(cache)なぜ、日本はやたら看板が多いのか - 日本は外国、特に西洋と比べて、- その他(ニュース・社会制度・災害) | 教えて!goo

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 日本は外国、特に西洋と比べて、街の中に看板が多く、景観を大きく損ねていると思っています。
 そもそも、なぜ日本にはこんなに看板が多いのでしょうか。
 ヨーロッパに行くと、現地の人はどこに店や会社があるのかよく分かるなあ、と不思議になるぐらい看板がありませんよね。
 逆にアジアでは看板が多いようです。
 理由は何でしょう。
  都市構造の違い(道路が狭いとか・)?
  それとも文化の違い(表意文字の漢字が原因)?
  それとも歴史的原因(ヨーロッパは建物が古く、当時の景観を保存  する意向が強い)?
 原因が分からないと、対策も立てられないのではと思っております。
 どなたか教えていただけないでしょうか。
 

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A 回答 (6件)

ヨーロッパには、キリスト教的な考え方と中世の経済的事情が重なって、経済を発展させるのはよくないと考える価値観があるのです。

(アメリカは例外です)

西欧では古代のローマ帝国の衰退と共に、エネルギー資源の枯渇に悩むようになり、誰かが他を蹴落として発展すると、全体としてほとんどの人が生活に苦しむという時期があり、キリスト教的な考え方が深まるのに合わせて、抜け駆けをしない、経済は無理に発展させないということが行なわれたのです。経済が発展すると資源の奪い合いが始まり、当時は石油など有りませんから、森林が伐採されることでむしろ多くの不利益が生まれたからです。

またその当時は、お店を開いたり商売をしたりするには一定の枠がありそれに入れなければ商売はできませんでした。またお祈りの時間とか協会に行く日(祭日なども)多くあり、その日は商売を行なうことは硬く禁じられていました。

このような名残が今でもヨーロッパにはあり、ドイツでは日曜日や深夜、店舗営業をしてはいけないという法律がありますし、西欧諸国ではクリスマスやイースターの日はまず間違いなく店舗が休みになります。経済活動よりも宗教的行事を優先しているのです。(日本を考えればわかりますが、クリスマスの休みにお店を開けば、ものすごく儲かるはずなのです)
このような名残で看板を控えるという理由もあるのです。

この点、アジアは違います。また意外と知られていないことですが、元々ヨーロッパの大航海とは、アラブの異教徒に利益を渡さずに、アジアの豊かな物産を直接取引したいためにはじまったのです。
当時のアジアから見ればヨーロッパは貧しい地域でした。その違いは森林資源(エネルギー資源)がアジアでは再生可能で枯渇しないということに立脚しています。

このようにして日本を含めたアジアでは、経済活動を規制する理由がありませんでした(封建的な規制はありましたが)、そのため経済活動を自由に進めるために広告(看板)が発達したのだと思います。
香港なんてもっとすごいですよね。それに比べれば日本は農本主義の時代があり、商人は卑しい仕事だといわれていた頃がありますから、ちょっと遠慮がちなのかもしれません。
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質問からは少し外れますが


日本の看板が多いのではなく、多いと感じるのではないかなと思います。
昨今はネットでクオリティの高いデザイン広告や映像が溢れています。
受け手側も自然に見る目が洗練されて良いと感じるものの判断基準が上がっていますよね。
そうなると悪いもの・ナンセンスなものって快く感じられなくなるのは当然です。
ネットで職業クリエイターではない人達が自由な発想で無料で公開している広告とは違い、街中の看板は職業的な発想と技術で規準に沿って作られているわけですから、デザイン的にも限られてしまうのでしょう。
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旗印が好きだからじゃないでしょうかね。


外国は旗よりも宮殿好きですから。

縄張りやの自己主張の違いでしょうかね。
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日本で無秩序に看板が立てられている原因は簡単です。


法規制がゆるいからです。誰でも自由に看板を設置出来ます。
高さが4mを超える物は建築基準法が適用されて、点検などが義務付けられていますが、その点検さえも行われていないのが原状です。
それより小さい看板は基本的に野放し状態です。
町の景観を大事にするのであれば、看板設置も届出制にするか税金を取るとか、方法はあると思います。
道路に置いてある立て看板は道路を占有しているので、すべて違反していることになりますが、取締りなどは聞いたことがありません。
しかも勝手に違法看板を撤去すると、撤去した方が捕まる恐れがあります。これ絶対おかしいです。
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経済活動を行っている建物(商店等)が多いからではないでしょうか。

宣伝のために看板が必要とされるのは多くの考え方だと思います。また文字と視覚による情報に確実性ありと認識されているのでしょう。それからデザイン的センスを発揮しようという動きがあるのだと思います。
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昔、こんな話を聞いたことがあります。



西洋の話ですが、『牧場で丘の上に小屋を建てたんだそうです。
すると、丘の下のほうに住んでいる人から、丘の景観が悪くなったと
クレームが入り、持主は小屋を取り壊した』そうです。

自分の土地に必要な小屋を建てて何が悪いか。
彼我の価値観の違いが如実にでている寓話ではあると思います。

日本ではいまだに、法律で違法でなければOKになりますよね。

アジアでは個人主義に根差した法治国家というのが、実は
発達していないだけではないか。そういう気もします。
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Q欧米と日本の街の景観について

ヨーロッパを旅して
きづいた事は、電柱が無い事と広告の看板が
すくなくスッキリしていて見た目にも
綺麗だと言うのが日本の街との一番大きな違いだと
思いました。

広告看板は、規制の問題でしょうが、

電柱や電線は、どうしてヨーロッパでは
ほとんど目にしないのでしょうか?
すべて地下に埋めているのでしょうか?

