フリーメーソンの近代化


 1717年、4つのロッジがロンドンの居酒屋で定期的に活動を行っていた。それは「鵞鳥と焼き網」、「王冠」、「林檎の木・酒場」、「大杯と葡萄・酒場」。
 この酒場の名前を取った4つのロッジは、1717年2月に「林檎の木・酒場」に集まって、統合のための準備会合を開く。そして、同年6月24日(この日はフリーメーソンの守護聖人とされる聖ヨハネの祝日とされた)に、4つのロッジは正式に統合し、「大ロッジ」の設立を宣言した。
 この日の会議の名誉議長にはクリストファー・レン卿がなり、選挙の結果、アントニー・セイヤーが初代の大棟梁となる。
 いわゆる「フリーメーソンの近代化」の始まりである。

 しかし、フリーメーソンの近代化というのは、このフリーメーソンの憲法とでも言うべき、「アンダーソン憲章」の登場を持って完成する。
 ここで重要になってくるのが、「近代思弁的フリーメーソンの父」と呼ばれるジョン・テロフィロス・デザギュリエ博士である。彼はユグノー教徒の迫害を逃れてきた亡命フランス人で、大ロッジ発足にも大きく関わっている。彼は1719年に3代目の大棟梁に就任する。
 ここで、彼はフリーメーソンの改革に着手するのである。
 まず彼は、王侯貴族達の勧誘に力をいれ、権力者達を大勢入団させた。
 またフリーメーソンで行われる儀式はカトリックの影響が顕著であったが、これをプロテスタント式に変えた。
 しかし、何より重要なのは、やはり「アンダーソン憲章」を作らせたことである。

 勿論フリーメーソンには、これまでにも「陸標(landmark)」と呼ばれる規則があったが、これは時代遅れの感がぬぐえなかった。そこで、これを基調にし、より近代的な新陸標、新しい会則が必要と考えられたわけである。
 デザキュリエは、フランス人の自分よりイギリス人が会則を作った方が、イギリス人の会員達の支持を得られるだろうと考えており、長老派の牧師で、博識で知られたジェームズ・アンダーソンに、これを作るように命じた。
 また、1921年には4代目の大棟梁モンタギュー公爵から、正式な会則作りを命じられ、1722年にイギリス国王の承認を得た形で、この憲章は印刷された。
 これが「アンダーソン憲章」である。
 この新しいフリーメーソンの憲法は、イギリスだけではなく、ヨーロッパ中のフリーメーソンに燎原の火のごとく広まった。特にフランスのフリーメーソンは、最も早くこの新憲章を受け入れた。
 とは言うものの、ドイツにしてもフランスにしても保守的な、古来からの儀式や伝統を固持するロッジもあり、こうしたロッジは、新憲章を受け入れなかった。当地のイギリスにおいても、この新憲章を拒否したグループが「古代派」なる分派を作ったこともある。
 このように、「アンダーソン憲章」を受け入れないロッジを「非正規フリーメーソンリー」と呼ぶ。そして、受け入れたロッジが「正規フリーメーソンリー」と呼ばれる。多くの場合、両者は犬猿の仲で、激しい抗争を繰り広げることになる。
 また、「フランス大東社」のように、「アンダーソン憲章」を独自に改正するロッジも現れた。こうしたロッジも「非正規フリーメーソンリー」呼ばわりされることになる。

 では、この「アンダーソン憲章」とは、どのようなものなのであろうか?
 これは5ページからなる短いものではあるが、近代フリーメーソンの思想が見事に集約されている。

・理念
 理神論、啓蒙主義、人権、民主主義、近代科学。これらを尊重すること。
 また、結社内で、政治や宗教の議論、話しはしないこと。特定のイデオロギーを標榜しないこと。
 人種、民族、階級、宗教などによって、会員を差別しないこと。
 (しかし、現実としては、必ずしもこれらは守られたわけではない。)

・入会規定
 健全なる肉体と精神を持った、神を信じる自由民の成人男性であること。
 (逆に言うなら、女性や奴隷、農奴、無神論者の参入は認められなかった。また、ユダヤ人も参入できなかった)

・退会
 自由であるが、いったんイニシエーションを受けた者は、籍を外されても本質的には会員であり続ける。
 従って、再入会するときは、改めてイニシエーションを受ける必要は無い。

・選挙
 上級役職者などは選挙によって選ばれる。また、入会希望者の受け入れも選挙で決める。ただし、投票権を持ってるのは、棟梁以上の位階に達した者のみである。
 とは言うものの、制度はロッジによって異なることも多い。

