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■井上俊之のブログ - 井上俊之のブログカテゴリのエントリ
今回も騒動とは関係ない「愛する」アニメの話を
私はエフェクト(自然現象)アニメーションが好きです。キャラクターを描くよりも好きかもしれないと思うことが有る程好きです。というか「好きになって」来ました。今や「大好物」です。若い頃はどちらかと言うと苦手意識が有り、なるべくその手のカットは避けたいとさえ思っていました。私がアニメーターになった頃は既にありとあらゆるアニメの表現は記号化されており(当時はそれが「記号」だと言う意識さえありませんでしたが)それを覚えさえすれば、いろんなエフェクト(煙、水、炎等の自然現象)が一応表現出来ることになってはいました。それら「記号」は生み出された当時の意味は忘れられ、我々の世代以降によって次々アレンジされて(それはそれでとても面白い表現も有りはしたけれど)アニメを見慣れた鑑賞者以外にとっては効果音等が伴わなければ全くなんだか判らないであろうものに変容して行きました。かく言う私も大して疑問を持つことなくそういう風潮に加担していた一人です。
なぜ「苦手」意識が有ったのか、「煙」を例にとります。
当時のアニメの「煙」を表現する記号的描き方では,煙の3次元的な動き(手前に向かって沸き上がってくる動き、巻き込みながら上昇する動き等)がどうしても上手く表現出来ず,さりとてそれを上手く出来る描き方を私自身は生み出せずにいました。正確に言うと生み出そうともしておらず、はなからそんなことは表現出来ないと思い込んでいたと言った方が良いのかもしれません。ですから,煙を3次元的に動かすことを避けざるを得ず、そのことが煙を作画することを「苦手」と思わせていたのだと思います。
私の認識では煙を初めて3次元的に動かし得たのは「王立宇宙軍 オネアミスの翼」における庵野秀明作画によるロケット打ち上げシーンの煙の描写だと思います。(おそらく世界でも初めてだと思います)私個人としては本編そのものよりそのシーンの作画に感動したと言っても過言ではありませんでした。
ただその素晴しい作画を見ても、それを上手く自分の表現として取り込めないでいました。それは多くの同時代のアニメーターも同様で庵野さんの表現を消化吸収出来ずにいたように思います(もちろん全ての作品を観ていた訳ではないので,異論のある事とは思います)
その数年後、もやもやとした気分を抱えた私や同時代のアニメーター達におそらく大きなインパクトを与えたのは「ガンダム0080ポケットの中の戦争」第1話冒頭における磯光雄による作画だと思います。やはり同様にロケット打ち上げのシーンが有ったり,「爆発」「ミサイル発射」等の「煙」を表現したカットが多数有りました。そこで描かれた煙のフォルムは今までのどの表現より画期的に「立体的」で「3次元的」に動いていたのです。今でこそ普通のことになりつつ有りますが,煙や水と言った捉えどころのない自然現象をもはっきり「立体」として捉え、それを洗練されたアウトラインと陰影のみで「立体的」に表現するということは彼の出現までは無かったことでした。「立体的」に動かそうと言う時にその対象を「立体」として把握しようしていなかったことにやっと気づかされたのでした。
それ以降遅ればせながらそのことを意識し,同時に実写映像や写真等を参考にしたり(これも当時の私や多くのアニメーターは実践していなかったと思います)するようになり、エフェクトを「表現」することが楽しくなり始めました。一言で「煙」と言っても様々なバリエーションが有り,その違いを表現しようと思うことで(実際には表現しきれなくとも)作画の仕事に飽きずに取り組むことが出来るのかもしれません。私が30年近くほぼ原画の仕事だけを飽きずに続けて来れたのはそういう「楽しみ」を幸いにして見つけることが出来たことが大きいのだと思います。
前回書いた2冊目の本「特殊効果アニメーションの世界」を買ったのも偏にエフェクトアニメーション好き故なのです。ディスニー出身の方が書いているのだからきっと「ファンタジア」「ピノキオ」(エフェクトアニメーション史的にもこれらの作品は最高峰と言って良いでしょう)におけるエフェクトアニメ技法,担当したアニメーターに言及しているはずと思いましたが,それらに関する記述はあまり無く、その点では期待はずれでした。しかしその内容は、著者がアーチストでありながらも合理的、論理的思考に満ちあふれた内容で、抽象的な概念を巧みに言語化する能力の高さに驚きました。欧米人の書くこの手の技法書には本当にいつも感心させられます。
