ロシア史雑話7

ヒゲのロシア人


 だんだんテーマがバラけてきたような気もしますが、もともと雑話なんだから気にしない。というわけで、ヒゲの話です。

 19世紀くらいまではある国についての風刺画を描くとき、必ずと言っていいほどカリカチュアライズされた、ステレオタイプ的な人物画をその国民全体の象徴として登場させていました。例えば日本人なら目のつり上がった背の低いサムライ、ドイツ人なら厳めしく軍服を着込んだ将校(例:ブロッケンマン)、中国人なら弁髪にどじょうヒゲ(例:ラーメンマン)という具合です。
 もちろんロシアも例外ではありません。毛皮の服と帽子にあご一面のヒゲを生やした大男 ─ これが当時の風刺画に出てくるロシア人の一般的なスタイルと考えていいでしょう。単刀直入に熊の姿で描かれる場合も多かったのですが。

 しかしながらヒゲのロシア人というイメージがまったくの偏見であったとは言えません。残された写真を見ると、当時の、とりわけ下層のロシア人のほとんどはそれこそ顔一面にヒゲを生やしています。一方で西欧かぶれしていた上流階級の人々はきちんとヒゲを整えるか、あるいは剃ってしまっていることが多く、すぐに見分けがつきます(もっともその前に着ている衣装とかでわかってしまうけど)。

 一般のロシア人はどうしてそんなにヒゲを好んだのか。寒かったから?それもあるかもしれませんが、重要なのは宗教的な理由であります。
 現在においてもロシアの聖職者は顔一面にヒゲを蓄えています。時代がかった重々しい衣装(法衣)にマッチしてなかなかありがたい感じがしますが、もちろん視覚的な効果を狙ってヒゲを伸ばしているわけではありません。
 ロシア正教においてヒゲは神が与え給うたものとされ、男性の象徴とも言うべき扱いを受けていました。従ってヒゲを剃り落とすことは神の創造になる自然からの逸脱であり、一種の罪でもありました。中世ロシアにおいては聖職者のみならず、およそ男性として生まれた者は全て豊かなヒゲを蓄えていたのです。

 この状況が劇的に変化したのはピョートル大帝の時代です。西欧をモデルとした近代化政策をとったピョートルにとって、教会を含めた社会の大部分が古臭い伝統の中に浸っていることはどうにも我慢のならないことでした。「まず形から」というわけか、ピョートルは皇帝の近くに仕える貴族どものヒゲをまず剃り落とし、また社会に対しては「ヒゲに税金をかける」という暴挙に出たのでした。
 よく笑い話のように語られるピョートルの「ヒゲ税」はこのような背景を持っていたのです。しかし農民を中心とした一般民衆の間では、無理をしてでも税金を払ってヒゲを生やす者が少なくありませんでした。またヒゲを剃り落とした者もそれを密かに保管し、自分が死ぬ時に棺桶の中に入れるよう遺言した例が多かったようです。「ヒゲがないと天国に入れない」というわけですが、ヒゲに対する執着もここまでくると立派なものです。

 ところで民俗学的な見地によれば、ヒゲ崇拝とでもいうべき現象は実は太古の昔から多くの民族の中に見られるものでした。というのもヒゲや毛髪は植物の生育を連想させ、生命力や豊穣と結びつけられたからです(フレイザー卿『金枝篇』参照)。とりわけ農業社会にとってこうした要素は重要な問題でした。加えて男性の特徴であるヒゲは、力や勇気など「男らしさ」のシンボルとして扱われることもまれではありませんでした。
 要するに、現代人にとってはファッションの一部に過ぎないヒゲは、古代人にとっては重要な意味を持つものだったのです。キエフ・ルーシの年代記には敵を辱めるためにそのヒゲや頭髪を剃る話が出てきますが、こういう事例はおそらく他の民族にも見られるものと思われます。

 ロシアであれほど遅くまでヒゲに対する愛着が保たれたのも、ロシアが古い農業社会的な要素を色濃く持った伝統的な国であったから、と言えるかもしれません。

(99.01.30)



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