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運輸工業 | 牽引客車 | (株)釧路製作所 |
自走客車 | 続行運転 | 田井自動車工業(株) |
泰和車輛工業(株) | 北炭機械工業(株) | ミルクゴンドラ車 |
ミルクタンク車 | 木炭ガス発生装置 |
自走客車(じそうきゃくしゃ)
北海道開発局独自の用語で、レールバスのこと。1956(昭和31)年に投入された2輛の試作車は運転台が片方にしかない単端式で、終点での転回を必要とした。これは雪裡・幌呂線のバス改造車や根室拓殖鉄道のガソリンカーをモデルにした為といわれている。その後、1965(昭和40)年までに両運車16輛が各線に投入されたが、メーカーや時代によって形態が若干異なっており、末期にはトルコンやワンマン設備を備えた車輛も登場した。また、歌登線には「レールマイクロバス」とも称すべき超小型の単端式自走客車が投入された。これらの自走客車は北海道の車輛メーカー3社(泰和車輛工業・運輸工業・釧路製作所)によって製造された。
▲別海町で保存中の釧路製自走客車
牽引客車(けんいんきゃくしゃ)
北海道開発局独自の用語で、一般的な客車のこと。限定的には開発局の改良事業によって投入された3輛の客車を指す。形態は自走客車に似ており、バス用品が用いられた。
▲標茶線の牽引客車
ミルクゴンドラ車(みるくごんどらしゃ)
各農家から集められた集乳缶を集乳工場に運ぶための木製無蓋貨車。昭和30年代末期に茶内線と風蓮線に投入された独特の形態を持つ2軸ボギー無蓋車を指す。集乳缶の輸送は一般の無蓋貨車や有蓋貨車でも行われたが、集乳缶を二段積みにしたミルクゴンドラ車が自走客車に牽引される情景は、ミルクタンク車と共に道東の簡易軌道を深く印象づけた。
ミルクタンク車(みるくたんくしゃ)
農家から集乳工場に集荷された生乳を加工工場に運ぶためのステンレスタンク車で、茶内線に3輛、風蓮線に2輛が投入された。
茶内線では、支所前の雪印乳業(株)集乳工場と茶内の同社茶内工場を結ぶ専用列車が運行され、茶内構内から工場までの引込線が敷設された。
風蓮線では、上風蓮に集乳工場が設置されたが、加工工場が路線から離れていたため、奥行臼でタンクをトラックに積み替えるコンテナ方式が試みられた。
続行運転(ぞっこううんてん)
朝夕のバスの運行に見られるように、列車が間隔を置かずに運行されることをいう。馬力線時代はもちろんのこと、動力化後も閉塞装置を持たずに電話連絡のみで運行確認していた簡易軌道では、続行運転は日常的に見られた。
木炭ガス発生装置(もくたんがす はっせいそうち)
木炭で不完全燃焼させて発生する気体から水分を取り除き、一酸化炭素のみを取り出してエンジンの燃焼ガスとする装置をいう。ガソリン機関車の運転室後部にガス発生炉を取り付ける方法と、台車に発生炉を載せて機関車後位に連結する方法があった。
▲田井自動車工業製の木炭ガス発生炉台車
泰和車輛工業(株)(たいわしゃりょうこうぎょう)
1946(昭和21)年6月、国鉄関係者により鉄道互助会として発足し、道内の国鉄・私鉄の蒸気機関車・客貨車の修理を行った。翌1947(昭和22)年8月に泰和車輛工業(株)となり、本社と工場を札幌市琴似町二十四軒(現・西区二十四軒)においた。やがて、鉄道車輛の改造・製造も行うようになり、地方私鉄・札幌市電・簡易軌道に多くの製品を納入した。森林鉄道や土木工事用のディーゼル機関車・貨車も手掛けたようである。(株)泰和として現在も盛業中で、金属加工機械やボイラーの製造などを行っている。
簡易軌道向けの車輛は、DL6輛・ロータリーDL6輛・自走客車10輛・牽引客車1輛・ロータリー車3輛・鋼製有蓋貨車2輛・ミルクタンク車5輛のほか、無蓋貨車およびモーターカー各数輛が知られている。
運輸工業(株)(うんゆこうぎょう)
1947(昭和22)年1月、国鉄退職者および満鉄出身者により運輸協力会が発足し、同年10月に運輸工業(株)となった。札幌市北9条西14丁目に工場があり、国鉄・地方私鉄・森林鉄道および運輸省施設部の蒸気機関車・貨車の修理を行っていたが、やがて札幌市電や簡易軌道の車輛の製造も手掛けるようになった。しかし、蒸気機関車の修繕が主な業務であったため、地方私鉄の内燃化が進むにつれて経営が悪化し、1960(昭和35)年4月に事業を廃止した。
簡易軌道向けの車輛は、DL1輛・自走客車5輛・牽引客車1輛が知られているが、このうち、DLは現在も「丸瀬布いこいの森」で活躍している。
(株)釧路製作所 (くしろせいさくしょ)
雄別炭砿鉄道(株)の経営合理化の一環として、同社の炭鉱機械・鉄道車輛の製作・修理部門を受け持つとともに、一般機械や鉄道車輛全般の製造・修理を行う総合機械メーカーとして1956(昭和31)年10月に発足した。地方私鉄の車輛の修繕を数多く手掛けたほか、産業用DLも製造した。現在は、資本金1億円・従業員180名余りの中堅企業に成長し、橋梁・鉄骨メーカーとして本州四国連絡橋事業にも参加するなど盛業を続けている。
簡易軌道向けには、DL5輛・自走客車4輛・牽引客車2輛・鋼製有蓋貨車2輛・ミルクゴンドラ車7輛のほか、無蓋貨車・モーターカー多数が知られている。また、改良事業における橋梁や各設備の製造を行っていたため、現在も道内各地に同社の簡易軌道用橋梁を見ることができる。
北炭機械工業(株)(ほくたんきかいこうぎょう)
1938(昭和13)年3月に夕張製作所(株)として発足し、炭鉱用機械の製造を主体に営業を開始した。その後、炭鉱関連設備のほかに、一般工作機械や森林鉄道向けの車輛の製造も手掛けるようになり、1965(昭和40)年に北炭機械工業(株)となった。資本金約5億円・従業員200名以上の中堅企業に成長して盛業を続けていたが、北海道炭礦汽船(株)の倒産に連鎖して1995(平成7)年3月に事業を廃止した。
簡易軌道向けには、標茶線のDL1輛が知られている。
田井自動車工業(株)(たいじどうしゃこうぎょう)
1924(大正13)年に個人経営の自動車修理工場として発足し、1936(昭和11)年に田井自動車工業(株)となって、バスの車体や消防車などを多数製造した。戦時中に同社社長の田井直治氏が北海道ガス発生炉下請工業組合の理事長となり、バスやトラック用とともに殖民軌道や森林鉄道向けの木炭ガス発生装置を製造した。戦後は、根室拓殖鉄道向けのガソリンカー「銀龍号」および「かもめ号」の製造で知られている。消防車等の特殊装備自動車の製造を中心に現在も盛業中である。
殖民軌道向けの木炭ガス発生装置は、問寒別線の台車積載形が判明しており、他線にも納入されたようである。