*注:本記事はあくまでも主観的な持論であり、一般常識と相容れない可能性があります。
子供のころからの確信めいた持論がある。
それは
グループ、組織、集団になると人はどんな悪いことでもできる
というもの。しかも当人たちはまったくの無自覚。
それは小学校低学年のときに痛感。
それは小学校低学年のときに痛感。
一人一人は悪い子ではないのに、数人集まるととたんに集団で悪さをするのだ。
それはいじめであったり、いたずらであったり、ともかく悪質なものが多かった。
小学校2年のときのエピソードがある。
先生受けが良いMという男子生徒がいた。
Mは恐ろしく狡猾な悪知恵をもっていた。
彼はどうすれば他の子供を思い通りに操れるか生まれながらに知っていた。
自分は手をくださず、子分たちに陰湿ないじめやいたずらを指示していたのだ。
Mはあらゆる場面でリーダーシップを発揮した。
それは勉強、運動、遊び、いじめ、いたずらなどあらゆる面に及んだ。
彼は勉強もできて、スポーツも得意、先生の受けもよかった。
男子生徒は一目置き、女子生徒からは(それなりに)人気があった。
Mの周囲には「子分」がいつもぞろぞろとついて歩いていた。
そんなMに対し、自分は距離を置いていた。
運動だけはMよりまさっていたので、Mから一目おかれていたのだ。
ある日、Mは言った。
「おまえ、俺の子分になれ。俺が主人だ」
当然、「やだ」と言った。
「じゃあ、なにになりたいんだ、いってみろ」
少し考えて、こう答えた。
「子分でも主人でもないのがいい」
するとMは切れた。
「おまえは頭がおかしい、どっちかに決めろ!」
周囲の子分たちも「そうだ、そうだ」と言った。
いっしゅん、自分の頭が本当におかしいのかと思った。
ちょうどそのとき、先生が入ってきてことなきを得た。
その後もMの陰湿ないじめは続いた。
「M君がこんないじめをする」
と先生や親に訴えると、
「あのM君がそんなことするわけないでしょ、友だちの悪口を言うのはやめなさい」
と逆に叱られた。
ただし、クラスの一部の女の子たちはそんなMの素行の悪さを知っていた。
そこで対抗措置として、そうした女の子たちを味方につけた。
女子のほうが男子よりもはるかに賢い(=大人になっても同じ)
そんな持論もその当時の体験から得たもの。
これが小学校低学年のときの話。
そんなMは某大学の准教授になった。
ところが、女子学生に対するセクハラ&パワハラが明るみに出て社会的地位を失った。
ニュースでは「温厚で生徒に親身な先生でした」などというコメントがあった。
三つ子の魂百まで。
なぜ多くの人は表面的な演技にだまされるのだろう。
なぜ多くの善良な人たちは少数の悪質な人に操られるのだろう。
いろいろな疑問がわいた。
個人的には、団体、グループ、組織、集団というものを基本的に信用しない。
人は一人で生まれ、一人で死んでいく。
「みんなの力を結集して○○しよう!」
などというのは単なる扇動活動にしかみえない。
そうした子供の頃の感覚を裏付ける多くのデータがある。
人口密度があるレベルを超えると、犯罪率、精神疾患などが急激に増加するのだ。
また1人に対し3人が別々に同じことを言えば、人は簡単に暗示にかかる。
(会社にて)
「おはよ、あなた、今日は顔色悪いわね」
「え?そんなことないですよ」
(1時間後)
「君、今日、顔色悪いね」
「はい、ちょっと夏バテかもしれません」
(2時間後)
「だいじょうぶ?具合悪そうだけど」
「ええ、今日は朝からずっと具合わるくて…」
こんな風にあっという間に暗示にかかり、立派な「病人」が誕生する。
自分に言わせれば、義務教育や一般常識も、カルト宗教と本質的に同じ。
人は断じて集団動物ではない(=持論)。
本来は適度な距離感が必要で、単独行動を好む大型哺乳類なのだ(=確信)。
サッカー、野球、ラグビー、アメフトなどの集団競技は「狂気」を助長するもの。
誰に教わったわけでもない。
ただ本能的にそう感じるだけ。
幼少時より、そんな感覚をもっていた。
PTAはナチスの洗脳特許をアメリカが買い取り、占領下の日本に適用したもの。
現代の日本の学校教育は、このPTAシステムが基本となっている。
PTAはきわめて巧妙な集団洗脳システム。
これはナチスドイツと共同研究をしていた日本人科学者の孫から直接聞いた話。
ネットで調べてもこうした事実は絶対に出てこない。
一方、トレードは100%自己責任。
本質的には完全な個人プレー。
そういう面が特に気にいっている。
よく
人は一人では生きられない
という。
自分に言わせれば、これもまた詭弁。
人は一人でも生きていける(持論)。
事実、大型の雑食哺乳類の多くは、群れを作らずにつがいや単独行動をしている。
その気になれば「集団(数)の論理」など容易に論破できる。
だがそんな不毛な議論に興味はない。
大事なのは日々の生活、身近な人々、周囲の自然や動植物たち。
トレードをやる目的は
一人で生きていくため
といっても過言ではない。
一人で生きていく覚悟さえ決めれば人生はとても心地よいものとなる。
当ブログは10代の長男への親からのささやかなプレゼント。
「お金」などという矮小な縛りから脱却するための道すじを示すもの。
当ブログを通して、次世代の子供たちにも次のメッセージを伝えたい。
15万円を1億円にする=本気で取り組めばだれでも可能(持論)
多くの人にとって、お金という縛りがなければ
グループ、組織、集団に縛られず、本当の意味での自由な精神を謳歌できる
と考えている。
トレードにより、自分自身も「お金」という縛りからほぼ解放された。
それもトレードをやる目的の1つだった。
以上の数々の持論には、異論、反論も多々あるだろう。
もちろん、そうしたことは百も承知。
ただし自分の持論を人に押し付けようとしたことは一度もない。
どう感じようと、どう考えようと自由。
人は人、自分は自分。
今日はそんなことをつらつらと考えていた。

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