report from revolution
text by Yoshio Otani & note103


『大谷能生のフランス革命』

第3回「大谷能生×岡田利規」 [後半]
2005.10.23 アップリンク・ファクトリー
主宰:大谷能生
ゲスト:岡田利規

※ 本文中の下線リンクをクリックすると、note103による註釈ページが別ウィンドウで開きます。また、註釈には今後、大谷氏による返答・註釈が随時追加される予定です。
※ このレポートは、大谷能生氏の承諾のもと作成、公開しております。
※ レポートの無断転載はお断り致します。

第3回『大谷能生のフランス革命』 前半
第3回『大谷能生のフランス革命』 註釈
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 02-01 


(前半のパフォーマンスを終え、休憩を挟み、後半スタート)

大谷(以下「O」) 「あ、あ、あー(マイクチェック)。えーと、では後編というか、後半、始めさせて頂きます」
岡田(以下「T」) 「はい」
O 「改めて紹介させて頂きます、岡田利規さんです」
T 「よろしくお願いします」

[拍手]

O 「えーと、そうですね、チェルフィッチュの活動歴については、ま、いろいろもう情報が 出ていると思うので、あまり詳しく聞かないつもりで来たんですけど、ちょっと本当に 基本的なところですけど、岡田さんのユニットで、岡田さんが脚本を書いて演出を担当して、俳優さんはいろいろ、毎回一応集めるわけですが一応決まってる感じで」
T 「そうですね」
O 「もう5年、6年?」
T 「97年に旗揚げしているので、8年目かな、9年目かな?になるんですけど」
O 「自分のユニットということで。チェルフィッチュという名前で」
T 「そうです。ただ、こういうテキストと、こういう身体でやるっていうのは、こういうテキストでやり始めたのが2001年からで」
O 「あ、はい」
T 「そしたら、やってる内に、何となくこういう身体になってきたっていう感じです」
O 「2001年のその時に、テキストの方っていうのは、戯曲の書き方が変わったという感じですか」
T 「そうです」
O 「上演スタイルというか」
T 「まずこういう、普段僕が喋っているような言葉遣いでそのまま書いて、それをセリフにしようというようなことを始めたのが、2001年ということです」
O 「その時はわりとセリフという形で、あの『三月の5日間』を読みますと、基本的にはセリフ劇ですよね」
T 「ああ」
O 「役者が喋るということで、ト書きで動きを決めてっていう事は勿論あるんですけど」
T 「はい」
O 「喋り言葉、会話の内容を、会話の喋り方を日常にしようと思ってまず始めたんですか?」
T 「えーとですね、いや、違います。最初から、お客さんに向かって、伝聞形式っていうんですかね、今から誰々さんの遣り取りをやります、みたいなことを言ってやる、というのは最初っからやってましたね。」
O 「その時からモノローグとダイアローグの区別っていうのは、最初からそういう形ではつけてなくて、言葉で一本化して書くっていう」
T 「うん、そうですね」
O 「それが先にあって、そこから演出の付け方で、それを上演してもらうときに、役者の体の動きだとか」
T 「はい」
O 「言い方だとか」
T 「はい」
O 「そうしたものを演出していく間に、まあ今日やったような、これからやる『目的地』のような作り方になっていったっていう事ですか」
T 「そうですね。最初はその、今やったような体の付け方になるっていう想定はしてなくて」
O 「はいはいはい」
T 「つまり、テキストの部分は自覚的にこういう言葉をやってみたいっていう風に、思ってあるとき突然始めたっていうのははっきりしてるんですけど、身体については、いつからこうなったかっていうのは、これをやってる内に少しずつこうなったので、何か先にそうやりたいっていうコンセプトがあったわけではなくて、やってるうちに少しずつ稽古場でこうなってきたという感じなんですよね」
O 「最初は何というか、語りたい劇というか、ドラマがきちんとあると思うんですが、それを舞台でリアライズする作業を、言葉のレベルでは、この言葉でやってみたいっていうことがまずあって、それを乗せたときに、こういう風にした方が自分が持っているイメージに近づくという感じで段々段々振り付けというか、体の動きが出来てきたものなんですか」
T 「そうですね、よくダラダラした身体とか、だらしない身体って言われるんですけど、それ自体がなんか、それが必要なんだなとある時多分思ったんだと思うんですよね。この言葉でやる時に、じゃどうやるんだっていう。まあ繰り返しになるけど、その時点では演劇の身体云々みたいなことは多分ほぼ考えていなくて」
O 「うん」
T 「ただ、この言葉でやるのに、俳優の体にそういうダラダラした要素がないのがおかしくて、なきゃいけないと思った。ただそれは無自覚にはできない。無自覚では、舞台上で”はい、演じて”って言った時にそれが消えてしまうので、でもそれが消えるのが勿体ないから、じゃあどうしよう、という風に考えが、こう何て言うか、順を踏んでいったんだと思うんですけど」
O 「それは、そうした形で書いた、最初に書いた作品を演出する時にそういう感じになったんですか?」
T 「えーとね、それ僕もよく憶えてないんだよなあ・・・」
O 「ああ」
T 「ちょっと、俳優に訊いていいですか?(客席に向かって)下西いる?」
下西(以下「S」)「はい」
O 「俳優さん」
T 「彼が、さっきもやってくれた役者なんですけど、一番最初にやった時に出てくれた時の事憶えてる?」
S 「2001年?」
T 「そうそうそう。あの時ってさあ、なんかどのぐらい今に近いことやってた?つうか、あの時ってどのぐらいのことやってたっけ?」
S 「あの時は、全部セリフが口立てで」
T 「あ、そうだよね。なんかさ、体の動きとか言ってた?」
S 「いや、とくに・・・なんか、今みたいな感じで演出・・・わかんないですけど、顔がメインだった気がする」
(笑)
T 「え、表情?」
S 「いや、なんか顔に・・・」
T 「ああ・・・そうだそうだ。確かに、一番最初は口立てでやってたんですね。口立てっていうのは」
O 「岡田さんが台本を読んだまま、同じようなリズムで同じような口調で」
T 「僕が最初に読んでそれと同じように言って、っていうことをやってましたね。今まで忘れてましたけど。で、その後にテクストを渡したんだっけ?違ったっけ?(笑)」
S 「もらいはしたんですけど、僕らもちゃんと覚えて行って、でもセリフは、後は口立てで」
T 「あ、そうだよね・・・なんか思い出しました。僕ね、”本読み”ってやらないんですよ。本読みっていうのは、わりと演劇では基本的に行われることなんですけど、まあつまり読み合わせとも言いますけど、台本持って、自分の役であるところの誰々さんのセリフを読む」
O 「役者さんが集まって、台本を持って」
T 「基本的に、それから始まるということが演劇では多いと思うんですけど、僕はやらなくて、その時もやってなくて、最初僕がそれで、何となく口立てが良いと思ったんでしょうね」
O 「自分が例えば台本を紙に書いたときに、これはこういう形で読まれるべきだっていうようなものが、上演している像がわりとはっきりあったっていうことですか」
T 「今聞いて思い出したんですけど、その時はあったんでしょうね。今はないですけど」
O 「その台本を書いた時点で、これはこういう形で発音されて、こう続いていくっていうのをまず教えたいって思ったわけですよね。これを読むだけで」
T 「そうですね」
O 「そうした形で、最初は口立てで、こういう形で読んでくれってやってもらって、その時はまあ、多少はしぐさとかも演出したりとかっていう、そのしぐさっていうのは完全にその現場で作られてきたっていうことですか」
T 「はい、現場ですね」
O 「今喋ってる時はこうなった方がいいとか、それは見た時に岡田さんが、あ、こっちの方が面白いっていうことにしていくわけですよね」
T 「そうです」
O 「それが段々、徐々にこういう、パッと演出中に出てきたしぐさっていうのを、もう一回やってみて、みたいな形でやらせてみるっていう」
T 「そうですね、今日はやらなかったんですけど、俳優に例えば今日稽古場に来るまでに電車の中であった出来事とか、他愛のない、何でもいいんですけどそういったことをまず喋ってもらうっていうことを、基本的に稽古の一番最初にやっていて、それからセリフを使う稽古に移行するんですけど、確かそういうこと自体は、最初からやってたんだよね?(客席に)」
S 「あ、はい」
(笑)
T 「それで、それを続けていく中で多分、こっちの時の体の方がいい、みたいな事が自ずとわかって、いいというか、ノイズが出ているという意味で」
O 「会話、なにかあった事を喋っている体の方が、いろんなものを含んでいるっていうことですか」
T 「あ、そうです。あの・・・話すというか、そのなんか」
O 「その日あった事を」
T 「ただ、セリフではない言葉という事ですね。自分の言葉っていうことです」
O 「自分の言葉で、今日こういう事があったんだけどっていうのを伝えようとする時の体の方が、いろんな表現であったりとか、今ノイズって言われましたけど」
T 「そうです」
O 「まあパッと見は、いろんな解釈ができる動きで、ふくらみがあるということですよね。ある一つのイメージに直結していない。そういうものを、その体の方が自分の戯曲には合ってるということを、途中で気がついたっていうことですか」
T 「そうですね、それを凄い面白いって思ったんでしょうね。で、それを演劇が捨てることによって成立しているように思えてきて、だとしたらそれはすごく損害だというような気がして、演劇にとって。すごく豊かなものがそこでなくなって、舞台に上げられたものが結果貧しいものなんじゃないかっていうようなことを思って、それをやりたいと思ったんでしょうね」
O 「はいはい、それをステージに乗せたい、何とかしてっていう」
T 「そうですね」