私はエフェクト(自然現象)アニメーションが好きです。キャラクターを描くよりも好きかもしれないと思うことが有る程好きです。というか「好きになって」来ました。今や「大好物」です。若い頃はどちらかと言うと苦手意識が有り、なるべくその手のカットは避けたいとさえ思っていました。私がアニメーターになった頃は既にありとあらゆるアニメの表現は記号化されており(当時はそれが「記号」だと言う意識さえありませんでしたが)それを覚えさえすれば、いろんなエフェクト(煙、水、炎等の自然現象)が一応表現出来ることになってはいました。それら「記号」は生み出された当時の意味は忘れられ、我々の世代以降によって次々アレンジされて(それはそれでとても面白い表現も有りはしたけれど)アニメを見慣れた鑑賞者以外にとっては効果音等が伴わなければ全くなんだか判らないであろうものに変容して行きました。かく言う私も大して疑問を持つことなくそういう風潮に加担していた一人です。
なぜ「苦手」意識が有ったのか、「煙」を例にとります。
当時のアニメの「煙」を表現する記号的描き方では,煙の3次元的な動き(手前に向かって沸き上がってくる動き、巻き込みながら上昇する動き等)がどうしても上手く表現出来ず,さりとてそれを上手く出来る描き方を私自身は生み出せずにいました。正確に言うと生み出そうともしておらず、はなからそんなことは表現出来ないと思い込んでいたと言った方が良いのかもしれません。ですから,煙を3次元的に動かすことを避けざるを得ず、そのことが煙を作画することを「苦手」と思わせていたのだと思います。
私の認識では煙を初めて3次元的に動かし得たのは「王立宇宙軍 オネアミスの翼」における庵野秀明作画によるロケット打ち上げシーンの煙の描写だと思います。(おそらく世界でも初めてだと思います)私個人としては本編そのものよりそのシーンの作画に感動したと言っても過言ではありませんでした。
ただその素晴しい作画を見ても、それを上手く自分の表現として取り込めないでいました。それは多くの同時代のアニメーターも同様で庵野さんの表現を消化吸収出来ずにいたように思います(もちろん全ての作品を観ていた訳ではないので,異論のある事とは思います)
その数年後、もやもやとした気分を抱えた私や同時代のアニメーター達におそらく大きなインパクトを与えたのは「ガンダム0080ポケットの中の戦争」第1話冒頭における磯光雄による作画だと思います。やはり同様にロケット打ち上げのシーンが有ったり,「爆発」「ミサイル発射」等の「煙」を表現したカットが多数有りました。そこで描かれた煙のフォルムは今までのどの表現より画期的に「立体的」で「3次元的」に動いていたのです。今でこそ普通のことになりつつ有りますが,煙や水と言った捉えどころのない自然現象をもはっきり「立体」として捉え、それを洗練されたアウトラインと陰影のみで「立体的」に表現するということは彼の出現までは無かったことでした。「立体的」に動かそうと言う時にその対象を「立体」として把握しようしていなかったことにやっと気づかされたのでした。
それ以降遅ればせながらそのことを意識し,同時に実写映像や写真等を参考にしたり(これも当時の私や多くのアニメーターは実践していなかったと思います)するようになり、エフェクトを「表現」することが楽しくなり始めました。一言で「煙」と言っても様々なバリエーションが有り,その違いを表現しようと思うことで(実際には表現しきれなくとも)作画の仕事に飽きずに取り組むことが出来るのかもしれません。私が30年近くほぼ原画の仕事だけを飽きずに続けて来れたのはそういう「楽しみ」を幸いにして見つけることが出来たことが大きいのだと思います。
前回書いた2冊目の本「特殊効果アニメーションの世界」を買ったのも偏にエフェクトアニメーション好き故なのです。ディスニー出身の方が書いているのだからきっと「ファンタジア」「ピノキオ」(エフェクトアニメーション史的にもこれらの作品は最高峰と言って良いでしょう)におけるエフェクトアニメ技法,担当したアニメーターに言及しているはずと思いましたが,それらに関する記述はあまり無く、その点では期待はずれでした。しかしその内容は、著者がアーチストでありながらも合理的、論理的思考に満ちあふれた内容で、抽象的な概念を巧みに言語化する能力の高さに驚きました。欧米人の書くこの手の技法書には本当にいつも感心させられます。
さて、今回はこの騒動と全く関係(なくも)ない話を
1月15日、今年初のジャニカ定例理事会の場所に予定より20分程早くに着き、ふと横のビルを見るとそこには紀伊国屋書店。時間は有意義に過ごしたい質なので、寸暇を惜しんで6階(美術書売り場)に向かう。私は本屋が好きです。本屋とCD屋と飯屋さえあれば他にはいかなる店も私には要らないと言っても過言でない程です。と言いながら実は読書はほぼ全くしません(こんな所で自慢げに言うことではありませんが)ので、どの本屋に行っても、行くのは写真集と美術書のコーナーだけです。私が無教養なのも「作文」が大の苦手なのもこの読書嫌いのせいなのでしょう、きっと。いや間違いなく。
で、その時の戦利品はと言うと
「WALT DISNEY ANIMATION STUDIOS The Archive Series ANIMAITION」
「特殊効果アニメーションの世界」
こんな時でもアニメのことを考えている自分にあきれたり、(奥さんに)あきれられたりの2冊。いやこれは、こんな時こそ「愛している」アニメーションに思いを馳せ、荒んだ気持ちを癒そうという本能なんだと思うことにしよう。
締めて9600円也(高い!その上重い!)
