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|   report from revolution, annotation  text by note103   『大谷能生のフランス革命 註釈:第一部』     第3回「大谷能生×岡田利規」 2005.10.23 アップリンク・ファクトリー 主宰:大谷能生 ゲスト:岡田利規 註釈:note103    ※ 本文中の下線リンクをクリックすると、本文ページ、または再註釈ページが別ウィンドウで開きます。 ※ このレポートは、大谷能生氏の承諾のもと作成、公開しております。 ※ レポートの無断転載はお断り致します。 □ 第3回『大谷能生のフランス革命』 前半 □ 第3回『大谷能生のフランス革命』 後半 □ information   ■ 2006年 1月26日(木)  PM17:38 chapter.1    1) 誰に向けて、書くのか、作るのか、ということが、何よりも大切な事だと思う。 註釈。 そもそもの始まりとしては、このイベントをどのように見たか、僕が、ということを 示す事によって、このイベントをより立体的に提示するきっかけになる「かもしれない」、 という目論みで、その異なる視座をそれぞれ提示することで何か新しい形が生まれてくる「かもしれない」、という目論みでこれは書かれているのだけど、そうは言っても僕の言葉だ。 卑下ではなくて、どこの誰だかわからない僕の言葉を通して何かを得られると、読み手は思えるだろうか。 僕の事を知っている人も少なからずこれを読むと僕は知っているし、現にこの文章のほとんどは、これまでもこれからも、 そういった僕の知っている僕を知っている人に向けて書かれていくような気もするのだが、しかしそれ以外の人を、 それでは対象外として考えて(というか考えずに、というのか)進めていくのかと言えばそういう事でもない。 僕はそういう人たちにも喜んで欲しい、ぜひ、とは思っているのだ。 とはいえそれならどうすれば良いのかと言ったらとくに手もあてもない。だからとりあえず始めよう。とりあえず、いつものように。 2) 実を言えば、この註釈を書き始めてそろそろ一週間になる。つまり、冒頭からここまでをこうして記すまでの間に、 多くのここには載っていない文章が書かれ、今どこかに眠っている。それを捨ててこれを書いている、という話ではなくて(いや、 捨ててるのだがそれは大きな問題ではなくて)、その眠っているものや、いまだ書かれていないものとリンクしながら、この註釈文は進んでいくと思う。 3) 今書いているこのような口調、文体というものは、そのようにして試行錯誤を経ながら形作られてきたもので、 決して良い見栄えとは言えないが、とりあえず今のところはこのような言い方に乗せて進めて行くことしか出来ないし、 これでとりあえずOKだと思っている。思うに語調(ヴォイス)というものは文章を進めて行く上で非常に大事なもので、思考を乗せる箱舟、ヴィークルのようなものだろう。言葉や思惑をどのような乗り物に乗せるのか、ということは、話を進めて行く上でとても大事なものだ。ってそれは今書いた。 4) 3)では「試行錯誤」と書いたが、我ながらそれなりにいろいろと、我ながらそれなりにいろいろと、試したのだこれでも。すでにお気付きの方もおられるかもしれないが、ようするにこういう進め方って、前回(第1回)のフランス革命註釈とは全然違うでしょ?全然違うのだ、本当に。 まったく、どれだけ前回のスタイルに合わせようとしたことか。しかし、どうしても合わなかったのだ。「あ、これは駄目だな」という見切りは幾度となくつけたのだが、しかしその度に、「だからと言ってそれ以外の文体、スタイルでは通用しない”言いたいこと”が僕にはあるのだから、前回のような落ち着いた口調を何度だって試さなければ」と思っていたのだが、でもやっぱり駄目だった。 5) これまでにこの註釈の為に書いた文章の総量というのは決して少ないものではなかったが、そのどれもがどうにも焦点の定まらないものだったし、 何というか、早い話がつまらないのだ。コンセプチュアルに攻めたり、饒舌体で攻めたり、或いはちょっとしんみりした調子で統一してみたりと、 ない手と知恵を絞って(この辺は若干卑下だが)やってはみたのだが、どうにも面白くない、修行のような文章になってしまう。 そんなものは僕は勿論、誰にしたってとくに読みたくもないだろうし、第一この註釈文は、大谷さんや岡田さんだって読まれるのだ。(お二人とも それぞれのメールで僕に対して”註釈、楽しみにしてますよ”と書いて下さったのだ・・・!) となればこそ余計に、そんな中途半端なものを提出するわけには行かない。だからそれなりに自分なりにはいろいろ 試して一番良い方向性を探っている。 6) そのようにしてひとまず辿り着いたのがこの手法、ようするにブログ体、日記風テクスト、というわけなのだが、どうかそんなに 肩を落としてガッカリとはしないで欲しい。ブログなんていつも読んでるよ、なんて言わないでおくれ。僕だっていつも書いてるよ! でもとにもかくにもこの方法が今のところは一番有効なスタイルであるような気がしているので、これでしばらく行くし、 面白い内容も何とか充填していくからよかったら付き合ってみて欲しい。 7) さて、そんな今回の註釈だが、やりたいこと、せめてこれだけは、というぐらいに挙げておきたい内容というのは、これが少しはある。 僕にしか採り上げる事ができない内容であるかどうかはわからないけれど、とりあえず僕の言葉を用いてそれらに触れてみたい。 それにしても、上手く行くだろうか・・・。   ■ 2006年 1月26日(木)  PM20:07 chapter.2    1) 本題に入る前に、また頭がごっちゃになってしまわない内に(すぐになるのだが)、幾つかのルールを明言しておこう。ルールというのは、僕がこの 註釈文を書いていく上で、これには気をつけておこう、これについてはなるべく念頭から消してしまわないようにしよう、 と思っていることで、たった二つだ。 ■どうしても言いたいことは必ず書く ■構想した総てを書く 当たり前の事のような気もするが、当たり前のことや大事なこと、というのを人は(僕は)すぐに忘れるから、 こうやって書いておいた方がいいのだきっと。 最初はこの他にも、「シンプルな表現を心掛ける」とか「誰に語りかけるのかはっきりする」とかあったのだけど、なんだか、そういうこと を言う以前に押えなければいけない大事な事があるような気がして、そういうのは一旦ナシにした。 2) また、今回の註釈に入るにあたって僕は2つ、前もって或る仕掛けを用意したのだが、その一つはこの 段階で説明する。 それは、 ”本文は本文、註釈は註釈で、それぞれの話題が別の時間軸の中でパラレル(並行)に進行しているものと設定し、お互いに関係のある部分ではリンクを張り合う” というものだ。ちょっと分かりづらいだろうか。というか、そんなことする理由がわからない?いや、それははっきり言って僕にもよくわからないのだが、何か面白いんじゃないか、 と思ってそのような仕掛けを考えてみたのだ。 では具体的に、そのように設定してみることで何が起こるかと考えてみると、つまりこの今あなたが読んでおられる註釈ページでは、 本文からある意味独立した時間、独立した権限/治安を持って 話を進めて行く事が出来る、ということがある。