厚生労働省が公表してきた「毎月勤労統計」の不正が発覚し、国会で野党の追及が続いている。特に、2018年1月の統計調査の手法変更の際に、首相官邸の意向が影響したのかどうかが焦点だ。野党は、「2018年の賃金は統計不正で高めになっていた」と指摘し、賃金上昇をより高く見せる「アベノミクス偽装」を行ったと執拗に追及を続けている。
これに対して安倍政権側は、「統計で偽装などできるはずがない」「経済政策をよく見せようとして、統計を変えたことはない」「毎日勤労統計ではなく、総雇用者所得でみれば賃金はプラスだ」と反論している。
「合同ヒアリング」では野党は国民の支持を得られない
私は、「アベノミクス偽装」を追及しても、野党は国民の支持を獲得することはできないと思う。まず、厚労省の統計不正問題は、少なくとも2004年頃からの話だということだ。13年前に全国の労働局で不正な調査が行われ、本省の担当部署も把握していたことを、厚労省自身が明らかにしているのだ。
つまり、2009年から12年までの民主党政権期も当然、含まれているということになる。野党が、この問題で一方的に安倍政権の責任を追及しても、「自分らが政権を担当した時も同じだったでしょ」と国民に思われるだけだ。
実際、立憲民主党代表代行の長妻昭元厚労相は、国会で追及を始めるにあたり、「かつての民主党政権でも毎月勤労統計調査の不正を把握することができなかった。深く反省する」と、陳謝の言葉を口にした。政治家として誠実な言葉だと思うが、追及の迫力が鈍ってしまうのは否めない。
また、野党の追及の「手法」が、国民の支持を得られないと思う。野党が官僚を国会内に呼び出して行う「野党合同ヒアリング」のことだ。今回も、部屋の壁に「勤労統計不正 『賃金偽装』 野党合同ヒアリング」と大きな字で書かれた看板を掲げ、統計不正にかかわった総務省や厚労省の官僚を国会の部屋に呼び、多くの野党議員が次々と厳しい質問を続ける。その様子を、しっかりテレビ局に撮影させて、各局のニュース番組で放送させた(「しんぶん赤旗」)。
これは、「森友学園問題」(本連載第178回)「加計学園問題」(第158回)などでも行われた野党のお得意の手法で、今回も「お馴染みの光景」がお茶の間に流れたといえる。だが、モリ・カケの時と同様に、いくら官僚を吊るし上げるようなことをしても、野党の支持率はさっぱり上がらない。
野党の政治家たちは、自分たちの政権が国民の支持を失い、今日に至るまで、国民の信頼を取り戻せない1つの大きな理由が、「官僚と良好な関係を築けず、政権運営に窮してしまった」ことだということを、忘れてしまったのだろうか。「野党合同ヒアリング」の様子をテレビで観た多くの国民は、「やっぱり、官僚と関係を築くことができない。政権を任せるわけにはいかない」と思ってしまうのだ。
それに、野党の政治家は、政治家と官僚の「権力関係」への配慮がなさすぎるのではないだろうか。政治家は、たとえ野党とはいえ、官僚に対して「権力」を持っている。だから、野党からヒアリングをすると言われれば断れないのだ。その権力を持つ野党が、官僚を並べてテレビカメラの前で罵声を浴びせ続ければ、「パワーハラスメント」が成立する。パワハラに対する国民の見方は非常に厳しい。野党はそのことに対する配慮が足りなさすぎるように思う。
また、野党が官僚に平気で罵声を浴びせられるのは、官僚が自分たちより上だと思っているからである。実質的に「官僚支配」を認めているということだ。だから、どんなに官僚に罵声を浴びせてもパワハラになると思い至らないのだ。これは、議会制民主主義の野党としては、いただけない姿勢だ。
議会制民主主義では、政治家が責任を持つべきだ。例えば、英国ではどんな政治課題でも、二大政党制の与党と野党が議会で激しく議論するが、絶対に官僚が表に出てくることはない。もちろん、英国でも裏で官僚が仕切っているということはよくあるのだが、国民の目に見えるところで「政治家主導」という形を崩すことはない。
