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2019-02-27

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ちょっと久しぶりに会ったともだちから、
 「いま、こういうことをやりたいと思ってるんだ」
 というような話を聞くと、もううれしくてしょうがない。
 じぶんの得意なことがある人が、その得意を活かして、
 くり返し同じようなことをやっていくというのも、
 ぜんぜん悪くないとは思う。
 職人仕事というのは、そうやって上達していく。
 それはそれでいいのだけれど、その枠から逸脱して、
 「どうしてそんなことはじめるの?」と、
 あらためて訊きたくなるようなことに
 手を付けたがるというのは、
 「それでこそあんただ!」といっしょに笑いたくなる。
 冒険ということばで表現するようなものではない。
 「これをやるべきだ!」と、わかっちゃったのだろう。
 そういう気持ちを大事にしたほうがいい。
 ぼかぁ、賛成だ。
 どんどんやろうじゃないの、いずれみんなにもわかる。
 ぼくも、久しぶりのともだちに会ったときに、
 いつでも「こういうことをやりたいんだ」と、
 真剣に言っている人間でありたいと思う。
 批評とか評論とかに時間を使っているよりも、
 「こういうことをやりたい」の話をしていたいと思う。
 他人の話をしていても時間は過ぎていくし、
 じぶんのやりたいことを話していても時間は過ぎる。
 人生の先行きがあんまり多くないのだとしたら、
 後者を選ぶに決まってるだろうよ。

・ちょっと久しぶりに会ったともだちと、
 「人のアイディアとか表現に嫉妬する?」って話をした。
 ぼくも、ともだち(初対面のふたり)も、
 もちろん「もちろん」という答えだった。
 あの嫉妬こそが、経験の代理になっているのではないか。
 ぼくは、そういう仮説を語ってみた。
 まったくジャンルちがいの選手やら監督やらに、
 インドアのぼくらが嫉妬しているというのはおかしい。
 でも、同じ平面にいちおう立ってみるからこそ、
 「あんなの、悔しいなぁ」と、よその領域にまで、
 こころを動かせるということだと思うのよ。
 いい映画を観てがっくり落ち込むようなことが、
 ぼくらのファイティングポーズにつながってると思う。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「引退しても現役でいるぞ!」という気持ちもあるですよ。


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