これまでこちらのブログでは、旧ソ連諸国や憲法といったテーマを扱ってきたのですが、ソ連や憲法の成立には「革命」が欠かせないプロセスの1つでした。革命といえば「フランス革命」や「ロシア革命」など遠いヨーロッパの出来事として日本人にも知られているわけですが、これらの革命は現在の日本社会にも大きなインパクトを与え続けています。現在の日本という国家のあり方の基礎は、革命がなければ存在しなかったものと言っても良いでしょう。そうは言っても、革命なんて平和な日本人にはまったく無関係なものだ、と思っていませんか。でもそんなことはないのですよ。なぜそう言えるのか、本日は革命の歴史的意義を通して、私たちが住む社会を見つめなおしてみたいと思います。
まずは、「革命」という言葉の意味について確認しておきましょう。「革命」という言葉は古くから使われており、本来は「天『命』を『革』める」という意味がありました。革命は、古代中国において王朝の交代を意味する言葉として用いられていたようです。
しかし、現代では「革命」と言えば、上述のように「フランス革命」や「ロシア革命」などといった市民革命を指すことが多いようです。また、「産業革命」のように社会の大きな変化を指す場合もありますね。王朝の交代は、ヨーロッパにおいては穏やかに行われることもあり、その場合「革命」とは呼ばれません。現代における「革命」は、英語の「レボリューションRevolution」の訳語として用いられているものです。この言葉の語源は、もともとコペルニクスが16世紀に用いたラテン語の天文用語「回転」で、これが後に政治的な意味でも用いられるようになったのです。
世界史において、もっとも有名かつ意義のある革命といえば、何度か名称を出した「フランス革命」と「ロシア革命」です。これら2つの革命については、なんとなく似たイメージを持っている方が多いのではないでしょうか。同じ「革命」という名称で知られているので当然ではあるのですが。実はこの2つの革命には共通点もありますが、大きな相違点もあるのです。どのような違いがあるのか明らかにするために、これら2つの革命を比較してみましょう。
まずフランス革命ですが、これは1789年に起こった絶対王政を中心とする旧体制(アンシャンレジーム)が、一般市民たちによって打倒されたことを指します。倒された側の人々として有名なのが、最後のフランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットですね。マリー・アントワネットといえば「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という発言が有名ですが、実はこれは彼女の言葉ではないようです。フランス革命は漫画の『ベルサイユのばら』のテーマでもあり、日本でも良く知られています。
フランス革命は、革命の類型としては「資本主義革命(ブルジョワ革命)」と呼ばれるものです。資本主義革命とは、封建的体制(絶対王政)を倒し、ブルジョワ(中産階級)を中心とする社会を成立させることです。この資本主義革命によって、「法の下の平等・経済的自由・自由な私的所有」といった、資本主義社会に不可欠な要素が確立されたのです。そしてそれらの要素を確固たるものにするために、作られたのが「憲法」です。自由や平等といった基本的人権を保障する憲法は、まさにこのフランス革命をはじめとする資本主義革命によって確立したのです。こうして作られた憲法は、「資本主義憲法」とも呼ばれます。日本国憲法も、この資本主義憲法に分類されているので、フランス革命がなければ今の日本社会も存在しえなかったと言えるでしょう。
さて、上の記述で「ブルジョワ(中産階級)」という言葉をサラッと使いました。しかしこの言葉には違和感を覚えた方もいるのではないでしょうか。というのも、現代日本社会では「ブルジョワ」とは、なんとなく「金持ち」に近い意味で使われているためです。「ブルジョワだね~」などと言うときは、そこはかとなく「鼻持ちならない金持ち」というような
意味が込められているのではないでしょうか。ですが、このような用法は「ブルジョワ」という言葉の本来の意味を誤解したもので、正しい使い方とは言えません。「ブルジョワ」の本来の意味は、「貴族」や「地主」と対立し、商工業によって財産を蓄えた「市民」階級全般を指す言葉なのです。この意味では、現代の多くの日本人は「ブルジョワ」の定義に当てはまるので、一部の金持ちのことだけを「ブルジョワ」と呼ぶのはあまり正しくありません。
話が少し逸れてしまいましたが、上記のように、フランス革命によって資本主義社会は確立し、自由や平等を保障する資本主義憲法が成立しました。この革命の流れは、瞬く間にヨーロッパ全土へと広がっていきました。そして、20世紀初頭には、ヨーロッパでもっとも遅れていた国であるロシアまでその影響は及んでいきました。こうして起こったのが、1917年のロシア革命です。