 02-02 


O 「それは段階、ステップとしてはそう思って、また戯曲の本を書く時に、喋りのリズムとかってのはそのままで、その時には動きとか、次の段階というのを考えて書いてますか?」
T 「いや、考えてないです」
O 「やっぱり喋りのテンポとか、そういうものは書く時は大体自分でわかっているけども、後は持って行って、役者さんがやっているのを見て、もっとノイジーな体にしていく為にはどうすればいいかってそこで考える」
T 「そうですね、そのためにどういう動きにしていくとかは考えないですけど、散漫なセリフを書くというか、まあ逸脱が凄く、枝葉の枝葉の枝葉みたいな、最初はなんか一番話したい筋はここなんだけど、何となくこう枝葉の方に取られて枝葉の方に行っちゃうっていうみたいな、何て言うんですかね・・・頭の悪い話し方っていうのかな」
(笑)
T 「っていうことだと思うんですけど。多分、新書とかでそういうね、例で出てたりすると思うんですけど」
(笑)
T 「という感じの、事をやるってことが」
O 「それは意識的に」
T 「そうですね。そのことによって体が、それを演じていく結果、体がノイジーなものになるというか、 そういう仕掛けは多分作っている」
O 「あるお話をトントントンと起承転結で語っていくような台本だと、その中で役者さんが全部覚える、セリフはこういう意味だとかってことがわかると、体の方もわりとすっきりする、動いてしまうのかな?ってことが、最初にあったんですか」
T 「えーとねえ・・・まずはそれも言葉からで、そういうなんかどんどん逸脱していくとか、つまり、さっき僕が”頭の悪い”って言ったけど、そういう話し方に魅力を感じたんですね。それが凄い面白いと思って。あの、よく若者の喋り方をセリフにしているとか」
O 「はい」
T 「言われることがあるんですけど、その側面もあるんだけど、僕はそのことよりも ”頭の悪い人の喋り方”だと思っていて、それはやっぱり年齢を問わないもので、ある程度そういう喋り方をする人たちの割合というのがいて」
O 「はい」
T 「確実に。だから・・・」
(笑)
T 「いや、いる。絶対にいるし、というのは、僕自身がそうやって喋る時もあるし、ということも含めてなんですけど・・・・・・えっと今何話そうとしてたんだっけ?」
(笑)
T 「っていう俺が、頭の悪いっていう」
O 「頭の悪い喋り方の魅力について、ですね」
T 「僕は、ポジティブなものとして、日本語の魅力としてこれは面白いぞ、とみんなに伝えたい感じがしたというのが先にあって、だから、まずはそれ、それの為に、逸脱した、何て言うのかな、要領を得ない話の組み立て方をするっていう事をやろうと思ったんですよね、それ自体が目的。ただ、結果的に身体が付いてきた後に、そういう身体のノイズを出す為には、言葉がこうなっていることは凄く役に立つってことがわかったので、書く時に、体のためにもそのことをやる、身体のノイズのための手段としてやるというようにも追々なってきましたけど」
O 「えーと、台本のテキストのレベルで、頭の悪いっていう話が出ましたけど、ひとつの、スパッとは還元できないような、枝葉がたくさんあるようなテキストをまず作って、それが魅力的だっていうことをやりたいっていうことですか」
T 「そうですね。だから自分で言っておいてアレですけど、頭の悪いって必ずしも言い切れなくて、何て言うのかな」
O 「頭の悪いというよりも、微妙にひとつひとつ、違う方向に言葉が開かれていく可能性を常に残しながら話が進んでいくっていう」
T 「そうなんですよね。だから、僕が”頭が悪い”って言った意味での、逆の、頭のいい話し方っていうのは、逆に言うと、そういう言いたい事がいっぱいあって、それを全部言うのが自分にとって本当なんだけど、そいういうことをやっても全然伝わんないし」
O 「(笑)」
T 「聞いている人にわからないって事がよくわかっているから、そいういうことをスパッとあるところを切って、割り切って、ポイントだけを話すっていうことをちゃんと意図的にできる人っていうのが、今言った意味での頭のいい人の話し方ということであって、それは勿論伝える為にそういう事は必要なんですけど」
O 「はい」
T 「ただその、まあ僕がやりたいのは、例えばなんか講演会で喋る人とかではない。なくて、普通に日々生きている市井人で、をやりたいので、そういう人はやっぱりそういう風に喋ってる。なんかまとまりきれなくて、何か完全に、何て言うのかな、まあ答えもないし」
O 「うん」
T 「だからそういう風に、結果的には頭の悪い話し方になってしまう事にはちゃんと理由があって、馬鹿だから、ではないです」
(笑)
O 「実際、正確に喋ろうとすると、混乱する。混乱じゃないですけど、正確にある種の時間とか空間で起きてる状況を何とか言葉にしようとすると、そういう枝葉が増えたりとか、 ”いや、でもしかし”っていう」
T 「うんー、そうですね」
O 「なったりするのを、なるべくその状態のまま捕まえておきたい、ということですよね。頭のいい喋り方っていうのはそういうのを、伝わらないものは伝わらないものとして分けたりとかして、でも、なるべく一番伝わる状態で喋りますよね、きっと。それを、そういう分けるのもいい、それで情報量としてはほぼ一緒だと思うんですよね、最終的に伝わる、頭のいい喋り方でも悪い喋り方でも、上手くやればというか、正確にやろうとするならば」
T 「そうですね、だから・・・何だろう、シグナル/ノイズという分け方をすると、ノイズを切ることで、シグナルがはっきりしていくっていうことと、あの今、大谷さんが言ったのは、シグナルの部分は同じだけ伝わる、ということですか?」
O 「えーっと、伝わる状況もあるというか、何かを伝えるわけですよね、その何かっていうのは・・・」
T 「あ、何かの総量っていうことによってって事ですか」
O 「そうですね」
T 「ああ」
O 「その何かの、伝えるものが例えば、 ”そこのコップ取って”とかだったらまあ伝わりますけど、それを、”コップ取って”って言う時に、実は様々な・・・何て言うのかな、伝えたい事がシンプルでわかりやすければ、非常に単純に伝わるわけですが、伝わる総量が大きいというか、非常に日常生活その他も含めて、抽象化されないものをある種の塊として示そうとした場合に、やっぱり枝葉が増えていく、上手くそれが伝わらないだろうなっていう事が、まずその頭の悪い喋り方になるひとつの原因だと思うんですけど」
T 「はいはい」
O 「僕がさっき言ったのは、それが頭のいい喋り方で伝えた時に、勿論その対象、伝える事を凄く再現したい、自分が再現して伝えたい事の質によっていろいろ変わるんだろうけれども、正確さにおいては、やり方が違うだけで変わらないのではないだろうか、ということです」
T 「ああ・・・、えーとね、僕はそこはちょっとわからなくて、僕はノイズがある方が、情報量として、少なくとも僕が考えるパフォーマンスの情報量としては多くて」
O 「多くて」