その何が良いのかというと、このページの進行順や、それぞれの註釈トピックへの力の入れ方が、 より自由に設定できるのだ。もし逆に(というか)、普通の註釈のように本文ページの進行に常に対応しながら進んでいくものとすると、 そこではどうしても、本文で大きく扱われている話に対して大きな註釈を、本文では殆ど出てこない話題に対してはなかなか触れることが 出来なかったりといった、註釈作者としてある種の自主規制を働かせてしまうようなことが起こり得る。 だからと言って、わざわざ虚構としてのパラレル空間を作る必要があるのか、或いは その試みが上手くいっているのか、ということはわからないのだけど、 しかしそうした自由度を拡げる装置として機能する「かもしれない」というあくまで実験、チャレンジなので、その辺はどうか 大きな気持と長い目でお付き合い頂ければと思う。 以上の、パラレル空間としての註釈ページという設定により、ここでは、 各註釈トピックの内容や分量は本文での扱われ方とは全く対応しない。 であるから、もしこの註釈で読んだ事がほとんど本文になかったり、本文で大事に話されていることがここになかったりしても、それは不思議ではないし むしろそうあるべきである。なぜなら、その齟齬やアンバランスさこそが、さらに新たな解釈(ないし註釈)を生みだす 糸口に大いになり得るからである。 そしてこれは僕からの唐突なお願いなのだが、もしこの註釈ページを読まれた方が自らの中に、そのような新たな註釈トピックを発見した暁には、どうかその先を自身で継いで頂くか、 僕に報告&その先の作成依頼をして欲しい。なぜなら、そこで現れた発見やものの見方というのは、そのまま埋もれさせていくには あまりにも勿体ないものであり、第一僕がここでやっている事というのは、多分そういう繋がりの始まりに過ぎないからだ。 3) ということで、いつまでもそんな前提やシステムの話ばかりして内容に入るのをむしろあたかもわざわざ避けているかのようだが、そういう 部分もなくはない。でもそうやって岡田さんに関する話(註釈だ、それこそ)を先延ばしにしても面白くないので、 そろそろ本題に入っていこう。   ■ 2006年 1月26日(木)  PM23:12 chapter.3    岡田さんのこと-1 岡田利規さんがフランス革命のゲストにいらっしゃると聞いて、さっそくネットや雑誌の情報を集めて(という程の量ではないが)、 いろいろ読んだり予習をしてみた。 それらから得た知識は様々だが、この註釈第一部では、 僕が当日会場へ向かう際に具体的には何を参考にしていたか、 ということ列記してみたいと思う。 しかし実を言うと、今すぐにそれらについて書くには、ちょっと分量もあり 内容としても言いたいことが多くあって 正直大変なので、そしてそういった作業を今回の註釈ではあまり無理せず、またその分 十全に記したいので、ここではまずそのとっかかりの作業として、 資料のカテゴリーだけを記しておいて、続きは順次別のエントリーで展開して行きたいと思う。 ・[インタビュー] 4件 ・[岡田さんのテクスト] 3件 ・[チェルフィッチュ/岡田さんに関する論考] 7件 ・[その他] 5件 僕はこれらのものを読んでからイベントに行ったから、本当に面白かったし、助かった。 → つづきのページへ。   ■ 2006年 1月27日(金)  AM 00:01 chapter.4    1) 稽古場で考えたこと-1 27日になってしまった。 Webにアップされた時点ではわかるようになっているはずだが、これでもう8日間まるまる、僕はこの註釈を書き続けていることになる。 それなのに、まだここまでだ。膨大な、ここまでには出てきていない文章は総て 駄文として捨てられてしまったが、それは「本当に書きたいこと」を書いていなかったから そうなったという、当然の帰結でもある。だから、ここまでの文章を、もしあなたが目にする事が出来ているのなら、 それは少なくとも僕にとっては、書かれるべき文章だったということになる。 27日になってしまった、とは書いたが、それは日付が変わったというだけのことで、今は深夜0時 4分である。上の「岡田さんのこと」と同じ日の、連続した時間の中でこれは書かれている。 話を戻そう。 稽古場の話だ。 2005年10月23日、イベントが始まる前のちょっとした時間に、僕は岡田さんと少しお話をすることが出来た。 そこで話したのは、「『創作する場』の具体的な手配(段取り)の仕方」についてである。 自由に活動を行える創作の場、というものがあるとして、それはミュージシャンに とっては自前のスタジオということになるだろう。 かつてフィッシュマンズが、また、種ともこが、そしてザゼンボーイズが、自前のスタジオを 作ったという話を聞いて、僕はその都度「ああ、いいなあ、夢のようだろうなあ」 と思ったものだ(実際どうなのかは、よくわからないけれど)。 何を言いたいのかと言えば、そういったいわば「自分のアトリエ」を持つということは(というか、 フッと出たがまさにそれはアトリエなのだ)、クリエイターにとって一つの夢であるはずだ、ということだ。 ちなみに僕は今、自分のクリエイティブな作業の多くがこうして(というか)パソコンのキーを パタパタ叩くことぐらいなのだが、それでも本当に集中していつまででも作業できるアトリエ空間が あったら素敵だわね、とかいうことをそれでも考える。そういうのって、いいわよね。そう思わないか。 ともかく、他にもまた、実は僕は昨年9月から、音楽私塾『ペンギン音楽大学(主幹講師:菊地成孔)』 の生徒有志による自主ゼミ会というのを企画・進行していて、その開講場所というのを 毎回段取っていたのだが、それが非常に(というほどでも実はないのだが)大変で、 まず安く借りられそうな場所をネットなどで探して、電話で予約を取って、参加できそうな人たちに あたりを付けて、それでも当日になるまで結局一人当たり幾らぐらいの場所代になるか 予測しきれない、という日々が続いていて(というほどでもない)、そういう 下地もあって、自由に出来る空間が欲しい欲しいと常々思っていた僕は、 今回の革命における予習段階で「稽古には、少なくとも2ヶ月くらい毎日かける(かけたい)」といったことを岡田さんが 仰っていたのを読んで、「一体、そのような場所をどうやって手配するんですか?」 という事を訊きたかったのだ。 結局、岡田さんからはかくかくしかじかの理由でその稽古場をある程度自由に使用することが 出来ている、というお話を伺ったのだけど(それでは全然わからないが、本論とはあまり関係ないので 割愛する)、そうこう話しているうちに、 なんと、その約10日後から始まる新作公演『目的地』の本番直前とも言える稽古場を 見学できることになっていた。すごい! そのようにして向かった稽古場レポートに関しては、許可を頂いてその模様を音声で 記録させて頂いたりもしたので、改めて時間をとって、なるたけ詳細な 記録や感想を作成したいところなのだが、それは『註釈:第二部』にて(できたら) 作成することにして、ここでは、その稽古場という場所で、僕が何を感じていたのか ということを、その核の部分を、出来るだけ説明してみたい。 2) 稽古場で考えたこと-2 見学の当日は10月26日の水曜日で、 予定されていた稽古時間は正午から夕方6時までの6時間だった。 