提督の日々(凍結) 作:sognathus
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実はあの話、あの後も少しだけ続きがありました。
『他の人にもさん付けをしてみては?』
加賀はあの話の締めに面白半分にそんな事を提案してきた。
最初提督は配下の艦娘全員にそれを試す時間はないと断った。
加賀もそれは解っていたので予め試す対象を二人にしてはどうかと言った。
その対象とは鳳翔と天龍だった。
予め話をしてある者ならともかく、提督は軽い言葉遊びとは言えその対象を人とする事に抵抗を持っていた。
だが、対象を絞ったことも去ることながら何より加賀が何故この二人に絞ったのか提督は興味を覚えた。
そして何故かと訊くと加賀はこう答えた。
『前者は私と同じ理由です。何となく敬称が自然と似合ってる雰囲気があるから』
根拠はなかったが何故かこれには提督も同感できた。
確かに彼女から感じる雰囲気は包容力のある母親に近いものがあるような気がした。
故にさんを付けても違和感はない気がした。
提督は納得した様子で続けてでは何故天龍を選んだのかと訊いた。
すると加賀は今度は目を細めて明らかに悪戯を楽しむような意地の悪い笑みを浮かべて答えたのだった。
『特に縁がなさそうな子だからです。面白そうでしょう?』
提督は流石にこれには閉口した。
言っている事は解らないでもないが、それにしてもその対象に天龍を選ぶのは何となく彼女に気の毒な気がした。
故に提督は反対に加賀にこう提案してみた。
それなら別に駆逐艦とかでもよいのではないか、と。
しかし加賀はそれの提案をにべもなく却下した。
その理由は――
『それはあまりにもベタ過ぎます。寧ろ実行すると面白がって乗り気になるかもしれませんし』
提督はその後も羽黒、名取、比叡など何となく思いつく限りの娘の名を挙げてみたが何れも加賀は面白くないと却下した。
それは彼が無意識にリスクが低そうな者を選んでいるのを彼女が察した結果だった。
最終的にこの話は加賀の提案を提督が飲む形で終わった。
最後まで悪戯に乗り気でなかった提督だったが、彼女が話に乗った場合の礼として彼が思わず椅子から腰を上げそうになる程の銘酒の名を挙げたのが決まりとなった。
こうして物欲に釣られた結果、という提督にしてはやや情けない事になってしまったが、彼の中では『まぁ敬称を付けて呼ぶ程度だ』と、悪戯に対する気持ちは割と軽かった。
そして、早速その日、最初の悪戯の対象である鳳翔が提督の執務室にやって来た。
提督は週に一回基地の厨房を預かっている彼女から献立の確認を受けていたのだった。
それがちょうどこの日だったのである。
「大佐、いらっしゃいますか? 鳳翔です」
ノックの音に気付いた提督は普段と変わらない声で彼女の入室を許可した。
「ああ、入れ」
「失礼します。来週の献立をお持ちしました。ご確認をお願いします」
「ん……」
提督は鳳翔から献立のリストを受け取って目を通した。
載っている食事は相変わらず和洋折衷バラエティ豊かで、それでいて不思議とバランスも取れているように思えた。
言うなれば学校の給食で常に“ハズレ”がない感じだった。
提督は目を通し終えると頷いてリストを彼女に返した。
「うん、俺からは特に何もない。しかしいつも良くこんなに考えるものだな」
「ふふ、お褒めに預かり光栄です♪」
鳳翔が用意する食事は流石に365日全て全部異なるという事はなかったが、それでもある程度メニューが重複しても見た目は同じでも微妙に味付けが変わってたりと常に食べる者の事を考え飽きさせない工夫をしていた。
提督はそれを心から褒め、鳳翔もそれに対してまんざらでもない様子で礼を言った。
