「長旅ご苦労だったね」
「いえ。イエレミアスさんこそお留守番ありがとうございました」
場所はリ・エスティーゼ王国レエブン侯爵領内にあるレエブン邸。
その屋敷の一室であるイエレミアスの私室には現在二人の男がいる。一人は部屋の持ち主であるイエレミアス。もう一人はその友人であるモモンガことナインズ・オウン・ゴール。
外遊の為帝国に行っていたモモンガ達だったが、皇帝の夜会から程なくして目的である人材の確保ができた為帰国した。
もっとも、帝国での最後の一週間はモモンガにとってけして思い返したくない程の激務だった。
それはエリアスだけでは無く、モモンガ自身も大変忙しかったためだ。
顔は戻ったが呪いは解けなかったレイナースへの対応や、是非弟子にしてくれと押しかけてきたダース単位の魔法詠唱者の追い返し、更にはダンスをきっかけに文通を始める事になったフールーダからの猛アタック、果てにはエリアスに頼まれて王国へ連れて帰る使用人や人材の面談などなど、睡眠を必要としない体をこれほど有難いと思った事はない日々を過ごした。
無いはずの疲労を感じながら帰りの馬車に乗ったモモンガは、向かいに座ったエリアスの、その死相すら見える顔色にとても心配したのを覚えている。
「まあ、領主代行は大変だったけど何度かやった事ある仕事だしね。……このお茶の匂いには疲れをとる効果があるらしいから気休めだろうけどモ、ナインズ君に茶葉を分けるね」
「ありがとうございます」
モモンガは未だに名前を呼び間違うイエレミアスに微笑ましい思いを抱く。
飲食のできない骸骨の体である自分にもこうして会う度にお茶の用意をしてくれる優しい友人。そんな彼の気遣いを受け取る為にモモンガはカップを持ち上げ香りを嗅ぐ。仮面越しでもわかるすっきりとしながらもあたたかい香りに癒される。
「それで、手紙で言っていたレイナースさんだっけ? その元貴族令嬢さんは本当に王国に来るのかい?」
「そうなんです。彼女の強い希望で……。私としては完全に解呪する方法が見つかるまでは住みなれた祖国にいた方が良いと言ったんですが。結局私とエリアスさんが折れる形になっちゃいました。最初は今回の帰国に一緒について行きたいと言っていたのですが、色々な事情で少し時間がかかるみたいです。今は皇帝陛下が色々手を回してくれているそうです」
「どういった名目でこちらに来るかは皇帝もエリアスも慎重になりたいんだろうね。特に皇帝は君の事を気に入っている様子なんでしょ? 大貴族お抱えの筆頭魔術師のもとに行くのならば彼女にもそれに相応しい地位や役職を与えないといけないからね。王国に送るのならば特に」
「ああ。こちらの貴族は生まれとか地位を重要視するんでしたよね」
貴族の基礎を徹底的に仕込まれた時にその事も聞いた。元いた世界の富裕層と同じ特権階級なのだ。リアルでもそうだったが、貧民と富裕層は生活圏からして違う。
もしもユグドラシルが無かったら、鈴木悟も一生富裕層と関わらずに生きていただろう。
「というより現在の皇帝が気にしなさすぎるんだけどね。そうは言ってもちゃんと分別はあるようなのが彼の怖いところだと思うよ」
才能を何よりも重視する皇帝。
その下にいる貴族達も他国と比べると才能を重視する傾向にあるのだとイエレミアスは言う。
「エリアスさんもそうじゃないですか。帝国での面接、間者じゃ無いかだけ魔法で調べてくれと言われて調べましたけど貴族以外にも色んな人たちがいましたよ」
「まあ甥御殿はなあ……」
そう言ってイエレミアスは苦笑する。
皆まで言わずにそこで言葉を区切ると、丁度良いタイミングで扉が叩かれた。
取次のメイドから告げられた名前に、モモンガは頭の痛い問題を思い出したのだった。
「噂のかわいい一番弟子かい?」
