100年前、洋菓子・バウムクーヘンが、第1次世界大戦中に中国で捕虜になったドイツ人たちによって日本で初めて紹介された。舞台となったのは、広島市の広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)。その後、年輪を重ね、老若男女が愛する「日本のお菓子」に育った。
広島港からフェリーで20分。広島湾に浮かぶ似島(にのしま)の港に降り立つと、こんな看板が出迎えてくれる。「ドイツ生まれの銘菓、バウムクーヘン日本伝来の地」
島にはかつて、第1次世界大戦で捕虜となったドイツ人たちの収容所があり、多い時で約550人が生活していたという。
1919年3月4日。この捕虜たちが脚光を浴びる出来事があった。いまは原爆ドームとして形をとどめる広島県物産陳列館で開かれた「俘虜(ふりょ)製作品展覧会」だ。
当時の中国新聞は、捕虜たちが作った木工品や絵画、洋服、化粧品などが所狭しと並べられたことを伝える。特に菓子の人気は「場中第一」で、陳列棚の全部を売り尽くしたという。ソーセージや酒もあったようだ。
その中にバウムクーヘンもあった。小麦粉や卵などが入った生地を幾重にも薄く焼き重ね、断面が木の年輪のように見える。ドイツ語で「Baum(バウム)」は「木」、「Kuchen(クーヘン)」は「ケーキ」を意味する。
出展したのは、中国・青島で洋菓子店を営んでいたカール・ユーハイム氏(1886~1945)だった。現在の「ユーハイム」(神戸市)の創業者だ。
1909年、ドイツの租借地だ…
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朝日新聞社会部