提督の日々(凍結)   作:sognathus
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酒を貰う手前加賀との約束を守るのは筋である。
だが鳳翔の件で懲りた提督は、それを悪戯として実行するのはやめる事にした。


第26話 「もう一人」

「はぁ? 俺にさん付けぇ?」

 

「ああ」

 

「な、何だよ急に」

 

「いや、何となくだ。お前をそんな風に呼んだ事はないだろ?」

 

「まぁそうだけどよ……」

 

「あまり気にしないでくれ。俺もふと思いついて訊いてみただけだ」

 

「ふーん……なんか大佐にしては珍しいな」

 

「……そうか?」

 

「うん」

 

「……」

 

女の感は鋭い。

提督はこの時心底そう思っていた。

天龍はそんな提督の思いを感じ取ったかのように今は目の前に来て不思議そうなに彼の顔を見ていた。

提督の膝に肘を着いてその上に顔を乗せ、純真な瞳で見つめてくる。

彼女の頭に犬の耳があったらピコピコと動いていたのではないだろうか。

そんな愛らしささえ感じるしぐさを天龍は自然とした動作でしていた。

 

「それで……どうだ?」

 

提督は奇妙な沈黙の空間に耐えかねて天龍に感想を訊いた。

天龍はそれに対してまだ釈然としていないと言った様子だったが、肘の上に乗せた顔を横に倒すと少し拗ねたような顔で答えた。

 

「んー……泣いた、かな」

 

「え?」

 

「泣いた」

 

「お前が、か?」

 

「ああ」

 

「やっぱ……あ、いや。その、他人行儀に聞こえるから?」

 

「だな。泣くのは大袈裟と思うかもしれないけどよ、俺たち結構付き合い長い方じゃん?」

 

「ああ」

 

「で、俺の大佐に対する気持ちもまんざらでもないわけだし」

 

「ん? あ? ああ……?」

 

「あ? なんだよ?」

 

「いや、何でもない続けてくれ」

 

天龍が素直になったのはもう随分と前からだが、それでも急に自分に対する好意は堅いと率直に言われば多少は動揺するものである。

提督は顔を赤くしながらもはっきりとそう言い切る天龍にどこか眩しさを感じながら先を促した。

 

「んでよ、そんな良いかなって思ってる男に急に他人行儀みたいにされたら結構ショックだと思うぜ?」

 

「ふむ……」

 

「俺なんて今でこそまぁ……丸く? なったけどよ。それでも根本は変わってないからそういう風に急にされると自分が何か大佐に昔みたいに迷惑を掛けちまったじゃねーかって思うわけよ」

 

「……」(鳳翔と同じだな。俺はこいつらとの付き合いを軽く見ていた……)

 

「俺はこれでも今は結構気を張っていろいろ気を付けているつもりだぜ? そういう中でほら、そう言われるとさ?」

 

「……」

 

提督はそう言って恥ずかしそうにほほ笑む天龍を見ながら、自分が鳳翔のときにしたように不意打ちで悪戯をした時の天龍の反応を想像した。

彼の脳裏には子供のように目に涙をいっぱい滲ませた天龍の顔がまざまざと浮かんだ。

その光景に罪悪感から眉間にしわを寄せていた提督に天龍がふと言った。

 

「なぁ大佐」

 

「ん?」

 

「言うなよ?」

 

「ああ、勿論だ」

 

「へへっ、ならいいんだよ♪」

 

「……」

 

嬉しそうに無邪気な笑顔を浮かべる天龍の頭を提督は自然と撫でていた。

 

 

 

その夜。

 

「おや、大佐、どうかしたのかの?」

 

夜、執務室でスタンドの電気も点けずに考え事をしていた提督を目ざとく初春が見つけて声を掛けてきた。

提督はその声に反応して目を開け、物思いから覚めた。

 

「初春」

 

「何か考え事かえ?」

 

「ああ、ちょっと時間を、な」

 

「時間?」

 

初春は普段以上に大人しい提督が気になり、入室の許可を得ずに部屋に入ってきた。

提督もそれを咎めはしなかった。

今はそれを気にする時ではなかったし、彼女との付き合いは叢雲とほぼ同じくらい長いのだ。

言葉を交わさずとも今がそういうときくらい彼を見れば解ったし、その場の雰囲気だけでも十分だった。

 

「それで、時間、と言ったかの?」

 

「ああ」

 

「どういう事かえ? 聞かせて欲しい」

 

「俺はお前たちと過ごしてきた時間を軽く見ていた」

 

「ふむ?」

 

「気が付けばもう何年も経っているし、その間に着任当初と大分印象が変わった奴もいるだろう?」

 

「大佐の人徳じゃな」

 

「……」

 

「本心じゃぞ? 妾の大佐に対する評価は信頼の一言じゃ」

 

「……天龍」

 

「ん?」

 

「あいつも大分変ったよな」

 

「天龍と何かあったのかえ?」

 

「ああ、今日な――」

 

 

「……なるほどぉ」

 

提督から話を聞き終えた初春は感慨深げに腕を組んでうんうんと頷いた。

 

「あの天龍が俺の事で泣くと自分から言うなんてな」

 

「まぁ、大佐より関わる事が多い妾たちだから解る事じゃが、彼女は元々裏表がない性格じゃからの。無意識に張っていた意地がなければ案外そういうものなのかもしれん」

 

「……」

 

「別に彼女を弱くしたわけではないと思うぞ? 恐らく天龍が弱い姿を見せるのは大佐の前だけじゃ」

 

「俺の前では、か。向けられる信頼に身が引き締まる思いだ」

 

「大佐ぁ、お主もしかして“弱くした”のは天龍だけとは思ってはいないじゃろうな?」

 

意地悪そうに笑みを浮かべた初春の言葉に提督はピクリと反応した。

全くないとは思っていなかった。

しかし自分でそう思う事はある意味自惚れているような気がして考えないようにはしていた。

だが初春の顔を見るに、どうやら自分の予想は当たっていたようであった。

 

「先にも言ったが皆大佐の前では弱くなっただけじゃ。寧ろ戦いにおいては以前より勇ましくなった者もおる。故に大佐、主が与えた影響は決して悪というわけではないぞえ。安心するがよい」

 

「……だったらいいんだがな」

 

「ほれ」

 

煙草を咥えた提督に初春が火を差し出した。

提督はその火種を有難く貰った。

 

「ふぅ……」

 

「久しぶりじゃないかえ? 吸うの」

 

「今ままであまり吸ってなかったからな」

 

「落ち着くかえ?」

 

「ああ、初春ありがとう」

 

「なに、このくらい」

 

「……」

 

暗がりの中で提督は最古参の部下を見つめる。

初春も同じく意味ありげにその視線を受け止め見つめ返す。

初春は自然と提督に寄り添い、その胸に体を預けながら静かに言った。

 

「悩んでいるときはゆっくり休むに限る」

 

「初春……」

 

「休みながら疲れを、悩みを癒し……ついでに可愛がってたもれ」

 

提督に身を任せて抱きつきながら初春はそう、頬を染めて言った。




悪戯の話で天龍の事をすっかり忘れていました。
一応これで3話にわたって続いた加賀さん発端の悪戯の話を終結とします。



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