T 「何て言うのかな、シグナルだけをすっきり提示するんじゃなくて、何がシグナルで何がノイズかは、ノイズカットは受けた人がして下さい、みたいな事のままガアーッと、まるごとドンッ!みたいな見せ方を」
O 「それは、見せる世界が、自分でもシグナル化できないことがたくさんある、ということですか」
T 「えーとね、それは多分、僕の嗜好性が一番強くて、多分それだけを提示する事よりも、そのままの、まあつまり現実で、僕ら、僕をはじめいろんな人たちの生きているそのときの体が、どういう状況が、いろんな状況があって、そのノイズを出すみたいな、その仕組みの方が豊かだと、過剰だっていうのが僕の考え方で。演劇って、僕の認識の限りでというか、僕が今まで、何て言うのかな、勉強じゃないですけど、捉えているところで言えば、ある種の身体の過剰さが必要だとされているんですね。例えば歌舞伎なら歌舞伎で過剰さがあるし、いろんな演劇ではいろんな演劇の過剰さがあって、あ、ないのも勿論あるんですけど、そういった事を念頭に置かずに作られているものも勿論あるんですけど、少なくとも僕は、過剰である必要性を唱える意見には、賛成なんですよ。で、その次は、じゃあ何が過剰なのかという話になってくるんですけど、僕にとってはさしあたって今一番過剰なのは、現実の人々の身体なんですよ。それが、他のどんな虚構の身体よりも過剰に思えるっていう。その結果、普通の身体を提示することで、演劇にとって必要な、過剰な身体を提示できるはずだっていうような考え方で」
O 「で、普通の人がやるようなしぐさっていうものを、まあその舞台、台本を作ってそれを読んでもらうことによって改めて発見していくっていう、その演出していく時っていうのは、例えば今日やって頂いたようなパフォーマンスでの、こういう形での演出とかっていうのは、最初はまったくない状態なんですか。演出する時に」
T 「基本的には、えーとね・・・どうやって言えばいいのかな、とりあえず何かあるんですよ。俳優がとりあえず何かやりたい」
O 「はいはい」
T 「そのとりあえずを基本的にはヒントにしていて、そこから広げていったり、それよりもこっちの方がいいと僕が思いついたらそれをやったりして」
O 「はいはい」
T 「作っていくんですけど。ある程度継続的に、或る俳優と作業して行くことで、その部分は彼や彼女にもわかってくるという関係が出来た上でやると、そこがもう少し変わってくるというのはあります。あとは、そのとりあえずやるって以外にも、こういう風に動いてっていうディレクションをすることもあって、今日も”足を上げて”って言って動きをつけたり」
O 「はい」
T 「っていうような事をやることもあるんですけど、そういう風に動きそのものをつけないで、ここを喋っている時に何を思い浮かべて、何が念頭にあって、その何かから取ってきた体を出してくる、みたいな言い方をすることがあって。それはどう動くとかいうことではなくて、その俳優にとってそれがしっくり来るような何かが出てくれば、何でもいいということになるようなディレクションをすることはあります」
O 「それを取ってくる先というのは、台本の中にあるシーンとか、その劇のどこかからっていうことですか」
T 「いろいろですね。そういう時もあるし、例えば今喋っていることの2行先のセリフだったりとか。というのは、喋ってる時ってべつに、 2行前にその2行先のことが頭の中にないわけがない、はずなんだ、と僕は思っていて、なので、これを喋っているときに頭がこっちに行くっていうことはよくあることだと思っていて、ていう僕の考えがそれはあるんですけど、そういうことからそういうことをやっていたり、あとは、台本にも全くなくて、僕さっきディレクションの時に凄く言いましたけど、体が、言葉、書かれているラインをリアライズする為だけ・・・その何て言うのかな、何かから体を取ってくるっていうその何かっていうのが、言葉になったものっていうのがこれぐらい(手で大きさ示す)だとすれば、つまり僕は凄くエリアとしてそれは小さいものだと思っているんですけど、ここからだけ体が出てくるというのは、多分そんなことはないし、つまらないし、これだけの事が言葉になる為には、これぐらい(より大きなものを手で示す)のものが頭の中にあるって考えるのが自然だろうと」
O 「はい」
T 「この何かから、この言葉じゃない部分は莫大な量があって、そこから取ってくるのだって全然いいはずで」
O 「うん、うん」
T 「っていうことを僕はよく言うんですけど、で、この部分を作ってもらうってことですよね、俳優に。それは、僕がそのことに関していいアイディアを思いついた時には、こういうことが出来るじゃないかって言うんですけど、そういう、その仕組みだけ話して、何でもいいからみたいな風に言って、そこから何かとってきてもらうっていうようなことをやったりとか」
O 「その、”このぐらいの何か”っていうのは、作品ごとによってやっぱり随分違ってくる?」
T 「作品っていうよりも、その瞬間瞬間の問題で、それはもう当然、そのセリフの文脈とかシチュエーションと関係することなんで、変わりますね」
O 「変わりますか。どんどん新しく何かのイメージが、役者の体が新しく出来てきたりとか、岡田さん自身が演じてなくても、あるイメージ、作品全体がこうなるべきだっていうある種のイメージが、台本に託してあると思うんですが」
T 「はい」
O 「それと、実際に舞台に乗せた時の言葉が出る前の、もう一回作り直すイメージっていうのは、これもある意味、かなり近いところにあるんですか」
T 「僕がイメージと言ってるのは、作品全体のイメージのことを今は言ってなくて」
O 「はい」
T 「その瞬間、その喋っている人間が描いていることが妥当なというか、その瞬間瞬間の、なんか何て言うんだろ、断面図みたいなものって言うかな」
O 「はい」
T 「であって、それは作品全体のイメージではなくて、なんかもっともっと近視眼的なことで、例えば役作りみたいな事に関しても、なんかそういう、俯瞰的に、この人はこういう人間で、こういう人生の履歴を歩んできてみたいなことをやることを必要とする、が必要である、というような演技論みたいなものがあるんですけど、僕はあんまりそういう事には興味がなくて、もうその瞬間その瞬間に置かれた時点で、何が頭の中にあるかっていう事だけを、その都度その都度場当たり的に、生きているっていうことを、持続したものとして作業するっていう事でいいと思っていて」
O 「それはその、しかし架空の人物の役を役者がやっていて、役者の人生の一瞬一瞬ではなくて、役の中の人の瞬間ですよね」
T 「そうですね」
O 「イメージっていうのは」
T 「そうなんですけど、でもまあ、その瞬間これを喋っていて、その状況の中で何が描けるのかっていうのは、当然その個人個人がどこから描いているかっつって普通に考えれば、自分のこれまでの経験の総体みたいなものから来ていると考えていいと思うんですけど、っていうレベルで言うと、僕は余りその人物、自分ではない人物だからっていう事が、何て言うんだろうな、憑依が必要な行為だとか、演じるということが、っていう風にはだから、思ってないんですね」



