第五章 日本の有人宇宙技術の発展 > 2.国際宇宙ステーション計画
1982年(昭和57年)~1989年(平成元年)
1970年代から推進してきたスペース・シャトル計画が順調に進展していることに伴い、1982年(昭和57年)5月、米国航空宇宙局(NASA)は本部内に宇宙ステーション・タスクフォースを設置し、スペース・シャトル計画に続く有人宇宙計画として、宇宙環境利用や月・惑星探査のための拠点となる宇宙ステーション計画について、概念設計を開始した。同年6月には、当時のNASAペッグス長官から中川科学技術庁長官に対して、宇宙ステーション計画への日本の参加が要請され、宇宙開発委員会では同年8月に宇宙基地計画特別部会を設置し、宇宙基地計画に我が国が参加する場合の基本構想についての調査審議を開始した。
米国にて検討されている宇宙基地計画に我が国が参加する場合の基本構想についての調査審議を行う。
1985年(昭和60年)4月にとりまとめられた基本構想では、我が国が宇宙基地計画に参加する場合の意義として、下記の4点を列挙した。
宇宙基地は、広い範囲にわたって、高度技術の積極的活用が予想され、有人サポート技術、宇宙における大型構造物の組立て技術等の非常に高度の宇宙技術の習得とともに、ロボット、コンピュータ、通信等、各種先端技術分野の発達を促進し、広い分野にわたる技術水準の飛躍的向上をもたらすと期待する。
宇宙基地は、宇宙滞在時間の延長、多数の搭乗員、供給電力・作業時間の増大等を可能にする特徴を有している。したがって、大規模な科学観測や実験が可能となり、科学的知見の増大や、新しい技術の誕生を大きく促す。また宇宙基地は、より高軌道での宇宙活動に進む中継基地、さらには月や惑星の有人探査の基地としても大きな可能性を有しており、将来の人類の宇宙における活動範国の拡大という面でも大きな力を発揮する。
日本が自主開発によって、またスペース・シャトルの利用等によって培った技術力を背景に、世界の宇宙開発に対して相応の分担と協力を行っていくことが期待されている。宇宙基地計画に参加協力することで、日米友好関係の維持・促進上極めて有効であるとともに、世界における宇宙開発活動との調和を図りながら、日本の技術力を高めていくことにもなる。特に日本の得意とするロボット、光通信、エレクトロニクス等の先端技術によって、国際的な貢献をすることも可能。
無重力環境での材料や医薬品の製造といった宇宙環境利用の実験が強力に進められるようになってきた。この宇宙環境の利用は大きな関心を集めており、宇宙基地計画は、こうした宇宙環境利用を本格的に推進し、産業活動を1つの目標とする。産業活動の宇宙への拡大は米国を始め、諸外国の目標となってきており、この面での意義は大きい。
1984年(昭和59年)1月、レーガン大統領は年頭一般教書において、恒久的な有人宇宙基地を10年以内に建設することを発表し、NASAに指示した。また同年6月のロンドンサミットにおいて、冷戦下における西側諸国の結束の象徴として、日本、欧州、カナダに対して宇宙ステーション計画への参加を呼びかけた。我が国は1985年(昭和60年)4月に、先述した「宇宙基地計画参加に関する基本構想」を宇宙開発委員会として了承し、翌5月には科学技術庁とNASAとの間で宇宙ステーションの予備設計参加のための了解覚書(MOU)を締結して、宇宙ステーション計画への参加を正式に表明した。なお欧州宇宙機関(ESA)、カナダ科学技術省(MOSST)も同年にそれぞれNASAと覚書を結び、宇宙ステーションの予備設計が米・日・欧・加の間で開始されることとなった。
国際間調整においては、政策レベルの協議は科学技術庁が、技術レベルの調整は宇宙開発事業団(NASDA)がそれぞれNASAと対応することとなった。宇宙ステーションの基準となるコンフィギュレーションは、1985年(昭和60年)の5月と10月に開催された宇宙基地基準概念審査会(RUR: Reference Update Review)や1986年(昭和61年)5月に開催された中間システム審査会などを通じて国際間で協議され、材料・ライフサイエンス分野での微小重力環境や高真空などの宇宙環境の特性を生かした実験計画、月・惑星探査の拠点とする計画、人工衛星の補修基地とする計画などが検討された。
