変これ、始まります   作:はのじ
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04 憧れの艦娘

「だから峯雲ちゃんじゃなくて雨雲姫ちゃんだって言ってるでしょ!」

 

 俺は机をバンバン叩いて抗議をしている。相手は大本営のなんたらかんたらっていう艦娘の情報を管理する部署の偉いさんだ。

 

 大本営の偉い人はほんとに頭が硬い。雨雲姫なんて艦娘はあり得ないって繰り返して俺の抗議を聞いてくれない。

 

 大本営はほんとクソだ。あり得ないも何も目の前にちゃんといるじゃないか。鎮守府の施設で建造した艦娘なんだから艦娘なんだよ! 

 

 俺は間違って峯雲ちゃんだと登録された雨雲姫の名前を訂正してもらおうと思っただけだ。だってそうだろう? 名前を間違えられるなんて悲しいじゃないか。

 

 本名が一郎なのに炎皇斗(かおす)なんて呼ばれたら嫌だろう? あれ? ちょっと格好いい?

 

 違う違う! 俺は格好いいかじゃなくて違う名で呼ばれたら悲しいって言いたいんだ。

 

 本当は明石さんを頼るつもりだった。雨雲姫ちゃんは自分で峯雲だって名乗ってない。完全に明石さんの早とちりだったんだから訂正も簡単だと思ったんだ。

 

 でも明石さんは明石さんしか出来ない仕事が沢山あってスケジュールが目一杯詰まっていた。この鎮守府だけじゃなくて日本中の鎮守府を駆けずり回っているそうだ。

 

 忙しいのに雨雲姫ちゃんの建造に立ち会ってくれた明石さん、マジ艦娘! 女神様の手をこれ以上煩わせるなんて俺には出来ない。だから俺は自分で出来る事をしようとなんたらかんたらって部署に来たんだ。

 

 提督は数が少なくて希少だ。提督特権もある。つまり多少の無理は道理で引っ張りだこだ。職権濫用上等だ。雨雲姫ちゃんの為ならこの場で裸になってもいい覚悟だ。

 

「雨雲姫という名の駆逐艦は過去に存在しません」

 

 ほんと頭固いわ。このクソ大本営。ちゃんと見てよ。俺の後ろで不安そうにしている雨雲姫ちゃんを。いるの! 雨雲姫ちゃんはここにいるの!

 

 俺の軍装の裾を掴んで引っ張る雨雲姫ちゃん。

 

 これはもういいよって悲しんでいるに違いない。駄目だ。俺は雨雲姫ちゃんが堂々と名前を名乗れるようにするんだ。違う名前で呼ばれて影で一人で泣いちゃうんだろ? そんな事は俺が絶対にさせない。

 

「ちゃんと調べたのかよ! 艦娘って日本以外にもいるんだろ? 海外の艦娘かもしれないじゃないか!」

 

 バンバンバン!

 

「過去に遡って海外にも雨雲姫という駆逐艦は存在しません」

 

 だから眼の前にいるでしょ! さっきからまるで暖簾にぬか漬けの態度を繰り返す偉いさん。なんでこんなに頑ななんだよ。間違った名前を訂正するだけじゃないか。

 

 キュピーン!!

 

 俺は閃いた。分かってしまった。ははーん、クソ大本営(こいつら)雨雲姫ちゃんに関して何か重大なミスをしたんだ。それを隠蔽しようと自分たちのミスを隠そうとしている。

 

 本当にクソだ。世間で大本営に人気が無いのも頷けるぜ。俺も嫌いだったけどな。

 

 お前たちが我慢すれば全ては丸く収まるんだ。

 

 そう言いたいんだろ? その渋い一見真摯に見える目がそう言ってるぜ。残念だったな。俺は腹芸が嫌いなんだ。そうは問屋が卸さねぇ。

 

 俺は雨雲姫ちゃんを大事にすると吹雪さん達に誓ったんだ。引けねぇ。絶対に引けねぇ。ここは男として引くわけにはいかねぇんだよ。

 

「本当に全部調べたのか?」

 

「勿論です」

 

「嘘だ! ホニョペニョコ王国の艦娘かもしれないじゃないか!」

 

「ホニョペ?」

 

 見たか? 豆が鳩くらったような顔をしやがった。

 

「やっぱり調べてないじゃないか。ホニョペニョコ王国だよ。知らないのか?」

 

 俺はおやおやとばかりに呆れた態度をとった。

 

 くくく。大本営の偉いさんだ。つまり鼻持ちならないエリートさんだ。今まで挫折なんてしたことないんだろ? 新人のペーペーの提督の前で知らなくても知らないなんて言えないよな? クソ妖精共のせいで高校受験すらできなかったド底辺提督を前に知りませんなんて言えねぇよな。エリート意識が邪魔をして言えねぇよなぁ!

