一章 第六話
「んん……」
背中に当たる固い感触に身をよじらせ、ムクリとその場から身を起こした一刀。何時の間にやら、彼は見知らぬ場所にいた。
自らの姿を確認、もしかするとまた例の端末によって別の体にされた可能性もある。が、一刀の姿は普段着ているコートと足に装備していた短剣が無くなっている事以外は特におかしなところはない。右を確認、ごつごつとした岩壁だ。いや、むしろただの岩だ。左を確認、一刀のいる場所からちょうど対角線上の部屋の隅に何やら数人の男女が固まって身を寄せ合っている。その誰もが質素且つところどころほつれた簡素な服を着ている。イメージとしては貫頭衣だ。それの丈を短くして、ハーフパンツのような同色のズボンを履いている。数としては十人もいまい。彼らは一様に一刀へと疑惑の視線を向けている。向けられている本人は溜まったものじゃないだろう。ましてや、恐らくは一刀も被害者……、と思ったが、どうやら興味が無いらしい。一瞥だけすると、その目線は天井へと向く。上を確認、これまた右と同じく一面の岩肌だ。固そう、以上。前を確認、鉄の様な素材で出来た格子が見える。鍵の挿入口は外側。つまり、一刀が現在いる場所は牢屋の中、ということになる。
はてさて、一刀の宿はいつの間にこんな殺風景な場所へと移動になったのか? 思い返すもどうにも思い当たる節が無い。酒を飲んでその辺りの記憶が消えた、なんてことはない。そもそも一刀は下戸である。その為、酒を自分から飲む事はないし、もし強引に飲まされたとしたら、おそらくは既に彼の周囲には屍山血河が出来あがっている筈だ。ようは見境がなくなる、ということ。そのせいか、彼を良く知る人物は決して一刀に酒を飲ませようとはしないし、ましてや今はこの見た目だ。酒を勧める人間などそうはいまい。
だとすると、原因は一つしかない……。
「誘拐、拉致、連れ去り、神隠し……、なんともまた面白い事をしてくれる」
思いつくのはこの辺りだろう。言った本人も最後のはないか、と突っ込むあたり、落ち着いてはいるようだ。
とはいうものの、一刀には自分が誘拐されるような理由が思い当たらない。あるとすればファラナ辺りが喰った少年の父親による報復くらいか。……いや、それこそ馬鹿馬鹿しい。ファラナ曰く、快楽を提供し、至福を得る為の手段であるとのこと。さっぱりすっぱり理解出来ない一刀だが、その内容が碌でもない事くらいは知っている。あれはただの性犯罪者だ。歩く猥褻物だ。汚物は消毒するべきだ。
……なんて事を考えていると、何やら先ほどまで部屋の片隅で肩を寄せ合っていた集団の中から一人の男性が近づいてくる。
「……もしかして、君も奴らの被害者かい?」
「奴ら……?」
「ヴァルヴィルドって偽冒険者だよ」
「……偽?」
おかしな話だ。つい最近までファラナはカナード支部の受付嬢をやっていた。その彼女がヴァルヴィルドの事をAランクと……。
「ありゃあ、ヴァルヴィルドじゃない……、いや、正確にはヴァルヴィルドの皮をかぶった魔物だ……」
「……??」
そのあまりにも突拍子の無い話に、つい一刀の思考がフリーズする。……偽物? 魔物? 皮をかぶった? いつの時代のSF映画だ、と突っ込みたい衝動をなんとか喉元で押しとどめ、男性に先を促す。
「詳しくはどんな魔物かは知らない……。が、奴らは我々のような一般人を捕えて奴隷にするつもりだ。いや、あの口調だと既に……」
なにやら男性は一人でうんうんと唸っている。ヴァルヴィルドが魔物……、というのは一刀自身が確認した事ではないため、正誤が問われるが、実質彼らも一刀もこの場所に囚われている。何らかの用途の為なのは明らかだ。正直なところ、ヴァルヴィルドが魔物だろうがなんだろうが、こんな場所に幽閉している時点で彼は人身売買なりなんなりに加担している事は明白である。さっさとここを出てラッツ達と合流しなければならない。
そんな事を考えながら、一刀は目の前の格子へと近づく。先ほど見たとおり、材質は恐らく鉄か鋼辺りだろう。格子そのものを破壊するのは難しいが、繋ぎ目などを狙えばその限りではない。試してみようかと拳を握った一刀に、背後から小さな声が投げかけられる。
「無理……だと思う」