そして、いよいよ悪戯を実行に移すべく提督は軽く咳ばらいをするとこう言った。
「ああ、いつもありがとうな鳳翔“さん”」
「いえ、そん……」
提督から賛辞に続いて感謝の言葉を受けて、嬉しそうに再び礼を返そうとしたところで鳳翔の動きがピタリと止まった。
「え?」
「うん?」
提督は感じた。
具体的には説明できないが空気が凍ったのを。
しかしまさかその原因が先程の自分の発言だとは夢にも思っていなかった。
そして鳳翔はというと、いつの間にか表情を固くしており、その顔のまま提督におずおずと訊いてきた。
「あの、大佐? 今なんと仰いました?」
「ん?」
「いえ、今……」
「ああ、献立の話か?」
「はい、ええ……。その時、私の事をなんと……?」
「ん? 鳳翔だろ?」
「いえ、その後に何か……」
「……鳳翔“さん”か?」
バンッ
提督から再び敬称を付けて呼ばれた時、鳳翔がいつになく真剣な表情で勢いよく彼の机を両手で叩いて迫って来た。
意表を突かれた提督は初めて見る彼女の様子に内心動揺し、勢いに圧されて思わず少し椅子ごと後ろに下がった。
「ほう……しょう……?」
「大佐」
「ああ」
「私、何かしました?」
「は?」
「ですから、何か、です」
「何か、とは一体何の事だ?」
提督は本当に彼女が言っている意味が解らず質問を質問で返すしかなかった。
だが当の鳳翔は提督の言葉にかなり不満を持ったらしく、一瞬俯いたかと思うと再び上げた顔には涙まで浮かんでいた。
提督は流石にそれを見て自分がかなり不味いことをしたのだと自覚した。
だがそれが何が原因なのかこの時点では未だに合点がいかず、内心に起こっていた混乱は続くばかりだった。
「鳳翔、その悪い。俺は何かしたか?」
「……しました」
もう机から離れて顔を隠すように背中を向けていた鳳翔はボソリと呟いた。
「その、言い訳にしか聞こえないだろうが俺はお前に対して全く不満は持っていない。その気持ちは本当だ」
「……」
「だがそれでも今の会話の中でお前の気分を悪くするような事を言ったのだったとしたらどうか教えてくれ。心から謝る」
真摯な態度で深く頭を垂れる提督に鳳翔は少しだけ顔を向けてまだ涙が滲んでいる目で小さな声で話し始めた。
「ならどうしてさっき私の事をさん付けで呼んだんですか?」
「は?」
「さん付けです」
「……それが不満だった、と?」
「ええ」
「……悪い、本当に悪いが教えてくれ。それがその、そんな顔をするほど嫌だったか?」
「とっても」
にべもない感じで鳳翔は即答した。
彼女はもう泣き止んでいたが今度は目に見えて判るくらい怒っており、頬が少し膨らんでいた。
提督はまだ鳳翔が不機嫌になった理由が完全に理解できていなかったのでそれを確かめる為に申し訳なさそうな態度で訊いた。
「敬称が……他人行儀に聞こえた……?」
「はい!」
どうやら大正解だったらしい。
鳳翔はようやく提督の方を向いて正面に立って言った。
「そうか……それは悪かったな。申し訳ない」
「私、大佐の不興を買うような事してしまいましたか?」
「いや、何も」
「じゃぁどうしてこんなことしたんですか?」
「そ、そんなに嫌だったのか?」
「ええ、そうです! 私、普段からさん付けで呼ばれる事多いので慣れてますし、それが嫌ではありませんが、逆にそれは付けないで呼ぶ人は凄く少ないという事なんですよ?」
提督はそこでようやく彼女が怒った理由を納得したといった顔で心から理解した。
「ああ……つまり、それに凄く親しみを感じていた?」
「そうです。それに大佐から呼ばれると……その、親しみにもほら……やっぱり男女の違いってあるじゃないですか……?」
「……」