1冊目はディズニーの新旧織り交ぜた作品の生の原画の筆致まで解るほどに一点一点大きく載った豪華本です。どれも素晴しく中でも一際見入ったのは、若い頃より憧れているミルトカール(Milt Kahl)さんの原画です。原画1枚1枚の無慈悲なまでに対象の特徴を描き出すそのデッサンの素晴しさに圧倒されます。ミルトさんはおそらく長いアニメーションの歴史の中でも最も優れたデッサン力の持ち主の一人だと思います。
アニメーションにおけるデッサン力と言うのは、絵画のそれとはやや違ったニュアンスで使われる事があります。普通絵画の世界で言われるそれは対象を正確に写し取る力といった意味合いで使われますが、アニメの場合はキャラクターを正確に描く力という以外に、そのキャラクターのフォルムを維持しながら、「少しずつその角度、ポーズ、大きさを変化させて描くことが出来る力」といった意味合いで言うことがあります。ミルトさんはそのどちらの意味に於いても非常に優れていますが、特にその後者の力は驚異的といっても良い程です。ミルトさんの作画はその膨大な枚数の原画(ディズニーアニメの作画は日本のそれよりもずっと多くの原画を要します)の中で本当にあきれる程鮮やかで美しいフォルムを維持し続けます。
ディズニーの特に初期の作品、「ファンタジア」「ピノキオ」「バンビ」等々に於けるミルトカール、フランクトーマス、オーリージョンストンさん達の仕事は今後古びるどころか増々その輝きを増して行き、現代に溢れるハンパな「ゲイジュツ」などよりも余程「芸術的」で価値のある物になると思います。
古い物で70年以上も前の物なのに感心する程綺麗に保存された原画を見て、つくづく「ああ、我々は彼らと基本的に同じ事をやっているんだなあ(もちろんレベルの差は置いておいて)」と改めて思ったり、私も彼らと同じように、歴史の一部になって時代も違う異国の人にさえも感嘆してもらえるような仕事が出来たら本当に幸せなことだなあ、と思ったりします。そうなれるようこれからも一生懸命原画を描きたいとつくづく思います。
2冊目の本に関してはまたの機会に。
1月15日、今年初のジャニカ定例理事会の場所に予定より20分程早くに着き、ふと横のビルを見るとそこには紀伊国屋書店。時間は有意義に過ごしたい質なので、寸暇を惜しんで6階(美術書売り場)に向かう。私は本屋が好きです。本屋とCD屋と飯屋さえあれば他にはいかなる店も私には要らないと言っても過言でない程です。と言いながら実は読書はほぼ全くしません(こんな所で自慢げに言うことではありませんが)ので、どの本屋に行っても、行くのは写真集と美術書のコーナーだけです。私が無教養なのも「作文」が大の苦手なのもこの読書嫌いのせいなのでしょう、きっと。いや間違いなく。
で、その時の戦利品はと言うと
「WALT DISNEY ANIMATION STUDIOS The Archive Series ANIMAITION」
「特殊効果アニメーションの世界」
こんな時でもアニメのことを考えている自分にあきれたり、(奥さんに)あきれられたりの2冊。いやこれは、こんな時こそ「愛している」アニメーションに思いを馳せ、荒んだ気持ちを癒そうという本能なんだと思うことにしよう。
締めて9600円也(高い!その上重い!)
1冊目はディズニーの新旧織り交ぜた作品の生の原画の筆致まで解るほどに一点一点大きく載った豪華本です。どれも素晴しく中でも一際見入ったのは、若い頃より憧れているミルトカール(Milt Kahl)さんの原画です。原画1枚1枚の無慈悲なまでに対象の特徴を描き出すそのデッサンの素晴しさに圧倒されます。ミルトさんはおそらく長いアニメーションの歴史の中でも最も優れたデッサン力の持ち主の一人だと思います。
アニメーションにおけるデッサン力と言うのは、絵画のそれとはやや違ったニュアンスで使われる事があります。普通絵画の世界で言われるそれは対象を正確に写し取る力といった意味合いで使われますが、アニメの場合はキャラクターを正確に描く力という以外に、そのキャラクターのフォルムを維持しながら、「少しずつその角度、ポーズ、大きさを変化させて描くことが出来る力」といった意味合いで言うことがあります。ミルトさんはそのどちらの意味に於いても非常に優れていますが、特にその後者の力は驚異的といっても良い程です。ミルトさんの作画はその膨大な枚数の原画(ディズニーアニメの作画は日本のそれよりもずっと多くの原画を要します)の中で本当にあきれる程鮮やかで美しいフォルムを維持し続けます。
ディズニーの特に初期の作品、「ファンタジア」「ピノキオ」「バンビ」等々に於けるミルトカール、フランクトーマス、オーリージョンストンさん達の仕事は今後古びるどころか増々その輝きを増して行き、現代に溢れるハンパな「ゲイジュツ」などよりも余程「芸術的」で価値のある物になると思います。
古い物で70年以上も前の物なのに感心する程綺麗に保存された原画を見て、つくづく「ああ、我々は彼らと基本的に同じ事をやっているんだなあ(もちろんレベルの差は置いておいて)」と改めて思ったり、私も彼らと同じように、歴史の一部になって時代も違う異国の人にさえも感嘆してもらえるような仕事が出来たら本当に幸せなことだなあ、と思ったりします。そうなれるようこれからも一生懸命原画を描きたいとつくづく思います。
2冊目の本に関してはまたの機会に。
「ジャニカの基本はボランティア」などと前代表がおっしゃっていますが、そんなことを言われては困ります。後に続く者がいなくなってしまいます。