 

 さぁ、知ってるって知ったか振りをするんだ。俺はそれを突破口にして雨雲姫ちゃんの名前を正式に登録してやるぜ。

 

 これが正しい職権濫用の使い方って奴だ。

 

「恥ずかしながら浅学でホニョペニョコなる国は把握してません。何世紀にどの地域に存在した国でしょうか?」

 

「また来るぜ! 書類用意して待ってやがれ!」

 

 ここは一時転進だ。引くんじゃない。雨雲姫ちゃんの為には俺に引くなんて選択肢はないんだ。首を洗って出直すだけだ。

 

 俺は軍装の裾を摘んでいる雨雲姫ちゃんの柔らかい掌を掴んで、なんたらかんたらっていう部署から後方に全力で前進した。

 

 

 

 

 

 

 

「……もういいわよぅ」

 

 雨雲姫ちゃんが弱々しく告げる声に無力感で死にそうだ。

 

 俺は自分の艦娘に正しい名前を名乗る事をさせる事すら出来ないダメ提督だ。提督なってまだ二日目だろって言い訳は出来ない。雨雲姫ちゃんが俺の元に来てくれた瞬間から俺は提督なんだ。雨雲姫ちゃんを大事にするって吹雪さん達に誓ったのに何も出来ない自分を殴りたくなる。

 

 雨雲姫ちゃんに情けない提督だって思われただろうな。実際自分でも情けない。なんだよホニョペニョコって。ネーミングセンス疑うわ。通用するはずないだろ。

 

 俺達は鎮守府の中庭にあるベンチに座っていた。俺の隣に少しだけ空間をあけて雨雲姫ちゃんが座っている。こんな時なのに隣にいる雨雲姫ちゃんの体温を感じてほっとする自分に嫌気がさす。

 

 もういいよって優しい雨雲姫ちゃんは言ってくれるけど名前はとても大事だ。暗黒の学生時代、俺には悪意に満ちたあだ名が沢山あった。クソ妖精共のせいだが、仕方ないと諦めるしかなかった。

 

 呼び名一つで心は簡単に傷ついてしまう。俺はそれを知っている。峯雲ちゃんって名前はとてもいい名前だけど、それは雨雲姫ちゃんとは別なんだ。同じにしちゃいけないんだ。

 

 ぽたぽたと地面に水滴が落ちた。

 

 でも俺は職権濫用に失敗した。クソ大本営の方が力が強かった。そりゃそうだ。提督特権は大本営が提督に与えたものだ。賭け事は胴元が絶対に勝つように出来ている。

 

 希少だって煽てられても、提督なんて大本営に鎖で繋がれた犬みたいなもんなのか。ごめんね。ごめんね。雨雲姫ちゃん、ごめんね。

 

 ぽたぽた。ぽたぽた。

 

 雨雲姫ちゃんは黙って俺の手を握ってくれた。その手が柔らかくて暖かくて嬉しくて情けなくて反対の腕の軍装の裾がぐしゃぐしゃに濡れた。

 

「あら? 新しく着任した提督ですね?」

 

 背中から声を掛けられた。女性の声だ。俺は急いで溢れる水滴を拭った。

 

 振り返った俺は驚いた。俺は知ってる。この艦娘を知ってる。

 

 ニュースやメディアで艦娘の活躍は報道されるが名前や姿が知らされる事は滅多にない。メディア露出が一番多いのが吹雪さん達最初の五人。他は本当に数少ない。その数少ない艦娘の一人が目の前にいた。

 

 艶のある長く綺麗な黒髪に青いヘアバンド。アンダーリムの眼鏡の奥にある海色の瞳は見ているだけで吸い込まれそうになる。明石さんによく似たセーラー服型の装甲艤装。つまりスケベスカート。

 

 俺は目を細めた。

 

 艦娘は恩人! 艦娘は恩人! 艦娘は恩人! 艦娘は恩人!

 

 体つきはスレンダーだけどそれが彼女の立ち振舞もあって色気すら感じる。一言で表すと優等生。実際彼女は大本営の広報を務め、才媛だと紹介された事もある。

 

 軽巡洋艦の大淀さんだ。

 

 ふ、ふつくしい……

 

「いだだだだだだだだ!」

 

「どうかしましたか?」

 

「な、何でもありません」

 

 雨雲姫ちゃんに尖った指でお尻をつねられた。軽くつねったのは分かっている。本気でつねられたら俺のお尻はペンチで引き千切られたみたいに肉片と化す。あと刺さった指が地味に痛い。何するのよ、雨雲姫ちゃん。

 

 雨雲姫ちゃんはツンとそっぽを向いていた。難しいお年頃かな? 箸が転がっても可笑しいみたいな。

 

 大淀さんはそんな俺達を見て楽しそうにクスクスと笑った。

 

「笑ってごめんなさい。凄く微笑ましくて。初めまして……峯雲さん……でいいのしょうか?」

 

「あの、違うくて、その……」

 

「?」

 

 俺は大淀さんに事情を話した。今日建造ほやほやである事。彼女の名前が峯雲ちゃんじゃなく雨雲姫ちゃんである事。明石さんが早とちりして名前を間違えて登録してしまった事。なんたらかんたらっていう部署に掛け合っても訂正を認めてくれない事。

 

「そうだったんですか……ホニョペニョコ王国の艦娘……」

 

「あ、いや、ホニョペニョコってのはただの一例で、海外の艦娘かもしれないってだけで……」

 