「イエレミアスさんもそうやって私を揶揄わないでください。押しかけですよ、押しかけ。文通し始めたフールーダさんからの猛烈なプッシュにあって結局押し切られちゃったんです。他の候補がむさ苦しいおじさんばっかりってのもあって、背に腹は代えられなかったんです! あーもー」
モモンガが思い出すのは故郷での暮らしだ。営業職についていたが、その時上司に相手先へのアピールは大事だ、見た目は大事だと何度も何度も言われた。
当時はピンと来なかったが、今ならばわかる。側におくのならむさ苦しい男たちよりは、まだ少女の方がいい。それも見目が美しい者だったら尚更だ。それを身をもって実感する日が来るとは……。
嘆息をしつつもう少し待てというモモンガの言葉を遮る様に、「入ってもいい」と部屋の主であるイエレミアスが許可を出した。
しばらく悩むような空白のあと、外の人物は部屋の扉はゆっくりと開けた。
「入室の許可をくださりありがとうございます。アルシェ・イーブ・リリッツ・フルトと申します」
深々とした礼をした後部屋に入ってきたのはまだ幼い少女だった。
艶やかな金髪は肩口で切り揃えられ、クリクリとした碧眼は庇護欲を誘う。つんと澄ました表情には気品があり、その出で立ちから言っても口にした名前からしても間違いなく貴族の子女だろう。
服は年相応の可愛らしいもので、白い絹の光沢が髪の毛の艶と相まってついつい目で追ってしまう存在感がある。年の頃は10そこそこだろう。
「はじめましてお嬢さん。私はイエレミアス・マイルズ・デイル・レエブン。レエブン侯爵閣下の叔父でナインズの友人だ。師匠を独占してしまいすまないね」
「いえ。わたしこそお話し中に入ってきてしまいすみません」
人好きのする笑顔を浮かべる友人と、その笑顔に赤くなる弟子(仮)。
モモンガはぼんやりとそのやりとりを見ていた。年齢的には孫とその祖父ほど離れた二人。ならばさしずめ自分は父親だろうか。年齢的には確かにこの少女位の子供が居ても良いのかもしれない。現に友人であったたっち・みーには娘がいた。
(まあ、もう子供なんてできないんだけどさぁ)
今の自分はアンデッドである。男性器どころか骨しかない。自分の子供を持つのは不可能な存在になってしまった。実戦に使用する事なく無くなってしまった事が無念と言えば無念だが、性欲自体がないので不便は感じない。
しかし若干の虚しさを感じることはある。
「それで、私に何か用なのか? 人に教えるのは不得手だからと渡した巻物の魔法でも使える様になったか?」
「い、いいえ! 違います、先生。ただ今日は午後から第四位階の魔法を見せてくださる約束をしてくださったので……」
無垢な目で約束を持ち出されてはモモンガも断る事が出来ない。
そもそもこれは昨日あまりにも自分の後をついてまわる少女に辟易した苦し紛れの提案なのだ。
事実、この約束をした後は大人しく一人で黙々と勉強をしてくれた。凄腕の魔法詠唱者という触れ込みの自分の弟子になったのに、モモンガ自身が魔法を教える事ができない為、彼女には適当な巻物を渡してずっと自習をしてもらっている。
そしてその間にモモンガはモモンガでやらなければいけない事を片付けていたのだ。けして遊んでいたわけでは無い。
文字の勉強をはじめ、モモンガも足りない知識を詰め込んでいる最中なのだ。
猛勉強のお陰でなんとか自分の名前は読めるようになってきた。文章も簡単な単語も拾えるようになってきたし、読みは上々と教師でありエリアスの婚約者であるシェスティンにも褒められた。
勉強の息抜きに訪れたイエレミアスの部屋だったが、約束は守らなければならない。
イエレミアスに紅茶のお礼を言ってモモンガは部屋をでようとした時に軽く呼び止められる。