声の主は未だ肩を寄せ合って固まっている奴隷(予定)のみなさんの中にいた、一刀よりも一回り小さな少女だ。肌は陶器のように白く、ところどころ汚れてはいるものの、元はどこぞの育ちの良いお嬢様だった事が分かる。また、汚れのせいで多少くすんだ銀髪も、染みの隙間から、白銀がかすかに差し込んでくる光を反射してその美しさを示す。二重瞼の半眼から覗く紅色の瞳はルビーのような鮮やかな光を放っている。形のよい小鼻や、かすかに潤んだ唇など、その容姿は非常に優れているものだということが、この世界の元の住人ではない一刀にも分かるくらいだ。奴隷にしたがるのも無理はないと思われる。
……だが、少女のそういった美しさとは別に、彼女という存在を明確に表す部位がその小さな体にはあった。
「……エルフ?」
「……(スッ)」
一刀の問いに肯定はしない。だが、静かに目を逸らしたその行為自体が、少女からの返事の代わりなのだろう。
だが、そんな事はどうでもいい、と頭を振った少女は下ろしていた視線を上げ、真正面から一刀の目を見る。
「魔封じの首輪がされてるから……、ここでは魔法も身体強化も使えない……」
「魔封じの首輪?」
そういえば、と一刀は先ほどから感じていた首部分の違和感へとその手を触れる。そこには確かに無機質な感触の首輪がはめられていた。
―魔封じの首輪。その名の通り、この首輪には填められた者の魔力を抑え、魔法の使用が制限されるようになる。制限と言っても、実質使えなくなるのと大して変わらない。魔力が魔法へ変換されるのを完全に抑える為だ。
本来、この世界における魔法は、自らの体内にある魔力を物質へと変換し、それを現象として”発生”させる事を言う。発生させられる現象の規模の大きさは、個人の魔力値によってさまざまだが、その魔力を抑えられてしまえば、どれだけおおきな魔力値を持っていたとしても魔法を使う事は不可能である。そもそも”発生”させるべき現象を起こすことはおろか、物質にすら変換出来なくなるのだ。卓越した技術を持つ人の中には、魔力を抑えられた状態でも魔法を使う事が出来る者がいることにはいるが、それが可能なのは特別な技法や特殊な体質を持つ者くらいだ。決してやれば万人が出来るものではない。
前述の通り、魔力を抑えてしまえば基本的には魔法という手段に頼る事は出来なくなる。この魔封じの首輪はそれを目的に造られた物で、大抵は犯罪を犯した魔法師などに使用される事が多い。これさえ着けておけば、大概の攻撃魔法は使えないし、接近戦を好む者の大半が使う「身体強化」も使用する事が出来ない。「身体強化」は物質に変換するのではなく、自身の体に魔力を通し、自分の身体能力を大幅に上げる魔法だが、やはりこれも魔力を抑えられていては使用は不可能だ。
おそらく、一刀をここに拉致してくる際、取りつけられた物だと思うが……。成程、そこでようやく合点がいく。犯人は一刀を何らかの方法で昏倒させ、その隙にここまで連れてきたのだと推測を立てる。だとするなら、その方法は何か? 弱体化したとはいえ、未だかつての経験が染みついている彼の体においそれと触れることなど敵わない。体に触れない、もしくは一刀の索敵圏外からの方法……。
「薬……、あの酒場の店主、グルだったなぁ」
思い当たるのはただ一つ。夕食を摂ったあの酒場だ。普通なら、ヴァルヴィルド程のタッパがあり、あれほどの強面を相手にすれば少なからず表情に怯えやら委縮なりする筈だ。だが、あの酒場の店主は逆にヴァルヴィルドを恐れるどころか、店から出て行くように言った。そして、ヴァルヴィルドはそれに従った。つまり、彼らの間には何らかの繋がりがあるということだ。単純に、店主の肝が据わっている、とも考えられるが、そうであるならばあの場でヴァルヴィルドが店主に反論しない理由が無い。あれほどファラナの嫌味に反応していた男だ。こんな田舎町の一酒場で大人しく引き下がるような性格はしていないだろう。したがって、彼らが何らかの協定を結んでいるのはほぼ確実だと言える。
これで、一刀がここに連れ込まれた手段は判明したが、今はそんなことよりも明確化させておかなければいけない事がある。一刀と、ここにいる他の者達が何故こうして連れ込まれたか、だ。
