一世を風靡した芸能人たちが今驚きの姿に激変
今夜の金スマは気になる男たちスペシャル
ゲストは サンドウィッチマン
こちらは 収録前の楽屋の様子
これから こんな企画が行われようとしていた
だから そのパターンに近いんじゃないかと思うんですよ
そこで 担当ディレクターが打ち合わせが終わったのに
打ち合わせに向かうディレクターは瀧澤ディレクターです
寝て起きたら ものすごい痛くて(富澤)覚えてないの?
ちょっと あの あっ ごめんなさいご挨拶遅れて 今回
ありがとうございますまあ 座りこんな感じになってまして
普通なら
あの… 実は 仙台住んでたりして(富澤伊達)えっ?
ライス中ね 大は「中で十分です」って書いてあるやつ
ちょっと… ありますね 写真ちょっと待ってください
スタッフの場つなぎトークを
全て ツッコんで拾ってくれる伊達
すると ここで
会話中
瀧澤いやいやちょっと想像ができなくて3回っていうのが
ちょっと今 正直 ちょっとつないでるつもりなんですよ
一向に始まらない収録
打ち合わせが終わって20分がたった状況で
2人はどうする
何か 僕がいないと まだ? とかどこ行くの? とかっていうタイプだったんですけど
瀧澤ちょっと離れたけどまあ でもオシャレな街だなと思って
瀧澤似合わないってよく言われるんですけどメチャメチャ行くんですよ
サンドウィッチマン
それではスタジオで見ていたことをネタばらし
先ほどの 変なディレクターのモニタリングを
スタジオでネタばらし
サンドウィッチマンのお二人ですよろしくお願いします
はい お座りくださいどうぞ よろしくお願いいたします
果たして ホントに仲がいい人なのかっていうテーマを掲げて
最初だからじゃあ サンドウィッチマンのお二人の楽屋
言わないです 言わないですそんな だってさんまさんの方が
ホントに思ってないですやめてください ホントに しのぶさん
今夜は
気のあう青年2人が
互いを思いやりながら
これは 夢をつかむまでの
男2人の物語
まずは伊達みきおさん 9月5日宮城県仙台市に生まれます
今から11年前
2人が ブレイク直後に放送された「からくりTV」で
お母さんが伊達の出産について語っていた
サンドウィッチマンの 金髪の方の伊達みきおの母です
サンドウィッチマンのポスターが壁中にたくさん貼られたこちらが
スタッフがお邪魔した仙台にある 伊達の実家
インタビューは恥ずかしいがアンケートならばと
書いてくださっているのが父政亮さん 76歳
万が一
を書く様子からも
銀行員だったお父さんの
真面目そうな性格がうかがえます
すると
なりつつ
息子の記事をスクラップし
など 今では応援しているお父さんだが
将来は どんな職業に就いてほしいと考えていましたか?
やんないじゃないですかそうすると ぶん殴られるっていう
家も帰る方向が一緒だったんですぐ仲良くはなりましたね
さて 100年の伝統のあるそのラグビー部ですけども
実は出会いの場となったこの
部には
という謎のルールがあったという
中でも鍛えられたという人物が
ラグビー部の1年先輩
芸だしで 2人はどんなことをやったのか
♪~牛丼一筋 3…
そして
伊達は友達を遊びに誘った
すると
相手は伊達と仲が良かったという
現在は仙台でイタリアンレストランを経営
伊達は地元に帰るたびよく訪れているという
実は
だったのだが
学校に行くとこんな悪行が
高校時代
伊達に二度と女性絡みで嘘はつくまいと誓ったという
続いては富澤の卒業写真といえば
ラグビー部なのになぜかバットを持つ この写真
各番組でいじられまくっているが
実は この撮影の裏で
ある人物が被害に
なあ 明日の卒アルの撮影ちょっと面白いのにしようぜ
そう言われたのが
富澤と高3の時同じクラスだった
そして 翌日
その実際の写真が こちら
首にポンチョをかけ顔は泡だらけ
富澤と並ぶと卒業写真とは思えない出来栄え
シャンプーはダメだよ責任取んないんだったら 一生残って
写真撮る人ってさ 注意したりするじゃない 「バットやめて」とか
お二人はどうだった もうその頃から仲良かったんですね
やっぱ 出会った人間の中で一番 面白かったですからね
このあと 友情の物語
やっぱ 何かどっかで芸能人になりたいとか何かしらになりたいって…
就職しちゃうと チャンスが来た時にできないんじゃないかなと思って
なった2人
祖父は東大出
曽祖父は裁判官などなど
そんな環境もあり
車椅子など
今日さ おばあちゃんに紹介したいいい商品があるんだけどさ