日本でも、ここぞと言う限られて所で
そうした景観を保つ事はできないのでしょうか?
(利害関係の整理が大変でしょうが)

私はいまや欧米よりも日本の方が
ほとんどの面で優れていると
思っていますが、この景観の面では
残念なことですが日本はヒドスギます。

Aベストアンサー

西洋での上下水道整備に関しては、有史以来の歴史があります。
ヨーロッパでは個人で井戸を掘って地下水を利用することもありませんし、
トイレの汚水を下水道を通して処理する歴史もありました。
一方、日本では数十年前まで個人で井戸を掘って水を利用するのも当然でしたし、
トイレは水洗式でもありませんでした。

すなわち、西洋には歴史的に、電力・ガス・通信事業が始まる以前から、
地下(上下水道)設備があったことが非常に大きいわけです。
地下の上下水道設備に、電力・ガス・通信設備を併設して共同溝とするほうが
予算的にも安全面から見ても断然有利だったわけです。
外観上の問題など、全く考えることもなく...


『風が吹けば...』に近い論理展開をしてみれば、
『日本は水が非常にきれいだったことで、町中に電柱が張り巡らされた』
といえるかもしれません。

Q東京大学と国立医学部どっちがむずかしいのですか?

きになってみたので質問しました。
どちらのほうがむずかしいのでしょうか?
東京大学なら理三は抜きでおねがいします。

Aベストアンサー

単純に数値の比較だけでなく、総合的に見れば東京大学の理一・ニよりもほとんどの国立大学医学部の方が入学することに関しては難しいと言えます。他の回答者の方も仰っていますが、国立大学医学部に模試でA、B判定が出るようならば、東大理一・ニにはかなり余裕でA判定が出ます。

偏差値で単純比較するのが困難なのは、東大理一・ニと国立大学医学部とでは定員がまったく違うからです。理一・ニは約1000人・500人といった定員がありますが、医学部は100人弱の定員ですし、医学部人気の昨今の受験事情を考えるとこの倍率の面の差が大きく、国立医学部がより難しいということになります。

まあ、医学部というところ自体が特殊なところで、ずっとA判定が出ている医学部を受験しても落ちることはざらにあります。さらに旧帝大系の医学部、千葉などの旧医大系、その他では東京医科歯科大などの難関校のようにほぼ毎年難易度が上位で安定している大学を除けば、どの国立大学医学部もその年のセンター試験の動向次第で志願者の増減の変動が激しく、相当難易度が浮き沈みしますので単純に偏差値的に下位の国立大学医学部は東大より簡単とも言えませんし、逆に年によっては“結果的に”東大理系よりも入るのが簡単だったのではないか、と思える国立大学医学部もあります。

最後に5ランクでかなり大雑把にまとめると、

S、東大理三、京大医
A、その他旧帝大系医学部
B、千葉大などの旧医大系・東京医科歯科などの難関校
C、(特に首都圏近辺にある)公立大学医学部
D、東京大学理一・ニ、その他国(公)立大学医学部(年により変動の可能性有り)

というランクわけになると思います。
(昔から医学部には“旧帝大、旧医大、旧医専、その他”の順のランク分けがありますが、このランク分けに加えて首都圏近辺の国公立大医学部の人気が地方国公立大学医学部に比べて高くなるという事実があり、例えば、医科歯科は旧医専ですが、東京にあるため、地方の旧医大系よりも難易度が高かったりします。)

単純に数値の比較だけでなく、総合的に見れば東京大学の理一・ニよりもほとんどの国立大学医学部の方が入学することに関しては難しいと言えます。他の回答者の方も仰っていますが、国立大学医学部に模試でA、B判定が出るようならば、東大理一・ニにはかなり余裕でA判定が出ます。

偏差値で単純比較するのが困難なのは、東大理一・ニと国立大学医学部とでは定員がまったく違うからです。理一・ニは約1000人・500人といった定員がありますが、医学部は100人弱の定員ですし、医学部人気の昨今の受験...続きを読む

Qなぜ日本にはマンハッタン級のビルがないのか?

日本ほどの国がなぜ他国に比べて低い高層ビルばかり建設しているのでしょうか?
先日、六本木ヒルズがオープンしましたよね。それでも、高さで比べてしまうと全然ですよね。高くないから良くないというわけではないのですが、でも何でなんだろうと思ってしまいます。
やっぱり地震とか景観とかが問題でしょうか?
森ビルは今度上海に世界一のビルを建設するのに、日本にはそれくらいの高層ビルを建設しないのでしょうか?