この場所に幽閉されている者たちに共通点はほとんどない。先ほど男性が言ったように、奴隷として扱うつもりなら労働力としての男よりも、色んな使い道のある女性を集めるのが定石だ。今現在この場には、女性は半分以上を占めているが、妙齢の女性もいれば、まだそういった目的で使用するには幼すぎる少女もいる。一刀の目の前にいるエルフの少女も、どちらかというと体の起伏は乏しく、趣味の偏った者以外が見れば面白みの無い体だろう。まぁ、容姿については美の極致と言っても過言ではないし、時さえ経てばそれなりの物にはなるはずだ。それまで待てばいいだけの話。
だが、それを前提とするなら、先ほどの男性はどのような目的で誘拐されたのか? まさか性処理というわけではないだろう。順当にいって、ここは労働目的、というのが最も濃厚な線ではあるが、聞くところによれば主に労働者を扱う専門の奴隷商人は少なくないとのこと。もちろん、合法でだ。そういった業者がいる以上、リスクを犯してまで労働専門の奴隷を誘拐する理由はない。そうなると、他に思いつくのは……。
「おい、ようやくお目覚めだぜ、あのお坊ちゃん」
「まぁた随分と綺麗なおべべだことで」
考え込んでいた一刀の思考に水を差すような下卑た声が投げかけられる。その声の主は、格子の向こうにいつの間にか立っていた二人の男だ。
いかにも盗賊です、といった容貌をした男たちはその姿に合ったこれまた不快感を刺激する表情でそこに立っていた。
その姿を見たエルフの少女や、部屋の隅に縮こまっていた彼らはその身を寄せ合い、固くする。人によってはその身を害された者もいるのか、非常に怯えた目をする者もいる。エルフの少女も、その目には強い警戒を宿している。エルフはそこまで人族に敵対的ではないが、彼女の目からは一概にそうとは言えない程の雰囲気を感じる。個人的な物かもしれないが、少なくとも友好的ではないようだ。
「俺はあの女がいいな。肉付きが最高じゃねぇか」
「ちょっとでかすぎねぇか? 俺はあのエルフのガキだな。小せぇ穴に捻じりこむのがいいんだよ。体にあわねぇモノを突っ込まれてヒーヒー言うのが俺好みだしよぉ」
低俗極まりない彼らの言葉に一同は顔をしかめる。そんな中、一刀だけは男たちの言葉に対し、一切表情を動かさずその顔に視線を向けていた。
「あん? 何か言いたそうだな」
「まぁ、言いたいことがあると言えばあるけど……、君ら頭悪そうだから言うのはやめとくよ」
一刀がそう言うと、片方の男の表情が怒りの色に染まる。そのまま掴みかかってきそうな勢いで、格子のすぐ前まで来ると、格子越しに一刀の顔を覗きこむような態勢になる。
「俺らはなぁ……、お前ら攫われた側と違って頭が良いんだ。ここにお前らがいるのがその証拠だろ?」
トントン、と自身のこめかみに指を当てて言う。どうやら頭がいいことを誇示しているようだが、残念ながら男を見る一刀の目は冷たい。
「……なるほど、上が優秀なら下がどれだけ凡愚でも上手く立ちゆくいい例だな」
「ああん? 何言ってやが、がっ!?」
一刀の言葉をイマイチ理解出来ていなかったのか、その汚れきった顔を更に格子の近くに寄せた瞬間、男が凄まじい勢いで目の前の格子に顔面を打ちつける。一刀によって頭髪を掴まれた男は、そのまま顔を格子にへばりつかせながら、全身をピクピクと痙攣させている。余程強い力で引っ張られたのか、格子からはおよそ人の顔面が当たったとは思えないほどの音を出し、男の鼻はひしゃげている。おそらく、折れただろう。更に一刀の右手には、男の物だったと思われる髪の毛が束になって掴まれている。引き抜かれたのだ。それほどの勢いで格子にぶつかった男は気絶したか、運が悪く死んだかは分からないが、白目をむきながら地面に仰向けになって倒れる。
突然の出来事に、牢屋の中にいた者も、もう一人の仲間だと思われる男も呆気に取られて茫然としている。が、男の方は即座に相方がやられたと理解したのか、激昂しながら腰に差しているあまり品質の良さそうではない剣へと手を伸ばしながら、格子の鍵を開ける。
「てめぇ!! このクソガキ、何しやがる!!」
目の前で仲間がやられ、頭に血が昇っているのか、ご丁寧に中に入ってきてくれる。これは一刀にしてみれば実に好都合だ。格子越しに不意を打つのもいいが、こうやって間に何も無い状態の方がやりやすいのも確かだ。