「じゃあナインズ君、今夜話したい事があるからいつもの場所でね」
イエレミアスの言葉に頷くと、モモンガは少女を従えて中庭に向かった。
不在の間に溜まっていた書類に目を通し、判を押していく。早急に対応が必要な分は叔父のイエレミアスから昨日のうちに引き継ぎ処理をすませている。今日の分はいくらか重要度が低いものだ。
八本指への心づけは予想よりも高くついてしまったが、金銭で解決できたのならば幸いだ。今はまだ彼らにナインズの事を勘付かせる訳にはいかない。
八本指は王国を支配する上で最も厄介な存在だ。モモンガを味方につけた事で武力で負けていない。だからと無計画に力を振るえば待っているのは王国の瓦解だろう。
恐ろしい事にこの組織は王国貴族の殆どと繋がっている。エリアスが治めるレエブン領ですら例外ではない。いつからかは忘れたが、繋がりのある者たちは当たり前の様に蔓延り麻薬の売買や盗賊紛いの事をやっている。そしてそれを見過ごすしか無かった。当時のエリアスには八本指に対抗できる武力も、直接交渉する権力も無いただの領主の息子だった為だ。
しかしそれでも、他の貴族たちと比べれば圧倒的にマシなのだ。
いずれこの国を完全に掌握したその時には、完全に排除してみせる。エリアスは心にそう誓っている。優秀な自分が治める国には、八本指は必要ない。人を堕落させる薬も、娼館も、人身売買も無い、理想の国家こそ己に相応しいのだから。
「エリアスさん」
扉の外からエリアスの名前を呼ぶ声がする。
取次のメイドも屋敷を仕切る家令も下がらせている今、来訪者はこうして直接声をかけるしか無いのだ。手ずから扉を開けると、そこには予想した通りナインズが居た。就寝用の白いガウンに黒いローブを羽織り、他の見える部分は魔法でごまかしている。
「この屋敷に魔法での変装を見破れる人がいないなら夜は堅苦しい仮面を脱ぎたいです!」
帝国での生活で余程肩身の狭い思いをしていたのだろう、そう切々とナインズに訴えられては許可を出すしか無い。そんな訳で、彼は今人間の顔をニコニコと形作り立っていた。
「入ってくれ」
部屋の中に備え付けられている来客用のソファーを勧めるとお礼の言葉と共にナインズは座る。
「灯もつけずによく来れたな。それも魔法かね?」
「いえ、これは種族特性ですね。魔法でもありますけど、必要ないんで」
「ああ。アンデッドは夜目が利くのだったな。そういえばロックマイヤーが言っていた」
配下の元冒険者の言葉が蘇る。
夜目のきかない人間にとって、夜は最も警戒しなければならない時間帯である。なぜならば多くのモンスターは闇を見通す目を持っているのだから、と。
話に入る前にナインズに頼みいくつもの魔法を発動させて機密性を高める。これから話す内容の重要性と、何かと気を張っているナインズ自身の気分転換のためだ。
「帝都から帰って以降気の休まる暇はなさそうだな、モモンガ殿」
そう本来の名前で呼びかけられナインズは深い深いため息をつく。殆ど表情の動かない幻影の顔もどこか疲れた様子だ。
「そうなんですよエリアスさん! もう、あのアルシェちゃんでしたっけ、何も言わなかったらずっと後をついてきちゃうんです! 俺、小さい子と関わった事ないしどうしたらいいのかわからなくて!」
「まあ、元の師であるフールーダにきつく言われているのだろう。ナインズの魔法の秘密を暴け、とでもな」
「それ! それですよ! ぶっちゃけ俺の魔法なんてなんの苦労もせずモンスターを適当に倒してレベルあげたらフリック操作で覚えたものなんですよ。だからそんな他人に教える事なんてできないんですよ! あーもー。やまいこさんだったらきっとこんな時もビシッとやってくれるんだろうなぁ」
それまでの一歩引いた口調や態度とは一変して気さくな口調になったナインズに、エリアスは頰を緩める。