 02-03 


O 「キャラクターを例えば、いろいろ台本を見て思ったんですけれど、例えば 82歳の老婆が、戦争を体験した何とかで、ここで決定的に人生が変わってしまった人間とかそういったものを出す、出すというか演じてもらうという作業は余りそれほど、例えばその、あるドラマがあったことを語らせるっていうことは当然ドラマだからやると思うんですけど、特異なキャラクター設定っていうようなことに関しては、余りタッチしていないと思うんですが」
T 「そうですね」
O 「それはさっき言ったような、イメージの強さが先にあった方がいいから?」
T 「いえ、違いますね。そこには、行けると思います」
O 「うん」
T 「ただ、まだやってないのは、何だろうな・・・そこは今まで話してきた話とは全然別の話で、そういうある種の対象、その人物として、描く対象を広げるって言うことが、自分にとって、何つうんだろうな・・・それが、バラエティが増えた方が、自分の作品、自分の作るっていうこと自体を強くするっていうことなのかどうかってことがちょっと今わからなくて、必ずしもそうじゃないんじゃないかっていう気もしてて、それで今のところはそこには手を出してないっていうだけで、手を出すべきなのかもしれないし、それはちょっと今は逡巡していてわからないんですけど、っていうレベルの問題で、そこをスッ飛ばせば、82歳の老婆でも出来ると僕は思います」
O 「ああ、はいはいはい。それを、セリフだけで演じてもらう時に、台本があって、この人は例えば何々をやった老人です、そのように演じてください、と言って演じてもらうわけですけど、演じる人に。その時の、例えばその人の日常生活の喋り方とかしぐさとかっていうのは、今日見たような形で、例えばひとつひとつ役があって、役があって演じる役者さんがいて、で、あるしぐさを固定していきますけど、それとやっぱり同じやり方で、そうした形である種のキャラクターを演出することが出来る?」
T 「えーと、どうでしょうね・・・いろいろあると思うんですけど、じゃあ例えばお婆さんということにして」
O 「お婆さんということにして、今日演じてもらったような形で、キャラクターを演じさせる事が出来るのかという事に関してはどうですか」
T 「えーと、その僕がやっているような方法っていうか、僕がノイズはあるんだって言ってるような事が、どの程度まで敷衍して、対象のエリアを広げて成立することなのかっていうのは、僕はまだチェックして、トライしてないことなんでわからないんです。っていうのは、例えば年齢が上だとどうなるか、お年寄りだとどうなのか、子供だとどうなのか、あとは外人はどうなのか、みたいなことは、そこまではわかっていなくて、もっと言えば例えば、これはもしかしたら東京っていうエリアで限られたことじゃないとは言い切れないとも思っているし、っていうその辺の検証はしてないで、という事をちょっと抜きにして言うと、俳優を、そのお婆さんである俳優とやるか」
O 「うんうん」
T 「或いはそんなことをしなくても、例えば今日やってくれた女の子にお婆さんをやらせるっていうことも出来ると思うんですね。というのは、お婆さんそのものにはなれなくて、僕はそれは無理だと思うんですけど、その伝聞の形式としてお婆さんをやるということですね」
O 「はい、はいはい」
T 「例えば、”私のお婆ちゃんがどうしたこうした”と言って話をしていく。で、僕のやっているスタイルのひとつで、ある伝聞形式で喋っているうちに、その伝聞の人物そのものになるっていう・・・あ、今日ちょっと彼女がやったシーンも、前田さんという友達の話をしていて、前田さんそのものになっているっていう実は、仕掛けがあったんですけど・・・それはわかりました?」
O 「わかりました。途中からですよね」
T 「そうです。例えばああいう作業によって、20代の女の子がお婆さんになることは可能だとは思うんですね。で、まあその時にその女の子がどういう体をするのかとか、どうするべきなのかは、今まで自分では考えた事がないのでよくわからないですけど、どうするべきかっていう事は、20代の女の子が自分たちの育ってきた環境とか文化とか、いろんな事の中で身に付けたしぐさを、お婆さんになる時にも使うかもしれないし、或いは自分のお婆さんが喋っている時にお婆さんを見ているわけで、そのお婆さんを真似る時に、そのお婆さんの動きを図らずも、ある程度とっているかもしれないし、っていうその辺はどうやって選んでいくかっていうのはわからないですけど、あとはもしさっき言ったように、実際にお婆さんの、それだけの年齢の俳優さんとやるとしたら、僕が普段やっているような作業を、その」
O 「ああ、やってもらう」
T 「その人ともやることで、僕が今例えばやっているような、この世代の人間からは絶対に出てこないような体を出す事が出来るかもしれない」
O 「その場合は言葉のレベルでも変わりそうですね」
T 「あ、勿論変わりますよね」
O 「(沈黙)・・・・・・はい」 (笑)
O 「えっとね、凄い今考えてたんですけど、ちょっとまとまらないので・・・はいはい。じゃ、その話はわかりました。わかりましたっていうか一回置いて、本当はいろいろもっと話したいんだけど、人前でグダグダに喋るのもアレなんで」
T 「そうですね」
O 「あ、僕がね(笑)。うん、凄い面白いなあ。ちょっと、もうひとつ聞きたいことがあって」
T 「ええ」



