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和歌山の人、もの、地域 和 nagomi 受け継がれる紀州のココロ 2016 vol.31

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補陀洛渡海
補陀洛渡海(ふだらくとかい)船
生きながらにして那智の南方にある観音浄土を目指す「補陀洛渡海」。渡海は北風が吹きはじめる旧暦の11月に行われ、屋形に人が入ると、出入り口に板が嵌め込まれ外から釘が打たれた。屋形の四方に4つの鳥居が建てられ死出の四門を表しているとされる。
(補陀洛山寺蔵)
勢子舟二番舟水押
勢子舟が描かれている絵図
向島の大納屋で鯨舟を造る人々と極彩色に彩られている勢子舟が描かれている絵図。水押に描かれているの図案は太地の捕鯨団を表している。
(太地町立くじらの博物館蔵)

勢子舟二番舟水押
水押(ミヨシ)とは船首先端の部材で、継ぎ目の無い一本水押は特に水切りがよく、和船の特徴のひとつである。黒地に描かれている竹と筍は生命力に溢れている。波間に見え隠れする勢子舟の舳先は、見るものの目を惹いたに違いない。また力尽きようとする鯨たちが最後に見る映像のひとつだったかもしれない。
(太地町立くじらの博物館蔵)

浄土の海で龍虎華形、五色爛然な鯨舟の祈り

 補陀洛山寺の近く那智浜から、四方に鳥居を祀った渡海船が熊野灘から浄土へと向かう。振り返れば妙法山。そこは亡者たちがあの世へと向かう霊場であり、熊野灘は現世とは異なった世界へと向かう入り口であった。
 串本町の河内祭、熊野速玉大社の御船祭。共に鮮やかに装飾された舟が祭の重要な役割を担い、かつ古式捕鯨の鯨舟を模しているのは明らか。ではなぜ古式捕鯨の舟、とりわけ勢子舟は、鳳凰や松竹梅、扇など縁起の良い意匠が描かれているのだろうか。
 「捕鯨は熊野灘以外にもありますが、鯨舟をここまで極彩色に彩っているのは、この地方だけのことなんです」と太地町学芸員の櫻井敬人(さくらいはやと)さんが語る。何故?何の為に鮮やかな意匠が施されているのか?役職や権威などを表しているのか?今となってはその理由を語る者はいない。
 「捕鯨における職務や役割を表すだけならここまで複雑な意匠である必要はありません。これはあくまでも私の仮説なのですが、縁起の良い意匠は鯨に対する弔いの気持ちなのではないでしょうか。 熊野の漁師たちは鯨を仕留める時、“南無阿弥陀仏”と唱えたといわれています。“捕鯨”は仏教の教えの中で最も禁忌である“殺生”ともいえます。 それを熊野三山を仰ぎ見る熊野灘という特別な場所で行っていることに、信心深い熊野の人々は、複雑な葛藤を覚えたのかもしれません。

燈明崎と呼ばれる山見台
古くから航海の目印となり、太平洋を一望することができる燈明崎と呼ばれる山見台。沖を泳ぐ鯨を見つけると狼煙を上げ、出漁の合図を出したと言われる。1636年には、当時としては珍しい鯨油を用いた行灯式の燈明台があった。
ではその鯨が最後に見る景色とは何でしょうか?」と想像力を働かせ続ける。 「波間に見え隠れする勢子舟の意匠。そこに描かれた浄土を連想させる風景。それには鯨の成仏を願う気持ちが込められていたのかもしれません」。
 もちろんそれらの意匠は、自分たちの気持ちを鼓舞し、自らの安全を祈願するためでもあったかもしれない。しかしここは、アニミズムが今も息づく神聖な海。大いなるモノを怖れ敬う、神々が宿る熊野の海なのである。

the Heart is continued.
漕ぎ手の番号が書かれた櫂
河内祭(こうちまつり)の御舟(みふね)行事
【串本町】

豊漁や豊作を祈り、古座川流域の5地区それぞれ独自のやり方で祭礼を行うという、他にあまり例をみない形式の祭り。クライマックスは古座地区が出す華麗な装飾を施した3艘の鯨舟(御舟)の水上渡御。御舟は女人禁制が厳しく、舟に触れることも禁じられている。また、3艘による櫂伝馬といわれる早漕ぎ競漕の漕ぎ手は、全て地元の男子中学生が担う。
/河内様(コオッタマ)と呼ばれるご神体の小島まで御舟が遡り、そこが主祭場となる。
/それぞれ漕ぎ手の番号が書かれた櫂。櫂伝馬競漕ではその激しさの為、折れてしまうこともあるという。
河内祭の御舟行事
補陀洛山寺【那智勝浦町】
補陀洛山寺(ふだらくさんじ)
【那智勝浦町】

補陀落とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する。インドから熊野の海岸に漂着した裸形(らぎょう)上人によって開山された古刹で世界遺産にも登録されている。補陀洛浄土を目指し渡海する上人達の出発点で知られる寺である。
住所/東牟婁郡那智勝浦町浜の宮348 
電話/0735-52-2523(青岸渡寺)
阿弥陀寺(あみだじ)奥の院参道
阿弥陀寺(あみだじ)奥の院参道
【那智勝浦町】

青岸渡寺や熊野那智大社からさらに登った山が妙法山。その中腹にある阿弥陀寺は別名女人高野とも呼ばれる。人は亡くなるとその魂は必ず妙法山に参り、阿弥陀寺にある釣鐘を撞いてからあの世に旅立つといわれ、その様は「亡者の熊野詣」と伝えられている。熊野の山と海は、極楽浄土に最も近い聖域である。
住所/東牟婁郡那智勝浦町南平野2270-1
電話/0735-55-0053
那智山青岸渡寺【那智勝浦町】<
那智山青岸渡寺【那智勝浦町】
西国三十三ヶ所第一番札所であり、世界遺産である古刹。本堂前には魚霊供養塔が建てられ、鯨をはじめ魚霊の鎮魂を願い、地元漁協により毎年2月頃に供養祭が執り行われる。
住所/東牟婁郡那智勝浦町那智山8 
電話/0735-55-0401
三輪崎の鯨踊り【新宮市】
三輪崎の鯨踊り【新宮市】
27艘の勢子舟で組織されていた三輪崎の船団が大漁を祝い、各舟から一人ずつ出て来て27名で踊ったのが始まりといわれている。網を投げる姿を表す「殿中踊り」と、銛突きを表現する「綾踊り」の2曲がある。法被の白地は海、黒は鯨、赤は鯛、緑は熊野の山々を表している。現在、三輪崎郷土芸能保存会は24歳から88歳と幅広い年齢層の地元の人々で構成され、地域コミュニティの新たな形として、地域の人と人を繋げている。
勢子舟五番舟棚板
勢子舟五番舟棚板(舷側板)
檜扇が描かれた勢子舟の側面の破片。その煌びやかな模様は雅で美しい。また扇の形状は末広がりなので、縁起がいい図案でもある。
(太地町立くじらの博物館蔵)

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