実際我々は3年間ほとんどボランティアでやってきました。が、それは単に現在のジャニカの会費を主とする収入では我々の報酬が出せないからであって、それが「基本」だからではありません。(事務、経理の方には少ないですが幾らかお支払いしています)もちろん私がジャニカに関わっているのは、報酬が欲しいからではありませんし、他の皆さんも同様だろうと思います。
ですが、無報酬でやるはあまりに負担が大きい方もいて、会費増収はこれから後に続く方々にとっても切実な課題です。
現在有料正会員はたった90名にも満たない状況です。是非有料正会員になってジャニカを支えて下さい。
3年前私がジャニカに参加し始めた頃の状況はと言えば、組織を立ち上げたものの、アニメーターの経済的環境の改善に具体的な方策を打ち出せないでいました。そこへ同時期に参加するようになった桶田さん達が具体的かつ現実的な方向性を示してくれました。アニメーターが実際どのくらいの経済環境にあるのか、そのデータを我々自身が把握出来ていませんでした。そこで大規模なアンケートを行う事を提案され、基礎データを収集してそれを解析することにより「アニメーター労働白書2009」の形にまとめる事が出来ました。そのデータは今後行政などに訴えて行く際大変説得力を持つものになるでしょう。これなどはほんの一例にすぎません。色々な局面で桶田さん達が、提案され尽力する事により、この3年間ジャニカはゆっくりですが実績を積んできました。そうした結果が今回の文化庁事業の受託にも繋がっている事は確かな事だと思います。
そのことを一部の人らが「外部の人間がジャニカを牛耳っている」「我々は利用された」「彼らは我々を裏切った」などと批判することに心から幻滅します。その被害者意識,偏狭な物の見方はいったいどこから来るのでしょう。
怒りを通り越し同情すら覚えます。
この事業受託で一つの目的が達成されたかのように言う人がいたり、こんな単年度の事業で業界に幾らか良い予算をばらまいても環境が改善されたことにはならないと言う人がいます。どちらも的外れで近視眼的な意見です。
この文化庁事業受託は何らかの目的を達成した事を意味するのではなく、ジャニカが対外的に発言力を増して行く為の一過程に過ぎません。むしろこれからが正念場なのです。組織力を上げ、発言力を強めて、やっと設立の目的であるアニメーターの労働環境改善の交渉が出来るようになるのではないでしょうか。新人が自活出来るくらいの収入を得られるようにする事、勤勉に働いているアニメーターが生活に困らない事、長年功績の有ったベテラン、大ベテランが大事にされる業界になること。いずれも簡単な事ではありません。このまま何もしないでいては改善されないのは間違いない事でしょう。内輪もめなどしている場合ではないのです。
実際我々は3年間ほとんどボランティアでやってきました。が、それは単に現在のジャニカの会費を主とする収入では我々の報酬が出せないからであって、それが「基本」だからではありません。(事務、経理の方には少ないですが幾らかお支払いしています)もちろん私がジャニカに関わっているのは、報酬が欲しいからではありませんし、他の皆さんも同様だろうと思います。
ですが、無報酬でやるはあまりに負担が大きい方もいて、会費増収はこれから後に続く方々にとっても切実な課題です。
現在有料正会員はたった90名にも満たない状況です。是非有料正会員になってジャニカを支えて下さい。
3年前私がジャニカに参加し始めた頃の状況はと言えば、組織を立ち上げたものの、アニメーターの経済的環境の改善に具体的な方策を打ち出せないでいました。そこへ同時期に参加するようになった桶田さん達が具体的かつ現実的な方向性を示してくれました。アニメーターが実際どのくらいの経済環境にあるのか、そのデータを我々自身が把握出来ていませんでした。そこで大規模なアンケートを行う事を提案され、基礎データを収集してそれを解析することにより「アニメーター労働白書2009」の形にまとめる事が出来ました。そのデータは今後行政などに訴えて行く際大変説得力を持つものになるでしょう。これなどはほんの一例にすぎません。色々な局面で桶田さん達が、提案され尽力する事により、この3年間ジャニカはゆっくりですが実績を積んできました。そうした結果が今回の文化庁事業の受託にも繋がっている事は確かな事だと思います。
そのことを一部の人らが「外部の人間がジャニカを牛耳っている」「我々は利用された」「彼らは我々を裏切った」などと批判することに心から幻滅します。その被害者意識,偏狭な物の見方はいったいどこから来るのでしょう。
怒りを通り越し同情すら覚えます。
この事業受託で一つの目的が達成されたかのように言う人がいたり、こんな単年度の事業で業界に幾らか良い予算をばらまいても環境が改善されたことにはならないと言う人がいます。どちらも的外れで近視眼的な意見です。
この文化庁事業受託は何らかの目的を達成した事を意味するのではなく、ジャニカが対外的に発言力を増して行く為の一過程に過ぎません。むしろこれからが正念場なのです。組織力を上げ、発言力を強めて、やっと設立の目的であるアニメーターの労働環境改善の交渉が出来るようになるのではないでしょうか。新人が自活出来るくらいの収入を得られるようにする事、勤勉に働いているアニメーターが生活に困らない事、長年功績の有ったベテラン、大ベテランが大事にされる業界になること。いずれも簡単な事ではありません。このまま何もしないでいては改善されないのは間違いない事でしょう。内輪もめなどしている場合ではないのです。