 02-04 


O 「同じ俳優さんとか役者さんとかとやっている間に、しぐさとかパターンのようなものがありますけど、それがひとつひとつ固定されていって、逆にそれがもう、すぐに取り出して来れるような、どういう状況でもこの動きが出来るっていうようなことになると、それは利点でもあるし、マイナス面にも成りかねない事だと思うんですが」
T 「うん、そうですね」
O 「その辺に関しては今、悩んでいたりとか、こうなってきちゃったらマズイなあみたいな話なんていうのはありますか」
T 「基本的には、体の癖みたいなものは僕はOKだと思っていて、つまり、毎回同じでもいいと、思っています。その癖自体を本当にゼロから、様々な癖のバリエーションを持つみたいな事まで持って行くことが、なんか、何つうのかな、それが本当に正しいことなのかどうかっていうのが、これもまたよくわからないと思っているからで」
O 「はい」
T 「現に、それなりの癖の多様さの中でひとつの作品を観る時に、あ、いろんな体があるなっていう状況があれば、僕はそれでいいと思います、基本的には。ただし勿論、ある種マンネリになっていくことは、つまらないっていうのは当然つまらないわけであって、なので、そのために僕が今とりあえずやっていることは、どこか、さっき言ったように、どこから動きを出すかっていう時のそのどこかを明確にしていくことで、あ、そうやって明確にされるんだったらここからこういうものが出てくるっていう、明確にすれば動きが、ある種明確になっていく、そのことによって、今までとは違う動きが出てくる可能性があって、そこをアバウトにしていくと、癖から余り離れないものが出てきてしまう」
O 「そうですね、クリシェみたいな動きだけになってしまう」
T 「そうですね。っていうことぐらいですね、今気にしていることっていうのは」
O 「その、動きと、例えば動きだけを切り離して、動きひとつひとつによって何かしらの文法を組み立てていくっていうのがダンスのやり方だとすれば」
T 「はい」
O 「基本的には、その動きだけで何かを伝えていこうっていうことは、岡田さんは全く考えてない」
T 「ないですね」
O 「セリフがあって、しかも動きがあるっていう、何かを伝える身体があって、そこには身体があるんだから動きもあるんだっていう」
T 「うん」
O 「そういった段階っていう事ですか」
T 「そうですね」
O 「動きのひとつひとつで何かを表現するということではなく、何か物語るものがあって、それを語っている間に動きが出てくるはずだし、それってのはバラバラのものだけど、その物語っていうか、そのある世界、同時に出てくる二つのものがあってそれはこっちもはっきり見せようっていうようなやり方で」
T 「そうですね」
O 「ある種の抽象、何か体の、日常の体の動きを一回抽象化して取り出して、それをもう一回組み立てるっていうことではない」
T 「そうですね・・・今のところは余りそのことに興味がないというか、なくて、まあダンスの側から要求されることがないわけではないんですけどね。ダンスという見方でこれを見た時に、僕のやってることがダンスとして見れるということで、僕のやってる事自体がダンスなのかどうかっていうとそれは別のことで、それは僕の立ち位置をこれからどうしていけばいいのかっていう・・・凄く戦略的な部分だったりもするのかもしれないけど。最近思っているのは、僕は演劇の演出家であって、あの、(今回の)プロフィールに、コレオグラファーって書いてくれましたよね(笑)」
O 「あれは何て言うか、わざと・・・(笑)。この話を聞こうかなーと思ったんですが」
T 「でもやっぱり僕は、自分ではコレオグラファーではないと思っていて、人がそう言う時はあるっていう感じかなのな」
O 「ダンサーの方に・・・あ、この話やめよう。なんかまとまりつかなそうだ」
T 「え、え?」
O 「いや、自分の中で、質問の整理がちゃんとついてなかったので。はい、やめます」
(笑)
O 「すいません。もとい、全然違う話をしよう(笑)」



 02-05 


O 「えーっと音楽の話なんですけど。一応音楽、僕が即興演奏っていうのを結構長い間やってまして、その場合にまず、今まで使われてきたボキャブラリーの外にあるような音っていうのをひとつひとつ確認する作業というものが90年代の後半、日本の僕の周りにいた即興演奏家なんですけど、が、かなり真剣に丁寧に取り組んで、そこからもう一回演奏の意味とか、音楽がどう作れるのかっていう事を考え出した人がたくさんいまして。で、凄い小さな音じゃなきゃ聴こえない、小さな音じゃなきゃ鳴らせないような音を使って何かやってみよう、ようするにその、普段のきちんとしたシステムでは零れ落ちてしまうような事を一個一個考えていって、そこからもう一回構造を考えていこうっていう動きが、まず即興演奏家の中から起きていったんですけど、本当は作曲の話だと、例えばジョン・ケージとか、現代音楽の中ではしっかりやられてきた作業ではあるんですが、そうしたものが即興演奏という現場から90年代に生まれて来ていて。
 そういう、まだステージの上にのぼると思われてないような事っていうのものを、まず聞き分けて、で、それを使って何かやってみる、時間なり作品なりを作ってみるっていう作業が 90年代後半から一般化してきて、現在に至るっていう状況があるんですよね。今はどういう状態、どういう音でもステージに乗せられるっていうぐらいのところまで・・・まあ、本当はそうではないんですが、それによって音楽作品が出来るかというとそうではなくて、音楽作品になる以前の状態っていうものを提示するっていうことをかなり長い間多くの人がやってきたんですが。
 で、そうした形の動きっていうものと、日常の動きだとか、いわゆる演劇と言われているものから落とされてしまうものにかなり可能性があるっていうか、パワーがあるっていうことを岡田さんが考えた事と、結構似てるなあというか、近い感覚だったのかな、とちょっと今考えてたんですけどね」
T 「はい」
O 「何だろ、自分で全部言ってしまったような話で申し訳ありませんが」
T 「今のって、即興に限ることなんですか?」
O 「えーと、僕が、即興演奏の時はいつもそういう、新しいボキャブラリーを考えてっていう、乗り越え乗り越えがあったんですね。即興演奏に限らず、音楽でも実際そうなんですけど、そうしたことが、そうですね、即興の現場で90年代の後半に起きてました、うん。で、そうだ、聞きたかったのは、それがやはり、音の発見、ある種のサウンド発見になって、それを使ってもう一回劇を、劇っていうか音楽を作ろうっていう方向に向かうんですよね」
T 「うん」
O 「それをさらに自分の音楽性に沿って、また組み直していったりするんですよ。そうした形で、しぐさが面白いっていった時に、それを固定化して反復化して取り出せるようにしていく間に、ある種の、逆にまたそこで意味が生まれてくると思うんですが、意味というか、それのまた繋がりによって。そうしたことから・・・そうした方向に向かって行くっていうか、ある種の完成形みたいなものに向かっていく、日常の動きっていうのを舞台の上に乗せることの完成形を考えていくという事と、物語を語るっていう事と、ある種のそういうパワー、繊細なものがあるっていうのを見せる、実際に見せるというものっていうのは、結構違うベクトルを向いている可能性があると思うんですが」
T 「うんうん、そうですね」
O 「その点について、今の状態は、どういう方向を向いていますか」
T 「えーと」
O 「すいません、質問が長いっていうか、整理出来てないんですけど」
T 「(笑)。えーと・・・ベクトルが違う方向を向く可能性があるっていうことは何となくわかっているんで、そこをチェックはしていて」
O 「はい」
T 「一応チェックはしているつもりで、やっている。っていう以上の事は、今のところはやっていなくて、そうだな・・・例えば、内容と形式の問題というのは凄く重要で、続けていく時に難しくなってくるのは、その、そもそもこういうことを例えば2001年に初めてやった時というのは、これはある種の必然性というか、その時に作品を作る必然性として出てきたものなんで、形式と内容の齟齬というのかな、ミスマッチ、悪い意味のですよ?いい意味でのミスマッチというのも多分あるんだけど、ということは絶対になかったんですね。だけど、そこから先を作って行くのが難しくて、そこを結局いろんな人がどうやっているのかというのは僕にはわからないんだけど、ただ、その形式自体に可能性を見出して、その形式自体を突き詰めていくという事は絶対に悪いことじゃないと思うんだけど、そうなると内容を、何つうのかな、限定するというか、じゃあ次に描くその内容が、その形式と本当に合うのかどうか」
O 「ミニマリズムの問題ですね。ある種の手法を確立してしまうと、それによって表現できる事が少なくなっていくっていうことだと思うんですが。今は、まだ大丈夫」
T 「んーとねえ、まあ僕自身は大丈夫かなと思ってます。だけどいつまでもそこで、その内容をやっちゃうとこの形式から外れちゃうからってだけでカットしていく、というような」
O 「はい」
T 「やり方をやっていくと多分つまんなくて、結局それぞれが変わっていくには、片方が変わればもう片方が変わるみたいなその変わり方が、強くなっていく変わり方であればいいし、その変えたいというのはやっぱり自分の中の素直な衝動であるはずなんで、それを例えばね、ここまで方法論を確立したから、みたいな理由で、それを抑え込んだら多分負けなので」
O 「はい」
T 「そういう事は、やっちゃいけないなっていうのは頭ではわかっているし、口で言うのは簡単なんですけどっていう話ですよね(笑)」
O 「はい(笑)。そうですね、やっぱり形式と内容と、あと素材っていうか、使われるものっていう」
T 「いろんな作り手がいると思うんですよ。それをストイックに、最期までそこをまっとうして、なんか”美しい人生だった”みたいな」
O 「(笑)」
T 「僕が今頭にあったのは小津安二郎の事なんですけど、僕はそれは凄いと思うんだけど、多分僕は、それが出来ないと思うし、やらない生き方をしたいと思っているので」
O 「あの、形式化への欲望っていうのは勿論あるんでしょうけど、それよりも日常と現実、再現されるもの、我々の日常に広がっているものを拾う方が重要なんだなっていう」
T 「かもしれないですね。ただそれは多分、偶然、偶然というのは、自分にとって形式と内容の齟齬が起きていないっていう幸運があった」
O 「幸運」
T 「という事、今はたまたまそういう状況で、これからそれが変わる可能性はあって、変わりたい時に自分を変えさせない、みたいなことは多分やっちゃいけなくて、で、そこから先の事はちょっとわかんないですね」