Aベストアンサー

日本に超高層ビルが少ないことの主たる理由は、法制度がそれを積極的に誘導しようとしないからだと言えるでしょう。逆に、マンハッタンに超高層ビルが林立しているのは、それを誘導する複数の施策が採られているからです。

一般に建築物を立てる際に重要となる法的制限は、高さ制限よりもむしろ容積率や建蔽率といった数字です。容積率というのは敷地面積に対する建物の床面積の比率で、これが500%であればその土地では敷地面積の5倍までの延床面積をもった建物が建てられることになるわけです。
これらの数字は都市計画法に定める用途地域制に従って建築基準法により決定されるのですが、わが国ではアメリカと比べれば容積率の天井が低く、数年前まで商業地域の最大容積率は原則的に1000%が上限とされていました(現在は最高1300%)。

ビルを開発する事業者にとってみれば、開発で得られる床面積をできる限り多くしたいわけですから、高い容積率が認められている土地ほど魅力があります。原理的に言えば、高層化すれば当然建設コストは増えますが、それに見合うだけの床面積増が得られる限り、高層化はペイする事業になり得るわけです。東京都都心部でもっと高容積の建物が認められていれば、バブルの時など、ディベロッパーは喜んで超高層ビルを開発したに違いありません。
要するに容積率という制約の中でわが国は現状のような状態になっているのですから、容積率のはなしを抜きにして建築コストのことをいっても始まりません。
また技術的な事を言えば、バブル期には大手ゼネコンが競って高さ1000メートルクラスの超々高層建築物の構想を発表したことからもわかるように、単純に技術的な問題なら既にクリアーされています。

わが国初めての高層ビル群が集まる新宿副都心を建設する際の苦労は割とよく知られていますが、どこへ行っても低層住宅がスプロールした形態の東京では、日影・通風などの面で高層ビルへの心理的抵抗が伝統的に強くありましたし、行政の側にも機能の集中にともなう上下水道や交通の面など、脆弱なインフラに対する心配もあったわけで、これらが結果的に商業地域でもあまり高くない容積率に反映されていたと言えるでしょう。

一方で、マンハッタンの高層開発は既に20世紀初めから始まっており、アメリカの中でも歴史的に特殊な経緯を持っていることもあり、言わば特区としての了解があったためにまず基本的な容積率設定が高くなっています。現在のものは私も知りませんが、30年ほど前で既に1500%の最高容積が認められていました。
デパートの上にコンドミニアムが乗っているといった機能混合型のビルが伝統的に多いことも、高密度化を推進しやすい背景のひとつになったでしょう。

加えてマンハッタンのユニークなところは、市場原理を導入した柔軟な都市計画が実施されていることです。例えばTDR(譲渡可能な開発権)と呼ばれますが、敷地と開発権を分離して管理し、ある建物の容積率を一定のブロックの中であれば別の建物に譲渡することが認められています。例えばある建物が規定の容積率を500%消化していなければ、その残った分を隣の事業者が買い上げ、自分のビルを500%分高くすることができるというわけです。もちろん登記もなされます。

これは80年代のミッドタウン・ゾーニングでも多用された手法なのですが、この施策のメリットは、ビルの林立する繁華街の中では保存が難しい低層の歴史的建造物などでも、余った容積を売却することで保存・運営の資金を捻出することができますし、行政側としても一定の地域内の権利譲渡であれば、総枠は変わりませんから上下水道などのインフラに追加投資する必要がないのです。
ロウアー・マンハッタンには、サウスストリート・シーポートという低層でなごめる水辺の飲食空間がありますが、これが可能なのも背景のウォール街などの高層ビル群に余った容積率を売却したからなのです。

また、マンハッタンは容積のボーナス制度も柔軟に活用されています。ファサード(建物全面)を揃えた街路を作ろうとした際に、一定のセットバック(建物面を街路から後退させる)を守って建築される建物に容積ボーナスを設定することで、行政の思う方向に開発を誘導することができますし、事業者としてもボーナスの旨みに加えて街路全体が整うことで資産価値の増大も期待できます。
この他、一定の休憩スペースや通風を確保した開発に対して容積ボーナスを与えるなど、容積を自在に活用することで民間活力を適性に誘導する切り札として容積率が活用されているのがマンハッタンの特徴です。

こういった施策の結果、マンハッタンではざらに2000%を超えるボリュームの建築が立ち並ぶ結果となっているのです。もちろん、ご承知のとおりマンハッタンの中でも高層建築が多いのはセントラルパーク以南のごく限定されたエリアで、その他の地域は中低層を誘導するゾーニングになっています。ある限定されたエリアだからこそ可能な施策である、ということが言えるでしょう。

日本に超高層ビルが少ないことの主たる理由は、法制度がそれを積極的に誘導しようとしないからだと言えるでしょう。逆に、マンハッタンに超高層ビルが林立しているのは、それを誘導する複数の施策が採られているからです。

一般に建築物を立てる際に重要となる法的制限は、高さ制限よりもむしろ容積率や建蔽率といった数字です。容積率というのは敷地面積に対する建物の床面積の比率で、これが500%であればその土地では敷地面積の5倍までの延床面積をもった建物が建てられることになるわけです。
これら...続きを読む

Q日本は社会主義国家なのになぜ発展できたのでしょう?

