ロシア史雑話6

クレムリ?クレムリン?


「どうしてクレムリンの壁はあんなに高く作ってあるのですか?」

「そりゃ、悪党どもがあの壁を乗り越えられないようにするためですよ」

「なるほど。で、その悪党どもってのは壁のどちら側にいるんですか?」

 意味のない前フリで恐縮だが、これは旧ソ連のアネクドートの一つである。ことほど左様に「クレムリン」はソ連の指導部を指すタームとして広く通用している。それではこの言葉の本来の意味は、というのが今回のお題である。

 もともとロシア語に「クレムリン」という言葉はない。あるのは「クレムリ」(кремль)である。これは別に「ソヴィエト政府」を示す単語ではなく、それどころか固有名詞ですらない。砦、城、要塞…これが「クレムリ」の元来の意味であった。
 古代・中世のロシアでは、都市は堅固な城壁で囲まれているのが常であった。従って都市そのものが一個の城塞であったとも言えるのだが、多くの場合さらに都市の支配者(公や代官など)が住む館がその中心部分に存在していた。当然ながらそうした館は高い壁で護られ、いわば城の中の城と呼べるものであった。この「城の中の城」が「クレムリ」の正体である。
 当然のことながらモスクワのクレムリには歴代のモスクワ大公が住み、ここから大公国を統治していた。そして大公が「ツァーリ」(皇帝)を名乗ったことにより、モスクワ・クレムリも全ロシアの支配者の居城となったのである。

 有名なピョートル大帝が大改革(近代化・西欧化)を開始したとき、モスクワはその首都機能をペテルブルクに移された。従ってモスクワ・クレムリも帝国の中心ではなくなったのであるが、1918年のロシア革命の後、新生ロシア(ソ連)の首都は再び古都モスクワに移され、そしてクレムリに政府がおかれたのである。「全ロシアの中心」としては二度目のおつとめということになる。
 これ以後モスクワのクレムリはソ連政府の象徴的存在になり、場合によってはソ連政府そのものを示す用語ともなった。今日我々が使っている英語起源の「クレムリン」は、ほとんどの場合「ソ連政府」という固有名詞として用いられているのである。確かにロシア語でも「モスクワ・クレムリ」や「ソ連(ロシア)政府」を指して「クレムリ」ということがあるが、その場合には特別な用法として大文字で始められるのが常である。小文字で始められるのは一般的な、「城塞」としてのクレムリになる。

 以上「クレムリ」と「クレムリン」について概観してきたわけだが、最後に余計な話を一つ。「グレムリン」という映画があるが、あれはクレムリンをもじったもので、ソ連への嫌がらせの意味で怪物の名前を「グレムリン」にした…などと思い込んでいる人は実在するが、これはもちろん正しくない。

 その昔、第一次世界大戦に参加したイギリスのパイロットたちはエンジントラブルにしょっちゅう悩まされていたのだが、彼らはこれを飛行機にとりついた小鬼の仕業だと考えた。この小鬼が「グレムリン」と名付けられたのである。
 もちろん本気で信じていたわけではなく単なる気晴らしだったのだろうが、このささやかな「伝説」は生き残り、第二次大戦でもグレムリンたちはパイロットや整備兵を悩ませていた。そして面白半分に尾鰭がつけ加えられたのであろう、グレムリンについての言い伝えも増殖し、例えば彼らはもともと高いところが好きで、かつては高山の上に住んでいたのが飛行機を見て引っ越したのだ、というような「歴史」まで作られた。
 従って「グレムリン」の由来は兵士達の生活の中から冗談半分に生まれたモンスターであり、ロシアとは関係のないものである。尚、語源そのものは「手の付けられないだだっ子」を意味するフランスの俗語「グリムラン」であるらしい。


 今回は落ちもどうでもいい話ですね。

(98.12.22)



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