ロシア史雑話3

ゲルマンスキーの話


 小林源文氏などの戦争劇画で、よくソ連兵がドイツ兵のことを「ゲルマンスキー」と呼ぶシーンが出てきます。確かに「ゲルマンスキー」という言葉は存在しますが、この用法は間違っていると言わざるを得ません。

 例えばロシア語で「アメリカンスキー」という場合、それは「アメリカ(人)の」という形容詞を意味するのであって、名詞の「アメリカ人」にはなりません。この点、「アメリカン」が両者の意味を持つ英語とは異なっているのです。ちなみにロシア語で「アメリカ人」は「アメリカーニェツ」といいます。それではロシア人はドイツ人を「ゲルマーニェツ」とでも呼ぶのか?というと、そうではありません。「ネーメツ」(немец)…これが、ロシア語でいう「ドイツ人」なのです。確かに「ゲルマーニェツ」という言葉もありますが、これは「古代ゲルマン人」を指して使われています。
 もともと「ネーメツ」とは外国人一般をさす言葉であったようです。その語源は「言葉のわからない人」であり、現代ロシア語で「聾唖者」を意味する「ネモーイ」(немой)という言葉と類縁関係を持っています。つまり、ロシア語のわからない人間を「しゃべれない人」としているわけで、よくある自民族中心的世界観の表れと言えますね。古代ギリシアの「バルバロイ」と似た部分があります。

 それでは、特にドイツ人だけを「ネーメツ」と呼ぶ習慣(?)が残ったのは何故でしょうか。これは、恐らくドイツとロシアとの地理関係に原因があると思われます。
 地図を見るとわかるのですが、ロシアを出て西に向かい、初めて出会う非スラヴ民族がドイツ人です。確かにそのあいだにはポーランド人などが住んでいるのですが、彼らは同じスラヴ系の民族であり、言語を使ってコミュニケーションを行うことは比較的容易でした。スラヴ人は相互に言語的類縁性が高く、現在でも、例えばロシア人がポーランド語を聞いて、何となく意味を理解することが出来るようです。ついでに言うなら、「スラヴ」という名称自体が「言葉」を意味する「スローヴォ」に由来するという説があり、スラヴ各民族の言語関係について1つの示唆を与えてくれます。
 大昔、母国語だけを使って各地を旅していたロシア人が、西の彼方で自分の言葉を全く理解してくれない人々に出会った。そこでロシア人は彼らがまったくしゃべれないのだと思い込んだ…「ネーメツ」という言葉には、こうした素朴な驚きが込められているように思います。

 ロシアにとってのドイツというのは、歴史的に見て様々な顔を持っています。あるときは近代化の手本となる教師、あるときは同盟者、またあるときは恐るべき敵手、という具合です。「ネーメツ」という言葉が生まれた時代には、こうした複雑な関係はまだ生じていませんでした。しかしドイツ人だけを特に「ネーメツ」と呼ぶことは、その後の経過を奇妙に予言しているようでもあります。
 外国人の中でもドイツ人だけは特別だ、ロシア人にとって「外国人」といえばまずドイツ人のことなのだ…こうしたメンタリティが「ネーメツ」の中に隠されている、というのは深読みのしすぎなのでしょうか?

※もっとも、独ソ戦当時のソ連兵はドイツの軍人のことを「ネーメツ」とすら呼ばず、「ファシスト」という言葉で表現していたのが一般的だったようです。また映画「僕の村は戦場だった」では、ドイツ兵を「フリッツ」と呼ぶシーンがあります。いずれにせよ、「ファシスト」と同じく侮蔑的な文脈で使っていたようではありますが。



ロシア史雑話へ戻る

ロシア史のページへ戻る

ホームページへ戻る