かつてソ連のゴルバチョフ大統領が‘日本は世界で一番成功した社会主義国だ‘と発言したそうですが、確かに日本は表向きは資本主義国家ですが社会主義的要素が強いように思います。税金の累進性は欧米より強く高額所得者は税金をたくさんとられます。貧困層は福祉や公的補助、医療制度など優遇され高額所得者から巻き上げた税金が還元されます。サラリーマンは年功序列で能力で関係なく昇給しました。(以前は)
経済格差は‘悪‘と公言する政治家までいます。ソ連、旧東ドイツ、北朝鮮など社会主義国家はどこも貧困に喘ぎ崩壊しました。日本だけなぜこんなに発展できたのでしょう?またこれからも発展できますか?自分は経済学、政治学には疎いのでどなたかお教えください。

Aベストアンサー

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないので、市場に任せず、政府が責任をもって経済を運営すべきだ」との、社会主義と資本主義の折衷政策「混合経済」政策をとった。このため多くの企業が国有化された。フランス石炭公社、フランス電力会社、フランスガス会社、鉄道部門、エール・フランス、フランス銀行 と四大預金銀行 クレディ・リヨネ、ソシエテ・ジェネラル、全国割引銀行+全国商工銀行⇒パリ国立銀行、保険会社、ルノー公社、航空機エンジン開発製造公社が国有企業として活動し始めた。
 石炭・鉄鋼に関してはドイツとの国境周辺地域に「欧州石炭鉄鋼共同体」を設立し、ドイツなど欧州6ヶ国で、アメリカ政府の援助資金であるマーシャル資金によって運営された。これは一国社会主義ではなくインターナショナル社会主義であった。1983年、フランス企業の売り上げ上位20社の内13社が国有企業であった。
 政治を見れば、ドゴール派の保守政権と社会党とが政権交代を繰り返した。日本に置き換えてみれば、石炭・鉄鋼がアメリカ政府資金による韓国との合弁、トヨタ自動車が国有、自民党と社会党が政権交代を繰り返す、といった状況だ。フランスから見れば日本は「市場原理主義」「自由放任主義」であった。
 イギリス──労働党の「ベヴァリッジ報告」による「ゆりかごから墓場まで」の社会主義政策を戦後の経済方針としていた。鉄鋼は、国有⇒民営⇒国有⇒民営と政権交代毎に弄ばれた。石炭はアーサー・スカーギルが率いる全国鉱山労組が仕切っていた。つまりアナルコ・サンディカリズムをやっていた。戦前アメリカに次ぐ自動車産業国であったが、中小企業が多く、このため国有企業に集約したが成果が上がらずホンダの支援を受けたがダメだった。政権は保守党と労働党が競い合い、その勢力は均衡していた。イギリスから見れば日本は「自由奔放経済」で「保守党独裁の反社会主義国家」であった。
 西ドイツ──アメリカ政府のマーシャル・プランによる援助資金をもとに戦後復興政策を進めた。戦後復興の基幹産業である石炭・鉄鋼は「欧州石炭鉄鋼共同体」という多国家管理による非民間企業に頼った。エアハルトは社会主義と資本主義の良いところをとった「社会的市場経済」を目指した。フォルクスワーゲンは戦後再出発にあたり、その株式20%を連邦政府が、さらに20%を地方政府が保有した。こうした石炭・鉄鋼・自動車産業を日本に当てはめるとどうなるか?それに比べれば日本経済は民間主導の自由経済であった。
 仏・英・独とも戦後何度も左翼政党が政権を担当した。現在英・独が保守政党を破っている。それに比べいかに日本の左翼・社会主義が信頼されていないか、よくわかる。

 日本では行政指導という政府の関与が話題になる。しかしそれ以上に「官に逆らった経営者」がいた。
 (1)天皇とまで言われた日銀一万田総裁に「川崎製鉄が千葉工場建設を強行するならば、ペンペン草を生やしてみせる」とまで言われた、西山弥太郎の大胆な設備投資、それに刺激され他社も追従した。戦争で古い設備が使えなくなったのは仏・英・独も同じ。しかし欧州の官僚にはあれほど大胆な発想は出来なかった。
 (2)「井深さんはトランジスタを使って補聴器を作るのですか?」と皮肉られ、特許導入を1年間遅らされた東京通信工業(後のソニー)。その1年の間に世界初のトランジスタ・ラジオはアメリカにやられた。大宅壮一に「ソニー・モルモット論」と皮肉られたが、今日の電子産業、官に逆らってトランジスタ特許を導入したソニーに始まると言って良い。
 (3)政府が成長産業を育成しようとした特定産業振興法、それに逆らって通産省で大型政務次官と言われた佐橋滋と喧嘩した、本田宗一郎は1983年のテレビインタビューで、佐橋滋と会った時を振り返り、次のように語っている。 「どうにも納得できないということで、僕は暴れたわけで、特振法とは何事だ。おれはやる(自動車を作る)権利がある。既存のメーカーだけが自動車を作って、われわれがやってはいけないという法律をつくるとは何事だ。自由である。大きな物を、永久に大きいとだれが断言できる。歴史を見なさい。新興勢力が伸びるにに決まっている。そんなに合同(合併)させたかったら、通産省が株主になって、株主総会でものを言え!と怒ったのです。うちは株式会社であり、政府の命令で、おれは動かない」(1995年2月5日、NHKテレビ「戦後経済を築いた男たち」から)
 (4)「官と闘った経営者」ヤマト運輸社長・小倉昌男が始めた「宅急便」、この普及は日本の流通業を大きく変えた。郵政民営化が問題になるのも宅急便の普及があったからだ。
 日本が「官民一体」ならば、仏・英・独は「民なしの、官のみ」だ。官に逆らった経営者たちのハイリスクな事業計画、前例を尊ぶ官僚にはとてもできない。戦後の荒廃はどの国も同じ、日本は度胸のある経営者が力を発揮できる自由な経済体制だった。進化論に例えれば、突然変異が出やすく、育ちやすい環境だったと言える。
 はしょって書きました。「官に逆らった経営者たち」「戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義」をキーワードに検索してください。詳しく書かれたサイトがあります。

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないの...続きを読む

Qなぜ人間は他の動物をかわいいと思うのでしょうか?