剣を抜いて怒りを露わにする男に対し、一刀は顔色一つ変える事はない。その様子を見て、男は何か勘違いしたのか先ほどとはまた違う種類の下卑た笑みを浮かべる。
「おいおいガキィ……、ここにゃお前さんを守ってくれる従者も護衛もいねぇんだぜ。お坊ちゃんには辛い状況かもしれねぇがな、俺はテメェみたいなスカしたガキをひんひん言わせるのが大っ好きなんだよ。ボスには悪いが、オマエは手足もぎ取ってダルマにして飼ってやるぜ。楽しみにしてな!」
「まぁた、随分と良い趣味してるね……」
呆れた様子を隠さない一刀に、男は怒り収まらずいった表情で睨みつける。既に剣は抜いているうえに、男の一刀の距離は五メートルにも満たない。普通なら普通であれば、その剣を振り下ろしてはい終わり、だが……。
「まずは、その腕を行こうかなぁ!!」
突如、下に向けられていた剣先が一刀の肩を掠める。どうやら、この男は見た目と違い剣に関してはそれなりの腕を持っていたらしい。完全に弛緩した状態から跳ね上がるようにして繰り出された斬撃は紙一重のタイミングで一刀に避けられる。その予想外の動きに、全員驚きを隠せないが、最も驚いていたのは一刀と相対している男だろう。まさか避けられるとは思っていなかったのか、剣を振り上げたままの状態で固まっている。そんな見るからに隙以外の何物でもない状態を一刀が見逃す筈はない。
「……は?」
男が瞬きを行う。そのして、次に目を開けた時には、既に一刀の姿が男の目の前にあった。
「!?」
慌てて上に向けていた剣を振り下ろし、その頭から両断しようと試みるも、真下から跳ね上げられた足刀に柄を持っていた手ごと剣を蹴り上げられる。
キィン! と男の手から離れた剣は甲高い音を立てて天井の岩肌に跳ね返る。振り上げた右足は地に着き、軸となって今度は左足で男の腹に回し蹴りを叩き込む。
「ぎぃ、あっ!?」
そのまま壁に叩きつけられた男は背中を駆けあがってきた衝撃に呼吸困難を起こし、その場に力無く崩れ落ちる。一刀は落ちていた男の剣を拾い、壁に力無くもたれかかっている男の首筋に当てる。当然、刃の部分を。
「さて、と。ちょっと質問に答えてもらおうかな。君たちはあれかな? 所謂盗賊団か何かかな?」
「……へっ」
男は質問に答える気が無いのか、未だ満足に呼吸が出来ない喉を振るわせて小さく吐き捨てた。そんな男の様子に小さく溜息を吐くと、一刀は背を向けて牢屋から出て行こうとする。
「ッ!! 危ない!!」
突如牢屋の中に響き渡る鋭い声。発したのは、先ほどのエルフの少女。彼女の視線の先には、一刀に隠し持っていた短剣を突きたてようとする男の姿があった。
「死に晒せやあ!!」
「……元気があっていいねぇ」
まるでその動きを予想していたかのように、振るわれた短剣の下を潜り抜け、背後に交差する形で場所を入れ替わった一刀は、何の躊躇いも無く手に持った男の剣を振り下ろした。
ザン、と振り抜かれた剣は抵抗も無く、男の首に刃を立て、一瞬後にはその首を両断していた。牢屋の中にいた者達は皆呆気に取られ、目の前で起こった一瞬の交錯を理解出来ない様子で見ていた。が、地面に落ちた男の首を見て顔を青ざめる者、恐怖に顔を引き攣らせる者、不快感を隠さない者など反応を見せる。
そして、男の首を切り落とした当の本人は、まるで最初から興味が無かったかのように一瞥すらくれず、持っていた剣を放り捨て牢屋の外へと出る。コートを探すが、これはすぐに見つかった。どうやらこの世界の人間には、普通の外套のように見えるらしく、なにやら戦利品置き場のような場所に無造作に放り込まれていた。貴族の着る仕立てのいい服程度に思われていたのか、一刀にとっては都合がいいが。
コートを羽織り、落ち着いた格好になると、ようやく一息を入れる。そうしていると、後ろから声をかけられる。
「……どうするの?」
声をかけたのは、エルフの少女。彼女も牢屋の外に出て一刀から数歩離れた場所に立っている。少し腰が引けているのは、先ほどの一刀が頭にちらついているからか。一刀に向けて放つ言葉もどこかすぼみぎみだ。