岡田さんからは事前に数日分の稽古スケジュールを教えて頂いていて、僕はそこから都合の 良い日を選択すればよかったのだが、頂いた候補の中で 一番稽古時間が長かったのが、26日だった。 余りにも用心して家を出たので、稽古場に着いたのは随分早く、仕方ないので、 近くの商店街などをぶらぶらと歩いて時間を潰した。カバンには、3日前にアップリンクで撮影したパフォーマンスの 模様を収めたVHSのテープが2本入っていて、 僕はそれを岡田さんに渡すつもりでいたのだが、出掛けの用意が慌しくて、ついそのテープをケースに入っただけの状態で、袋にも何も入れずに持って来てしまっていた為、 「これでは渡す際に不格好だよな」という事が気になり始めていた。 いよいよ、稽古場に入って続々と顔をそろえる役者の方々と次々に挨拶を交わし、 少し遅れてやってきた岡田さんと3日ぶりの挨拶を交わし御礼を言って、しばらく雑談 してから稽古は始まった。(この後の詳細は『註釈:第二部』にて) 「ここでは、その稽古場という場所で、僕が何を感じていたのか ということを、その核の部分を、出来るだけ説明してみたい」とは言ってみたものの、いざ書こうという 段になると、上のように、稽古場へ入るまでの説明などをしてしまったりする。 とはいえ、これはいわば助走・ウォームアップのようなもので、 決して無駄なことではない。いや、言い訳ではなく、実際にこれは、まさに岡田さんと チェルフィッチュのメンバーの方が稽古でやっている事そのものなのだ。と書きながら、 もう少し助走が長引きそうだな、とも予感している・・・。 じゃあ、と一言発しただけで、チェルフィッチュの稽古は始まっていて、逆に言えば、 「じゃあ、始めます」というところまで言ってしまったら、また最初からやり直しなのかもしれない。 つまり、「始めない」ということが、チェルフィッチュにとっては、稽古を始める際に おそらくもっとも気をつけなければならないことで、それはかなりデリケートな問題なのだ。 もう少し説明すると、これは「空気を作る」作業でもある。出典を忘れてしまったので、 それこそ『註釈:第二部』を書く際には調べておきたいが、棋士の羽生善治が最初の 一手を打つまでの長考(6時間とか)の理由を訊かれて、「空気が出来るのを待っていた」 と答えた、という話があるが(でも出典がわからない。羽生善治 が出てくるのだから保坂和志のような 気もするのだがわからない)、それに近い。 これについては、助走・ウォームアップ、という言い換えを用いたけれども、しかしそれ以上の 意味を持っていると僕は思う。「始めてしまわないように注意を払いながら、始める」 というのが、上で僕の言っていることなのだが、その姿勢はまた同時に、 始まってしまった後、つまり稽古の真っ最中でも常に強く意識されている。 実はさっきの出典を思い出せない羽生氏の話を確かめようとして保坂和志の著作を パラパラめくっていたらつい目に入ってしまって、本当は今回の註釈(第一部)に関しては スピードアップの為にもなるべく引用や参照をせずに進めたかったのだが、 あまりにも岡田さんの稽古の進め方に対する印象と合致してしまったので、 仕方なく(本当にそんな感じなのだが)、引用する。これは、僕が岡田さんの 演出を見ながら感じていた膨大な感想の一部にピッタリと重なる内容なのだ。 ”たとえば小説と小説家の関係は、羊の群れと牧羊犬のようなものだ。何十頭かの羊たちが気ままに 草を食べながら移動しているその群れを、評論家は能力が高い牧羊犬がきちんと誘導しているように 読むのだが、小説家自身は出来の悪い牧羊犬でいたいと思っている。 羊の群れを制御するものは、たとえば事前に決めたストーリーであり、たとえば小説の展開や流れが収拾がつかなくなる ような破綻要因を回避して、登場人物たちの 言動をそこそこのところで制御しておくことなどだ。このとき小説家は能力が高い牧羊犬になってはいるのだが 、小説が小説として動き始めた運動を殺してしまったことも知っている。 (略) 小説を書くことは、自分がいま書いている小説を注意深く読むことなのだ。” (保坂和志著 『小説の自由』P165「出来の悪い牧羊犬」より) 章タイトルが「出来の悪い牧羊犬」という時点で、もう降参、というか目に入ったら読まない まま本を閉じるわけにはいかなくなってしまうほど面白いのがこの本の問題だが、保坂さんの 本には、こうした小説以外のものに多く、こういった示唆的な文章が頻出して(小説でもそうだと思うが)、例えば他には『書きあぐねている人のための 小説入門』などを読んでいると、これって実は岡田さんの演出法を書いているのではないか、と思える ような記述が次々に登場して慄く。勿論ここで言う「岡田さんの演出法」というのは、僕がそう 感じたそれ、ということではあるが、つまりそれは僕が稽古場で感じていたこと を説明する言葉であるとも言える。 ちなみに、今挙げた「出来の悪い牧羊犬」の次の見出しは「拡散的注意力」となっていて、 僕などはこのタイトルを見ただけでこれは岡田さんが普段稽古の際などに留意している事(もっと詳しく言うと、 岡田さんが大学を卒業するくらいの年に参加された、平田オリザさんの一般向け ワークショップで行われたという、『俳優の身体にわざと負荷を与えて、台詞への意識を分散させる』などの事を指すが) を文章化しているものなんじゃないか!?と思わずにはいられない。 という、このあたりについても、できれば次回でさらに詳しく詰めてみたいがどうだろう。 さて、このあたりでそろそろ、「その稽古場という場所で、僕が何を感じていたのか という、その核の部分」について触れておかないと読むのを止められてしまうかも しれないので、それについて書いておこう。 昨年10月26日の正午から夕方6時までの6時間、休憩を挟んでも5時間以上の稽古 だったと思うが、その間ずっと見学しながら僕が思っていたのは、 ”この人は、岡田さんは、どうしてここまで一生懸命にこの作業をやっているのか” ということであり、またその繋がりで現れた、 ”僕は、どうして生きているんだろう?” という疑問だった。 後者の文意に関しては、言葉がシンプルな分、かなり説明が必要な気もするが、とりあえずの 説明ではかえって煩雑になるので、ここではあえて説明しない。 では、はじめの一文、「岡田さんは、どうしてここまで一生懸命にこの作業をやっているのか」 という印象について少し考えてみよう。僕はつまり、どうしてそんなことを思っていたのか。 3) 稽古場で考えたこと-3 今にして思えば、そうした印象というのは、相手が岡田さんでなくても、例えば画家や、スポーツ選手や、学者の人たちを見ていても 思った事かもしれないのだが、少なくともこれまでの人生において、そのような「理解不能」 な状態に陥った事というのが僕にはなくて、それで実際、かなりその考えに良い意味で 絡め取られていた。というか、僕はこの日この疑問に捉えられて以後、 何日もの間、ずっとこの事ばかりを考えていたのだ。 ”岡田さんは一体、何のために、あんなことをずっとやっているのだろう?” と。 さて現在(というのは、2006年1月27日午前2時12分のことだが)、この段階から僕に出来る考察はひとまず2種類あって、一つは、その疑問をそのまま 引き継ぐ形、つまり「岡田さんがそれをやっている理由」について考えることで、 もう一つは、僕がその時にそのような疑問を持った理由を考えることである。 