日本でも野党は、どんな問題に対しても、官僚を呼び出して非難するのではなく、あくまで政治家の責任を問い続けるべきではないか。その意味で、統計不正について、国会で安倍首相や根本匠厚労相などの責任を徹底的に追及するのはまったく問題はない。むしろ、野党の追及は手緩すぎるくらいである。
「アベノミクス偽装」を前面に押し出しても国民には違和感がある
そして、「アベノミクス偽装」の追及を前面に押し出す戦術も、国民にはピンとこないのではないだろうか。一部のコアな左翼支持者を除けば、多くの国民にとってアベノミクスは「前よりはマシだったよ」という感覚が間違いなくあるからだ。
アベノミクス「第一の矢(金融緩和)」「第二の矢(公共事業)」が、長期経済停滞に苦しみ、歴代政権が苦心惨憺取り組んできた財政再建や持続可能な経済運営に疲れ果てていた国民の、「今さえよければいい、一息つきたい」という思いに応えたのは明らかだからだ。国民は、規制緩和や産業構造改革という成長戦略が必要であることは理解していたと思う。しかし、「とりあえず先送りにしてくれ」ということだったのだろう。だから、アベノミクスが打ち出された直後は、狂騒のように支持率が跳ね上がったのだ(第94回)。
さらにいえばアベノミクスがダメだとしても、その代わりになる経済政策がなにかを、野党が提示していないことも問題だ。国民は、野党に政権が渡ったら、アベノミクス以前に戻るのかとウンザリしている。だから、安倍政権の支持率はほぼ変わらず、野党の支持率は上がらないのだ。
「第三の矢」の成否こそ野党が国会で追及すべきことだ
私は、野党がアベノミクス批判をしたいならば、「アベノミクス偽装」ではなく、「第三の矢(成長戦略)に焦点を絞るべきだと考える。
例えば、国会の集中審議では、立憲民主党の小川淳也議員が、「GDPカサ上げ疑惑」を追している(日刊ゲンダイDigital)。小川議員によれば、第二次安倍政権が発足して以降、全56件の基幹統計のうち53件もの統計の取り方が見直されたという。その中には、全国消費実態調査や家計調査など、GDPに関連するものは38件に上っている。統計委員会で審議されず、勝手に見直しを決めたものも少なくないという。小川議員は、安倍首相が2015年9月に掲げた「GDP600兆円」の達成(第117回)をアシストするかのようにGDP関連の統計が見直されたと訴えた。
もちろん、安倍政権が恣意的に統計をいじくりまくり、GDPをカサ上げしたとするならば、深刻な問題だ。本当にそんなことがあったのか、真実を明らかにするまで徹底的に追及する必要があると思う。
一方で、経済政策としての「アベノミクス」を批判したいのならば、これは本質的な問題ではないとも思うのだ。なぜなら、今回問題となっている期間の「GDPの上昇」とは、アベノミクスの「第一の矢」「第二の矢」の効果を計るものだと思うからだ。
「第一の矢」「第二の矢」とは端的にいえば、「失われた20年」と呼ばれた長年のデフレとの闘いに疲弊し切って、「とにかく景気回復」を望んでいた国民に一息つかせ、世の中の暗い「空気」を明るく変えるための「異次元のバラマキ」だった(第58回)。そして、「空気」が変われば、国民の沈み切っていた気分が上がり、おカネを使うようになる。経済活動も活発化するという狙いだった。
これを言い換えれば、「第一の矢」「第二の矢」では、「空気」さえ変わればよかったということではないだろうか。だから、アベノミクスが目標とした「物価2%上昇」がなかなか達成できなかった時、「ヘリコプターから現金をバラまく」ように日銀が対価をとらずに大量の貨幣を市中に供給する「ヘリコプターマネー」の実行が主張されたり、「バラマキをしても、将来の増税が予測されると国民は消費を増やさないので、増税をしないと政府がコミットすべき」などという「珍説」が取り上げられたり、とにかく「空気」を変えることばかり強調されたのだ。
だが、本来アベノミクスの「本丸」は、「第一の矢」「第二の矢」で世の中の「空気」を変えて時間を稼いでいる間に、「第三の矢(成長戦略)」を実行することだったはずだ。日本経済の本格的な回復には、これからの日本を牽引する新しい産業を育成する「第三の矢」が重要だからだ。
