朝起きてテレビをつけたら、「ブラック企業」について特集をしていました。
折しも、就職活動が解禁になって、日本維新の党が「最低賃金基準廃止」を掲げたり、ちょうど労働に関しての議論が活発になってる時期のようです。
私も自身の経験から社会の労働環境についての疑問を感じない時がありません。特にid:dennou_kurageさんの脱社畜ブログ(必読!)をいつも拝読して勉強させていただきながら、日々、色々と考えています。
そこにきたせっかくの「労働議論ブーム」、よい機会ですので、ちょっと私の労働観についてもご紹介していきたいなと思います。
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まず、お話は表題のこの言葉から始めます。
過労死するほど仕事があって、自殺するほど仕事が無い
仕事が山のようにあって、延々働かされて過労死してしまう人が居る一方で、仕事が欲しいのに就職がどこにも決まらなくて疲れ果てて自殺してしまう人も居る、そんな世の中の矛盾を表した一文です。
ネット上のどこかで見たのかなと思うのですが、今の労働環境の惨状を上手く指摘していて、初めて見た時には思わず感嘆してしまいました。
さて、ここで「ほんと社会は辛いよね」で終わらせてしまうこともできますけれど、この一文、立ち止まって考えてみましょう。
この一文、要するにこういう話です。
(この社会には)「仕事がある」「仕事が無い」
一見して矛盾しています。
ただ、これは空想のお話ではなくて、どちらも現実に起きていること。そんな矛盾した状態が現実にありえるでしょうか?そんなはずはありませんよね。
本当はこの社会には「仕事がある」のか、「仕事が無い」のか、どちらかのはずなんです。
では、「仕事がある」「仕事が無い」どちらでしょうか?
そして、「仕事がある」「仕事が無い」のどちらかだとして、どうしてこんな不思議な状況になってしまうのでしょうか?
私は、いつものように「どっちなんだろう、おかしいなぁ」とボーッと考えていて気づいたんです。
・・・ええ、実はこの一文には矛盾はありませんでした。「仕事がある」「仕事が無い」は片方だけが正解です。
そして、この正解は、私たちの社会の労働問題を語る上で、すごく大事な前提になってくるものと思うのです。
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この文を解読するにあたって、まず確認しないといけないのは「仕事」とはどういう行為かということです。
私たちは仕事をして給料なりなんなりでお金を受け取りますが、これは「労働力」という商品を売っている、ということにあたります。
例えば、
私の一ヶ月分の「労働力」、価格は20万円です、会社が買ってくれています。
という感じです。
この「労働力」という商品を売っているという考え方が、謎を解くカギになります。
この視点で見れば、就職難は「労働力」を売ろうとしても誰も買ってくれない、という状況と分かります。「労働力」の消費者、つまり企業側からみれば、「労働力」はとりあえず足りてるから要らないよということです。お店の棚に「労働力」が売れ残って悲しく余っているのです。
では、一方の過労死の方はどうでしょうか。過労死する方というのは、言葉のまま、ものすごーーーーく働かされています。すごーーーーーく働くというのは、つまり「労働力」をいっぱい供給しているということです。
じゃあ、「労働力」がいっぱい売れてよかったよかったという話でしょうか?
いいえ、違いますよね。ご存知の通り、ものすごーーーーく働いている人たちは、給料も別に高くはなく、サービス残業、休日出勤だって当たり前で、別に収入は上がっていないのです。
いっぱい「労働力」を供給しているのに代金は上がっていない。
これは、つまり「労働力」の単価が下がっていることに他なりません。
単価が下がるというのはどういう状況か、経済の世界では決まっています。それはその商品が余っている時です。そう、「労働力」が余っているということなんです。
図にしてみました(わー、我ながらすごい突貫工事・・・)。
<就職難>
売れないので ⇩
<安売り>
ということで、お分かりですね。
もう一度、あの一文。
過労死するほど仕事があって、自殺するほど仕事が無い
これは、こう言い換えられます。
買い叩かれて過労死するほど労働力が余っていて、売れなくて自殺するほど労働力が余っている
そう、矛盾なんてしていなかったのです。どちらの部分も「労働力が余っている」状況を指しているだけなのです。すなわち「仕事は無い」んです。
元の文は、大量に買い叩かれている状況――無茶な「労働力」のまとめ買いをされている状況を、「仕事がある」と逆に記載したので、一見矛盾して見えていたのです。
◆
「仕事が無い」つまり「労働力が余っている」状態。
これはアレと同じです。
社会科の時に何となく聞き覚えがあると思いますが、「豊作貧乏」なんです。農作物が良く取れすぎると、単価が安くなったり、そもそも売れなかったりして、貧乏になってしまうという現象です。
豊作なのに何で貧乏になるんだろう――と当時は子どもながらに不思議に思っていましたが、今は何となく分かります。少なくとも、今の社会を見ていれば嫌というほど思い知らされてしまいます。
「労働豊作貧乏」の時代
私たちはそんな時代に生きているのです。
これをみんなが前提として確認しておかないと、労働の議論は成り立たないと思います。
・・・さて、そうなると当然次に起こる疑問はこれらですよね。
何で「労働豊作貧乏」になってしまったの?
「労働豊作貧乏」ってそんなに問題なの?
「労働豊作貧乏」の状況をどうしていったらいいの?
えーと、これらはまた長くなりますので、回を改めて考えていきたいなと思います(まさかの次回予告!?)
参考記事:
「人生の大半を占めるのは仕事だ」という前提に異議を唱える - 脱社畜ブログ
↑考察過程は違いますが、「仕事は無い」という意味で同じ考え方と思います。
P.S.
というわけで、続きます!
でも、気まぐれやさんだから、どうなるかなぁ(/ω\)