写真1:柳澤宏道氏著 「石山本尊の研究」から日興本尊 座配図 写真2:同書 大石寺第三世 日目筆本尊 大石寺の捏造教義の一つ、「日蓮=大石寺歴代」という教義は、これもまた「本尊七箇相承」に由来するようだ。 「なぜ日蓮さんと大石寺歴代が同じと言えるのか?」を聞けば、大石寺信徒は七箇相承の以下の文を挙げる人がいる。 『一、日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く 日蓮なりと申す意なり。』 つまり、現代語訳すれば 『一、本尊を書写する時は、「日蓮在御判」と「嫡々代々」と書くこと。日蓮さん曰く、』 大石寺歴代の法主が皆、ことごとく我日蓮であるということだ』 となろうか。 「日蓮在御判」と「嫡々代々」と書くことが、つまりは「唯受一人血脈相承」「日蓮=大石寺歴代」を 証明することとなるわけだ。 では、これが本当に「日蓮さんから日興さんへと伝えられた相承」であるのか否かは、実に簡単に調べることができる。 もう言うまでもないことであるが、大石寺歴代の本尊に必ず書かれているはずの 「日蓮在御判」と「嫡々代々」があるのか否かを調べればいいのだ。 (すでに、平成9年の柳澤宏道氏著 「石山本尊の研究」で研究しつくされているようだ) まず、日蓮さんから直に相承されたはずの日興さんの本尊。 「日蓮御判」とあり、「嫡々代々」の文字は無い。 日興さんの次の法主、日目さんがどうか。 「日蓮聖人」とあり、当然のように「嫡々代々」の文字は見受けられない。 こういうことを、大石寺信徒達は知らされているのだろうか? ちなみに、日興本尊の中には「日蓮在御判」と書かれているものもある。 ようは、「在御判」については、ご丁寧な相承をされているはずなのに「統一性」がなくぶれまくるわけだ。 「在御判」は、後世の歴代は皆統一して書いているようだ。 これがまた「捏造」を証明しているかのような統一ぶりである。 直に相承されたはずの日興さん、その次の相承受者日目さんは、七箇相承の記述に反する書写をしたことになる。 そして、大石寺歴代のどの本尊にも「嫡々代々」という文字は見受けられない。 つまり、「日蓮=大石寺歴代」とは言えないことを、実は当の本人である大石寺歴代達が証明してしまったという愚かさなのだ。 もう七箇相承については、前々回の記事http://blogs.yahoo.co.jp/shounanboy01/4121951.html でも経文の「矛盾」を指摘した通りであるし、今回の指摘する「日蓮在御判」「嫡々代々」の ことを考慮すれば、「捏造」は明白となろう。 この七箇相承がいつの時代に捏造された代物かは分からないが、これほど明らかな矛盾を露呈している書である。捏造された時代以降の大石寺歴代も、「これが捏造」であることを知っていたはずではなかろうか。 自分の地位を壊してまで、正義を貫こうとした人がいなっかたのか。 甘い汁を吸う為には捏造もやむなしと思ってきたのか。 それとも本当に日蓮筆だと信じてきたのか。 正義心をもって、自らの過ちを認めるような聖者は出てこないのだろうか・・・ 大石寺僧侶の「良心」に少しの期待を持っていたいと思う。 |
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在御判の
意味が
仏界の
仏
日蓮大聖人のカオゥ
を表しているとすれば本仏日蓮大聖人の仏性のカオゥの意味か
あとの代代云々は本仏で無い仏性の誰々が書写しましたの意味ではないか?
そうすると偽物ではなく仏の書写と同じになるるとの意味
と思います
仏性で有る在御判は
仏(本仏日蓮大聖人のカオゥ)
を表しているとすれば
将来の書写の
方法を表して
るんじゃないでしょうか
だから
誰でも
仏性が有るからご本尊書写は本仏の書いたご本尊と
凡夫誰々が書写した
とわかる様に
残された注意書では有りませんか?
全ての人に仏性が有るんですから特別な憎は無いように思いますあ
だからご本尊書写の役目がある宗門が自ら破和合憎の
愚行に早く目覚め憎俗和合の信心に戻って憎俗和合の信心に戻ってください
2010/2/13(土) 午後 3:31 [ 京都番号 ] 返信する
京都番号さん
在御判=仏=日蓮の根拠をあげてください。
仮説の話しはもうやめにしませんか?
その仮説が、多くの捏造を生んできたのですよ。
2010/2/17(水) 午前 10:42 [ 湘南坊遺 ] 返信する
在御判とは
一念三千の
分身散体の仏界
すなわち末法の御本仏日蓮大聖人の仏界を表しているから
分身散体の大聖人がかいた花押のことであるはず
だから誰でも仏界があるから誰でも書写出来る理屈になるはずだから
日蓮在御判と書かずんば云々と
に
間違いが起こらない配慮から代々云々は
御本仏でない
だれそれの仏界が
書写しましたと捉えるべきじゃないですか?
分身散体の南無妙法蓮華経つまり御本仏日蓮大聖人が書いた花押になりませんか?
大聖人が将来宗門が破和合僧俗の姿を出した時
ご本尊を盾に取って
言うことを聞けと今の宗門がそうなる事を
見通されてたと拝察します
これから創価学会は益々大興隆を歩みます
宗門は大聖人から破門されてる事を知るでしょう
時が正邪を証明するでしょう
仏とは分身散体の仏界のことで
生死一大事血脈抄に仏と我々は差別なしと仏界の尊さとそれを否定する城者として城を破る
仏界を否定する宗門に
信心の血脈など
あるはずがないことは明白で
無益なりと断じておられるのを知るべきである
2010/2/24(水) 午前 10:28 [ 京都番号 ] 返信する
「日蓮在御判」と「嫡々代々と書くべし」ではないですか?
すなわち、「日蓮在御判」と、「嫡々代々と書かなきゃいけませんよ」と。
2010/6/20(日) 午後 6:20 [ ult*a_s**l_t*mo ] 返信する
普通に考えれば、ultra_soul_tomoさんの言う通りにしか見られないのですが、穿ってみると、普通に見られなくなるということですね。
2010/11/8(月) 午後 9:10 [ mystic.law ] 返信する
日蓮聖人と小さくあるものは、間違い無く「日目上人」直筆の曼荼羅だ!!
2015/1/4(日) 午後 9:22 [ 護聖騎士 ] 返信する