 02-06 


O 「相当社会派だな、と思って見たり聞いたりしてるんですよね。形式だけから見て語られることが多分、多いと思うんですけど、それよりはやっぱりどっちかというと、今ある、ドキュメントを劇にしようと思っていることが重要なのかな、と思ってこういう質問をしてみたんですね」
T 「うん、そうですね・・・」
O 「ご自分では、まあ、自分では喋りづらいところかもしれないんですが」
T 「はいはい。そうなんですよね。やっぱり内容の方が、多分ね、これは僕本人もそうだし、批評もそうなんですけど、形式について云々言う方が傷つかないんですよね」
O 「(笑)。はい」
T 「どっちも。僕も勿論そうだけど、それは批評する側もそうで、でも僕はなんか、ついこの間そのことに気付いて」
O 「ああ」
T 「それは自分も含めて。だから、まあ別に批評の人に対して物を申すつもりはないんですけど、つって言ったら物を申してる事になるんだけど(笑)、単に僕はそういう事だと思うから、内容について言われないっていう理由がそういう事なんだとしたら、そこまでなんだろうとは思いますね、批評に対して」
O 「そこまでの批評」
T 「そこまでの批評というか、何つうかな、うん。やっぱりね、形式だけいじって、なんとかかんとか言ってるのは多分ね、なんか楽しいし」
O 「(笑)」
T 「なんか知的な感じもするし」
O 「そうですね」
T 「でもね、やっぱり内容はあるんですよね」
O 「内容から形式が出てきたぐらいの形」
T 「そもそもそうだし」
O 「そもそもそうですよね」
T 「だからこれはまあ、人に対するケチではなくて、僕自身への自戒の意味も込めたのが一番強いんだけど、そもそも内容から出てきたものを形式だけいじってて、なんか楽しくなっちゃって、方法論を突き詰めるみたいのもそれなりに楽しいから」
O 「うん」
T 「面白いんだけど、でもね。っていう事を、たまに自分の中でチェックさせないと(笑)、勿論その、形式だけをいじっていたり試行錯誤していくことで遠くに行けることは事実なので、それをやっちゃいけないわけじゃないです」
O 「でもその演出っていうのはどこから来たのかっていうと、やっぱりその、元々はそうしたもの、ある種の語るものというか、があっての話だっていうことですよね」
T 「うん、そうですね、だから、内容について話すのは恥かしいけど」
O 「物語内容っていうのもそうですし、何を舞台に乗せるのか、乗せたいかっていう内容も、そういうどっちもの話だと思うんですけど」
T 「うん、そうですね。僕はやっぱり内容は大事で。そうだな、っていうか、普通ですよね」
O 「(笑)」
T 「どんな内容を扱うのかっていうのは僕にとっては普通で、ただ衝動に任せて内容は書いているので、まあこれを凄い書きたいっていう衝動に任せて書くっていうだけで、それ自体は普通の事だと思います」
O 「そこに関しては、余り考えない」
T 「考えないですね。自分の中で強くあるものを使う、取り出していくというだけで」
O 「言葉にしていく」
T 「そこから先のね、作業は、いろいろあるのかな」
O 「テクニックとか」
T 「うん、技巧的ではあるんだと思うんだけど」
O 「これぐらいだったらこのぐらいの時間だなあ、とか。じゃあシーンはこう変えた方がいいなとかは、その後の話」
T 「そうですね」
O 「ふーん。面白いなあ・・・(笑)。あ、結構、時間が」
T 「あ、そうですね」
O 「えー、フランス革命と言いながら、フランス革命の事は今回は全く出ませんので、フランス革命のファンの人はすいませんという事で」
(笑)
O 「ロベス・ピエールはどうした!とかそういう風に思っている人はごめんなさいね。今回は岡田さんの話を聞くと言うことで。あの・・・フランス革命の話もちょっと入れとく?」
(笑)
O 「フランス革命時代の演劇の話とかしたりして。小ネタみたいにして」
T 「僕全然知らないです」
O 「いや、僕も知らないです」
(笑)
O 「まあ知らない事なんですけどね。フランス革命でマーラー、サドってあるじゃないですか。あの辺の話とかすると面白いと思うんですけどね」



 02-07 


O 「まあそれは置いといて、時間もないんで、すいません、この辺りで質疑応答に入らせて頂きたいと思うんですが。まあ何ですかね、あの、本当に何だろ、岡田さんの事を知らない人の事というか、基礎的な情報を全くナシにして話を進めているので、面食らっている人の方が多いような気もしないでもないような・・・でもこの人数だったら大丈夫なような気がするので進めてきましたけど、何でも良いので質問がありましたら、岡田さんに訊きたい事、僕でもいいですが、何で呼んだのかとかそういう」
(笑)
O 「具体的な話でもいいですよ。どこで知り合ったの?とか」
T 「どこで知り合ったのって」
O 「いや、今日見てそういう事に疑問を持った人もね、いるかもしれないと思いまして。何かありましたら。質問ないと終わっちゃうよ」
T 「(笑)」

(挙手)