結論から言うと、その内の前者「岡田さんがそれをやっている理由」については、ある程度 僕なりの答えは出ていて、実際それについて書こうと思ってここまで進めて来たのだが、 そうして書いている内にこの後者「僕が稽古を見ながらそのような疑問を持った理由」に ついて考えることへの興味が湧いてきてしまったので、急遽それについて考えてみたい。つまり、 ”どうして僕は、稽古を見ながら「岡田さんは一体、何のために、あんなことをずっとやっているのだろう?」 という疑問を持ったのか” 思うに、岡田さんが進める稽古というのは、見ていてあまりにも面白かった。 役者に 放つ言葉は必ずしも身体や台詞を直接指示するものではなく、これらも具体的には次回に 回したいが、何かしらのエピソードを巡る「たとえ話」や、映像的でありながら実際には目に見えない次元を示す説明や、或いは自ら動いて新しい動きを 提案する様や、また或いは単に「いいなー、この場面、いいなー」と感想を呟いてみたりといった 一つ一つが面白く、しかしその面白さというのは岡田さんという人間を観察していたら面白かった、というもの ではなくて、その場所に充満する空気が刻々と内容を変えていく事が、と同時に、 一貫して変わらない、厳然としてそこにあるであろう美しさや豊かさを捉えることを求めてチャレンジを 繰り返している悲壮なまでの地味さが、面白かったのである。 そのような稽古をひたすら見ていると、僕にはそれが、「ちょっとやそっとじゃ辿り着けない 、しかし確実にあるはある(はずの)境地への到達」を目指しての行為であると思えてきたのだが、 ようするにそのような行為を間近に見るということが初めてだったせいで、それで 僕は考えてしまったのだ。 どうして、そこに到達する必要があるのか?と。 岡田さんが、美しさや豊かさを求めると言うのなら、それは良い。というか 構わない。やったら良いと思う。OK。しかし、である。問題は、 どうしてそれを求めるのか、ということである。 僕はつまり、それまでそんなことを疑問に思ったことがなかったせいで、 その後いつまでもそれについて考えざるを得なくなってしまったのだ。さっきも言ったように。 まだ繰り返すが、ある種の人が美しさや豊かさを求めたとする。 それは他人のことなので、別にどうでも良いのだともしよう。OK。 しかし、ではどうしてそんなことを?と考え始めた時、あなたならどう考えるだろうか。 それは彼の趣味なのか?彼の性癖?あるいは、そんな事はどうでも良い? 僕は、岡田さんがそうして演出を続けるのを見ながら、この人は必至だなあ、 すごいなあ、終わらないなあ、というか、このモチベーションって何なんだろうなあ、 という事を延々飽きもせず考えていたのだが、というか6時間は面白すぎてむしろ あっという間だったのだが、結局のところそれだけの時間を すべて自らの創作行為に捧げるそのありようを理解できなかった、という事なのかもしれない。 というのはしかし、自分には出来ない、という安易で無意味な降参や思考放棄の宣言では なくて、見たこともない難問が降りかかって来て喜んでいるような 状態に近い。 さて、そこまで来てようやく、というか、後者の疑問「僕は、どうして生きているんだろう?」 が出てくることになる。 というのも、そのような理解の出来ない粘りを目の前にして僕が出した一つの仮説として、 「それが岡田さんの生きる意味になっているからだ」という、ちょっとどうかと思うほど プリミティブ(月並み)な答えが出てきてしまったからで、その後の必然的な思考の流れに さらに身を任せてみた結果として、それなら僕はどうなのか、という疑問 が現れたからである。 先にも触れたように、この後者の疑問に対しては僕は既にある程度の、というか 今の段階においては最終的とも言える答えを出している。しかし、その結論を出すまでには 何日もの時間がかかったし、またそれを巡っては様々な2次的、3次的な疑問や答えが 周りを渦巻いた。 だから、ここでもしそれについて書くのであれば、その2次的、3次的な層を成した渦をも 含めて提示しなければ何の意味もないのだが、 諸々端折って言ってしまえば、答えは「人生を使い果たし、味わい尽くす為」である。 という、それらを考える大きなきっかけとしてこの稽古見学があったと いうことは言えるのだが、或いはこの日の稽古そのものが、 僕への「お前はどこにいるんだ?なぜ生きているんだ?」という問いかけであったと言った方が 、近いしわかりやすいかもしれない。 4) 稽古場で考えたこと-4 稽古が終わってから、椅子や長机をかたして我々は(岡田さん、山中さん、岩本さん、瀧川さん、山縣さん、下西さん、僕)、ロビーで少し雑談をした。 岡田さんにVHSのテープを2本渡しながら、「袋とかに入れてくれば良かったんですけど」と言ったが、 とくに気にしていないようだった。当たり前だ、10日後には初日が迫っていて、丁度良い袋どころじゃないのだ。 ソファーに仰向け気味に体を倒した岡田さんの体からは疲労と充実と熱い体温が滲んでいた。普段僕の周りではそのような 消耗をしている人をあまり見ないので、その漂う空気(疲労、充実、汗の混じった空気) を前にしてどう接すれば良いのか少し戸惑ったが、今思えばその空気というのは、スポーツ選手の 練習後のそれに近いのかもしれず、それなら僕から縁遠いという感覚にも頷ける、と今(2006年1月27日午前2時44分)思った。 帰り道を皆で一緒に歩いた。昼のあいだに降った雨は上がっていて、 アスファルトに水たまりが残っていた。駅では瀧川英次さんだけが逆方向の電車に乗った。 僕は岡田さんと山縣太一さんと岩本えりさんと山中隆次郎さんと同じ方向の電車に乗って、途中まで山縣さんと少し話した。 山縣さんは僕の出た大学がムサビだと聞いて、その近くで友達が居酒屋をやっていたのだと言ってから、 その友達は今は高円寺で似た名前の店をやっていると言った。僕はムサビの 近くにあった頃のその店に友達と行ったことがあった。もう8,9年前のことだ。その友達は 僕が大学に入ってから一番最初にできた友達で、結局卒業までの4年間を通して 一番仲が良かったのも彼だった。僕らは互いに友達が少なくて、家が近いこともあって よくどちらかの家に行って深酒をしたが、今は遠いところにいて会えない。 岡田さんの演出を見ながら、僕は自分がどうして生きているのか、という疑問にまで 辿り着いてしまったが、それは岡田さんがどうしてそんなに一生懸命に創作をするのか、という事 を問いたくなったからで、問いたくなったのは、岡田さんの行為する様が、そういった 思考を誘発する何かを持っていたからだろうと思う。その様を見ていると、 どうしても「なぜ?」と考えたくなってしまうのだ。 東大で大谷さんと菊地さんがジャズの講義をした第1回(2004年4月14日木曜日)に出てきた言葉で、 『被分析誘発性』というものがあるが、それは「分析せずにはいられない!」と思わせる ビーバップの演奏などに対してあてはまる言葉である。 岡田さんの演出には、被分析誘発性がある、と僕は思う。少なくとも僕に対してそれを誘発する し、僕に対してするのなら、他の誰かだって誘発されるだろうと思う。