2010年と12年の尖閣諸島問題の影響は、日本の国策が外部の力を通じて「脱亜入欧」の方に向かって動いたという点で、三国干渉の衝撃と似ている。それまで日本の国策にはアジア連帯という考え方があった。中国・韓国と手を結び、アジア共栄を実現しようというものだ。その時期に執権した日本の民主党政権はアジア接近のため米国とは距離を置く自主路線を展開したものの、尖閣諸島問題で一気に挫折した。中国は、日本が相手にできないほど大きくなり、その分だけ言動も荒々しくなった。韓国は歴史問題で挟み撃ちにし、韓半島における日本の発言権を排除した。自主路線とアジア連帯の実益・実効性はその時、終わった。尖閣諸島問題の衝撃は「米国の助けを借りなければ、日本だけでは何もできない」ことを表した。三国干渉時に痛感したものと同じであり、解決策も同じだ。
日本人に会うたび、「米国が北朝鮮の核を事実上、容認したら、日本はどのような選択をするのか?」と質問しているが、ほとんどの人がこの前提そのものを受け入れてくれない。米国は容認しないよう最善を尽くしているというのだ。「万が一のこと」と仮定して強引に答えを求めると、「それでも米国に頼るだろう」と答える。米本土と同じ保護を受けるため、米国にさらに接近するとのことだ。接する日本人の範囲が広くないためか、「日本は日米同盟を揺るがして独自で核を開発する」と答えた人はいない。日本人の核兵器に対する拒否感は、外部から感じるものよりもはるかに強い。安倍首相もこの障壁を乗り越えられていない。今の日本の選択は「親米」しかない。