O 「はい」
Q1「どこで知り合ったんですか?」
(笑)
O 「ありがとうございます。えーと、ライブハウスですね。そもそもは。どこのライブハウスかって言うとね、サンガツとsimという対バンがありまして、そこで、サンガツの方を観に来てたんですね」
(笑)
T 「あの、『三月の5日間』という戯曲を僕が書いて、それはサンガツっていうバンドが『5日間』という曲を作っていたので」
O 「『ファイブデイズ』」
T 「そういうタイトルにしてるんですけど、で、劇中でも『ファイブデイズ』を使ったりして、僕は好きなバンドで、それのレコード発売イベントが青山のCAYであって」
O 「CAYってもうなくなっちゃったらしいですよ」
T 「あ、そうなんですか?」
O 「びっくりして」
T 「もうなくなっちゃったんですか?」
O 「え、そうだよね(会場に)。あ、これデマ?」
お客さん「新装開店、リニューアルしました」
O 「リニューアルしたんだ。あ、良かったー。話聞かないから潰れちゃったんだと思ってた、CAY。青山CAY」
T 「っていうところで、simがいて」
O 「その時のサンガツの対バンが僕が参加しているsimというバンドで、あの、プロデューサーのね、某プロデューサーに・・・名前出していいのかな、まあ、紹介して頂いたんですよ」
T 「はい」
O 「それが馴れ初めで」
T 「そうですね」
O 「それで、元々横浜で活動してるっていうことで、僕も横浜に住んでます。みたいな」
(笑)
O 「家が近い人と何かやるっていうアレがある、ジンクスがある。本当に」
T 「それで、一回稽古を」
O 「稽古を観に行ったり、戯曲を読んだりっていう、そういう感じで。 HEADZ繋がり。じゃないけど、そういう感じです。で、凄い僕が面白いなーと思って、イベントもちょうど始まってたんで、岡田さん、よろしくお願いします、みたいな形で」
T 「うん」
O 「そうそうそう。いろいろ紹介、紹介じゃないけど、僕が多分やってるシーンで誰も知ってる方もいないし、で、勿論岡田さんの方も僕の知り合いと知り合いじゃないと思うので、少しミックスできればいいなーと思って、お呼びした次第です。そんな感じですね。これからもっとね、なんか絡めればいいなと思ってるんですけど」
T 「そうですね」
O 「音楽作ろうかとか言ってるんですけど」
T 「いや、作ってくださいよ」
(笑)
O 「積極的に」
T 「いや、本当にお願いします。近いうちに」
O 「冨永(昌敬)さんとは知り合いじゃないんですよね」
T 「知り合いじゃないです」
O 「でも何となくニアミスしてる感じでも・・・」
T 「あえて言えば、宮沢章夫さんの」
O 「ああ、はいはいはい」
T 「宮沢章夫さんを介して、宮沢章夫さんが冨永さんとやったことがあって」
O 「オリエンテリング」
T 「僕のこともなんか面白がってくれて、みたいなことですかね」
O 「なるほど。冨永さん、知ってましたよ」
T 「あ、そうですか」
O 「うん。この前聞いたら・・・雑談になってしまいましたが(笑)、こういう質問でいいですよ。はい、どうぞ」

Q2「今日はかなり細かい稽古をつけられていたんですが、もうすでに、琵琶湖ホールでの公演もされていて」
T 「はい」
Q2「かなりこう、そのあと作っても変えていくっていうのは、どのくらい変えるもなのかなっていう事ですね。あとは去年、『労苦の終わり』っていう作品が、タイトルを改名してやられましたけど、どのくらい変えるとタイトルも変えていくのかなっていうことを」
T 「えーと、基準はないです。ノリですね」
O 「ノリ、ですか」
(笑)
T 「それはあとは、いろんな事情もありますね。例えば『目的地』は、まずその、これから11月にやるっていう事自体が先に決まってて、その後で、琵琶湖で8 月にやるって事が決まって、その中で、どっちも同じ、タイトルとしては同じ、まあタイトルが同じですからある程度内容は同じなんですが、その中で別個にいろんな話を進めていく中で、例えば俳優の数とかも変わってきたりするので、全然出演俳優の人数が違うんですよ。で、それに伴って、増えたらその分何が出来るとか、あとは、とりあえず8月にやってみて、そこから手を加えていくというような事と、しかも人数が増えるっていう事の中で、書き換えというか、書き足しというか、そういった事をやっているということで、まあ基本的なプロットはでもほとんど変わっていないんですけど、でもいろいろ変わっていて。例えば今日稽古をやった方のシーンは琵琶湖ではなかったし。です」
O 「稽古場に行った時に、一番最初に見せてもらった時に、違う方が演技してらっしゃいましたよね」
T 「そうですね。最初のシーンは、今日やった女優さんとは別の女優さんがやっていたのを見てますよね、大谷さんは」
O 「それは・・・どうして?(笑)」
T 「えーと、それはその人数が増えた事に伴って」
O 「ああ、ああ」
T 「そこを分けちゃったんですね。でまあ、いろいろ考えたんですけど、あそこと、後半の方で同じ人が別のことをやるってのを8月はやってたんですけど、そこを分けて、別個の俳優でやった方が面白いって思って分けたっていうことで」
O 「一俳優一役とかいう、この人にはこの役っていう事が最初にあるんじゃなくて、そういういろんな事情によって、まあシームレスとも言われますけど、そういう役を変えていく」
T 「そうですね」
O 「そういう演出も現場でひとつひとつ考えていくという事ですか」
T 「えーとね、いや。キャスティング自体は大体頭で決めるんですけど、キャスティングとあとは、ある俳優が何か、友達の誰々さんの話をしている内にその誰々さんになっちゃうみたいな事は脚本で書き込まれているので、そこはまあ、稽古場で決める事ではないです」
O 「よろしいでしょうか。他に・・・はい」

Q3「稽古の時に、最初に役者さんが”メガネをかけていいよ”っていう時に、最初は何で外していたのか、なんか」
T 「本番で外しているからですね」
Q3「キャラクターの設定として、もう外している・・・?」
T 「設定というか、まあそうですね。本番では外してやるんですよ」
O 「最初のキャラ設定ということですか」
T 「そう、まあそうですね、メガネを・・・かける人とかけない人のキャラは別にどうってことはないですけど」
(笑)
O 「目が悪いんだったらかけた方がいいじゃないですか(笑)」
T 「えーとね、うん。いろいろあって、かけてないですよ」
O 「(笑)」
T 「まあいろいろあるんですよ。隠すほどのことでもないですけど」
O 「途中で演出で、”じゃ、メガネ外してみようか”って岡田さんが言ったら上手くいったとか、そういう事ですか」
T 「や、まあでも今のは、面倒くさくなったので外してやりました」
Q3「ありがとうございます(笑)」
T 「すいません、つまんないですね」
O 「いやいや面白いですよ」
T 「つまんない答えですよ」
O 「あ、そうなんですか」
(笑)
O 「内緒、みたいです。他にー。あと2,3あればちょうどいいぐらいなんですけど。何でも良いですよ」

(挙手)