一方宇宙開発委員会では、1985年(昭和60年)8月に宇宙基地特別部会を設置して、宇宙基地計画に対する今後の我が国の対応についての調査審議を行った。
宇宙基地計画への我が国の予備設計段階への参加に伴い、同計画に対する今後の我が国の対応についての調査審議を行う。
1987年(昭和62年)にとりまとめられた報告書では、我が国が宇宙ステーション計画に参加することの意義として
の4点を列挙し、開発段階以降においても、本計画に積極的に参加していくことが必要である旨を明記した。そして我が国としては、取付型多目的実験モジュールにより本計画に参加することが、将来における宇宙開発利用の展開への柔軟性を考慮した上で適当であると結論づけた。
これら国内における検討や国際間における調整を経て、1988年(昭和63年)9月30日に、「常時有人の民生用宇宙基地の詳細設計、開発、運用及び利用における協力に関するアメリカ合衆国政府、欧州宇宙機関の加盟国政府、日本国政府及びカナダ政府の間の協定(IGA)」(宇宙基地協力協定)がワシントンD.C.において調印され、宇宙ステーション計画は設計段階から開発段階へと移行することとなった。本協定は日本では1989年(平成元年)6月22日に国会で承認された。
この政府間協定の附属書では、日本は基本的な機能装備品並びに暴露部及び補給部を含む日本実験棟(JEM:Japanese Experiment Module)を提供することが定められており、この政府間協定の国会承認を受けて、JEMの本格的開発に着手することとなった。
なおレーガン大統領は、1988年(昭和63年)に宇宙ステーションを「フリーダム」と命名している。
1989年(平成元年)~1993年(平成5年)
政府間協定が調印された後も、宇宙ステーション計画は主として米国内における開発予算の増大から度重なる見直しを求められた。
1989年(平成元年)の7月から10月にかけて、NASAは米国内財政の悪化に伴いリフェージング(Rephasing)と称して計画の見直しを行った。また1990年(平成2年)10月には、米国議会が1991年度の宇宙ステーション予算を総額230億ドルから190億ドルまでに削減するよう指示したことを受け、NASAはリストラクチャリング(Restructuring)と称して計画の見直しを実施。翌1991年(平成3年)に国際パートナー(日本、欧州、カナダ)を含めた見直し作業とコスト評価を含めてとりまとめた報告書を米国議会に提出した。
さらに1993年(平成5年)2月、クリントン大統領は議会で宇宙ステーション計画の大幅縮小を打ち出した。これによりリデザイン(Redesign)と称して、NASAはゴールデン長官の下、今までの設計とは大きく異なる設計案も含めた技術検討を行うこととなり、我が国も見直し検討チームに参加した。同年6月、クリントン大統領は宇宙ステーションに係わる大統領諮問委員会(Blue Ribbon Panel)の答申を受けて新コンフィギュレーションを選定。これをレーガン大統領時代の「フリーダム」に対して「宇宙ステーションアルファ」として、NASAはこの新しい計画へ以降することとなった。なおこれらの見直しにより、当初は1994年(平成6年)を目標にされていたJEMの打上げは1999年(平成11年)まで延期されることとなった。
一方我が国では、政府間協定の国会承認後、宇宙開発委員会は従来の宇宙基地特別部会及び第一次材料実験テーマ選定特別部会を廃して、1989年(平成元年)12月に宇宙ステーション部会を設置し、宇宙ステーション計画等に関する重要事項についての調査審議を行うこととした。また1990年(平成2年)1月12日には、この部会の下に利用分科会を設置して、宇宙ステーションの利用に関すること、宇宙ステーションの予備的実験としての性格を有する宇宙実験に関することについて審議を行うこととした。
宇宙ステーションに関する国際協力の推進等に鑑み、宇宙ステーション計画等に関する重要事項について調査審議を行う。