だが、アベノミクスに「まだマシ」という評価が定着している一方で、「第三の矢」については、その成果がどうなのか今一つわからない。アベノミクスは始まって以降、「カネが切れたら、またカネがいる」ということが繰り返されてきた。異次元緩和「黒田バズーカ」の効き目がなければ、さらに「バズーカ2」を断行し、それでも効き目がなく、「マイナス金利」に踏み込んだ。補正予算も毎年のように組まれてきた。2019年10月に予定される消費増税についても、2兆円規模の経済対策が組まれることになっている(第163回)。
これは、「第一の矢」「第二の矢」が繰り返されても斜陽産業を助けてきただけで、「第三の矢」が日本経済を牽引する新しい産業を生みだせていないということだろう。安倍政権は「第三の矢の効果が出るには、時間がかかる」と説明してきた。だが、アベノミクスが始まってからもう6年も経っている。そろそろ「第三の矢」の評価をしていい頃ではないだろうか。
この連載では、安倍政権の「第三の矢」の取り組み自体に問題ありと批判してきた。安倍政権は、「第三の矢」がさまざまな業界の既得権を奪うことになり、内閣支持率低下に直結するので、できるだけ先送りしようとしてきたように見える。
安倍政権は「第三の矢」を「支持率維持の道具」くらいにしか考えていなかったように思える。例えば現在、成長戦略を担当する経済産業相に起用されている世耕弘成氏は、初入閣で、成長戦略のかじ取りをするには経験不足だ。だが、小泉純一郎政権期から長きにわたって、自民党の広報戦略を担ってきた人物であり、成長戦略を「支持率調整」に使いたい首相の意図だけはよくわかる人事である(第138回)。
また、現在自民党の総務会長を務める加藤勝信氏は、「新・アベノミクス」として打ち出された「働き方改革」「一億総活躍社会」の担当相を務めたが、同時に「女性活躍担当相」「再チャレンジ担当相」「拉致問題担当相」「国土強靱化担当相」「内閣府特命担当相(少子化対策男女共同参画)」も兼務した。
まるで一貫性のなさそうなこれらの業務だが、「国民の支持を受けやすい課題」という共通点がある。つまり、加藤氏は事実上「支持率調整担当相」であり、首相官邸に陣取って、支持率が下がりそうになったらタイミングよく国民に受ける政治課題を出していくのが真の役割だったのではないだろうか(第122回)。
要するに、「第一の矢」「第二の矢」で「カネが切れたら、またカネを出す」のバラマキを繰り返した。「第三の矢」ですら、支持率維持のための道具としか考えていない。その結果がどうなのかが、アベノミクスの真の評価を決めるのであり、野党が国会で徹底追及すべきことなのではないか。
米中ハイテク戦争の「蚊帳の外」となった現実に向き合うべきだ
「統計不正」の問題は、「財務省の決裁文書改ざん」「防衛省の公文書隠蔽」「厚労省のデータ不正調査」とともに、国家運営の根幹を崩しかねないものであり、徹底的に問題を明らかにすべきである。ただし、この問題は与野党ともに責任がある。政争の具にすることなく、超党派で取り組むべきものである。
一方、日本の外に目を向ければ、米国と中国が貿易戦争状態となっている。最初は、中国からの「安かろう、悪かろう」の粗悪品が大量に米国に輸出されていることがアンフェアだとされたのかと思っていた。だが、気が付いたら、中国のハイテク企業が米国の攻撃対象となり、最先端の技術を巡る競争となっている(第201回)。
日本は高い技術力を誇ってきたつもりだったが、中国に完全に追い越されたのではないか。日本は、米中の争いから「蚊帳の外」になっている、世界のハイテク技術の開発競争から完全に「周回遅れ」となっていることが次第に明らかになってきた。
安倍政権が「この道しかない」と進めてきたアベノミクスの6年間は、本当に間違ってなかったのか。特に「成長戦略」の成果は十分に出ているのか。「他の道」があるとすれば、それはどのようなものか。それこそが、国会で論争されるべきことなのではないだろうか。
(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人)