線で手応えがあって、キャンペーンで名古屋に行ってくれって言われてね。CBCのガラス張りのスタジオに入ったら雷雨が来て、これぞ“雨のバラード”って盛り上がった。よく覚えてますよ」。当時花盛りだったベスト10番組にも出演、「きたな」と感じたという。

 その後、高視聴率を誇ったバラエティー番組「うわさのチャンネル」(日本テレビ系)にもレギュラー出演。人気コーナー「ゴッド姐ちゃん」の半ズボン姿は語り草だ。

 が、その後、ヒットは出ず、やがて仕事も途絶える。「もう一回、やらなきゃ。プライドの重みで自分が沈むのは嫌だ」と一念発起。自らプロダクションを探し、契約にこぎつけ、“第二のデビュー”。「人生半分」(01年)「冬桜」(03年)で息を吹き返した。

 絶頂期には給料袋が立つくらいもらい、超高級車ファイヤーバードとキャンピングカーを所有。親のために家を建て、自分の家も持った。

 一方、おしどり夫婦として知られる妻の荒木由美子(59)と結婚直前には、財布に500円しかないという時代も。それでも、横浜の自宅から新幹線で高級寿司店に通い、自分を奮い立たせてきたという。まるでジェットコースター人生だが、「特別な感慨もない。よく言うけど、本当にあっという間。それが実感です」

 2月20日に出したバラード「星になるまで」には、「さび付くより擦り切れるまで前向きに生きた方がいい」との思いを込めた。同世代へのエールであり、自分自身に再びムチを入れる覚悟。「七掛人生ってステキだと思う」というから、50歳の気分でまだまだ突っ走る。

<湯原昌幸(ゆはら・まさゆき)> 1947(昭和22)年3月5日生まれ、茨城県牛久市出身。「ホイホイ・ミュージック」出演を機に、芸能界入り。スウィング・ウエストでボーカルとして活躍後、ソロデビュー。その後、映画、ドラマ、バラエティーにも出演。83年に結婚した歌手の荒木由美子との講演も。「いばらき大使」も務めている。趣味はゴルフ、ワイン。

名門スウィング・ウエスト時代の湯原昌幸(左から4人目)

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