1991年(平成3年)6月に報告された「日本人宇宙飛行士の養成について」においては、将来宇宙ステーションにおいて、各国の宇宙飛行士の滞在が計画されていることを踏まえ、日本人宇宙飛行士の養成について、(1)主体性の確保、(2)段階的な養成計画、(3)体制の整備、(4)国際協力の推進の4つの基本方針を掲げ、その選抜の在り方について提言をまとめた。提言の中では、宇宙飛行士に求められる資質・適正として(1)専門知識、(2)語学力、(3)身体的適正、(4)性格等の個人的適正を挙げ、日本人宇宙飛行士の選抜に当たっては、日本国籍を有する者の中から広く一般公募により優秀な人材を確保すること、選抜実務の公平性、効率性を考慮すること、国際協力の観点から、NASAの基準等も考慮すること、などが提言された。実際に選抜された宇宙開発事業団(NASDA)、及び宇宙航空研究開発機構(JAXA)の日本人宇宙飛行士の活動については後述する。
また宇宙ステーション部会では、1992年(平成4年)5月に「宇宙ステーション取付型実験モジュール(JEM)の利用の基本方針」を報告し、広範かつ多様な宇宙環境利用を図り、本格的な宇宙環境利用の展開のための基盤を形成する観点から、JEMの運用・利用の在り方について、下記の基本的考え方をまとめた。
JEMの主な利用分野としては、
が考えられる。
JEMの利用に当たっては長期的展望に立ち、基礎研究、応用研究等の各分野にわたってバランスの取れた利用を図るとともに、我が国のJEMの利用に対する具体的ニーズを踏まえつつ、その利用の推進は国全体として計画的、効率的に行う必要がある。
JEMの利用に係る費用の分担については、利用者による適正・応分の負担を原則として、JEMの運用・利用状況に応じて定めることが適当である。その際には、JEM及び共通実験装置の軌道上での機能・性能および運用・利用技術の実証の必要性、宇宙環境利用に伴う多大なリスク並びに利用者負担の国際的均衡の必要性を踏まえることも必要と考えられる。
JEMの利用の推進と効率化を図るため、汎用的実験装置及び基礎的、共通基盤的実験のための装置については宇宙開発事業団を中心に一元的に開発・整備することが必要と考えられる。これら共通実験装置等の選定・仕様の設定に当たっては利用者のニーズの変化及び国際調整の状況を踏まえるとともに、将来の科学技術の進展、利用ニーズに適切に対応し得るよう装置の拡充・整備を計画的に進める。
JEMの利用をより有効なものとするためには我が国の宇宙環境利用に関する技術・経験の蓄積を図る必要があり、国としての総合的な利用促進方策を進めることが重要である。
以上の基本的な考え方の下、各論として
などが提言された。
1993年(平成5年)~1998年(平成10年)
冷戦終結後、米国・ロシア間で宇宙開発における協力が協議されていたが、1993年(平成5年)9月のゴア副大統領(米国)とチェルノムイルジン首相(ロシア)の共同声明において、宇宙ステーション計画への将来的なロシアの参加が言及された。本内容は翌10月にパリで開催された「宇宙ステーション計画に関する多国間調整会議」で協議され、宇宙ステーション計画の参加国政府共同でロシアを宇宙ステーション計画に正式に招請することとなった。宇宙開発委員会も同年12月、日、米、欧、加の4極による宇宙ステーション計画へのロシア参加を妥当とする旨の見解を発表した。
1994年(平成6年)3月には、再びパリで政府間協議が行われ、ロシアの提供する要素を含む新しい宇宙ステーション全体の構成、組立てシーケンス等が協議された。1995年(平成7年)3月には、宇宙ステーションの第1段階の設計審査がNASAのジョンソン宇宙センターにおいて実施され、この審査で宇宙ステーションを国際宇宙ステーション(ISS: International Space Station)と呼ぶようになった。
その後1998年(平成10年)1月30日に、ロシアにスイス、スウェーデンを加えた「民生用国際宇宙基地のための協力に関するカナダ政府、欧州宇宙機関の加盟国政府、日本国政府、ロシア連邦政府及びアメリカ合衆国政府の間の協定(IGA)」(宇宙基地協力協定)が、ワシントンD.C.にて署名された(本協定の発効は2001年(平成13年)5月)。これにより国際宇宙ステーションへの参加国は15カ国となった。その後同年11月、ロシアのプロトンロケットにより国際宇宙ステーションの基本機能モジュールである「ザーリャ」が打ち上げられ、国際宇宙ステーションの組立てが開始された。