岡田さんの演出 それ自体は作品ではないが、しかしそれを通して生み出される演劇作品には、否応もなく、 岡田さんの演出する様が持っている被分析誘発性が、やはり顕れないわけがないだろうと思うし、 その顕れ方というのは、地表に雨が降って、それが徐々に地層の下の層へと沁み込んでいく、 沁みる様(沁みていく姿)に近いかもしれない。 岡田さんは、よく演出する際に、また『ユリイカ』の原稿にでも言っていたように、イメージへ深く潜って とって来る、といった言い方をするけれど、そのとって来る先というのは、そうして沁みに沁みた 成分が溜まりに溜まった最下層の部分で、しかしそれは同時に、地表に降った雨が上方から下方へ沁みていく ように顕れるという視座を経由することで、相反する方向性を持った二種類の影響の仕方が同時に存在する 「イメージの顕れ方」であると言うことも出来るかもしれない。 岡田さんの演出なり作品なり原稿なりインタビューなどを見ていて僕が思うことの中に、 「係留」、「どちらにも属さない」、「相反する二つの状況を同時に進行させる」といったものが あるのだけれど、そういった言葉がよく登場したのも実は東大のジャズ講義で、「係留」は『ブルース』を扱った回に、 「どちらにも属さない」、「相反する二つの状況を同時に進行させる」といったことは『引き裂かれ』という キーワードを透けて、マイルス・デイヴィスの集中講義の際に何度も使われた。 例えば先に挙げたような形で「今生きていることの理由」を考える時、その思考は、実は 二種類の方向性を持っている。 すなわち、「なぜ能動的に生きる事を選んでいるのか」ということ と、「なぜ、どうせ死ぬのにまだ生きようとするのか」ということであるが、その二つは ほとんど別種の問いであるにも拘らず、混同されやすい。 この混同されやすい二つの問いを混同しないまま「係留」し、「どちらにも呑み込まれないように」 注意を払いながら考えていく必要がある時、僕は岡田さんの演出スタイルを 参考にすることが出来るかもしれない。 ところで、その原理的と言ってもいいほどシンプルな問いを考える際の必然的な帰結として、 僕はそこにもう一つの新たな問いを重ねざるを得なくなり大変難渋したのだが、 その問いとは「時間はいつ始まったのか?」というものだ。 そしてそれも含めた計三つの問いに対する答えについては、前述の問い同様に僕の中では既に出ていて、 これも経緯を取っ払って言ったところで何を伝えたことにもならないという前提で 示しておくと、最初の二つについては 「能動的に生きる理由は、生きることが気持いいから」、「まだ死なないでいる理由は、 生きているうちはその気持良さを享受できるから」であり、時間がいつ始まったのか については、「どこまで考えてもフィクションでしか説明できない、証明不能の問いである」 と、今のところなっている。 とくにこの「時間について」の問いに対する思考には随分時間がかかったのだが、 ようするにこの問いにしても、結局のところは10月26日(水)の稽古場で僕が囚われてしまった ”どうして僕は生きているのか?” という疑問に端を発したものであることは言うまでもなくて、つまりはこの稽古見学 を境に、僕は本当にもの凄いスピードで一気に哲学せざるを得なくなって、実際した。 哲学が始まって最初の頃は、「世界がここにある」という事実について吟味咀嚼する機会が時折ふいに 訪れた。その時に僕が考えた事というのは、世界や現実といった、それまで揺ぎない前提 としてあったものが、実はそうはっきりと把握できるものではない、存外不確かなものなのだ、という実感に近い想像、 思いめぐらしであったかもしれない。 つまり、人というのは大概80歳ぐらいまではごく自然に生きることができて、例外はあるにしても それは僕や僕の友達にはあたらず、昨日までがそうであったようにひとまず60歳になるぐらいまでは元気に たまに酒など飲みながら暮らしていけるものなのだと思っていたのだが、実際には そんなことは必ずしもなくて、自分が今まで世界だと思っていたのはそういう虚構としての 映像だったのであり、それはちょっと突付けばボロの出る、よくわからないものなのだ、という前提 が僕の下地にはいつしか沁み込んでいて、それで6時間に渡る岡田さんとチェルフィッチュ・メンバーによる濃密な稽古 の間、ほとんどすべての場面において、1秒残らず面白く感じることが出来たのではないか、と考えている現在である。 [2006/01/28 PM18:31]   ■ 2006年 1月27日(金)  AM03:42 chapter.5   本稿は、第3回「大谷能生のフランス革命」の註釈、第一部です。 この註釈は、前半でも書いた通り、 本文からは独立した時間軸を設定した上で進行しています。 よって、稿の途中で言及した箇所を含め、まだ内容の深度が至らない部分に対しては、 該当部分を直接に補完修正するのではなく、それを修正する日付において、随時新たな テクストを加えていく予定です。ところでここに付け加えれば、岡田さんは既掲の柳澤望さん による「インタビューランド#1」における質問、『チェルフィッチュのホームページで掲載している「演劇論」は(略)書き継がれ うるものでしょうか』に対して、 ”いまは止まっていますけど、書き継ぐつもりです。書き直さなければいけない個所もあるけど、 そこは消さないで、「ここで書いているのは舌足らずで・・・」という書き方で、直したのは分かるようにしていきたい” と回答していて、修正を新たなテクストを付加することで成していくスタイルは、ここで言及されている 「演劇論」の修正方法と繋がってもいます。 次回第二部では、稽古場レポートの詳細、『目的地』公演およびテレビ放映についての 感想、また、各参考サイトとのリンク、引用も加えながら 展開して行きたいと思っています。どうぞお楽しみに。   ■ 2006年 1月27日(金)  PM00:14 chapter.6   1) 方法的戯言 革命本文のある部分で岡田さんは、 ”俳優に例えば今日稽古場に来るまでに電車の中であった出来事とか 、他愛のない、何でもいいんですけどそういったことをまず喋ってもらうっていうことを、 基本的に稽古の一番最初にやっていて、それからセリフを使う稽古に移行する” と言っているが、その方法をなぞるようにして、朝起きてから今こうしてキーを叩く (2006年 1月27日午後0時16分)までの ことを書きながら再び註釈的内容へ入るまでの文章をしばらく書く。 昨夜書いた、ここまでの文章を読み直して、あまりにも意味の通らない部分などを直してみるが、 基本的にわかりづらい傾向を持ってしまったのかもしれないな、この註釈は、と思った。もしかするとこれに比べれば本文で言っている事のほうがよっぽどシンプルでストレートな 言い回しの連続なのかもしれない、とも思うが、それはそれである種の役割の 果し方だろう。 また一方では、退屈な文章であるような気もしていて、このページ全体が、 しかしそこから何かを汲み取ってくれる人はいるかもしれないとも思うし、 第一これはまだあらゆる場所へのリンク元となる、 きっかけとしての「床(しょう)」というか、そういう場所づくりの一環であり、 これをいわば叩き台としてこの先の遣り取りを進めて行くことを考えれば、少々雑然と して理解までに時間のかかるぐらいでいいのではないか、という気がしている。 