動物嫌いの人もいますが、多くの人たちが
動物が好きで動物園に行ったり、ペットを
飼ったりしています。
別の種の他の動物たちを何故人間はかわいがれる
のでしょうか?かと言って、食用にしたりもします。
矛盾しているこの人間の思考、行動はいったい何から
くるのでしょうか?
また、人間以外に他の動物も異種の動物を可愛がったり
するケースをまれにテレビで見ることもありますが、
どういう事なのでしょうか?(ねこがねずみと仲がいいとか)
お願いします。

Aベストアンサー

 Jagar39再びです。

 愛玩と食用について、よく理解されていないように思われる方がおられるようなので、少し補足します。

 まず「食べること」と「愛玩すること」は別々の回路なので本来矛盾はないという意見がありましたが、それは生産と消費が完全に分離されてしまった現代でのみ通用する見解です。
 実際、スーパーに並ぶまでの間には、その動物が生まれ、育てられ、と殺解体されて初めて「食べる」状態になるのです。現代は産ませて育てる人とと殺解体する人、そして食べる人が分離していますが、長い歴史のほとんどの間、これらは全て同じ人が担っていたわけです。
 そしてほとんど全ての人は、このサイクルと無縁ではいられなかったのです。

 ですから、「産ませ育てる」行為には「愛する感情」が必要で、それは「と殺する」行為、そして「食べる」行為とは同じ人が同じ動物に対する行為なので連続しているがために「矛盾する」と言っているわけです。
 「感謝」
 確かにそのとおり、感謝の気持ちは忘れてはなりませんが、感謝すれば可愛がっていた動物を心に負荷を追わずに殺せるというほど簡単なものではありません。

 ただ、他の動物を可愛がったり愛するという感情は、動物の家畜化には絶対に必要な感情だというのが私の意見です。現代の大規模化工場化した畜産現場では家畜に愛情を持つことは必須条件ではありませんが、例えば日本の和牛に関しては、今でも毎日子牛に引き綱を付けて散歩に連れ出すというようなほとんどペットのような飼い方がまだ主流です。
 そもそも、広大な土地がある国ではともかく、日本のような土地が狭く高価な国では、1つ1つの個体に細かく気を配らなければ収益は確保できません。

 ヒンズー教徒の牛と西欧の話も、「殺す」とこしか着目してませんよね。殺すだけなら「狩猟」であって「畜産」ではありません。

 結局、動物を家畜化してヒトの生存に役立てるためには、「他の動物に愛情を抱く」という資質が必要だったわけです。
 しかしその一方で、そうやって愛情を持って育てた家畜を殺さねばならないわけで、その矛盾を消化できる精神構造をも獲得したということなのでしょう。

 動物とヒトの強弱関係は、本来ヒトはほとんどの動物より弱いです。
 本気になったネコ1匹捕まえるのも、網や麻酔薬といった「道具」を使って数人がかりでどうにか、といったところでしょう。徒手空拳のヒト1人とネコ1匹では、ヒトはまず絶対にネコに勝てません。
 鶏ですらけっこう凶暴で、油断すると酷い目に遭うということはある年代以上の人なら誰でも知っていることです。
 つまり、「動物は人間より弱い」というのは誤解です。ヒトという種の社会は動物より優位にありますが、それは目の前の動物と自分の力関係は意味しません。

 なのに「可愛い」と思えるのは、とりあえず1つは、家畜はヒトに従順な性質に改良されているということです。本気になればヒトより弱い動物なんていないのですが、よほどでない限りヒトに対して本気にはならない個体を選択して残してきたわけです。
 なので「こいつは私より弱い」とヒトに勘違いさせてくれるわけです。

 ではクマは人間より弱いと思う人はいないはずで、面と向かえば誰でも恐怖すると思うのですが、それでもテレビなど「自分が安全な状況」で見ると、やはり可愛いと思うことも多々あるわけですよね。
 結局それも、幾多の動物を「家畜化」してきたヒトの資質なのではないかと思うのですが。
 家畜化される前のネコもイヌもウシもブタもほとんど全ての動物は、「ヒトより強かった」わけで、それらを人類は手懐けて家畜にしてきたわけです。それはとりあえず自分より強い動物に対しても、「お、こいつ可愛い」と思える資質がないと成立しなかったのでは。

 Jagar39再びです。

 愛玩と食用について、よく理解されていないように思われる方がおられるようなので、少し補足します。

 まず「食べること」と「愛玩すること」は別々の回路なので本来矛盾はないという意見がありましたが、それは生産と消費が完全に分離されてしまった現代でのみ通用する見解です。
 実際、スーパーに並ぶまでの間には、その動物が生まれ、育てられ、と殺解体されて初めて「食べる」状態になるのです。現代は産ませて育てる人とと殺解体する人、そして食べる人が分離していますが、...続きを読む

Q2年契約で借りた家を途中で解約して引っ越すとどうなるの?