「私、顔には出してませんでしたけど、呼び捨てで呼ばれる度に嬉しくて心が温かくなっていたんですよ?」
「なるほど。そうか、理解した。本当にすまなかった」
「また前と同じように呼んでくれます?」
「ああ、勿論だ」
「ならいいです」
鳳翔はやっとそこでニコリと笑った。
提督もその顔を見てようやく安心できた。
それでもう問題は解決したという風に最初の会話の続きを始める様に、鳳翔が机を叩いた時に戻っていた献立のリストを彼女に返そうとした。
鳳翔も笑顔でそれを受け取り、そのままリストを胸に抱くのかと思いきや、何故か手に取ったまま、笑顔のままそれ以上動作を続けなかった。
提督は不審に思いながらもまた自分が何かをやらかしたのかと不安も抱きながら、彼女の機嫌を窺うように慎重に声を掛けた。
「鳳翔?」
「それで……」
「うん?」
「大佐にこんな悪戯を入れ知恵した悪い子は誰ですか?」
「……っ」
提督は背筋がぞくりとした。
笑っているが笑っていない、まさかそんな顔をした鳳翔がここまで凄味を感じさせるとは思いもしなかった。
鳳翔は、動揺して言葉を出せないでいる提督に今度は横からしなだれかかる様に密着しながら再度訊いてきた。
「加賀……ですか?」
「……!」
「ふふ、正解みたいですね。……ふぅ、それにしても仕方のない子ですね。少し……お灸を据えなければいけないかしら……?」
鳳翔は怒っていた。
それも今のこの怒りは、先程まで提督に向けていたものとは次元が違った。
まさか彼女が誰かを呼び捨てにしただけでここまで怖いとは、提督はそれを改めて認識した。
そして何故こちらかは何も答えなかったのに犯人を一発で特定できたのか、鳳翔の勘の鋭さに底冷えする物を感じながら言った。
「待て、加賀一人が悪いわけではない。俺もあいつから酒を貰う条件で話に乗ったんだ。だからここは話を持って来た加賀も悪いが実行した俺が責任を持つ事で」
「……」
「どうだろう?」
「そういうわけにも参りません♪」
そう言ってニコリと微笑む鳳翔に提督は再びゾッとした。
もう加賀の命運を祈るしかない、彼が沈黙で彼女の“出撃”を許可した時だった。
扉に向っていた鳳翔がこちらを振り返りこう言ってきた。
「でもその頂いたお酒を今日私と飲んで頂けるのでしたら、少しは加賀に据えるお灸の加減を考えてもいいですよ?」
提督は即答した。
「了解した。今日は全力で仕事を終わらせて時間を空けておく。だからその、頼むな?」
「はい♪ 了解致しました。それでは失礼致しました」
そう言って雰囲気だけはいつものほのぼのしたものを漂わせながら鳳翔は静かに退室したのだった。
(加賀、無事でな……)
静寂が訪れた執務室の中で提督は加賀の無事を祈った。
するとちょうどその時に机の上の内線が鳴った。
提督は何故かその電話に嫌な予感を感じた。
「なんだ?」
『大佐っ、助けて!』
受話器の向こうから聞こえてきたのは案の定加賀の声だった。
滅多にする事はないような悲鳴じみた声をしていた。
大佐が何か言って励まそうとした時だった、彼女の後ろから鳳翔の声が聞こえた。
『加賀ちゃん駄目よ? 自分に非がある罰を受ける時は潔く、ね?」
バシンッ
『~~~っ!!』
そして電話は切れた。
何かはたくような音が聞こえたが、受話器の直ぐ近くで鳴った感じではなかったので恐らく顔ではないだろう。
ということは……。
「尻か……」
提督はそう一人呟き、加賀が鳳翔に膝に乗せられて尻を叩かれる光景を想像して再び彼女の無事を祈るのだった。
怒らせると一番怖いのは実は鳳翔なのでは?
と、俺は常々思っています。
他にも怖いのはいるでしょうが、普段とのギャップがあった方が怖いという設定は鉄板なので、と言うとメタですがw