内務省北海道廰(ないむしょう ほっかいどうちょう)
北海道の地方一般行政と、本来は各省が担当する国営事業を統一して行う地方行政機構で、内務省の管轄下にあり、1947(昭和22)年5月の地方自治法施行まで存在した。殖民軌道については拓殖部殖民課が担当して建設し、運行時には運行組合を監督し、動力化した根室線・枝幸線については直接経営を行った。戦中戦後は行政簡素化により担当部署が二転三転し、1942(昭和17)年振興部拓殖課へ所管替の際に名称を「簡易軌道」としたようだ;
1942(昭和17)年11月31日まで 拓殖部殖民課
1942(昭和17)年11月 1日から 振興部拓殖課
1944(昭和19)年 7月 8日から 経済第一部拓殖課
1946(昭和21)年 2月 1日から 経済部開拓課
1946(昭和21)年 4月30日から 開拓部入殖課
農林省(のうりんしょう)
内務省解体に伴って、1948(昭和23)年1月1日付で簡易軌道を所管するようになった。実際の管理は、農林省所管国有財産管理分掌官である北海道知事に委任した。
北海道(ほっかいどう)
1947(昭和22)年5月の地方自治法施行によって発足した地方自治体。農林省の機関委任事務として、1951(昭和26)年までは簡易軌道に関する全事業を、同年の北海道開発局設置後は維持・補助事業を所管した。実際の運営は地元町村に管理委託した。担当部署の変遷は以下の通り;
1947(昭和22)年 8月27日から 開拓部施設課
1949(昭和24)年 1月13日から 開拓部開拓建設課
1952(昭和27)年10月 1日から 農地開拓部土地改良課
1952(昭和27)年10月15日から 農地開拓部開拓計画課
1962(昭和37)年11月17日から 農地開拓部開拓課
1964(昭和39)年 4月 8日から 農地開拓部農地開発課
北海道開発局(ほっかいどう かいはつきょく)
北海道開発法の成立を受けて設置された北海道開発庁(総理府外局)の地方支分部局として、1951(昭和26)年7月に発足した。北海道開発庁が北海道総合開発計画の企画・調整官庁であるのに対し、北海道開発局は事業実施官庁であり、農林水産・運輸・建設の各省を一元化した性格をもつ。
簡易軌道に関しては新設と改良事業を所管し、農業水産部開拓課簡易軌道係が担当した。
北海道拓殖計画(ほっかいどう たくしょくけいかく)
北海道の拓殖を進める長期計画。1910(明治43)年度から1926(昭和元)年度までの第一期と、1927(昭和2)年度から1946(昭和21)年度までの第二期に分かれる。第一期では拓殖費中の殖民費から捻出した費用で殖民軌道を試験的に建設し、第二期では新たに拓殖費中に殖民軌道費を設けて(1942年からは土地開発費殖民軌道費)事業を行った。
北海道緊急開拓事業(ほっかいどう きんきゅうかいたくじぎょう)
敗戦直後の食糧危機を打開するために、1945(昭和20)年11月から行われた開拓事業。戦時中に荒廃した簡易軌道の復旧は事業の実施に不可欠とされ、復旧と補修が行われた。
簡易軌道補強事業(かんいきどう ほきょうじぎょう)
簡易軌道整備事業(かんいきどう せいびじぎょう)
簡易軌道の維持・補修のための補助事業で、国費補助を受けて北海道が、運営を行う地元町村に実施した。1953(昭和28)年度から1962(昭和37)年度までは補強事業として経費の75%、それ以降は整備事業として85%を補助した。1970(昭和45)年度限りでこの補助が打ち切られたことが簡易軌道の廃止につながった。
簡易軌道改良事業(かんいきどう かいりょうじぎょう)
北海道開発局によって1952(昭和27)年度から1965(昭和40)年度まで実施された軌道施設改良のための事業。対象は、馬力線の動力化を目的とした茶内線・円朱別線・若松線・風蓮線・幌別線と、動力線の改良を目的とした問寒別線・歌登線・藻琴線・雪裡線・幌呂線の計10線であったが、新設線の標茶線(II)も含まれる。路盤改良、軌条交換、木造橋の鉄橋化などの軌道改良工事にとどまらず、新造車輛の投入や車庫・軌道事務所・停留所・転車台などの建造も含まれる。事業によって発生した財産の管理は、地元市町村に委託された。
軌道法第32条(きどうほう だいさんじゅうにじょう)
国ニ於テ軌道ヲ敷設シテ運輸営業ヲ経営セムトスルトキハ当該官庁ハ主務大臣ニ協議ヲ為スヘシ其ノ工事施行ニツキ亦同シ
2 国ニ於テ経営スル軌道ニ付イテハ第2条(道路上敷設ノ原則)、第12条第1項(軌道関係部分道路ノ維持及ビ修繕ノ義務)、第14条(建設、運輸、運転、係員、及ビ会計ニ関スル規定)及第24条第1項(工作物ノ使用廃止ノ際ノ道路ノ現状回復義務)ノ規定ヲ除クノ外本法ヲ適用セス但シ第14条中軌道ノ係員及ビ会計ニ付イテハ此ノ限ニ在ラス
(第32条は、1986年12月削除)
戦前に動力化された根室線と枝幸線に適用された。
地方費林(ちほうひりん)
内務省北海道廰時代に、国有林の一部を国費経営からとりはずし、その収益を市町村で分配するものとした森林で、拓殖部地方林課の所管であった。仁宇布線は元来、付近の地方費林で産出される木材の輸送が目的であったため、1942(昭和17)年3月に地方林課が無償で借受けて森林軌道とした。戦後は北海道が引継ぎ、1956(昭和31)年9月に森林軌道としての業務を廃止するまで林務部道有林課が管理した。
運行組合(うんこうくみあい)
殖民軌道を管理・運営するために、利用者によって組織された組合。組合員は、使用料を払って台車を借り、自分の馬で牽引した。組合によって徴収された使用料は、台車の維持費用に充てられた。この運営方式は、北海道廰直営線の根室線・枝幸線を除いて戦後まで続いたが、1952(昭和27)年に簡易軌道が国有財産法にいう公共物に編入されると同時に、土地改良財産に準じて地元町村に管理委託されることになり、町営軌道・村営軌道が生まれた。なお、動力線は町村の直営事業であったが、馬力線は運行組合の後身である運行協力会が運営した。