神村元理事がS社から企画を出していたのは本当か、という人が居ますが、
そもそも「神村理事がS社から出した企画」という言い方に誤認があります。
企画はあくまで会社が出すものであり、個人が出すものではありませんし、その企画のキャラクターデザイン、作画監督は別の方だと聞いています。ただその企画の監督がご主人である事はどうやら事実のようです(なおこの企画は結局取り下げられました)
これをインサイダーで不正だと芦田氏らは主張しているようです。確かに私も個人的には事業のリーダーの身内が監督するというような企画を会社が応募する事には賛成出来ません。もし自分が経営者であれば出さないし、監督であってもやはり要らぬ詮索を受けるので出さないで欲しいと思うでしょう。
ただ企画の選考は文化庁立ち会いのもと、利害の無い第三者で構成する選定委員会により行われるので公正なものだと信じています。これに関しても芦田氏らは「その委員を選んだのも神村さんで、彼らによりその企画が選ばれる予定だった」などと馬鹿げた主張をしているようです。まさかそれってこういう事なのでしょうか、、、
「例の事業の選定委員に君を選んだわよ。A社の企画よろしくね、意味は判るわね?」
「承知いたしました 私にお任せ下さい。」
、、、などと言うような事が有るはずが無いのはフツーのヒトなら解る事です。ほとんどの人がフリーランスのこの業界では、このような上司部下のような関係は有りません。ましてや今回の委員の方々はテレビ局などのプロデューサー、制作会社(もちろん企画を応募していない会社の)社長、監督、作画監督クラスの業界でも立派な地位の方々です。神村さんとの関係がそのようなものであるはずが有りません。彼らの主張は選ばれた委員、立ち会った文化庁の方々に対する侮辱以外の何ものでもありません。
「それならば金銭の授受があるのだろう」等ともし主張されるのであれば、その証拠を示してからにしていただきたい。
芦田さんは委任状の効力で無理矢理解任されたんですか?
これも良く聞かれますが、事実ではありません。芦田氏は総会において解任されたのではなく、同日総会前の理事会において自ら辞任する事を理事の多数決により迫られたのです。そしてそれを了解されたのです。ジャニカのサイトにある「議事録」にも有るように、4案あった対応案が最終的に
1.芦田代表理事、神村理事に辞任勧告。但し、神村会員は引き続き執行役として文化庁事業の任に当たる。
2.神村理事に辞任を勧告し、文化庁事業に関する執行役の任を解く。
の2案になりました。
私は当時理事ではなく、いち運営委員としてその場にいました。大きく波風を立てずに事態を収拾するには前者の案しか無いと思いました。後者は芦田さんが主張していた案で、全く現実的でありません。そもそも、神村さんをこの事業から外した後の対応策が(事態が収拾した後、次の日にはすぐ事業を再開せねばならないにもかかわらず)全く用意されておらず(私が問い正したところ、この時点においてもなお即答出来ない状態でした)もしこの案が採択されれば(この案に賛成する方がいた事に驚きました)この事業は頓挫していたと思います。この時点での頓挫はジャニカだけでなく、文化庁、応募された制作会社の方々に多大な迷惑、損害を与える事になったでしょう。
頓挫する事だけはなんとしても避けねばならない事でした。
なお、私は運営委員でしたので議決には参加していません。
そもそも「神村理事がS社から出した企画」という言い方に誤認があります。
企画はあくまで会社が出すものであり、個人が出すものではありませんし、その企画のキャラクターデザイン、作画監督は別の方だと聞いています。ただその企画の監督がご主人である事はどうやら事実のようです(なおこの企画は結局取り下げられました)
これをインサイダーで不正だと芦田氏らは主張しているようです。確かに私も個人的には事業のリーダーの身内が監督するというような企画を会社が応募する事には賛成出来ません。もし自分が経営者であれば出さないし、監督であってもやはり要らぬ詮索を受けるので出さないで欲しいと思うでしょう。
ただ企画の選考は文化庁立ち会いのもと、利害の無い第三者で構成する選定委員会により行われるので公正なものだと信じています。これに関しても芦田氏らは「その委員を選んだのも神村さんで、彼らによりその企画が選ばれる予定だった」などと馬鹿げた主張をしているようです。まさかそれってこういう事なのでしょうか、、、
「例の事業の選定委員に君を選んだわよ。A社の企画よろしくね、意味は判るわね?」
「承知いたしました 私にお任せ下さい。」
、、、などと言うような事が有るはずが無いのはフツーのヒトなら解る事です。ほとんどの人がフリーランスのこの業界では、このような上司部下のような関係は有りません。ましてや今回の委員の方々はテレビ局などのプロデューサー、制作会社(もちろん企画を応募していない会社の)社長、監督、作画監督クラスの業界でも立派な地位の方々です。神村さんとの関係がそのようなものであるはずが有りません。彼らの主張は選ばれた委員、立ち会った文化庁の方々に対する侮辱以外の何ものでもありません。
「それならば金銭の授受があるのだろう」等ともし主張されるのであれば、その証拠を示してからにしていただきたい。
芦田さんは委任状の効力で無理矢理解任されたんですか?
