池袋 | 子ども会 セツルメント | 歴史年表(仮) |
2001 | 4 | 日出3パート、「旧日出小学校」にて活動開始。 |
2001 | 3 | 日出小学校閉校 |
2001 | 3 | 全国学生セツルメントの会・全国集会に初参加 |
1999 | 4 | 幹事長・副幹事長の役職が復活。初代幹事長は「おにいさん」(すみれ) |
1998 | 日出3パート、パート別だったお迎えを3パート合同に | |
1997? | 共有の廃止 | |
1996? | 「池袋セツルメント」から「池袋子ども会」に改称 | |
199? | JI(常任委員会)、DI(代表委員会)の廃止 | |
199? | すみれパートの活動日が土曜から日曜に。場所も南池袋公園から日出小校庭に。 | |
199? | 中学生パート「気楽塾のんき~ず」廃止 | |
199? | ひまわり幼児パートと児童パートの区別がなくなる | |
19?? | 全国学生セツルメント連盟から脱退? | |
1981 | ひまわりからたんぽぽが分裂 | |
1979 | 坂下セツルメントから公団パートが独立、池袋セツルメントに。当時はわんべえ(高)・すみれ(低)・ひまわり(幼)3パート | |
1955 | 坂下セツルメント成立 |
※こちらは2000年9月時点での文章です |
現在池袋子ども会が使用している遊び場は二つあります。文京区立青柳(あおやぎ)小学校と豊島区立日出(ひので)小学校です。このうち日出小学校の、今平成12年度いっぱいでの統廃合が決定しています。日出小の子どもたちは来年度から、各家庭の希望によって、同じ豊島区立の大塚台小学校ないしは高田小学校に移ることになります。ちなみに高田小には、雑司ヶ谷小学校の子どもも移ります。 また、雑司ヶ谷中学の生徒も千歳橋中学校に通うことになり、雑司ヶ谷中学は廃校になります。この雑司ヶ谷中学は日出小、雑司ヶ谷小、高田小三校の三角形のちょうど真ん中辺りに位置し、その廃校後の跡地に「南池袋小学校(仮)」という小学校が建設されます。 そして平成13年度の三校統合から3年後の平成16年度から、高田小に移っていた子どもたちは、最終的にこの「南池袋小学校(仮)」に通うことになる、というのが現在の豊島区の統廃合計画です。 このとき問題になるのが、現在小学校の施設開放として使わせてもらっている日出小が小学校でなくなるということ。廃校後の利用法は、現在決まっていません。つまり、このままの形で継続して使用させてもらえるかどうか、今の時点ではまだ分からないのです。 日出小の校庭は、その約3分の1が高速道路の工事予定地として都に売却されました。現在日出小は都からその土地を校庭として借りて使用している、という形になっています。しかし、残る3分の2はそのまま残ります。 最悪の事態を考え、僕らは日出小以外の場所を使うという選択肢も常に持っています。 日出小の主事さん、日出小のPTA会長、区役所の生涯学習課課長、日出小校長、教頭、利用者団体代表が集まった「日出小学校施設開放運営委員会」で、生涯学習課の課長さんのアドバイス通り「雑司ヶ谷小学校の校庭を子どもの遊び場として廃校後も残して欲しい」と「住民の声」として請願しましたが、結局近くにある東京音楽大学の施設として行政が金を取って貸し出す、ということになり、雑司ヶ谷小学校は完全に使えないことになりました。 高田小の校庭でやらせてもらう、というのが一番自然な選択肢に見えますが、この場合東池袋地域に住む子どもたちからあまりにも遠くなってしまう、という問題があります。高田小まで通ってくる小学生に関してははまだ大丈夫かもしれませんが、幼稚園児にそこまでの距離を歩かせるとなると、それだけ危険が大きくなってしまいます。 また、今までも高田小には施設利用団体があり、さらにそこに日出小を使っていた団体が入り込むとなると、その場所と時間を今までの日出小と同じ形で継続的に予約させてはもらえないだろう、ということです。 現在、区としても「今後も日出小を利用したいという住民の声が上がっているから、貸してやらなくもない」というような態度であるという情報が日出小の主事さんを通じて入ってきています。年内に決定との話で、その決定を待つほかないというのが現在僕たちが置かれている状況です。 |