なお、この新しい政府間協定の附属書では、我が国は日本実験棟(JEM)に加えて「宇宙基地に補給を行うその他の飛行要素」を提供することが新たに定めらており、これは(5)にて後述する宇宙ステ―ション補給機(HTV: H-Ⅱ Transfer Vehicle)に当たる。
この間の我が国の動きに目を向けると、1996年(平成8年)1月に改訂した宇宙開発政策大網において、JEMは我が国初の「軌道上研究所」と位置づけられ、宇宙と地上における研究活動が密接に関連した総合的な研究体制を構築するなどにより、宇宙環境利用活動の充実を図ることが宇宙開発の重点活動の一つとして掲げられた。
宇宙環境利用の分野の重要事項に関すること及び宇宙環境利用の総合的な推進方策について調査審議を行う。
宇宙環境利用部会では、我が国の宇宙環境利用を効果的に推進し有効な成果をもたらすため、宇宙環境利用の総合的な推進方策について調査審議を行い、1996年(平成8年)7月に「宇宙環境利用の新たな展開に向けて-宇宙環境利用の当面の推進方策-」を報告した。宇宙開発事業団はこの報告を受けて、JEM利用に向けた効果的推進のための体制整備として、JEM利用要求を総合的にとりまとめるための宇宙環境利用研究委員会と、宇宙環境利用の中核となる宇宙環境利用研究システム/宇宙環境利用研究センターを設置、さらに公募により研究を推進するシステムの整備の一環として、1997年(平成9年)より公募地上研究制度を開始した。
その後宇宙環境利用部会は、1998年(平成10年)7月に「宇宙ステーションの民間利用の促進に向けて」を報告し、宇宙環境利用が地上の生産活動に役立つことを実証することと、民間企業が主体的に参加できる新しいシステムを作ることを提言した。これをうけ、宇宙開発事業団は1999年(平成11年)4月より先導的応用化研究制度を開始した。
さらに宇宙環境利用部会では、2000年(平成12年)年12月に「国際宇宙ステーションの本格的な利用に向けて-初期利用フェーズにおける推進方策-」をとりまとめ、JEMのそれまでの「軌道上研究所」としての位置づけに加え、民間企業による利用等、利用の多様化を段階的に進めることとしている。
1999年(平成11年)~
その後も国際宇宙ステーション計画は、以下のような大きな動きの中で計画の見直しを繰り返しながら、最終的な完成及びその後の運用・利用に向けて、関係者の努力が続いている。
なお、我が国では、「国の研究開発全般に共通する評価の在り方についての大綱的指針」(1997年(平成9年)8月7日付内閣総理大臣決定)の中で、大規模かつ重要なプロジェクトの評価は、研究開発を実施する主体から独立した組織により実施されることが必要であるとされたのを受け、宇宙開発委員会は第三者から構成される評価組織で国際宇宙ステーション計画に係わる我が国の研究開発活動等の評価を実施することを1997年(平成9年)11月19日に決定した。この決定を受け、国内外の有識者により組織された国際宇宙ステーション計画評価委員会による評価が1999年(平成11年)に実施され、「広報活動」や「利用」などの分野について勧告がなされた。
宇宙利用の推進に関する重要事項に関することの調査審議を行う。
その後国際宇宙ステーションについての審議は、2001年(平成13年)1月31日に設置された利用部会に引き継がれた。利用部会では、国際宇宙ステーション利用専門委員会を2003年(平成15年)3月に設置し、
等の環境の変化を踏まえ、
を行い、2004年(平成16年)6月、「我が国の国際宇宙ステーション運用・利用の今後の進め方について」をまとめた。この報告書では、国際宇宙ステーション計画の現状とこれまでの成果をまとめた上で、今後国際宇宙ステーション計画において期待される効果を挙げ、国際宇宙ステーション計画の運用・利用に係る業務実施体制や、「きぼう」の利用計画の重点化・利用推進方策について提言をまとめている。
研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付
-- 登録:平成23年02月 --
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