「どうするって……、決まってるじゃない。こんな馬鹿な事をした理由と、それに対する報いを与えないとね」
「……殺すの? さっきの人みたいに」
「さぁ? その時になってみないと分からないね」
ラッツに買ってもらった短剣の他に、この洞窟の中にはいくつかの武器がった。おそらくは男たちがどこからか調達してきた物だろう。購入、という単語が出てこないのは、既に彼らを盗賊か非合法の売人と決めつけているからだろうか。
それに、先ほど男性がヴァルヴィルドの皮をかぶった魔物、と言っていたのも多少気になっている。それらを解明するためにも、ここから出てヴァルヴィルドへと詰問を行わなければならない。別段放っておいても構わないのだが、やられたらやり返すタイプの一刀には、最初からそのまま帰るという選択肢はない。
「そう……、なら私も行く」
少女はそう言うと、格子の前に倒れている男の元へ行き、その腰から剣を取ってくる。その体には不釣り合いの大きさのその剣は、持っているだけで少女の体をよろけさせる。どう考えても振れるとは思えない。
「……魔法は使えないの?」
「さっきも言ったけど、コレがある限りは無理」
そう言って指差すのは首にはまった首輪だ。そういえば、そんなものもあったな、と今更思い出す。一刀にしてみれば、あろうがなかろうがさしたる問題にはならないので、完全に存在を忘れていた。
「外す方法は?」
「……鍵が無いと開かない」
苦々しく言う少女、その表情から察するに鍵以外での解錠方法は存在しないらしい。だが、それならそれで逆に簡単に済む。一刀はブーツの側面にある溝から針金らしきものを取りだす。この世界で買った物ではない。この世界に来る前からずっと仕込んでいた物だ。もともとピッキングの技術は持っていたが、仲間の一人がそういった技術に長けていた事と、鍵を開けるよりも斬った方が早いというトンデモ理論のせいで使われる機会はほとんどなかった。
今でも当時の技術が錆ついていなければいいな、などと考えながら針金の先を首輪の鍵穴へと差し込む。探るように数度針金を右に左に回す……。
カチャン
「ほら取れた」
なんてことはない。所詮鍵でしか開かないとは言っても、前の世界での二世代程前の家鍵よりもチャチな造りだ。おそらく、ただ適当に針金を突っ込んで回してるだけでも解錠くらいは出来るだろう。
目の前では、まさか外して見せるとは思っていなかったのか、少女がその小さな口を空けて固まっている。そんな彼女のリアクションも気にせず、首輪を指差す。ようは外すから見せろ、ということだ。その指を数秒間瞬きしながら見た後、ようやく理解したのか、少女が恐る恐るといった様子で首輪を近づける。
「取れたよ」
今度は一秒とかからない。外れた首輪を彼女の顔の前へと掲げ、それを確認するとその辺りに放り捨てる。それを見た少女は、手のひらの一点を見つめている。魔力が制御出来ているかどうかを確認しているようだが、一刀には分からない。
もしも、少女が魔法が使って襲いかかってきた時を想定して自分の間合いに入っておく。その状態であれば、少女がどんな手段を取ったとしても、一瞬で彼女を肉塊に変えられる。
右手を左腕に沿える。その仕草がどんな意味を持つのか、少女は知らない。……だが、それらを使うような事態に陥る事はなかった。
「……ん、ありがとう」
素直にお礼を口にする。一刀はそんな少女に意外そうな視線を向けるが、彼女はその視線の意味に気付いていないのか、小さく首を傾げる。小動物を思わせるその仕草をする少女は、今では一刀に警戒の色すら見せない。
……どうやら認識を改める必要があるらしい。
「……ルナ」
「ん?」
「……ルナ、私の名前」
「あぁ、そういうこと。俺は一刀だよ」
「ヨシ……テル……? なんだか変わった名前」
「だろうね」
やはりというか、ルナも一刀の名を呼ぶのに苦戦している。が、悪いとは思うものの、今の一刀に彼女が完全に慣れるまで待つような余裕は無い。そもそも一時の協力関係にすぎないのだ。別段呼び方をどうこう言う必要もない。
ルナの魔法がどこまで役に立つかは分からないが、せいぜい当てにさせてもらうとしよう。
後ろに付いてきているルナを横目で見ながら、彼女の利用方法についてそう考えていた。