麗華の想いを直接聞いて、涙が止まりませんでした――対公安調査庁の裁判傍聴記 | 木の葉が沈み石がうく

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 2019年1月31日午後2時から、公安調査庁がわたしの妹である松本麗華をアレフの現職幹部などと虚偽の主張をした件につき、取り消し等を求めた裁判がありました。
この日は、妹の意見陳述があったため、わたしも傍聴しました。

 この日の法廷はいわゆる警備法廷で、審理開始前に原告側の当事者である麗華と代理人である松井武先生を除いて、傍聴人や被告である国の代理人は全て法廷に入っていました。国側の代理人である訟務検事は5人です。もしかしたら、傍聴席にも1~2人ぐらいいたかもしれません。
 国は税金から好きなだけ代理人を選任できます。その代理人に支払われるお金は税金でまかなわれており、麗華やわたしたちが働いて納めた税金も、麗華を敗訴させるために選任された訟務検事に使われているかもしれません。
 5人ぞろぞろと法廷に入ってきた訟務検事を見ながら、いろいろと考えてしまいました。

2時前に、松井先生に続いて、麗華が一礼して法廷に入ってきました。

 最初に被告である国が提出した書類の撤回等について5分程度話があり、また、麗華の方にも書類の撤回についての話がありました。

 

 

その後麗華が意見書を手に証言台に立ちました。

 緊張に手足を震わせながら、それでもはっきりと大きな声で意見陳述を始める麗華。その麗華がおえつをこらえるように、やがてこらえきれずに泣きはじめるまで、時間はかかりませんでした。
 意見陳述の内容は、麗華のこれまでの人生、公安調査庁によってより生きづらくさせられたこと、今まで支えてきてくださった方たちや、実質的な審理を長期間にわたり行ってくださった、裁判官や書記官の方たちに対する感謝でした。
麗華がこの日のような意見を公開の法廷で述べたのは、初めてだったと思います。普段、親しい人には話しても、公ではあまり口に出さなかった想いや感謝が、短い意見書の中で丁寧にまとめられていました。もしかしたら、傍聴をされていた方の中には、新鮮に感じる方もいたかもしれません。

 両親が逮捕されたのは、妹が12歳のときのことです。親戚から引き取ることをこばまれた妹は、行く当てもなく教団施設に取り残されました。
保護者を失い、小学校にも行けず、自分の名前を漢字で書くこともできなかった妹は、マスコミや教団の人たちに利用されることになります。
マスコミはどんな嘘を報じても裁判を起こされる心配がないと知っていたのでしょう。妹は存在すら知らなかった人を殺せと命じたと報じられ、行ったこともない場所に行ったことにされました。

 そうやって作り上げられた「三女アーチャリー」というモンスターのような人格や悪印象を、今度は公安調査庁が利用しようとしました。国までもが、ぼろぼろになった妹をさらに追い込んでいったのです。
 松井先生は、「今ではこの『三女』や『アーチャリー』という言葉には、軽蔑や侮蔑などの意味も込められているんじゃないか」とおっしゃっていたことがありました。

 実は、公安調査庁は2000年に、麗華を「実質的な役員としての任務をはたしていたとは認めがたい」と、役員であることを否定していました。ところがなぜか2014年に突然、妹が事件当時も役員であり、現在も役員であると主張しはじめたのです。
 当時の妹の年齢から、また、妹の周囲の環境・状況からも、形式的にも実質的にも役員であると主張するのは無理があります。公安調査庁は、マスコミが作った「三女アーチャリー」というモンスターがアレフの役員であり、そのアレフを監視するのに今後とも自分たちが必要だと、訴えたかったのかもしれません。
 
 国にまで生きる道を閉ざされた絶望は、死んで楽になりたいという麗華の思いを強くし、麗華によれば、例えば自転車に乗っているとき、ハンドルを切ればトラックがひき殺してくれる、車がはねてくれると、手が勝手に動きそうになるほどに、追い詰められていったそうです。
 

 

 その上で自分が生きていられるのは、今まで支えてきてくださった方たちがいたからだと、述べていました。中でもとりわけ、麗華にとって生きる支えとなったのが、松井先生の存在でした。
「16歳のときに巡り会えた松井先生は、わたしの未成年後見人になってくださり、誰かに庇護される安心感を教えてくださいました」

 松井先生は、麗華だけでなくわたしたちきょうだい全員を助けてくださいました。わたし自身、松井先生がいらっしゃらなければ、生きることをあきらめていたと思います。信頼のできる大人に何かを相談できるということ、誰かの付属物としてではなく、一人の人間として尊重されること、その安心感と驚きは、今でも忘れられずにわたしの心に残っています。そのほかの父の「子どもたち」との関係についても多く触れたいことがありますが、ここでは止めておきます。
 ただ、麗華が松井先生と巡り会ってから、19年間もの月日が経過しているのは客観的事実であり、その間ずっと松井先生が麗華を支えてきてくださったというのも、間違いのない事実です。
 
麗華は続けます。
「感謝の一方で、わたしを守ろうとしてくださったために、松井先生やわたしを支えてくださった方たちが犠牲にされてきたものを考えると、申し訳ない思いでいっぱいになります」
 
 麗華が最後の一線を越えずに生きてこられたのは、今まで支えてくださった方たちの顔を思い出し、懸命に生きることこそがご恩返しになると思ったからでした。

 松井先生はなぜこんなにも長い間、麗華やわたしたちに対し、さまざまな援助をしてくださったのでしょうか。松井先生はそういうことを口にされる方ではないのですが、いつかお聞きしてみたいと思います。社会から排斥されている人はたくさんいると思います。その中で松井先生は、偶然巡り会った「麻原彰晃の子」と言われるわたしたちを一人、支えてきてくださいました。
 「悪魔のおまえたちに人権はない」と言われ、「ウジ虫」とそしられてきたわたしたちを、悪魔やウジ虫ではなく人間にするために、松井先生がどれだけの犠牲を払ってこられたのか、わたしには想像をすることもできません。

 麗華やわたしたちを友人として支え、落ち込んだとき、気力を失ったとき、励ましやあたたかい言葉を下さった方の中にも、たとえば友人を失い、非難やバッシングを受け、今まで培ってきたものを犠牲にされた方もおられました。わたしが知る以上に、多くの方がさまざまなものを犠牲にされながら、支えてきてくださったのだと思います。
 
 最後に、麗華は自分の生の声を聞いてくれた裁判官や書記官にお礼を述べ、意見陳述を終えました。

 5分程度と短いものでしたが、過去がいろいろと思い出され、泣きながら意見陳述をする妹の姿も哀しくて、涙が止まりませんでした。

――今まで生きていてくれてありがとう。

 つらい思いをしていることを知りながら生きていて欲しいと願うのは、エゴなのだと思います。松井先生も「自分のやっていることはエゴじゃないかと思うときがある」とおっしゃっていたことがあります。死んだら楽になれるかもしれない。自分自身も死ぬことを考えてしまうのに、人には生きて欲しいと願ってしまう。
それでも、麗華に言いたいです。

今まで頑張って生きてきてくれてありがとう。あなたが頑張る姿を見て、わたしも勇気づけられてきました。
 
また、今まで麗華を助け、彼女の命をつないできてくださった方たちに感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
 
麗華が少しでも自由を取り戻し、誰にも踏みにじられない日が来ることを願ってやみません。

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