こわもてな外見とは裏腹に
当時のことをテレビや雑誌でスゴ腕の営業マンと紹介されたり
自身もネット記事のインタビューで
仙台の一番大きな地区を任されるなど
なかなか優秀だったというが
当時を知る同僚に話を聞いてみると
一方 その頃 富澤は
対象は素人で受かったらプロの芸人と
同じ舞台に立てるというオーディションを見つけた
その時 ピン芸人では自信がなかった富澤が
迷うことなく誘おうと決めたのが
伊達だった
高校時代 文化祭で同級生と漫才を披露するなど
お笑いが大好きだった伊達 しかし
そのコンビの活動ぶりは
お笑い芸人と 会社員の営業マン
別々の道を歩む2人が
なぜコンビを組むことになったのか
やめたいと言ったのは相方だった
安定を求めるのは当然だと
特に反対しなかったという富澤
むしろ これで決心したという
現在も伊達への思いを
素直に語る富澤
実は
やがて「考えさせてくれ」という
曖昧な返事になっていったという伊達
しかし
お客さんとの触れ合いなど
介護用品の営業マンとして充実していた伊達
お笑いは好きだったが
親族が裁判官や銀行員をしていた
堅い家に生まれたこともあり
だが
そんな
長く入院生活をしていた祖父が死去
東大卒で元銀行の副理事長
真面目で怖い時もあったが
伊達を小さい頃からかわいがってくれた人だった
23 24歳の頃か ちょっと遅いといえば遅いかもしんないですね
人生なんて あっけないな
好きなことは 急いでやらないと
やらずに後悔するんじゃもったいない
そして富澤に会いに行った伊達は
3年越しの誘いにこう返事をしたという
こうして
仙台にはお笑い用の劇場もなかったため
すぐに上京を決意する
そして 伊達はその決意を父に告げることに
だが父は わざわざチェックをしてNHKの番組しか見ないほど
お笑いとは縁遠い真面目で堅い人
当時の心境を父政亮さんが
アンケートで答えてくれた
さらに こう言ったという
伊達くんが今 この環境の中でも一緒にやろうって言ってくれた
まあ でも3年もあれば大丈夫なんじゃないのっていう
上京にあたり 伊達は5年 勤めた会社を辞めることに
すると
社長は芸人になるという伊達を
快く送り出してくれたというが
という
当時の社長である
佐藤隆雄さんも
自身の言葉を覚えていた
現在の2人に通じる言葉を胸に
仙台で初舞台を踏んだ伊達と富澤 だが
という
当時を知るサンドウィッチマンの兄貴分
仙台ローカルタレント
によると
そのステージは ワッキーさんの
愛ある厳しさから用意されたものだったとか
仙台の駅ビルにあるイベントスペースで
ワッキーさんが企画 プロデュースしたお笑いライブに
2人を出演させたのだが
21年前 コンビ名ゆやゆよんを名乗って登場
初舞台とは思えぬほど堂々としていた 伊達
こうして 2人は
上京していくのであった
ちょうど日本代表が初めてワールドカップ出れるっていうので
それで 「外されたわけ」っていうネタを作ってたんです
ラグビー部の仲間に見送られ
大きな夢を抱えて 一路東京を目指したのは21年前
24歳の時
お笑い芸人を志すにはちょっと遅い年齢だが
先のことは誰にも分からなかった
間取り1DKのアパートで
伊達の父と約束した期限
3年ならば構わないだろうと
男2人の同居生活をスタート
と言っても1人ずつの部屋は つくれないため
大きなラジカセを境界線として置いていたため
という
実際の部屋の写真が残っていた
とにかく ものが山積みで
散らかっている
寝室も ご覧のありさま
ここで2人は売れるまでの10年を過ごした
並んで寝ながらネタ合わせをしていたという
いつもではないが
富澤の服も一緒に洗濯していたという 伊達
そして
それが
富澤が伊達に書かせたという
やりたいこと
そしてレポート用紙につづられた
7つの約束とは
なんか やりたいこと書けっつってで それ 7つ出てきたんで
もう考えられない 夢のようなことばっかり書いてるわけです
そう それは書いた当時の彼らにとって
あまりにリアリティーがない目標だが
この紙が茶色く変色しても残っていた
その理由は
毎日 目に入るよう
富澤が トイレの壁に10年間 貼り続けていたため
これは
だが
だが
試行錯誤の末 うまくいかず
結局 1年ほどで元どおりに
そして
そんな当時をしのばせる
驚きのエピソードがあった
富澤さんのほうの芸歴には やはり前回もコンビ組んでたということで
それから 「お笑い勝ち抜きバトル」決勝進出などなど