会社の都合で単身赴任することになりました。
赴任先では3年務めることになっていますが、1年で赴任先から戻ってこいという辞令がおりる可能性は十分あります。
そういう場合、2年契約を結んでいるとき、1年で解約した場合。どんなペナルティがあるのでしょうか?
契約内容にもよると思いますが、「一般的に」という感覚で回答いただけると助かります。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

今時、違約金を取るような物件は殆ど有りません。
2年契約というのはあくまでも契約期間なので2年経てば
解約又は更新しなければならない訳で、
2年間絶対に住みますという契約ではありません。
1、契約途中で解約する場合は通常1か月分の家賃を払って直ぐ退去。
2、事前に退去日が決まっていれば1ヶ月前までに解約の通知を出せば
違約金など一切有りません。

突然解約しなければならないような場合は上記の1、に該当しますので
住まないのに1か月分余計に家賃を払うので勿体無い気もしますが
これは一般的な契約ですので仕方ないと思ってください。

違約金を別途取る部屋や、解約通知は2ヶ月前とかいうおかしな条件の部屋もありますが非常に稀(全体の10%にも満たないと思います)
だと思います。
部屋探しの際に最初から、解約通知は1ヶ月前の物件を紹介してくれ
・・と業者に言えば余計な手間も掛かりませんので
お勧めです。

Q白人世界でアジア人を差別しない国はありません、それが現実ですがどう思いますか?

一年以上白人国家を旅行した人なら理解できると思いますが、最低でも1度や2度必ず差別を受けた経験があると思います、その時必ず中国人か日本人か聞かれます、ある店でボッタクリが嫌なので嘘をついて中国人と言ったらその後無視され出て行けと言われました、その後冗談で実は日本人と言うと180度態度が変わりました。白人は正直露骨です。
そして肌の色でもアジア人を美的感覚から見下します。
ロスで仲良くなった白人が言ってました、表面では言わないが
アジア人や黒人は現実に今も差別されている「日本人の君はまだマシな方だ」と。
日本でも差別問題はありますが白人国家は現在でもアジア人を差別しています、中国人とか韓国人と言うととんでもない嫌な思いをさせられます、皆さんこの現実をどう思いますか?

Aベストアンサー

アジア人という定義の仕方に白人目線を感じます。つい近年まで白人は有色人種を人間とは見ていませんでした。「奴隷、当時のヨーロッパでは『黒人が白人と同じ人間である』という考え方はなかったのである。
『法の精神』で知られるモンテスキュー。
社会学の父と讃えられるフランスの哲学者でさえ「黒人が人間だと考えるのは不可能である 彼らを人間と考えるなら 我々がキリスト教徒でないと認めざるをえなくなる」と語っている。」
http://www.fujitv.co.jp/ainori/st/st361.html

有色人種を人間と認めざるをえなくなったのは、後の方の世界的な大戦のあとではないかと考えます。第一次世界大戦ののちある有色人種の国家が提案した人権平等条項の提案は英米によって葬り去られました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog053.html

「ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボイスへの対応を続けた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かましいアメリカ女性の方を向いたのだった。フロント係の毅然とした態度は、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世界の幕開けを予感させた。

 「母国アメリカではけっして歓迎されることのない」一個人を、日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。日本人は、われわれ1200万人のアメリカ黒人が「同じ有色人種であり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っている」ことを、心から理解してくれているのだ。」
http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/964059/


人間は好き嫌いのほかに生理的嫌悪ということもあります。戦後は戦争の被害ということも理由に付け加わりました。

オバマ大統領はなぜ黒人なのか。ハーフではないのか。白人男性の主人と黒人女性奴隷の間に生まれた子どもは、生まれながらにして奴隷であり、色が白いほど高く売れたと聞きます。人種差別に法的に最終的な決着がついたのは1964年(昭和39年)かともいわれます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%B0%91%E6%A8%A9%E9%81%8B%E5%8B%95

>日本人の君はまだマシな方だ
そんなわけで、白人にすれば納得ずくというより、無理やり人種平等を誓わされたわけで、本人からみた多層な差別意識があるのはある面いたし方がないと考えます。

武力ということではないにしても、要は実力で認めさせるほかはないと考えます。

アジア人という定義の仕方に白人目線を感じます。つい近年まで白人は有色人種を人間とは見ていませんでした。「奴隷、当時のヨーロッパでは『黒人が白人と同じ人間である』という考え方はなかったのである。
『法の精神』で知られるモンテスキュー。
社会学の父と讃えられるフランスの哲学者でさえ「黒人が人間だと考えるのは不可能である 彼らを人間と考えるなら 我々がキリスト教徒でないと認めざるをえなくなる」と語っている。」
http://www.fujitv.co.jp/ainori/st/st361.html

有色人種を人間と認めざ...続きを読む

Q日本は無駄が多いと思いませんか?

毎日のように送ってくるDM、カタログ、役所からのお知らせなど、本当にゴミになるものばかりで困っています。
DMなどなら「止めて下さい」と言えば止めてもらえますが、役所関係のお知らせはどうにかならないのでしょうか?