そのような流れで、今日は僕がイベントに際して集めた岡田さんの情報をある程度 まとめてリストにして、そのそれぞれに簡単な紹介のコメントを付与していく作業を しようと思う。 それが出来れば、その先の作業としてそれぞれの資料の詳しい内容と、その内容 に対して僕がどう思ったか、また今回のイベントとどうリンクしているか、また その資料はそれ以外のどのような事とリンクしうるか、といったことを記すことへ 作業を繋げていくことが出来そうな気がしている。 ところで、例えば昨日は稽古場見学の際に僕が受けた印象やその折に考えたことなどを 書き記し、今日は岡田さんに関する基礎情報をまとめようと しているのだが、やはりこの場所が基本的には本文に対する註釈であるという性質に 立ち戻って考えてみると、こうした「註釈が立つ独立した時間軸」を確立する一方で、 やはり機能的に註釈らしくある部分というのを別に設定していかないと、読まれる方には つらいかもしれない。というか、僕自身がそういう機能(わかりやすいガイドとしての註釈、という機能) がもう少しあったら良いと思っている。 なので、これは結構以前から考えていたのだが、註釈の目次、のようなものを 別ページないしこのページの冒頭につけて、そこでアナウンスを受けられるように すると良いかもしれない。 では、そんなウォームアップ的な文章をしばらく書いたところであらためて、 岡田さん情報のまとめに入っていこう。ウォームアップ的なノリのまま。 2) 岡田さんのこと-2 昨日付けのエントリーである、「岡田さんのこと-1」のつづきである。 さっそく、体があったまっている内に出来そうなものから列記していきたい。 ■岡田さんに関する参考資料一覧 ※ところで、今思いついたのだが、以下の他にも岡田さんに関する参考資料(インタビュー、 本人による論考、各種媒体による記事など)があれば、どなたかお教え頂けないだろうか。 このスペースはご覧の通り、資料閲覧サイトとしては脆弱だが、その叩き台にはなるかもしれないから。 ※また、参考になるかどうかはわからないが、ここから挙げる資料はちょっと量が多いので、それぞれの参照先URLにつづけてそれを読んだ 僕のコメントをグレイの文字で短く付けておく。参考にして下さい。 □[岡田さんのテクスト]■■■■ 4件 1・「演劇/演技の、ズレている/ズレていない、について」 → 『ユリイカ 2005年7月号 特集*この小劇場を観よ!』より チェルフィッチュを観ていく上で非常に役立つ「イメージ」についてやさしく具体的に書かれている。 2・「Language the virus, makes you dance.」 → 『現代詩手帖 2005年3月号 特集*身体のポエジー』より 短いが、「身体はウィルスのように言葉に動かされる」という話。 3・演劇論 → 『チェルフィッチュ.net』 http://chelfitsch.net//より 「イメージ」について、より核心的に語られている。 4・「オルタナティヴ」 → click!! ボンヤリ読んでいたらハッとした。 □[インタビュー]■■■■ 4件 1・「インタビューランド#1チェルフィッチュ 岡田利規(聞き手:柳澤 望)」 → click!! 大変お世話になりました。参照先がとても豊富。 2・「国際交流基金 アーティストインタビュー」 → click!! 質問が簡潔かつ独自。それでいて聞きたいことを聞いてくれている。 3・「稽古場レポート<チェルフィッチュ編>(聞き手:杉本隆吾)」 → click!! ふざけているようで、かなり芯に迫っている箇所がある。面白い。 4・「先物買いのススメ 岡田利規(チェルフィッチュ)インタビュー」 → click!! 短くてオーソドックスな内容だが、「すごい力のある人とやりたいんですよ」は面白い。 □[チェルフィッチュ/岡田さんに関する論考]■■■■■■■ 7件 1・「岡田利規の造形的舞台が想起させるもの」 → click!! なかなか触れられない初期の作品について詳細な追体験ができる貴重なテクスト。 2・「チェルフィッチュの『労苦の終わり』について(前編)」 → click!! 作品自体未読(未見)なので、あえて読んでいません。 3・「チェルフィッチュの『労苦の終わり』について(中篇)」 → click!! 4・「チェルフィッチュの『労苦の終わり』について(後篇)」 → click!! 5・「抽象語の効用(1)― 岡田利規とシニフィエ」 → click!! 『ユリイカ』等で使用された「シニフィエ」という言葉についてアカデミックに言及した敢闘エントリー。感動しました。 6・「チェルフィッチュ『三月の5日間』」 → click!! 関係ないですが、中西さんにはこの間トラックバックして頂きました。 7・「2004年の演劇ベストアクト」 → click!! □[その他]■■■■■■ 6件 1・「石神夏希(ペピン結構設計)インタビュー 聞き手:岡田利規 ST通信no.24」 → click!! 「聞き手としての岡田さん」シリーズ。様々な作家・演出家の活動を垣間見る機会になった。(下へつづく) 2・「『RとJ(再演)』中島諒人インタビュー 聞き手:岡田利規 ST通信no.25」 → click!! (つづき)石神さんも中島さんも非常に興味深いお話。作品を観たくなった。 3・「2004年契約アーティスト就任記念座談会 ST通信no.29」 → click!! 『美味しんぼ』に登場した「鍋」の喩え話はギミックではなく非常に重要な遣り取り。しかし途中で切れている・・・。 4・「「野 鳩」稽古場レポート 聞き手:岡田利規」 → click!! これも非常に観たくさせられた。 5・「第13回ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバル 公開二次審査リポート」 → click!! 坂手洋二さんのコメントが見所。他の審査員のコメントも見所。ちなみに第一次審査の模様はこちら。 6・「横浜で半日過ごす」(チェルフィッチュ公開稽古 2004年10月23日 → click!! このような、フランス革命に先立って公開稽古をレポートしたテクストは数少ない。 ひとまずこのような感じである。というか、これらに一応目を通してから僕は革命に臨んで、 おかげで充実した時間を過ごす事ができた。予習をしたのは僕の努力によるものだが、 これらの資料を作成された方々には、この場を借りて心より感謝致します。 また、ここにあるリンク集のほとんどは、[インタビュー]項目の「インタビューランド#1チェルフィッチュ 岡田利規(聞き手:柳澤 望)」 ページ内で紹介されていたものなので、未読の方はそちらの記事もぜひご参照頂きたい。 さて、これらの資料から読み取れる事というのは山ほどあるのだが、そうやっていくつかのインタビューなどをまず読み比べてみると、 それぞれどれも独特で面白いながら、やはり「被る質問(と回答)」というのはどうしても出てくる。例えば以下のような遣り取り。 ■演劇(ないしチェルフィッチュ)を始めたきっかけは? →映画サークルに入ったらそこが演劇に力を入れていた。照明をやったりした。 野田秀樹(夢の遊眠社)の92年解散公演を観た。初めて芝居を書いたのは(一応)大学一年の時。 ■今のスタイルになったきっかけは? →平田オリザ氏の『現代口語演劇のために』を読んだ。