これまでのキャリアとして「クラスのおもしろい人」と
ずっとアルバイトですね しばらくアルバイトですね 30歳ぐらいまでは
色んなバイトしましたね 僕結構 特殊なバイト多くて
でも 2階建ての普通のおうちで1階に僕ずっと こう 居間でね
リビングにあるんです だからずっと こうやって こう7時間見る
ありがとうございましたっつって8000円もらうんですよ
すげえ打てるヤツだって噂になってるわけじゃないんだね
ないです ないです ただやってたっていうだけ 中学まで
解散なんだろうなっていうのはお互い何となくあるわけですよ
そして2004年 お父様との約束の3年間が超えました
一度だけ襲った
サンドウィッチマン解散の危機とは?
父には 3年だけ時間をくれと言って
仙台から出てきたが
芽が出ないまま 6年以上が経過
生活のため それぞれが
アルバイトに励むばかりの東京暮らし
実は伊達には 芸人になる前の19歳から恋人がおり
仙台と東京で遠距離恋愛をしていた
30歳が近づいてきた頃
結婚を望むようになったという彼女
だが 芸人としての年収は
わずか数万円
こんな状況では結婚できないと
別れたという
著書には当時の様子が書かれていた
一方 富澤は
しかし 伊達の言葉は
統計不正問題への対応が不誠実だなどとして今朝根本厚生労働大臣
予算委員会で、自民公明の賛成多数で可決された予算案は、
しても
なかなかブレイクしなかったサンドウィッチマン
伊達くんは ほら お父さんに3年間のリミットをもらってたわけじゃん
いつまでやる気なんだっていう話は ええ 言われてましたね
ホントに お笑いやってんのか?って言われましたから
いくら だから東京でライブ出ても伝わんないですよね 地方に
おかずはなかったけどな 紅ショウガとかで ずっとご飯食べてたりとか
おなかは満ちても
芸人としての心はいつも すきっ腹
それでも 心が折れなかったのは
苦しくてもお互いが支えになっていた 2人
そんな苦しい当時を最も よく知るのが
サンドウィッチマンの現在のマネージャー
というのも 実は彼
同時期に活動していた元芸人仲間
当時 よく同じ劇場の舞台に立っていたという
売れない芸人同士だったが
今も忘れられないほど感心したことがあったという
それはサンドウィッチマンと同じく
小さな劇場に出ていた芸人が
先にブレイクしていった時のこと
ブレイク後も時折 劇場で出会う
売れっ子になった芸人に対して
林さんたちは ついそう思ってしまったというのだが
売れなくても決して腐らず
たとえ後輩でも 売れた芸人をたたえていたという2人
そんな仲間たちを見送る一方
よく地方の営業などに出かけていた
時にふるさとの仙台に行くことも
そんな当時感激した出来事があったと
伊達が勤めていた会社の社長さんが話してくれた
仙台にイベントで来た伊達の楽屋を訪ねた時のこと
この時 富澤と佐藤社長は初対面
すると
しかし
仙台から連れてきた伊達のためにも
どうにか売れたいが
その手だても 手応えもない
ほとんどのネタを作っていた富澤だったが
やがて書けなくなっていったという
そんな 2004年の ある日
ついに富澤は こう切り出した
2004年の ある日ついに富澤は
これが サンドウィッチマン唯一の解散の危機
すると 伊達は
まだ ちょっと そんなに本気でやってないんじゃないのと
30までに じゃあテレビでネタできなかったら やめようと
著書には この時のことが
こう つづられている
売れないから やめるとかそんなん理由になってねえから
東京に そして芸人の道に
強引に誘われた方のはずの伊達が
2人の解散を止めたのだった
あと1年で テレビに出られるほど売れなければ やめる
そう決めた 2人は
出ても赤字のライブでも片っ端から出演し
知名度アップを狙い
するとようやくスタッフの目に留まる
念願の初の地上波テレビ
人気番組 「エンタの神様」に出演
だんだんとライブにも人が集まるように
そして 2007年
あの歓喜の時が訪れる
漫才日本一を決める「M-1グランプリ」で
史上初敗者復活戦から決勝に進出すると
得票数の発表で
サンドウィッチマン サンドウィッチマン最後 紳助さん サンドウィッチマンだ
何と 優勝
その時 富澤は
思わず 伊達を抱きしめていた
これが
2人の友情が
ついに夢をつかんだ瞬間だった
その後上京して すぐの1998年に立てた
あの7つの約束も
上京して すぐ1998年に立てた
あの 7つの約束はどうなったのか?