それから一番困るのは企業の無駄な包装です。
買ったお店で捨てたい位です。
結局「そっちでゴミ袋を買って捨てて下さい」っていう事で無駄なお金が飛んでいきます。

燃やす事でエネルギーの無駄遣いだけでなく空気も汚れます。

同じ考えの方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

日本は先進的な国だといわれていますが、文化についてはまだまだ発展途上です。(と言うよりもどこの国も常に進歩をしているのでどこも発展途上なわけですが・・・)

無駄かどうかも個人の考え方です。
包装するのも、箱が豪華なのもそういうものを好んだ時代があるからです。
このサイトでも先日「お店で贈り物用に紙袋をお願いしたが用意されていなかった」ことに疑問を投げかれられたユーザーさんがいました。
質問者さんとは逆の価値観ですよね

梱包されているものをお店で処分してもらえば、お店としても処理に無駄なコストがかかるのでだんだんと梱包を減らすようになります。
そうして時代は変わっていくのです。

DMなどについては開封せずに「受け取り拒否」と書いて「サインと捺印」をしてそのままポストへ投函します。
そうすると発送業者に戻り、その送料は不足金として発送業者に請求が行きます。
確実ではないですが、我が家ではこうしてDMがほとんど来なくなりました。
これもある意味で業者間でリストが回っているんだと思います。
http://blog.goo.ne.jp/manchan_ukulele/e/ad5da6e81fac8b180ed2d1223c9d047c

役所系についてはあくまで相手の証拠残しの部分もあるので、これは仕方が無いと思っています。

日本は先進的な国だといわれていますが、文化についてはまだまだ発展途上です。(と言うよりもどこの国も常に進歩をしているのでどこも発展途上なわけですが・・・)

無駄かどうかも個人の考え方です。
包装するのも、箱が豪華なのもそういうものを好んだ時代があるからです。
このサイトでも先日「お店で贈り物用に紙袋をお願いしたが用意されていなかった」ことに疑問を投げかれられたユーザーさんがいました。
質問者さんとは逆の価値観ですよね

梱包されているものをお店で処分してもらえば、お店としても処...続きを読む

Q違法ダウンロードがバレる仕組みは?

思ったんですが、違法ダウンロードがバレる仕組みってどうなっているんですか?
例えば、ニコニコ動画、YouTube、FC2動画、torrentに違法アップロードされている動画、音楽、ゲーム等をダウンロードした場合どうやってダウンロードしたのがわかるのか?
各動画サイトやtorrentサイトで運営が常に監視しているんですか?
ダウンロードした瞬間にIPアドレスがわかってそれをプロバイダに連絡して警告やメーカー、著作権のある者に伝えるんですか?
あ、メーカーや著作権のある者が監視しているのか?
この辺がわからないんです。
そもそもダウンロード禁止法の前に違法アップロードの方が疎かになっていませんか?
根本的なところを直さなければ無くならないと思うですが。
毎日新しい違法アップロードが行われてます。(削除されてもまたアップロードされている)
この法律機能しているんですか?

Aベストアンサー

 違法ダウンロードは摘発されなければならないという、あなたの法解釈が間違っているのだと思います。

 違法アップロードに関しては厳密な処置がおこなわれているようですし、違法ダウンロードというのは、違法アップロードした側と違法ダウンロードした側に利益関係がある場合でないと法規制出来ないのではないでしょうか。

 たとえば、あなたがDVDソフトを違法にYouTubeにアップロードします。アップロードしたのを仲間に連絡して、何千人という仲間が一斉に違法ダウンロードをおこなったというものだったら、確かに摘発されて当然でしょうが、そういう集団犯罪行為が証明されない限りは逮捕も処罰も出来ないだろうと思います。

 まして、誰もが録画しているテレビ番組の内容が投稿されて、それをダウンロードしたから著作権違反で逮捕なんてやったら、逮捕された側はテレビを録画したら合法なのに、YouTubeからダウンロードしたら違法なのかと、逆に裁判にかける可能性が大きいですし、事実上は取り締まれないのだろうと思います。

 改正著作権法をもう一度読み直してはいかがでしょうか。(以下リンク参照。)

参考URL:http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1207/12/news106.html

 違法ダウンロードは摘発されなければならないという、あなたの法解釈が間違っているのだと思います。

 違法アップロードに関しては厳密な処置がおこなわれているようですし、違法ダウンロードというのは、違法アップロードした側と違法ダウンロードした側に利益関係がある場合でないと法規制出来ないのではないでしょうか。

 たとえば、あなたがDVDソフトを違法にYouTubeにアップロードします。アップロードしたのを仲間に連絡して、何千人という仲間が一斉に違法ダウンロードをおこなったという...続きを読む

Q昔のヨーロッパは男尊女卑社会だったのでしょうか?

近世以前のヨーロッパはキリスト教の力が強く、多くの人が戒律に従って生活を送ることを強制されていたため、現在のイスラム世界なみの宗教社会だったと聞いたことがあります。

中世、近世は戦争も頻発していたため、どうしても兵士となる男性の力が強く、かなりの男尊女卑だったとも聞いたことがありますが、これは本当でしょうか?