これも良く聞かれますが、事実ではありません。芦田氏は総会において解任されたのではなく、同日総会前の理事会において自ら辞任する事を理事の多数決により迫られたのです。そしてそれを了解されたのです。ジャニカのサイトにある「議事録」にも有るように、4案あった対応案が最終的に
1.芦田代表理事、神村理事に辞任勧告。但し、神村会員は引き続き執行役として文化庁事業の任に当たる。
2.神村理事に辞任を勧告し、文化庁事業に関する執行役の任を解く。
の2案になりました。
私は当時理事ではなく、いち運営委員としてその場にいました。大きく波風を立てずに事態を収拾するには前者の案しか無いと思いました。後者は芦田さんが主張していた案で、全く現実的でありません。そもそも、神村さんをこの事業から外した後の対応策が(事態が収拾した後、次の日にはすぐ事業を再開せねばならないにもかかわらず)全く用意されておらず(私が問い正したところ、この時点においてもなお即答出来ない状態でした)もしこの案が採択されれば(この案に賛成する方がいた事に驚きました)この事業は頓挫していたと思います。この時点での頓挫はジャニカだけでなく、文化庁、応募された制作会社の方々に多大な迷惑、損害を与える事になったでしょう。
頓挫する事だけはなんとしても避けねばならない事でした。
なお、私は運営委員でしたので議決には参加していません。
さて、今回の文化庁事業受託の経緯に関して様々な噂がとびかっており、多くの方が真相を知りたいと思っているのではないでしょうか。
私が当事者として見た事、感じた事を良く聞かれる質問に答える形で具体的に書きます。
芦田さんが主張する事業費の内部分配は何故出来ないのかという疑問に関して
この事業は思いがけず(おそらく企画書を書いた神村さん桶田さんにとっても)ジャニカの企画が採択されました。
その時点において主要な人事は、文化庁の公募の締め切りが短期な事もあり了解を速やかに取り付けやすい神村さんの人脈で概ね決まっていました。その事、及び企画の内容に芦田氏は非常に強い不満を訴え、ジャニカ内部の人間にももっと仕事を割り振り、報酬を分配出来ないかと提案しました。
細かい人事は事業進行中でも実際変更されていますし、芦田さんたちにもそのような形で細かい仕事を割り当てる事は可能だったはずです(実際打診もされています)が、彼らの望んでいる事はそのような「仕事」ではなく、この事業の内容に関われるような「大きな」役職を望んでいる事がそれまでの発言から私には明らかに思えました。芦田氏は「グランドプロデューサー的なことをやりたい」「奥田、宇田川をこの事業に入れる事を強く希望する」と発言。宇田川氏は理事会にも滅多に出席しない方で、奥田氏というのは「若手が育ってどうなるの? ベテランの生活が逼迫しているんだよ!」などと発言される方です。
しかし、この事業は公共事業であり、採択後に企画の内容を変えたり、計上された予算には無い配分や支出は許されないもので、もし変更するのであれば書面にして再度申請する必要があると聞いています。神村さん達が考えた企画の内容で選ばれたのであり、採択後に内容を大きく変更する事など常識的に無理である事は普通は解る事です。が、芦田氏はその事に納得せず、事業進行後も異議を唱えていました。
既にかなり事業が進行したあの時点で、そのように「大きく」人事を変更する事が困難なのは明白です。
また芦田さんは文化庁に「白紙撤回」を申し入れたのか「人事変更の可能性」を伺いに行っただけなのか、本当の所どうなのかという事もよく聞かれます。
彼らは2度、文化庁に行きました。(1度目は5月26日、2度目は5月31日。各社作品の応募が終了し、6月1日は当初選定の予定日でした)おそらく1度目は言われている通り人事変更の可能性を聞きに行ったのだと思います。2度目は何らかの書面を渡そうとしたと聞いています。(受け取りは拒否されたそうです)どちらも理事会の決議を経ていないものです。ほんとうの所その書面に何が書かれていたのか、私は同行していないので判りません。なのでその前後に有った事から類推するしかありません。
実は2度目の文化庁訪問の前日に私は奥田運営委員(奥田氏は1度目の訪問時芦田氏に同行)に「芦田氏から伝言あります」と呼び出され、お会いしました。その時、「この事業を降りるぞ」と奥田さんがおっしゃっていました。どう思うかと聞かれたので、反対の意を伝え「そんな事をしたら大変なことになりますよ」と言ったところ、「判った。それでは君の名前は書かないでおくよ」と言われました。(その時はその「書面」を見せられませんでした)この事からその書面にはこの事業から降りるという趣旨の事が書かれていたのだと私は思います。