ワークショップにも参加した。ブレヒトの『今日の世界は演劇によって 再現できるか』も読んだ。「第四の壁」という考え方への批判等に感銘を受けた。作品としては、2001年3月発表の『彼等の希望に瞠れ』から スタイルを転換した。 ■チェルフィッチュってどういう意味? →セルフィッシュ(自己中心的)のちょっと舌足らずな感じ。 ■主体が変化していく入れ子構造について →チェーホフの『煙草の害について』を文字った『マリファナの害について』を書いてる時に思いついた。アイディアの元には フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』もある。 ■拒絶反応について →自分が豊かだと感じているもの、提示したいと思っているものに対しての拒絶であればどうしようもないし、むしろポジティブに 受け止められる。 これらの「被る質問(と回答)」については、とくにここで挙げているインタビューの多くが、 岡田さん及びチェルフィッチュが今ほど話題になる 前のものであるせいだと思うのだが、もう今後はこの ページで紹介しているリンク先を初期設定的に参照してもらうぐらいにして、岡田さんに対してこれらの質問(の答え)は前提、ないし禁止、ぐらいのルールでインタビューをすると、 インタビュアーはその時間で別のことを聞けるし、岡田さんは同じことを 何度も繰り返して答えなくて済むので良いんじゃないかと思うのだが、いかがだろうか。勿論そうなれば、同じ質問を されるたびに別の答えを用意する、という岡田さんの楽しみがなくなってしまうわけだけど。ってそんな楽しみがあればという話だけど。 またこの中ではとくに、[岡田さんの手によるテクスト]の1・「演劇/演技の、ズレている/ズレていない、について」において非常に重要な発想が示されているので、それについては『註釈:第二部』においてあらためて触れたいと思っているが、その他にも、これら資料を通じて 新たに生じる「ものの見方」というものもありそうなので、そういった事も出来ればそこで考えてみたい。 [2006/01/28 AM00:29]   ■ 2006年 1月27日(金)  PM14:31 chapter.7    1) コンセプチュアルであるということ-1 これから書くことについては、僕が岡田さんをどう見ているかという話だけでなく、 岡田さんを含めたあらゆる面白そうなことを捉えていく際の視座・計器のような働きを 成していく考え方に関わるものになりそうなので、それを 過不足なく、また深化を怖れずに書き進めていくのはかなり骨が折れる気がして 、出来ればこの稿を一度アップした後に作成する予定の『註釈:第二部』 で扱えたら、と思っていたのだが、でもここで少しでも触れておけば後で形に する際にラクになるだろうし、第一いつ死んでしまうかもわからないのだから 出し惜しみのようにはせずに出来るだけやってみようという気になって、書いてみる。 とはいえ、これを書き始めたことでまたさらに、第3回仏革の全体的な公開が遅れてしまうので それはお詫びしたいところだが、しかし考えてみたら、僕以外の方がこの部分を読む頃には すでに本文も読まれているはずで、尚且つ僕が今「お詫びしたいところだが」なんて 書いている頃(27日午後3時17分)にあなたはこのレポートのことなんて微塵も考えていない のだろうから、別に謝るほどのことではないかもしれない。 いやしかし、ご多忙の中を急いで本文の修正及び確認をして下さった岡田さんには、 この註釈文を書き始めた一番最初の時からずっと申し訳なく感じているのでそれは 心からお詫び致します。 と、せっかく岡田さんから修正原稿を頂いたときの話が出たので、コンセプチュアルの話は もう少し後にして、ここでは本文原稿とこの註釈ページの作成経緯について触れておこう。 本文(イベント模様)の書き起こし原稿を岡田さんに送付したのは昨年末のことで、 岡田さんから修正原稿が送られて来たのは年が明けて1月16日の月曜だった。 その日は僕が通う菊地成孔さんの私塾、ペンギン音楽大学の今年第1回目の授業日でもあり、 夕方、さあこれから家を出るぞという間際にメールボックスをチェックしたら2通の未読メールが 届いていて、一つは今年3月初頭に刊行される『東京大学のアルバート・アイラー キーワード編』に使えそうな画像があったら 送って欲しいという打診で、もう一つは岡田さんからの修正原稿だった。 二つのメールはどちらも僕が強く待ち望んでいたものだったが、よりによってこれから家を出る 、ペン大に向かう時間に見てしまったので一瞬動顛してしまったが、ひとまず岡田さんの 原稿に目を通して全体を確認してから、大谷さんへ送付した。 今回に限らず、『大谷能生のフランス革命 増補テクスト版』では、 1・まず僕が全体を書き起こし、 2・ゲストの方に修正、補完箇所をチェックして頂き、 3・その修正原稿を元に大谷さんに全体をリライトしてもらい、 4・あらためてゲストの方に公開前の最終チェックをして頂く という工程を取っている。厳密には、第1回テクストではここまで念の入った 過程は踏めなかったのだが、冨永監督からは許可を頂いたので公開に至っている。 話はさらに逸れるが、そんな第1回テクストはこちらであり、そんな 第1回ゲストの冨永監督は、現在、今春テアトル新宿で公開される長編『山椒魚パビリオン』 の、今頃は仕上げも仕上げ、大詰め作業の真っ最中なのではないだろうか。 もし詳しい情報が入れば随時ここでも付記したい。 話を少しだけ戻すと、そうやって1月16日(月)の僕がペン大に行く前(午後7時頃)に送付 した岡田さんによる修正原稿は、本来であれば大谷さんによるリライト作業を経て、 僕の見込みではさらに2週間後、というのはほとんどこれを書いている今日、なのだが、 少なくともそのぐらいまではかかるだろうと思っていた。 そしてここからが大事なのだが、僕は今回の註釈文を、そのリライト期として見込める 2週間のあいだに書こうと思っていたのだ。というのも、第一に今回の岡田さんの回に対しては、 僕の考えていることとの親和度が高いという印象が非常に強く、短い時間でも多くの 内容が詰め込めるだろうという自信があったからで、また、岡田さんからの修正が戻ってくるまでは、 せっかく内容に即した註釈を書いたつもりでも、その部分を岡田さんが削っている という可能性もあり、そうなればその註釈もアップできないのだから修正後に書くのが良かろう、 という、今考えてみるとかなり言い訳がましい理由があった。 ともあれそういった理由で、「さあ、註釈は何書こうかなあ。・・・っていうか、 書く内容は大体決まってるんだけどスタイルでもいろいろ遊びたいなあ、岡田さんが演出や原稿でよく仰ってる『イメージ』の 領域っていうのを意識してちょっとパロディっぽく現出させながらっていうのも面白そうだな、あとは あれも書きたいから資料を揃えて、あとはあれもやりたいが時間がかかるか。かかるけど 時間はあるから出来るか、やるか」 とか思っていた矢先、なんと送付からわずか2日後の1月18日月曜日 に大谷さんから返信があり、 ”このまま掲載で行ってください。” と書かれていた。 というのはウソ。というか間違いで、上の文章を書いたとき(2006年1月27日金曜午後3時頃)には すっかりそう思い込んでいたのだが、実はこまかい事実が入り組んで間違っていることに 今(2日後の1月29日午後1時31分)気が付いた。 それで誰が困ると言うほどの事はない気もするが、修正すべき点を修正すると以下のようになる。 左枠は修正前、右枠は修正後の記事であり、修正箇所は赤字で記す。 