そして男尊女卑が近代まで続いたため、その反動として(主として女性からの)男女平等を叫ぶ声が強まり、それが現在の男女同権社会につながっていたという理解でよろしいでしょうか?

(日本については、江戸時代までは比較的男女平等な社会だったといいます。そして明治時代に男女平等が進む前のヨーロッパの制度を取り入れたため男尊女卑の風潮が生まれたとか。)

Aベストアンサー

はい、その通りです。というより、今でもヨーロッパは実質的には男尊女卑です。平等になるように努力しているのは欧米のほうですが・・

まず、最初に法整備としてヨーロッパが男女同権になったのは、実は1970年のことです。びっくりするでしょう。
もちろんヨーロッパと言っても国に違いがありますが、1970年というのはフランスで婚姻に関する財産権が男女で平等になった年で、これで法的な男女差別は撤廃されたのです。

そもそも、男女差別の根本はなんであるかというと「自分で取捨選択することができるか」ということです。日本が古来からずっと平等だったのは、女性にも財産権と相続権があり、女性でも財産を持っていれば男性に頼ることなく生きられた、ということです。もちろん、商家などは女性が跡継ぎになって婿養子を取ることも可能でした。

ところがヨーロッパはそうではありませんでした。相続は男性に限られ、女性には相続権はほとんどありませんでした。そのため、ドラマ「ダウントンアビー」のような悲劇がしばしば起こりました。このドラマの始まりは、3姉妹しかいない貴族の跡継ぎとして、貴族の長女と結婚する予定だったいとこ(貴族の正式な相続者)が事故で死んでしまい、次の相続権利者は平民のどこの誰とも知らない若者だった、というものです。

つまり、その若者と3姉妹のうちの誰かが結婚しなければ、貴族の館も財産も貴族の娘たちは相続することができなかったです。

現代のヨーロッパはそんなことは無くなりましたが、イスラム教の国ではこれに近い状態であるといえます。また、イスラム教の国だと、女性の職業が限定されていてたり、免許を取ることが禁止されていたり、と「自分の選択で自分で生きる」というのができない、というのが男尊女卑のそもそもの問題点であったといえます。

ちなみに日本は全く違います。

これが宗教による圧力だったか、というとそれは分かりません。ただ、ヨーロッパの法整備の基礎となったローマ法では女性の財産権や相続権を認めていましたので、中世のヨーロッパ社会で封建制が強まっていった経緯と関係があるだろうとは思います。
 特に、封建領主は支配のために領民を搾取しており、女性が結婚するのに税を取る制度がありました。これは人頭税の一種で、名目的には「領主は領民の女性の処女をもらう権利がある。領主の許可なく処女でなくなるのは違法であり、また処女である女性を娶るには領主に税金を納める必要がある」というものでした。

これにより、女性のバージンを管理するようになります。勝手に性交しては税金が取れなくなるからです。ただ色恋を法律で縛っても効果がないため、キリスト教の処女信仰を利用して、修道院などでバージンでいるように管理したと言われています。

この処女管理のあり方が、のちに女性の権利を阻害する方向に動いたのは間違いないです。

逆をいうと日本でこれが起きなかったのは、日本の封建領主が領民の主人ではなく、単に租税徴収権を持っている権力者にすぎなかったからです。日本では人頭税はかけられなかったのです。

さて、近代になるとこの反動が出ます。きっかけは第一世界大戦です。この戦争は大量破壊兵器により男性が大量に犠牲になったため、変わって女性が社会進出しました。鉄工所で大砲の弾をつくり、鉄道を運転し、男性と同じ仕事をこなしたのです。

そのため女性自身に疑問が芽生えます「なんだ、女だからといわれたけど、あたしたちでも男と同様に仕事できるじゃん」ということです。

これに特に戦後は奴隷差別の撤廃や民族差別の撤廃などがあり、男女差別の撤廃も推進された、ということになります。
そしてその平等の考え方は「男性と同等に仕事をする能力があり義務を果たすのだから、男性と同等の権利をくれ」というものです。そして完全に男女平等になったのが1970年、ということです。

ですから、外国の女性は「その仕事が自分の手に負えない、と思わること」をすごく嫌がります。重い荷物も持つし、残業もこなすし、きつい仕事もなんでもやります。アメリカ映画ですが、GIジェーンのような「なんか分かんないけど、女性が男性と張り合って、男並み、を証明する映画」ができるのはそういう理由からです。
日本で絶対に作られないでしょう。

さて、じゃあ、法律的に男女平等になったからヨーロッパは男女平等なのか、というと、そうでもありません。これもアメリカの映画の話ですが、男性が主人公の映画に対して女性が主人公の映画は1割程度しかない男尊女卑だそうです。日本だと恐ろしいぐらい女性が主人公の映画がたくさんありますね。

はい、その通りです。というより、今でもヨーロッパは実質的には男尊女卑です。平等になるように努力しているのは欧米のほうですが・・

まず、最初に法整備としてヨーロッパが男女同権になったのは、実は1970年のことです。びっくりするでしょう。
もちろんヨーロッパと言っても国に違いがありますが、1970年というのはフランスで婚姻に関する財産権が男女で平等になった年で、これで法的な男女差別は撤廃されたのです。

そもそも、男女差別の根本はなんであるかというと「自分で取捨選択することができるか」と...続きを読む


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