アヴィケブロン


 カバラの歴史において、スペインにおけるユダヤ人共同体は、その中心的役割を果たした。
 ことに11~13世紀にかけてスペインはイスラム圏の支配下に入ったわけであるが、当時イスラムは学問においてキリスト教圏よりも遥かに進歩しており、それは哲学においても同様であった。それゆえに、イスラム支配下のスペインでは、哲学の研究が大いに発展した。
 こうした哲学の発展は、アヴィケブロン、アベンハザム、アヴェンバチェ、アヴェロエス(イブン・ルシュド)などの偉大な哲学者達によって成された。ことにアヴェロエスは、アリストテレスの注釈者として強い名声を得るようになり、これらの哲学体系は「ラテン・アヴェロエス主義」と呼ばれるに至る。
 この哲学の外観を解説するのは、私の能力を超えている。そこで、大雑把にまとめさせていただくと、「極端に新プラトン主義化したアリストテレス主義」と言ったところであろう。そして、同時に、極端なアリストテレス主義とも言える。実際、アヴェロエスはアリストテレスを重視するあまり、「コーラン」を軽視したために逮捕され、獄死する。

 とまれ、カバラの重要な書物「ゾハール」の成立に、こうした哲学が背景にあったことは、間違いない。
 実際、イスラム支配下スペインの哲学において、ユダヤ人の果たした役割は極めて重要である。
 特に無視できないのが、マイモニデスことモーゼス・ベン・マイモン(別項で詳述予定)であり、もう一人がアヴィケブロンである。
 アヴィケブロンという人物について、その詳しい生涯はほとんど知られていない。ただ、1021年に生まれ1069年に没したこと、マラガ生まれのユダヤ人で、サラゴサで教育を受けた、「アラブ化したユダヤ人」であること。彼のユダヤ人としての名前は、ソロモン・イブン・カビロルであること。これくらいのことしか分かっていない。実際、彼はアラブ人と誤解されることも少なくなかったし、キリスト教神学者とであると長らく信じられていた。
 彼がユダヤ人であるという明白な証拠が現れるのは、やっと19世紀に入ってからである。パリの図書館で、彼のヘブライ語の手稿が発見されたことによる。
 また、彼は40代の若さで死んでいることからも暗殺説もあるが、これは殆ど伝説の域を出ない。
 彼の業績は「生命の泉」なる著書を残したことにある。
 その内容は、教師と弟子の対話形式で語られ、全体的に厭世的なニュアンスが強いといわれる。5つの論文から成り立っており、1部は形相と質料の相互関係における考察、2部は有形な世界のもとにおける物質の考察、3部は物質の存在証明、第4部は単純物質および知性の証明、形相と質料の考察、第5部は普遍質料と普遍形相に関する思索からなる。
 彼が主に目指したのは、質料と形相に関する形而上的な哲学体系を描き出すことであった。
 この著書の別名は「質料と形相」と呼ばれるほどである。
 これはアラビヤ語で書かれた著作であるが、原典は失われ、現存する最古の本はヨハネス・ヒスバヌスによるラテン語版である。
 これは非常に暗示的である。結局のところ、イスラム支配下スペインの哲学は、アリストテレス的であり、「コーラン」を軽視しがちであったがために、イスラム圏では淘汰されてしまった。
 代わりに、キリスト教圏で生き延びることになるのである。
 ともあれ、アヴィケブロンの「生命の泉」は、かのマイモニデスに影響を与え、オーヴェルムのギヨーム、アルベルトゥス・マグヌス、トマス・アキィナス、ジョルダーノ・ブルーノ、マイスター・エックハルトと言ったそうそうたる神学者達から引用されることになるのである。
 
 他に、「アナク」なるヘブライ語文法の著書もあり、その一部が現存している。
 さらに、彼は詩の才能もあり、「ケテル・マルクト」なる詩集も書いた。

 新プラトン主義においては、創造は流出説によって説明される。
 しかし、新プラトン主義の流出説とカバラの流出説は、歴史的に大いに関係はあるが、両者を混同すべきではない。
 そもそも、本来の新プラトン主義においては、神にあたる一者(ト・ヘン)は人格を持たない存在であり、機械論的な冷たさをもち、汎神論へとつながりかねない思想であった。
 しかし、アヴィケブロンは、この流出説を考察するにあたって、神と世界の間に「神意」という概念を導入し、人格神による世界創造というユダヤ教の教義と矛盾しない神学を作り上げた。
 すなわち、神の外部にはいわば神の器官としての「神意」があり、この「神意」の自発的活動の結果として、流出が行われ、世界が成立したと説くのである。
 こうした考え方が、「ゾハール」に継承され、セフィロト論へとつながって行ったのである。

 彼は、極めてユダヤ神学的な基礎を持っていたにも関わらず、その著書において「旧約聖書」や「タルムード」からの引用が皆無であり、そのために彼はユダヤ社会から冷たい視線を浴びることになった。
 しかし、知性体や魂に対して、形相と質料の合成を導入しようとする、プロティノトス的な形相質料合成説が、アウグスティヌス学派の形相多数説と似通っていたため、キリスト教神学者達から高い評価を受け、キリスト教圏において、彼の著書がラテン語版のみの形で残されることになったのである。
 

「中世思想原典集成14 トマス・アキィナス」 上智大学出版局
「中世思想原典集成13 盛期スコラ学」 上智大学出版局
「世界神秘学事典」 荒俣宏篇 平河出版社
「カバラ Q&A」 エーリヒ・ビショップ 三交社
「カバラ」 箱崎総一 青土社

PS:カバラといえば、最近やっと、あすか○きお氏のマンガを読んだ。日ユ同祖説を唱え、古代日本にカバラが伝わっていた、という説(?)は面白かったし、陰陽道の一族がカバラの秘儀伝授者である、門松や熨斗紙は「生命の樹」をあらわしたものだ等の説は、かなり楽しませてもらった。
 しかし、これらの主張を信じるかどうかとなると、まったく話しは別である。
 彼の主張には、多くのアラが目立つが、特に致命的なのは、「生命の樹」の日本伝来の年代が合わないということだ。確かにセフィロト論自体は古くからあるが(とは言っても、セフィロトを「樹」としてとらえるようになったは「バヒルの書」以来であり、つまり12世紀以降のこと)、我々が知っている形でのセフィロトが成立したのは盲人イサク以降のことであり、クリポト教義にしてみてもトドロス・アブラフィアの登場を待たなければならない。要するに、これらの教義の成立は、13世紀以降のことなのだ。これらを古代日本、平安時代と結びつけるのは無理がある。
  もっとも、エンターテイナーたる彼が、どこまで本気でこれを描いているのか私には分からないので、これ以上は何も言わない。