しかし文化庁訪問当日の芦田さんらの本意がどうだったかはこの際問題ではないのです。本当の問題は芦田さんらのこの一連の行為により事業が中断してしまった事(文化庁訪問以前に本来接触してはいけない事業の選定委員に接触し、おそらく圧力をかけた結果、数名の辞退者が出た事も影響して)、そして総会当日の理事会においての芦田さんの主張がこの事業のリーダーである神村さんを事業から外せというものだった事、外した後のプランがその時点で何ら無かった事から、芦田さんの主張を受け入れればそのまま事業が頓挫してしまうのが明白だった事です。
私が当事者として見た事、感じた事を良く聞かれる質問に答える形で具体的に書きます。
芦田さんが主張する事業費の内部分配は何故出来ないのかという疑問に関して
この事業は思いがけず(おそらく企画書を書いた神村さん桶田さんにとっても)ジャニカの企画が採択されました。
その時点において主要な人事は、文化庁の公募の締め切りが短期な事もあり了解を速やかに取り付けやすい神村さんの人脈で概ね決まっていました。その事、及び企画の内容に芦田氏は非常に強い不満を訴え、ジャニカ内部の人間にももっと仕事を割り振り、報酬を分配出来ないかと提案しました。
細かい人事は事業進行中でも実際変更されていますし、芦田さんたちにもそのような形で細かい仕事を割り当てる事は可能だったはずです(実際打診もされています)が、彼らの望んでいる事はそのような「仕事」ではなく、この事業の内容に関われるような「大きな」役職を望んでいる事がそれまでの発言から私には明らかに思えました。芦田氏は「グランドプロデューサー的なことをやりたい」「奥田、宇田川をこの事業に入れる事を強く希望する」と発言。宇田川氏は理事会にも滅多に出席しない方で、奥田氏というのは「若手が育ってどうなるの? ベテランの生活が逼迫しているんだよ!」などと発言される方です。
しかし、この事業は公共事業であり、採択後に企画の内容を変えたり、計上された予算には無い配分や支出は許されないもので、もし変更するのであれば書面にして再度申請する必要があると聞いています。神村さん達が考えた企画の内容で選ばれたのであり、採択後に内容を大きく変更する事など常識的に無理である事は普通は解る事です。が、芦田氏はその事に納得せず、事業進行後も異議を唱えていました。
既にかなり事業が進行したあの時点で、そのように「大きく」人事を変更する事が困難なのは明白です。
また芦田さんは文化庁に「白紙撤回」を申し入れたのか「人事変更の可能性」を伺いに行っただけなのか、本当の所どうなのかという事もよく聞かれます。
彼らは2度、文化庁に行きました。(1度目は5月26日、2度目は5月31日。各社作品の応募が終了し、6月1日は当初選定の予定日でした)おそらく1度目は言われている通り人事変更の可能性を聞きに行ったのだと思います。2度目は何らかの書面を渡そうとしたと聞いています。(受け取りは拒否されたそうです)どちらも理事会の決議を経ていないものです。ほんとうの所その書面に何が書かれていたのか、私は同行していないので判りません。なのでその前後に有った事から類推するしかありません。
実は2度目の文化庁訪問の前日に私は奥田運営委員(奥田氏は1度目の訪問時芦田氏に同行)に「芦田氏から伝言あります」と呼び出され、お会いしました。その時、「この事業を降りるぞ」と奥田さんがおっしゃっていました。どう思うかと聞かれたので、反対の意を伝え「そんな事をしたら大変なことになりますよ」と言ったところ、「判った。それでは君の名前は書かないでおくよ」と言われました。(その時はその「書面」を見せられませんでした)この事からその書面にはこの事業から降りるという趣旨の事が書かれていたのだと私は思います。
しかし文化庁訪問当日の芦田さんらの本意がどうだったかはこの際問題ではないのです。本当の問題は芦田さんらのこの一連の行為により事業が中断してしまった事(文化庁訪問以前に本来接触してはいけない事業の選定委員に接触し、おそらく圧力をかけた結果、数名の辞退者が出た事も影響して)、そして総会当日の理事会においての芦田さんの主張がこの事業のリーダーである神村さんを事業から外せというものだった事、外した後のプランがその時点で何ら無かった事から、芦田さんの主張を受け入れればそのまま事業が頓挫してしまうのが明白だった事です。
初めまして井上俊之です。
せっかくの機会をいただき、本当ならアニメの作画話でも書きたい所ですが、
そうも言ってられない状況になっております。
そう言う訳で昨年11月頃より再燃しているジャニカにまつわる混乱について色々
書きたいと思います。なにぶん文章を書くのは子どもの頃から特大の苦手にしており、
