国旗は過去の侵略戦争の悪い印象を引きずっている上に、自民党や極右の旗のようになってしまっている日の丸は駄目なことは間違いなく、社会体制が資本主義のままであったから中黒が、デザインがシンプルで似たような色遣いの国旗が外国にないという点でも好ましい、社会体制が変革したあとであれば、赤地に稲穂と歯車が相応しい、という提案にしたいと思います。

 次は国歌ですが、現行の君が代が制定の経緯が個人の思い付きであり、国民の支持を得てのものでないことは歴史的に明らかで、曲としても至って不出来なものであることは間違いありません。良いと思っている人たちは、長年の国家による洗脳で国歌とはこういうものと思い込まされているに過ぎません。

 明治初年にお雇い軍楽師から日本には国家がないのかと訪ねられた薩摩人(一説では大山弥助)が、宮中や大奥で行われていたさざれ石の行事から思いついたと伝わっていますが、お雇い軍楽師が付けた曲が不出来で、宮内省の林守廣が雅楽風に作り直したのが今のものですが、歌詞と曲とが一致していないので、歌唱すると、「きーみーがーはぁひょほはー ちーよーにーひぃーーーやちよにー」となって歌詞を内容とは関係なく引っ張って歌うことになり、至って歌い辛いものなっいます。

 有名歌手が歌唱しても不出来なものになることが多いのが、現行の君が代と言う曲なのです。

 曲が不出来である上に、過去の侵略戦争で使われ、国民が歌唱を強要されたという忌まわしい歴史を背負っているので、歌いたくない良識のある人たちもこの国には存在しています。

 庶民が古くから慶事に歌ってきたのは君が代ではなくて高砂でした、さざれ石の行事などは庶民とは関係のないものです。

 歌詞の内容も天皇の長寿を願うような君が代とは違い、高砂は、相生の松と住江の松が夫婦であるという伝承に基づいて、夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ曲であり、慶事で謡われる高砂から住江へ向かう上ゲ歌は政治性が皆無なので、誰もが抵抗なく受け入れることができます。

 これで日の丸・君が代に反対するときの代案が出ました、もうこれからは、代案なしで反対していると極右に言われることはないはずです。

 追伸、昨日、いつきさんから、「いろはうた」という提案をいただきました、私は「いろはうた」は思いつかなかったのですが、諸行無常の思想性がある上に、日本語の基礎になる47文字が、ひとつずつ<入っている公平性は素晴らしいと思います、こちらも有力な新国歌の提案になるのではないかと思います。

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