帝国への旅以降、同年代だという彼はこうした一面を見せてくれるようになった。
話の内容は世の魔法詠唱者が聞いたら驚くだろう発言だ。モンスターを倒すだけで簡単に魔法が使える様になるのならば誰も苦労しない。座学での理論と戦闘での実戦を通して初めて魔法を身につけられる。貴族の嗜みで軽く触れた魔法の世界はそうしたものだったとエリアスは認識している。
にも関わらず、実戦のみで英雄をはるかに越える高みに到達しているナインズを、エリアスは改めて規格外の存在だと認識した。
「それで、話ってなんですか?」
モモンガのすっかり軟化した口調は、生まれてから貴族社会の中で育ったエリアスにとってまるで平民になった様で落ち着かない。
しかし、自分がこの規格外の魔法詠唱者の友人として確固たる立ち位置にいる事は間違いない。なんといっても、叔父のイエレミアスにすらここまでくだけた喋り方をしているのは見たことがないからだ。
そんな気安い間柄特有の空気に逆らわず、エリアスもいくらかくだけた口調でモモンガに返答する。
「ああ、挙式の日取りが決まった。三週間後だ。もう方々には招待状を出している」
「わぁ! それはおめでとうございます! 俺友人の結婚式に出るの初めてです! 少しわくわくしますね。リアルじゃあそんな余裕のある知り合いなんてい……たけど参列はしてないですから」
「貴族の式典の一つだからそんなに楽しいものでは無いがな。所詮は財力と権力を示す見栄の張り合いの一つだ。まあ、その見栄のひとつでモモンガ殿には是非やって欲しい事があるのだ」
「なんですか?」
「例年ならあと一週間もすれば雪がつもり空は常に曇天。気温も低くとても晴れ舞台には相応しくない」
「へえ……そうなんですね」
そんな中でも式をあげる理由はただただ領民の為だ。今年は違ったがここ数年不作が続いていた。領民の蓄えはまだ万全とは言えず何人もの若者が口減らしも兼ねて都会へと働きに出、そしてそのまま貧民街に流れた。領内の街道整備の人員にと雇っているが、その雇用が行き渡っているとは言い難い。腕に自信があるものは冒険者になっているが、それにしたって限度はある。
そんな苦しい暮らしの一助となれば良い。そう思って真冬に式をあげる事にしたのだ。
式典当日は領内にある各地の荘園で祝いの料理と酒を振る舞う予定だ。そうすれば領民は飢えをしのげるはずだ。
そして式典が終われば、また翌日から真面目に働くだろう。
他の貴族の様に領民を使い潰していては一時はいいかもしれないがどん詰まりになる。だからこうして機会を見つけて施しを与えなければならない。全てはエリアス自身が王座につく為だ。
気がついたらナインズに一方的に喋っていた様だ。感心した風に頷きを返す彼はとても聞き上手で、エリアスはこうして喋りすぎてしまう事が多々ある。
「すごい。エリアスさんは本当に色々考えているんですね……!」
「そうでもない。本来はすべての貴族がするべき事だ。……なので当日大雪に降られでもしたら台無しだ。料理の手配もできなくなってしまう。そこでモモンガ殿には結婚祝いに快晴の空を贈って欲しいのだ」
つい歳がいもなくいたずらっ子の様な笑みを浮かべてしまう。それを聞いたナインズも、一瞬呆気にとられた後、同じ笑顔で返してくれた。
「なるほど、俺の実力を披露しつつ確実に好感度をあげる一石二兆な作戦ですね!」
「? ああ、そうだな。後は帝国での夜会の様に空中舞踊を踊ってくれてもいいぞ? イエレミアスがとても悔しそうにしていた。自分もやってみたいとな」
「それは流石に全力で遠慮します! あんな恥ずかしい事は二度とごめんですよ!」
幻影の顔にまで朱をさしたモモンガは荒げた声でそう言った。