読みにくい文になるかと思いますがなんとかお付き合い下さい。
まず,昨年11月アニドウなみき氏より突然メールが来ました。(なみき氏とは面識は無くメアドを教えた覚えもありません)ジャニカ運営にまつわる疑惑に関して公開を前提にしたインタビューしたいとの内容で、あくまで中立の立場での真相究明が目的のようだと感じましたので、お会いして色々私の見解をお話ししました.ところがその後、彼とジャニカ代表とのメールのやり取りの中で「理屈はさておき、中立でなく芦田さんを支えることに全力をつくします。」と表明されました。「中立でない」方とそれ以上話し合う程私は暇ではありませんし、お人好しでもありません。なのでその後はなみき氏からのコンタクトは無視しております。
次にアニドウサイト上に上がった理事3名による「声明文」に関して
これには心底失望させられました。3年間共に活動して来た仲間から何の前触れも無く(もちろん意見の相違から色々やり合う事は有ったにせよ)突然あのような声明を出されるとは全く思いもかけない事でした。
何よりばかげているのはその内容です。あれではまるで桶田氏が皆の反対にもかかわらず監事に就任し、その後退任の要請を無視しその座に居座り続けているとでも言うのでしょうか?そのような話はジャニカ理事会、運営委員会でこれまでただの一度も出た事はありません。そんな事は当人達が一番良く知っている事です。それとも自分が監事と認めていない人間に色々監事としての仕事をお願いしていたのでしょうか? 全くナンセンスです。
なお「声明文」の中の2段落目の文章,
「我々も含む現執行部/理事全員は、なみき氏に協力して資料を提供し事実を究明することが今後のアニメーション界の発展のために必要だと確信しています。」
は明らかな間違いです。少なくとも私はその声明文に同意しませんし、事前に聞いてもいません。訂正を要請しましたが、なぜか拒絶されました。再三の要請で今はなんとか訂正されたようです。なお3人のうち一人は前回総会直後の理事会で辞任を申し出ている人で、その後の理事会には出席していません。
法律的な事に関しては別途法律家からコメントが出る事と思います。
せっかくの機会をいただき、本当ならアニメの作画話でも書きたい所ですが、
そうも言ってられない状況になっております。
そう言う訳で昨年11月頃より再燃しているジャニカにまつわる混乱について色々
書きたいと思います。なにぶん文章を書くのは子どもの頃から特大の苦手にしており、
読みにくい文になるかと思いますがなんとかお付き合い下さい。
まず,昨年11月アニドウなみき氏より突然メールが来ました。(なみき氏とは面識は無くメアドを教えた覚えもありません)ジャニカ運営にまつわる疑惑に関して公開を前提にしたインタビューしたいとの内容で、あくまで中立の立場での真相究明が目的のようだと感じましたので、お会いして色々私の見解をお話ししました.ところがその後、彼とジャニカ代表とのメールのやり取りの中で「理屈はさておき、中立でなく芦田さんを支えることに全力をつくします。」と表明されました。「中立でない」方とそれ以上話し合う程私は暇ではありませんし、お人好しでもありません。なのでその後はなみき氏からのコンタクトは無視しております。
次にアニドウサイト上に上がった理事3名による「声明文」に関して
これには心底失望させられました。3年間共に活動して来た仲間から何の前触れも無く(もちろん意見の相違から色々やり合う事は有ったにせよ)突然あのような声明を出されるとは全く思いもかけない事でした。
何よりばかげているのはその内容です。あれではまるで桶田氏が皆の反対にもかかわらず監事に就任し、その後退任の要請を無視しその座に居座り続けているとでも言うのでしょうか?そのような話はジャニカ理事会、運営委員会でこれまでただの一度も出た事はありません。そんな事は当人達が一番良く知っている事です。それとも自分が監事と認めていない人間に色々監事としての仕事をお願いしていたのでしょうか? 全くナンセンスです。
なお「声明文」の中の2段落目の文章,
「我々も含む現執行部/理事全員は、なみき氏に協力して資料を提供し事実を究明することが今後のアニメーション界の発展のために必要だと確信しています。」
は明らかな間違いです。少なくとも私はその声明文に同意しませんし、事前に聞いてもいません。訂正を要請しましたが、なぜか拒絶されました。再三の要請で今はなんとか訂正されたようです。なお3人のうち一人は前回総会直後の理事会で辞任を申し出ている人で、その後の理事会には出席していません。
法律的な事に関しては別途法律家からコメントが出る事と思います。