O 「はい」
Q4「あの、稽古をやってらした時に、なんか”今のウケてる”とか、”ウケないで”とかいう、 ”ウケる”っていう言葉を何回か使ってらしたと思うんですけど、あれはどういう意味で」
T 「あ、はいはい。そうですね。ウケるっていうのは・・・一般的にウケるっていうのは、なんか面白いことに笑って反応するっていう意味ですよね。大体おんなじなんですけど、んーと、何て言うんだろ、リアクションっていうことなんですけど、要は。えーと、あそこはどうだったかな・・・。あの、僕がよく”ウケる”って稽古場で使う時には、自分で言ってることに自分でウケるっていうことが、あると思っていて、で、あ、そうだ、ウケるってことについて説明しなきゃいけないですね。ウケるっていうのは別に笑うっていうことだけではなくて、例えばなんか、自分で言ったギャグに自分で笑うっていうことだけではなくて、ギャグじゃなくても全然構わなくて。何かを喋ってみて、自分で言ってみたことに対して、何だろ、何かそれに対して思うところがあってリアクションしてしまうっていうようなことを”ウケる”って言うんですけど」
O 「それは専門用語?ではなくて、岡田さん用語?」
T 「えーとまあ、僕だけじゃないですかね」
(笑)
T 「ただ、得てしてギャグだけでなくても、大体そういう意味でやるリアクションっていうのは、笑い、笑うっていうことになるんですよ、面白くなくても。全然、不幸なことだったりしても、笑うっていうことがとても多いので、まあ”ウケる”でいいだろうと、僕は思っていて、稽古場の内部では、僕の用語としてそれを”ウケる”っていう」
O 「それはちょっと聞きたいんですけど、例えば何かセリフを喋った時に、俳優が何かこう、そのセリフによってイメージをパッと頭の中でこう思いついてしまう、思ってしまう」
T 「っていうことを、やって欲しいっていう意味ですね」
O 「それが”ウケる”っていうことですね」
T 「そうですね、うん」
O 「で、それはやらなくていいっていう。ようするにセリフはそのまま読んで、それに対して頭でイメージをつけてから動くんじゃなくて」
T 「あ、えーと基本的には、そうやって喋った後でイメージをつけるっていうことは僕はやらないですけど、ただそれは基本であって、そうやって自分で喋ってる中で、自分で喋ってて、今言ったことはくだらねえなあとか、なんかつまんないこと言ってるなーとか、いろいろ思ったりするっていうその事に対して、言った自分の事に対して反応してしまうっていうことはあるので、そういったことは」
O 「それが、ウケてるってことですね」
T 「そうですそうです」
O 「それは今ウケてたから、やらないでっていう事を演出されるっていう」
T 「ええ、勿論逆もありますよ。”そこは、もっとウケて”って言う時もあります」
O 「なるほど。そういう感じだそうですが、もっと訊きたい事があるなら」
Q4「いや」
(笑)
O 「いいですか(笑)。あの、もうちょっと聞きたいですね、それによってどう変わるのかとか」
T 「ああ・・・えっと、何つうのかな。遣り取りっていうのを凄く、これ絶対聞いたことあると思うんですけど、例えば会話をキャッチボールで喩えることがありますよね。で、僕はそれを絶対嘘だと思っていて。キャッチボールって喩えた時に、本当にいろんなダメなところがあって、何がダメかっていうと、まずボールが一個だということですよね」
O 「はい」
T 「で、発するとあとはもう、受けるしかない。あとはこう待っている、というところが圧倒的に、会話の比喩として間違いで、あえて喩えるとしたら僕は格闘技だと思うんですよ。っていうのは、すべての会話は闘いだという意味ではなくて、例えばボールだったら投げちゃえば受ける以外ないけど、例えばいくらでもこちらから出し続けることも出来るし、出しながら食らうこともあるし、みたいな意味でっていう単にそれだけの意味なんですけど。っていうようなもの凄く複雑な、相手の言葉からだけなんか自分の反応というか、何か自分がやるべき作業を引き出すっていうのは圧倒的に貧しくて、何から引き出されるかっていうのは本当にいろんな要素があって、勿論相手の言葉というものもあるけど、なんか自分で発した言葉を自分で反芻してたりとか、あとは別の、全然別のことを考えてたりとか、自分で喋っているその事に対してなんか、これはイケてないなっていうことを思っていたりとか、そういういろんな要素の元で会話っていうのはやっていて。っていうそのひとつとして、ウケる、ということを言ってるのかなーっていうことを思いますね。だから今日稽古を見てもらったシーンにしても、全然会話になってないじゃないですか」
O 「(笑)」
T 「でもあれが、僕は会話じゃないかなと思っていて。まあ、頭の悪い会話ですよね、うん」
O 「ダイアローグじゃない感じですよね。それこそキャッチボールではない」
T 「うん、本当の、真面目な意味ではダイアローグじゃないですね」
O 「でも会話っていうのは、そういうもんだという」
T 「そんな会話だろうと」
O 「会話は会話だし」
T 「会話は会話ですね」

O 「えーーじゃ、ラストぐらいで・・・いいですか?」
(挙手)
O 「はい。いいですね、活発で」
Q5「『目的地』で、テキストとまた別の言葉をプロジェクションされると思うんですけど」
T 「はいはい」
Q5「それについて少しお話を聞きたいんですけど」
T 「ああ、はいはい。えーあの、ちょっと補足すると、今回、今見てもらったやつは、その11月にやる『目的地』っていう公演の一部なんですけど、その中で」
O 「琵琶湖でやったやつですよね」
T 「琵琶湖でもやりましたし、これから、駒場のアゴラ劇場でやるんですけど、やってる間に、奥に、舞台奥に、テロップをプロジェクションするっていう事をやるつもりで、そのプロジェクションされるテロップの内容は何かと言うと、このパフォーマンスそのものの補足というのでは必ずしもなくて、例えば翻訳の字幕のように凄く一致したものではない、まあ勿論、かといってナンセンスなものを投影するわけでもなくて、例えば今回の作品の舞台ということにしている、港北ニュータウンに関しての情報を投影したりとか、まあそういうことをやろうと思ってるんですけど、それは今回僕が新たにチャレンジしようと思っている手法で、初挑戦なんですけど。それによって、その文字を見ることによって、そのパフォーマンス自体の見え方が変わってくるっていうことを提示したいなあと思っていて、なので、例えば今のやったシーンでも、字幕というものが投影されて、その、ある字幕と一緒にパフォーマンスっていう情報を受ける事で、例えば今日見たものとは違うことが見えてくるっていう事を狙っているので、皆さん観に来てください」
(笑)
O 「きれいにまとまったよ・・・」
T 「今ね、喋っている途中で、これはここに行けるかなーって」
O 「行けるなーって(笑)。という事でですね、本公演は11月の・・・」
T 「3日、初日は3日ですね。楽日が15日です」
O 「には、もうある、もう新しいレベルの段階がひとつ付け加えられると」
T 「はい」
O 「プロジェクターによって、字が」
T 「そうですね」
O 「情報が後ろに付くと。それによって、また今日観たものがどう変わるのか。それは実際あなたの目で見て確かめてください!」
(笑)
O 「ということで、よろしいでしょうか(笑)。岡田利規さんでした」


[拍手]


O 「次回は11月の・・・何日ですっけ、19日ですかね。に、スタディストの岸野雄一さんをお迎えします。帰りにアンケートっていうか、ダイレクトメールでこれからの活動の案内とかをお送りさせて頂きたいので、よろしければカウンターの方に置いて頂けるとありがたいと思います。感想も出来れば、よろしくお願いします。ということで、ありがとうございましたー」
T 「ありがとうございました」


[拍手]



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