 顔が赤くなる。大淀さんが聞き上手過ぎて言わなくていい事を言ってしまった。

 

「分かりました。私は今から戦闘詳報を軍令部の支部に届けにいく所なので、ちょちょいと訂正しておきますね」

 

 大淀さんは顎に手を添えてしばらく考えたあとあっさりと言ってくれた。

 

 え? そんな簡単にしてくれるの? 最初から大淀さんにお願いしておけばよかった。やっぱり大本営はクソだな。

 

「大淀さんに迷惑がかかりませんか?」

 

 嬉しい事は嬉しいが、艦娘の大淀さんに迷惑がかかれば本末転倒だ。他に手段があるなら迷惑をかけるよりそっちを試してからがいいかも。

 

「大丈夫ですよ。少しお話をすれば意外と聞いてくれるんですよ」

 

 これはあれか? 大本営の弱みを握っていると暗に言っているのか? クソ大本営だから弱みは腐る程あるんだろうけど艦娘の大淀さんがそんな事をするとは思えない。これは言葉の通りに違いない。艦娘という女神様にお願いされて断れる人間がいるとは思えない。

 

「でもどうして……」

 

 なんでここまでしてくれるんだろう? 俺は大淀さんの提督じゃない。提督の資質の一つに艦娘に無条件に好意を持たれるってのがあるけど、大淀さんの提督じゃなくても好意を持たれているって事なのかな?

 

「ふふ。そうとも言えるし違うとも言えるかしら? 勿論一番は私の提督ですけどね」

 

 のろけなんだろうか? でも嫌われていない事は確かだ。艦娘が提督に優しいのは当たり前の事らしい。

 

「それに」

 

 大淀さんはスケベスカートのポケットからハンカチを取り出した。

 

 俺は目を細めながらハンカチを受け取った。

 

「今日出会ったばかりの艦娘の為に一生懸命頑張ってる提督を見たら応援したくなっちゃうじゃないですか」

 

 あ。この人、話をする前から全部知ってたわ。泣いていたのもバレてる。うわー、穴があったら叫びてぇ。顔が熱い。これは真っ赤になってますわ。

 

 こんな女神様を指揮する提督ってどんだけだよ。大物か? 偉人クラスじゃねぇと烏滸がましくて指揮なんて出来ねぇだろ。提督ぱねぇよ。

 

「ふふ」

 

 大淀さんが顔を寄せてきた。え? キスでもされるの? そんな好感度マックスにしちゃった?

 

「事情は詮索しませんが、今回だけですよ」

 

 雨雲姫ちゃんには聞こえない俺だけに聞こえる耳元で囁かれた小さな声。

 

「はい? いだだだだだ!」

 

 痛い痛い! 刺さってるよ雨雲姫ちゃん! 千切れる千切れちゃう!! 人間は千切れても簡単にくっつかないのほぉ!!

 

 そんな俺達を見た大淀さんはくすくすと笑いながら綺麗な姿勢で去っていった。

 

 いたたたた。雨雲姫ちゃん、血出てない? 小さな肉片に分裂してない?

 

 俺は早速大淀さんに借りたハンカチを使った。痛みで涙がこぼれちゃう。男の子だもの。

 

 それにしても事情って何だろう? 俺は雨雲姫ちゃんがちゃんと雨雲姫ちゃんって呼んでもらえるよう考えていただけなのに。ねぇ?

 

 雨雲姫ちゃんはぷいと横を向いている。そんな姿も背筋が凍る程可愛い。

 

 そんな雨雲姫ちゃんを見て、問題が解決した安堵感もあり、妙に気持ちが昂ぶった俺は雨雲姫ちゃんに駆け寄って腰に腕を回して持ち上げた。

 

「やったーーー!!」

 

 そのままくるくると回転。雨雲姫ちゃん軽過ぎ。

 

 俺は何もできなかったけど、結果オーライだ。終わりよければ綺麗にフィニッシュ! これで雨雲姫ちゃんは雨雲姫ちゃんだ。良かったね!

 

 持ち上げた位置の関係上、俺の頬に雨雲姫ちゃんの少々控えめだけどちゃんと自己主張している胸がぷにぷに当たる。思ってた以上にウエストは細くて体も華奢だったけど、俺は全くもって嫌らしい気持ちなんてなかった。ただうれしくてそうしたかっただけだ。

 

 雨雲姫ちゃんは少し驚いてしばらくされるがままだったけど、途中から胸が俺の頬に当たる頻度が増えたのがバレて、俺の背中に尖った指をざくざくと容赦なく突き刺した。

 

 俺は痛い痛いと悲鳴を上げて、笑いながら地面に転がった。あはははとぐるぐる転がりながら雨雲姫ちゃんを見た。

 

 雨雲姫ちゃんも笑っていた。声を出して笑っていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あ! 大淀さんにお礼を言うの忘れていた。

 

 今度折り詰めセット持っていかなきゃ! 大淀さんに会いたいからじゃないぞ。お礼を言うためだ。それだけだ。やましい気持ちなんて全く無い。

 

 だから雨雲姫ちゃん! お尻に突き刺さないでぇぇぇ!!

 



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