♪~ウマーベラス ウマーベラス
♪~どれだけ食べてもゼロカロリー
♪~ウマーベラス ウマーベラス
昨年8月にリリースしたこの曲など
草野球や 激安の中古車に始まり
Vシネマ出演ナレーションまで全て
伊達が書いた 夢のような目標は
2013年 食べ物のCMの出演により
15年をかけて全て実現したのだった
こうしてM-1優勝によって
芸人として ようやく全国区になった
その4年後…
芸人としての進退を賭けた決断を迫られる出来事が
それは…
あれから
ずっと伝えていかないとその方々に申し訳ないと思うので
東日本大震災への強い思い
なぜ そう思うようになったのか
あの日 彼らは気仙沼にいた
サンドウィッチマンは宮城県気仙沼で
レギュラー番組のロケ中だった
そして
これは2人が被災した瞬間の映像
あぜんと周囲を見渡す2人の姿があった
この時 2人はまだ油断していたという
「ちょっと行きましょうよ海の方向に」っつったらスタッフさんが
「いやいや ちょっとこれの揺れは」したら 僕らがちょうどいた所に
スタッフに促され近くの山に避難
しかし このあと
気仙沼が波にのまれる様子を
2人は目の当たりにすることになった
その後 炎に包まれた気仙沼市は
現実とは思えない光景だった
発生5日後には「東北魂義援金」の立ち上げ
この迅速な行動の陰には
芸人としての進退を賭けた決断があった
生放送の仕事のため
10時間以上かけて東京に戻った
停電で真っ暗の被災地にいた2人から見れば
節電中にせよ 街は明るかった
さらに驚いたのが…
「カラオケ行きませんか?」ってカラオケ屋さんから声かけられたんですよ
ライフラインが復旧しない被災地との温度差に
衝撃を受けたという
被災地に目を向けてもらうために
これは何か働きかけないといけない
だが ある覚悟が必要だった
そういう色がつくのは嫌だなっていう話は 実はそういう話はしてた
俺らと同じ場所にいたような人たちも亡くなってるわけですよ
生かされた人間として何かできることを全部やろうという
ブログに決意を示し義援金を募ったのだ
そして被災地の声で実現した
現地でのライブとは?
義援金を立ち上げるなど精力的に
被災地支援をするサンドウィッチマン
だが
悩みは続く
という問いに明確な答えはない
悩みに悩んだという
そして 2人が出した結論が
この放送
富澤CD買いに来たんですけど曲の出だしは分かるんですけどタイトルが分からないんですよね
歌っていただければ 僕それで分かったら捜しに行きますよ
はい オールナイトニッポンどうも サンドウィッチマンでございます
富澤大丈夫じゃないですかねさっ 1曲目いきましょう
笑わせてナンボの芸人だと
ショートコントからスタートした
現状を伝えたいと被災地へ
そこで目にしたのは想像以上に変わり果てた街だった
無力感に さいなまれる彼らに
こんな声をかけてくれた人がいた
被災地でライブをやることが2人の目標になった
そして…
岩手県大船渡から誘いを受けて
チャリティーライブを行ったのは
震災から1年4カ月後のことだった
笑い声に2人はホッとしたという
大船渡って言いましょうかごめんなさい 立っててもしんどい
ああヤバイ 昨日 借金返済の日やったな 返すの忘れてたな
2人を知る人たちが…
7年間の善意の累計が 大変な金額になっているということです
ホントに皆さん 中居さん含め色んな方から協力いただきまして
このあと サンドウィッチマンがスペイン公演へ!