ロシア革命は、フランス革命ほどではないものの、日本人にも良く知られた革命です。大まかに言えば、当時のロシア帝国の絶対王政の頂点にいたロシア皇帝(ツァーリ)ニコライ2世を打倒し、社会主義をテーゼとするまったく新しい形態の国家であるソヴィエト連邦が成立しました。しかし、具体的にどのようなプロセスでこの出来事が起こったのか、ということはあまり知られていません。実は、ロシア革命は「二月革命」と「十月革命」という2つのまったく異なる革命の総称にすぎないのです。もっと言えば、「ロシア第一革命」という革命もありましたが、とてもややこしくなるので、ここでは割愛します。
ロシア革命のうち、最初の革命である「二月革命」は、その名の通り1917年2月に起こりました。二月革命では、ニコライ2世を中心とするロシア帝国が打倒され、「ロシア臨時政府」という新しい政府が成立しました。二月革命や臨時政府の中心となったのは、「エスエル」、「メンシェビキ」、「カデット」、「オクチャブリスト」などといった派閥の人々でした。彼らの多くは社会主義者と自由主義者なのですが、社会主義者のなかでも穏健派と呼ばれる人で、フランスのような民主主義、資本主義を基盤とする国家を建設しようと試みていました。彼らはブルジョワであり、労働者を扇動して帝政を打倒しました。つまり、この二月革命はフランス革命のような「資本主義革命(ブルジョワ革命)」に近いものだったと言えます。しかし、労働者のあいだでは、彼らのようなブルジョワが国家を支配することに対する不満が高まっていました。そしてついに、同年10月の「十月革命」が起こるのです。
「十月革命」は、二月革命後に確立した臨時政府を打倒し、社会主義左派の「ボリシェビキ」率いるソヴィエトを中心とする国家を建設しました。このプロセスによって成立したのが、1991年まで続いたソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)でした。十月革命の中心となったボリシェビキは、社会主義者のなかでもかなり過激な人々で、急進的社会主義者とも言われていました。そのリーダーが有名なレーニンです。穏健派社会主義者のエスエルやメンシェビキが議会制民主主義を基盤とする民主主義国家を目指したのに対し、ボリシェビキは共産党による一党独裁国家を確立しました。すべての権力は共産党(ソヴィエト)に集中し、完全な独裁国家が成立することになりました。
ロシア革命はこのように、大きく二段階に分けて起こった革命なのでした。ロシア革命=ソ連成立、と考えられることが多いのですが、実はそうではないのですね。二月革命はむしろフランス革命のような資本主義革命に近いのであって、それが失敗に終わったからこそ、十月革命が起きてソ連が成立したのです。また、91年にはソ連が崩壊したわけですが、これもある意味で革命だったという見解があります。共産党独裁という体制から解放されて、資本主義国家が成立したという意味では、これも資本主義革命だったと言えるのかもしれません。
これまでフランス革命とロシア革命という二大革命について見てきましたが、二つの革命の共通点と相違点についてご理解いただけたでしょうか。フランス革命は資本主義という現代の国家の基盤を決定付けた革命であって、上述の通りその影響は現代日本社会にも色濃く残っています。「自分のものは自分のもの」(所有権)という考え方は当然のように思われますが、実は歴史的に見ればこれは珍しいことなのです。絶対王政や封建制が打倒されるまで、さまざまな権利は王や貴族が独占していました。それを覆され、あらゆる人が生まれながらにして同じ権利(自然権)を持つという考え方が定着したのは、革命があった後なのです。そして、資本主義憲法が制定されると、そのような権利の保障手続きが次々と確立してきました。
上記のことは日本も例外ではありません。日本では明治維新のあと、1889年に大日本帝国憲法が公布されました。これは立憲主義に基づく憲法としてはアジアで初めてのものでした。大日本帝国憲法にはいろいろと問題もあったと言われていますが、基本的人権や司法権の独立など、現代日本に繋がる重要な概念がここで確立されたことになります。
基本的人権や私有財産制など、現代の日本社会において当然に保障されている権利は歴史的にも当然であったと私たちは考えてしまいがちなのですが、実はそうではないのですね。このような資本主義的な考え方は、フランス革命のような資本主義革命なしには確立しえなかったものであることが、本日の内容から浮かび上がってきたと思います。フランス革命は、なんとなくマリー・アントワネットとかベルばらとか、自分たちとは程遠いファンタジックなお話しのように思われがちなのですが、実は現代日本社会の基盤となっている概念はこの革命によって確立されたものなのです。