      では、あらためてここから、2006年 1月27日(金)の午後3時頃に書かれたつづきの内容に接続する。   原稿の内容には喜んで頂けたようだったし、リライトの手が入っていないことから、 岡田さんに再チェックをお願いする必要もないこと(確認はお願いするとしても)を考えれば、 もういつでも公開できるのだ!という喜びで頭がいっぱいになりもしたのだが、同時に、 「あれ、じゃあ註釈はどうしよう?」という困惑と先の喜びとが折衷したまま流入して来る 判断不能のマーブル状態、統合不全的ブルース事態に陥ったのも事実で、 それなら迷わず本文のみを、ひとまずアップすれば良い ではないか、おい。という気もするが、それでは二度と註釈が読まれないという悲しいケース も あり得ると考えられたので、大変恐れ入りながらも、こうして本文のアップを止めながら 註釈を進めさせて頂いている。 ではここで唐突に話を改めて、「コンセプチュアル」に戻す。 2) コンセプチュアルであるということ-2 岡田さんのご活動や発言を見ていて僕がよく思うのは「コンセプチュアルだなあ」ということで、 少し言葉を足すとそれは、「コンセプチュアル(・アートのよう)だなあ」ということになる。 ここしばらく僕は絵やアートについていろいろ考えているので、場合によっては(上手くいったら、という ことだが)そういった現代アート的な話にもリンクしていけるかもしれないのだが、それはひとまず 置いておいて、そういった「コンセプチュアルだなあ」という感想を僕が持つ人、対象というのが少なからずいるということ、 そしてそれは大谷さんや菊地さんもそうだし、今、絶賛お世話になっている岸野雄一さん (というか、岸野さんはこの岡田さんの次の回のゲストだったので、ここでとくに 言及しなくても後でもの凄い量の言及をするだろうし、その際にもこの「コンセプチュアルだなあ」という 感想に関するトピックは出てくるだろう)もそうなのだが、そういったとにかく面白い人たちに対する印象として なぜか共通している、という事を挙げておこう。 「なぜか」と書いたのはなぜかというと、つまり岡田さんにしても大谷さんにしても、僕は別に コンセプチュアルな人だからといって興味を持ったわけではなくて、岡田さんなら革命のゲストという ことで知って、演劇の人ということで捉えていたら、話を聞くうちにそのコンセプチュアルさ加減というもの に気付かされた、ということで、パターンとしては、「んー、なんかこの人面白いなあ・・・」と思って のこのこ近寄って屈んで様子を見ていたら、何かの拍子でペロッと開いたフタの裏にコンセプチュアル印が貼り付いていた・・・。 といった感じである。 例を少し続けると、菊地さんがコンセプチュアルであるという点に関しては僕が 今さら取り立てていうのもどうかとは思うけれど・・・・・・と、今ここまで書いて思ったのだが、 コンセプチュアル、という言葉を僕がどういう形で用いているのか、という点を説明しなければ ならないかもしれない。 さっきも少し補足したが、つまりここでのコンセプチュアルという言葉が持っているイメージと いうのは、いわゆる「コンセプチュアル・アート」という語のそれに近い、というか ほとんど同じである。 「コンセプチュアル」というと、どうしても「概念」とか「概念上の」とかいった訳語がついて回るような 気がするし別に間違っているとも思わないのだが、僕がそこでイメージするのは「発想」だとか「着想」 とかいう言葉の方が近い。そして僕が「コンセプチュアルだなあ」と思っている時というのは 「新鮮な発想だなあ、珍しくって面白い着想が形になっているよなあ」と思っている、ということでもある。 さて、そこで我が師、菊地さんのコンセプチュアル加減について、デートコースやデギュスタシオンやラジオや諸著作における コンセプター、ミキサー業務を具体的に挙げながら紹介していってみようかと思ったのだが、それよりもその他の方々について、 つまり菊地さんに対して思うのと同様に「コンセプチュアルだなあ、この人」と僕が感じた多くの方々をご紹介することを先にした方が 面白いかもしれないと今は強く思っているのでそうしたいのだが、実はそう言いつつすぐに名前が出てこないので、この話題ごと、詳細は第二部に回してしまおうと思う。 ということで、つづきが出来たらこのスペースからリンクを張りますのでお楽しみに。 [2006/01/27 PM07:48] 3) コンセプチュアルであるということ-3 という、上の記述でこの項は一旦終わるはずだったのだが、たった今この註釈全体について一つアイディアが固まったのでお知らせしておく。 この項の内容とも繋がることだが、今回の註釈ページについて、本稿第一部を皮切りに、第三部まで進めることにすると今決めた。 というか、全体を通してどのようなことを書くかという目次のようなものは既にあるのだが、それを構成するのに 時間がかかっていて、今になってスッと先が見えた(気がした)。 具体的には、この第一部をこれまでに書いたような註釈の土台作りおよび岡田さんの基礎情報の提示にあてて、 第二部はイベントで触れられたトピックに細かく触れて、第三部ではまたそれらと繋がった別のことを書こう。 尚、註釈全体を機能的にまとめた目次作りも今後の必修課題ではあるが、それは第二部の冒頭か、それら三部作とは別立てで 用意することにする。これから考える。 これってちょっとまさに着想的っていうか、コンセプチュアルな気もするが、言うだけなら簡単で、風呂敷は広げるだけでは勿体ないので 時間がかかっても形にしてみよう。とはいえ、大江健三郎が『チェンジリング三部作』を完結させるまでに要した期間は5年(2000-2005)というから、 それを支えに後悔のない仕事をしてみたい。というか、もしかするとこの事って前回の註釈(第1回革命)にも書いたかもしれないけれど(というのは、 実は今こうやって書いている最中にデジャ・ヴに襲われたからそう思うのだが)、この「後悔のない仕事をしてみたい」という言葉、 例えば言い換えると「締め切りや待ってる人の気持を重んじるばかりに自分の作りたいものを納得のいかない形でリリースしてしまう のは絶対間違っている」ともなるその声が、今すごい遠くの方(頭の右の少し上)から、しかし内部からでもあるその声が、 音もなくはっきりと聞こえたような気がしたのだけどこれって 何?と同時に実は、「”納得のいかないものをリリースしてしまうことへの不安”という見えない呪いに絡め取られて何も形に出来ないよりも 、完成度が低くてもその姿勢を打ち出してしまうチャラさの大切さ」を訴えかける歌声もじわじわと説得力高く聞こえてきて、ようするに こういうのを『引き裂かれ』とか『どちらにも属さないまま、どちらにもくっつき過ぎないまま進む』とかいうブルース的/岡田さん的/保坂和志的 スタイルと言ってしまいたいが、それはある意味では今僕が置かれているこの状態そのものなのかもしれない。 第二部へつづく。 
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