好きな芸人ランキングNo.1
サンドウィッチマンは海外でも笑いをとれるのか?
実は2年前 ロンドンで初めて海外公演を行ったサンドウィッチマン
スペインは その第二弾
しかも2つの街で行われる
その1カ所目がスペイン南部の港町
コリアデルリオ
江戸時代から日本とゆかりがあり
市役所には日本の国旗が掲げられている
日本の文化にも興味を持つ人が多いのだとか
だが
さらに
そんな街で
初のスペイン公演
リハーサルは緊張感がみなぎっていると思いきや…
全然 ピリついてはいなかった
さらに…
サンドウィッチマンの2人は終始 和やかムード
そんな中スペイン公演成功のため
2人が入念にチェックしていたのが…
舞台上の巨大スクリーン
2人のしゃべりのスペイン語字幕を表示するのだ
うまくいくか? いかないか?
全ての鍵を この字幕が握る
実際にネタをやって理解できるのか?
スペイン人スタッフに見てもらった
すると通訳を介して早速 指摘が
字幕が読めるようテンポを落とすことに
さらに 文化の違いにも一苦労
日本では鉄板のあのネタだが…
他にも こんなことが
日本ではウケるところが「別にそれ普通ですけど」みたいな
やってみないと これはダメなんだっていうのが分からないので
間もなく本番
この街でサンドウィッチマンを知る人は いないはず
にもかかわらず次々に客がやってくる
本当に日本の文化に興味を持っている人が多いようだ
会場は ほぼ満席
話を聞きつけた日本人が首都マドリードなどからやってきて
1割ほど埋めたが
会場の9割がスペイン人で埋め尽くされた
いよいよ開演
サンドウィッチマンは果たして
スペイン人を笑わせることができるのか?
字幕で スペインの方は感じ取っていただきたいなと思います
すごく我々にとってもチャレンジなことをやりたいと思います
伊達さんにファンレターが来たのでね読んでみたいと思います
「We are」だと「私たちは伊達ちゃん」になるから
「今日は私の地元スペインまで来てくれて ありがとう」
「私は最近 面白集団サンドウィッチマンさんを知りました」
サンドウィッチさんマンになってるからサンドウィッチマンさん
「この前 テレビを見て思ったんですが伊達ちゃんって」
ずいぶん ちっちゃいテレビだなカーナビよりちっちゃいよ
「こんな時間に言うのも何ですが私はお二人のネタがとても好きです」
「最近笑ったのは年配の人に対しておい このクソジジイ クソババア」
「そして 恥ずかしながら私は伊達ちゃんのファンです」
何で 恥ずかしいんだよ おかしいファンレターでしょ? これ
「たくさんいるお笑い芸人の中で伊達が一番好きです」
ああ ちょっと太ってる人が好きなのかな ボーンって
「伊達ちゃんの趣味はおいしいものを食べることですね」
「私のことを もっと知りたいのなら返事を書けばいいと思います」
「指先の感覚がなくなってきたのでこのへんで終わります」
だから何時なんだよ さっきから1回ぐらい時間書け 時間を
手応えを感じた2人は 最後に…
普通のテンポで 1本だけ漫才やらしてもらっていいでしょうか
本来の2人を見せたいと普通のスピードで
字幕なしの漫才を
しかしね 世の中 興奮することいっぱいありますけれども
少年野球か うるせえなヘイがヘイ1回でいいんだ バカ野郎
声を上げているのは日本人
だが スペイン人も笑顔
やがて 笑顔が増えていき…
コップなかったのか お前!ビショビショじゃねえか ここ
現地の人たちに面白かったかきいてみると…
彼らのことを知らずに来たんですが 面白い人たちですね