好評です!
ほぼ日のアプリあります。

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2019-02-26

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・人間の赤ん坊を見る機会が圧倒的に増えたおかげで、
 「これくらい時間が経つと、こんなことをしはじめる」
 というような成長の観察ができるようになった。
 特にいまは、近親者同士だけで共有する
 「赤ん坊の写真」アプリがあるものだから、
 1日単位くらいでの成長の過程を眺めることができる
 (同時に昨年5月生まれの仔犬が家のなかで育っていて、
 こちらはこちらで成長のプロセスを観察している)。

 この時期から、こういうことができるようになったとか、
 こういう時期には、次のこういう成長への準備があって、
 できそうでできないいらだちがあるとか、
 「かわいい」にかこつけて好奇心を満たすこともできて、
 赤ん坊の親の親として、おもしろくてしょうがない。

 生まれてからまだ数ヶ月の段階で、しみじみ思うのは、
 人間のこどもの見事なまでの成長の遅さである。
 孵化した途端に歩き出すカマキリだとかは極端としても、
 哺乳類の人間という種の「のんびりやさん」ぶりは、
 とにかく群を抜いているし、そこから考えることが多い。
 まだ寝返りも打てないのに、愛想よく笑う赤ん坊が、
 歩けるまでには、まず1年かかる。
 親の目の届くエリアから抜け出せるまでには10年、
 じぶんでエサをとってこられるようになるには20年か。
 犬でも猫でも、それだけの時間が流れたら、
 孫の孫の孫の孫の孫くらいまでは生まれているだろう。
 人間だけが、一人前になることを永遠に先送りして、
 いつまででも「完全じゃない生きもの」として
 生きていけるという不思議などうぶつなのである。
 1日、1週間、1月、1年という
 それぞれの単位での成長もあるし、
 何十年もかかってできるような成長もある。
 こんなに丁寧に生きるようにつくられた生きものは、
 人間以外にはどう考えてもいないと思う。
 だって、こんなにいっぱい生きているぼく自身でも、
 まだ成長のプロセスにあるんだよー。
 いやぁ、急ごしらえでなく生きるようにできている人間、
 その人間のつくるものも、急ごしらえはいけないよなぁ。
 ときには急ぐことも必要だけれど、ほんとに大事なことは
 人間が成長するような時間軸でやっていくのかもねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
成長の遅さを、じっくり味わえるような成長が理想だなぁ。


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