・処罰と懲罰
 規約違反、フリーメーソンの対面を汚した者への罰。もっとも重いのが除名であり、資格停止、叱責、警告と続く。

・会合
 各ロッジごとに決める。週1回や数ヶ月置きに1回まで、様々。
 大ロッジは年に4回。原則として欠席は許されない。

・議事録
 会議の議事録、儀式の記録などは半永久的に保存する。

・財政
 会員からの会費、募金、寄付によってまかなわれる。
 巨大なロッジとなると、莫大な金が動いたそうな。

 近代メーソンにおいては、この「アンダーソン憲章」を巡って、多くの議論を引き起こし、「非正規」なメーソンを生み出した。
 例えば、「女性の入会を認めない」ことに納得できない人々が、神智学の活動家達を中心に「合同フリーメーソン」なる女性の参入を認めたロッジを作った。女性の参入を認めた以外の点では、「憲章」の思想を受け入れてるにも関わらず、これは「非正規」とされた。

 また、黒人メーソンもある。これは1784年にアメリカで作られた。人種差別はしないと言う建前上、ロンドンの大ロッジは認可証を発行したが、これはやがて休止状態に陥る。これを理由に大ロッジは、認可証の失効を宣言。しかし、1827年に活動を再開。今でもアメリカとカナダに5千を越えるロッジを持っている。しかし、正規派達は、かの認可証の失効を理由に、「憲章」を守ってるにも関わらず、「非正規」と決め付けている。

 こうしてみると、自由、平等、博愛を謡ってる割には、それを本当に守ってるのか? 正直、疑問を感じる部分も無いでもない。
 ただ、現代のフリーメーソンは、さらに寛容化、人権重視の思想を進歩させてきていることは、明言しておくべきだろう。例えば、今ではユダヤ人も参入できる。

 しかし、一番の「非正規」は、「フランス大東社」であろう。
 これは、「アンダーソン憲章」の入会規定を、改良したのだ。それは、無神論者でも参入できるとしたことだ。
 それ以外の点では憲章を守っている。しかし、この一点で「非正規」とされた。
 このロッジは大勢力で、フランスのみならずラテン・アメリカも、この派が中心である。
 基本的に、「アンダーソン憲章」は、「理神論」の立場を取っている。
 これは、有神論の立場に立ちながらも、神は人格、個性、感情を持たない純理論的な存在と捉えた。また、啓示や奇跡などにも、科学的、合理的な説明を加えようとした。
 また、世界は神が創造したと考えるが、創造後の世界は、決まった法則や秩序に基ずいて動いている「自動機械」と考え、神の干渉(例えば奇跡)はあり得ないと考えた。
 要するに、これまでの宗教にあった神秘性、非合理性を徹底的に否定し、個人の理性と倫理を信仰の拠り所とすべきと考えたのである。
 彼らは「寛容さ」を説き、プロテスタントやカトリックなどの宗派の違いをも乗り越えた超宗派的な考え方も支持した。それどころか、この「憲章」には、ここで言う神とはキリスト教の神に限らず、「人類にとっての一般的な宗教での神」であると明記されている!!
(しかし、ロッジによっては、非キリスト教徒を受け入れない所もある。)

 これは明らかに啓蒙思想、合理主義の強い影響を受けている。それでいて、有神論の立場を守っている。
 しかし、これは無神論と混同されがちだったし、事実、無神論者をひきつけたり、あるいは会員を無神論に鞍替えさせる原因にもなった。
 「フランス大東社」は、この理神論の態度を守り続けており、決して無神論を支持したわけではない。
 単に、無神論者の会員を受け入れただけである。
 しかし、大ロッジは、これを背徳行為とみなしたのである。

 ところで、こうした近代フリーメーソンの実態はどのようなものだったのだろう?
 基本的に、会員は上流階級の者が殆どだった。王族、貴族、聖職者、軍人、政治家、財界人が高位につき、中産階級の人間も多く参入した。労働者階級の会員も居たことには居たが、これは少数派で高位につくこともめったになかった。階級によって差別しないはずなのでは? と言う突っ込みもしたくなるが、当時の労働者階級には、読み書きが出来る者が極端に少なかったため、実務的に彼らの参入・昇進は難しい、というのが言い訳だった。
 活動も、哲学的な会話ではなく、上流階級の社交クラブ、サロン、相互扶助のボランティア団体が主であった。

 しかし、あくまで哲学的思想の団体にこだわる者も少なくなかった。
 また、政治運動と結びつくことも少なくなかった。例えばフランスでは、ジャコバイト運動(名誉革命で追放されたジェームズ2世のスチュアート朝の復活を唱える活動)と結びついた。しかも、ジャコバイト運動は薔薇十字団と関係があると言う、よく分からない思想も生まれた(後にメイザースがフランスで、この運動に嵌ったのも、このあたりに要因がある)。

 ともあれ、オカルティズムと「一部の」のフリーメーソンが結びつくのも、この頃からである。
 こうしたオカルティズム思想を取り入れたロッジは、「非正規」とされたり、されなかたりもした。
 これについては、別項にて詳述したい。


「フリーメーソンリー」 湯浅慎一 中公新書
「秘密結社の辞典」 有澤玲 柏書房