| | | | 1274年の文永の役、1281年の弘安の役といえば元寇です。その時の舞台になったのが馬渡島周辺の海域で、この展望台からは西海岸を一望できます。ただし、風の強いときはとても近づけません。このときも風が強く展望台に立てず、下から仰ぎ見るだけでした。 | 源義家の甥である『本間八郎俊』〔美馬国馬渡庄の城主〕を島開発の守護神として祀った八剣神社が始まりです。その後、島の5つの神社が大正7年に合祀し馬渡神社通称=住吉神社が宮ノ本地区住民の社になっています。7月16日が社の【祇園祭】になっています。 | | | | | 1274年蒙古軍は壱岐に次いで馬渡島にも攻めてきました。この時島民は城山に攻め込まれ全滅状態になりましたが、島の老婆が相手の大将に投げつけた石がこのチョンギー石です。この石が敵の大将の頭に当たり、蒙古軍は退散したといいます。すごいですね。 | 1592年の文禄の役、1597年の慶長の役で【豊臣秀吉】は朝鮮半島に名護屋から出兵させました。その時に漁に出ていた島の兵士が出陣の時に遅れてしまいました。彼らは自らの責任をとって切腹しましたが島民は彼らを弔って八人墓を作りました。樋口商店の前に建っています。 | | | |